日野原重明さん死去 105歳
「生涯現役」として著作や講演など幅広く活動してきた聖路加国際病院名誉院長の日野原重明(ひのはら・しげあき)さんが、18日午前6時半、呼吸不全で死去した。105歳だった。通夜・お別れの会は関係者で行う。葬儀は29日午後1時から東京都港区南青山2の33の20の東京都青山葬儀所で。
1911年山口県生まれ。京都帝大医学部卒。41年から聖路加国際病院に勤めた。同病院内科医長、聖路加看護大学長、同病院長などを歴任。02年度朝日社会福祉賞。05年に文化勲章を受章した。
専門は内科学。成人病と呼ばれていた脳卒中、心臓病などを「習慣病」と呼んで病気の予防につなげようと1970年代から提唱してきた。旧厚生省は96年になって成人病を生活習慣病と改称し、今では広く受け入れられている。
87年からは小学生を対象に「いのちの授業」を続けた。多数の著書があり、90歳で出版した「生きかた上手」がベストセラーになった。
設計図の一念三千では、成仏できない
進まざるは退転
「進まざるは退転」です。特に、組織の上のほうが成長を止めたら、こんな不幸はない。皆が、かわいそうです。だからこそ、「人間革命」です。
「日に新たに、日に日に、また新たなり」だ。自分が止まったら、周囲も後輩も止まってしまう。自分が止まってしまったリーダーにかぎって、威張るし、感情的に人を叱る。威張ったり、怒ったりするのは畜生界、餓鬼界です。ほめたたえるのが菩薩界です。人をたたえることです。学会員は宝の人です。尊敬し、一緒に「いい人生を生きていこう」と励まし合っていくのです。そのために組織がある。
今こそ、幹部自身が境涯革命する時です。その総立ちの「うねり」が、一念三千の理法で、社会をも変えていくにちがいない。
"
永遠の師・大聖人の仏法を広め、そして人生の師・戸田先生との誓いを果たすために、私は断固として『行学の二道』に励んできた。いな、励んでいく決意は微塵も変わらない。『行学の二道』を離れて、『師弟の光道』はないからだ
"
・諸法実相の・・・諸法と実相は別々にあるのではなく、諸法は実相の現れであり、実相は諸法を離れてあるものではない。――諸法は、十界の衆生とその環境世界、実相は南無~。
・諸法実相十如是は、十界互具・百界千如――設計図・理の一念三千"
"・設計図の一念三千では、成仏できない~つまり、“家は建たず住めない” そこで、寿量品の本国土妙・三世間が必要なのだ*☆*――
★もっと分かりやすく言えば、主体である五陰・衆生世間が無く、活動の舞台である本国土が説かれていないからだ*☆*―― "
〈池田先生と共に 新時代を進む〉14
SEIKYO online (聖教新聞社):折々の指針
〈池田先生と共に 新時代を進む〉14 2017年7月17日
「東京凱歌」――この書を私が記したのは、昭和58年であった。5月3日を祝賀し、八王子の東京会館の完成を記念して書き留めた。
今その地には殉教の先師を宣揚する東京牧口記念会館が立つ。先師に捧げる「東京凱歌」「創価の凱歌」を轟かせてくれた全同志の尊い尊い奮闘に、あらためて私は合掌したい。
牧口先生の顕彰室には、常に拝され研鑽なされた御書が置かれている。
「苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ」「いよいよ強盛の信力をいたし給へ」(御書1143ページ)
先生が線を引かれ、大切にされていた一節である。
九州での甚大な豪雨の被害など自然災害が続き、ご苦労が偲ばれてならない。農作物などへの影響も深刻である。被災地の方々、農漁光部の皆さまはじめ、全ての宝友を、仏天よ護りに護れと題目を送っている。
何があっても、我らには変毒為薬の妙法がある。苦楽を分け合う同志がいる。いよいよ強盛に「抜苦与楽(苦を抜き楽を与える)」の行動に打って出て、希望の人生を、和楽の家庭を、福徳の地域を築きゆくのだ。
― ◇ ―
7月11日は、男子部結成の記念日であった。
「強敵を伏して始て力士をしる」「師子王の如くなる心をもてる者 必ず仏になるべし」(同957ページ)
これも、牧口先生が線を付された御文である。
広布の激戦の中で、一段と力をつけてきた頼もしき正義の若師子たちに、この御聖訓を贈りたい。
はつらつと前進する花の女子部は、19日に結成の日を迎える。女子部の1期生である妻が大事にしてきた三つの指針を託したい。
「希望は心の太陽」
「努力は心の王道」
「苦難は心の名曲」
華陽の乙女に、幸光れ!
― ◇ ―
7月17日は大阪大会より60年。関西の誉れの父母たちに感謝は尽きない。
戸田先生は、関西と私との団結を何よりも喜ばれ、「学会が大変な時に、自分も難の渦中に躍り出て、勇んで戦っていくところにこそ、永遠不滅なる生命の勝利がある」と言われた。
この常勝不敗の魂は、今や日本全国、そして全世界の異体同心の絆となった。
創価ファミリー大会が始まった。さらに、兵庫、岡山、佐賀、岩手、富山、石川と各地で、創価青年大会も行われる。地涌の若人たちの大成長の夏であれ!と祈りに祈っている。
〈池田先生と共に 新時代を進む〉13
SEIKYO online (聖教新聞社):折々の指針
〈池田先生と共に 新時代を進む〉13 2017年7月7日
全同志の祈りと団結で勝ち開いた「立正安国」の凱歌こそ、牧口先生と戸田先生への何よりの報恩であろう。
7月6日は、両先生が、戦時中の法難で、軍部政府に逮捕された日である(昭和18年)。
74星霜を刻んだこの日、私は総本部の恩師記念会館で、殉難の師父の「不惜身命」「死身弘法」の崇高なる精神を偲び、勤行・唱題を行った。
そして九州の記録的豪雨をはじめ中国地方、西日本の大雨に際し、少しでも被害が食い止められるよう、住民の方々が厳然と守られるようにと強盛に題目を送らせていただいた。心よりお見舞い申し上げます。
― ◇ ―
総本部では、「創価学会 世界聖教会館」の起工式が行われた。明後年の秋の完成へ、尽力してくださる関係の方々に、心から御礼申し上げ、工事の無事故の進捗を祈りたい。
恩師は聖教新聞を世界中の人に読ませたいと願われた。この心を体し、わが宝友は奔走してくれている。
北海道では、夕張大会の60周年を、目覚ましい聖教の拡大で飾ってくれた。
全国の「無冠の友」の尊き奮闘に感謝は尽きない。世界聖教会館には「配達員顕彰室」も設けられる。
また、新聞長、通信員をはじめ、聖教を支えてくれる全ての方々が誇りにできる平和と正義の新・言論城としたい。世界へ人間主義の大光を放ちゆくのだ。
仏法では、理想の指導者・転輪聖王の武器を「輪宝(車輪をかたどった宝器)」という。
日蓮大聖人は、「輪宝とは我等が吐く所の言語音声なり此の音声の輪宝とは南無妙法蓮華経なり」(御書733ページ)と仰せである。
妙法を根本に、信念と誠実の対話で、悪や虚偽を打ち破りながら、友の心に仏縁を結び、幸の種を蒔く。この言論の大回転こそ、楽土を創りゆく希望の力なのだ。
― ◇ ―
7月は「師弟」の月であり、男女青年部の結成の月だ。関西の月であり、東北、中部、さらに九州の月でもある。
立正安国論の提出の日16日は、「沖縄原点の日」だ。「世界最初の広宣流布の地帯」に不屈の凱歌あれ!と思いを馳せつつ、私は大好きな「沖縄健児の歌」を口ずさんでいる。
立正安国の対話の精神は「言わずんばある可からず(=言わずにはおれない)」(同17ページ)である。
新たな建設の槌音とともに、勇気の言論で平和と幸福を広げゆこう!
座談会 栄光の峰をめざして〉45
座談会 栄光の峰をめざして〉45 戸田先生の原水爆禁止宣言から60年―― 国連で核兵器禁止条約が採択 2017年7月13日
〈出席者〉
原田会長
長谷川理事長
永石婦人部長
竹岡青年部長
伊藤女子部長
長谷川 日本全国、そして全世界の創価家族と共に、「師弟の凱歌」が轟く、本部幹部会を晴れやかに開催することができました。
永石 池田先生は、メッセージでたたえてくださいました。
「広宣流布のため、立正安国のため、誰に何と言われようとも、労苦を厭わず、声を惜しまず、力を合わせて邁進する学会員ほど、不思議な、偉大な存在は、ありません。まぎれもなく、創価の友は一人一人が『地涌の菩薩』そのものであり、『仏事』まさしく『仏の仕事』を果たしているのであります」
原田 全国中継行事は、13日から16日に行われます(中継の会場と時間は各県・区で決定)。皆で集い、互いの大健闘をたたえ合ってまいりたいと思います。
永石 鹿児島・奄美大島のご夫妻の活動体験も大変に感動的でしたね。未来部による素晴らしいステージにも、皆が胸を熱くし、拍手喝采を送っていました。
竹岡 今回、約300人の未来部が出演しました。この日を目指して、一人一人が真剣に祈り、さまざまな挑戦を重ねてきました。
伊藤 念願の本部幹部会での出演を祈ってきた「希望オーケストラ」「創価グロリア・ジュニア吹奏楽団」は5年ぶり、また「東京管弦楽団」は10年ぶりの舞台となったそうです。
長谷川 メンバーが歌い上げた未来部歌「正義の走者」は、「第1次宗門事件」の嵐の渦中に、池田先生が作詞され、未来部に“広布のバトン”を託した「後継の歌」です。
原田 先生はかつて、「私は、愛する後継の皆さんが、一人も残らず、正義と勝利の人生を生き抜いてくれることを信じ、祈って、『正義の走者』を贈りました」「『正義の走者』は私の遺言であります」と万感の思いを語られています。
伊藤 一人一人が、幹部会への出演・参加を通して決意を深くしています。「世界中から、先生を求めて集まったSGIの皆さんを見て“世界中に仲間がいるんだ。自分も頑張ろう”と決意しました」「“これからの未来を開くのは、私たち”との思いで、お題目を根本に勉強に挑戦し、一流の人材になって先生にお応えします」など、多くの声が寄せられています。
原田 先日の総県長会議でも、「未来部躍進月間」(今月16日~8月31日)、各地での「創価青年大会」を各部一体で応援し、創価の未来を開く人材育成に総力を挙げることを確認し合いました。“青年拡大の年”の勝利、そして「師弟の魂」を継承する大人材城の構築へ、皆で新たな出発を開始してまいりましょう。
竹岡 ニューヨークの国連本部で7日、「核兵器禁止条約」が採択されました。この条約は、核兵器の使用や開発、実験、製造、保有、移転、そして使用の威嚇などを禁止した、歴史的な国際条約となります。
原田 1945年に広島・長崎で核兵器が使用されて以来、70年以上にわたって核兵器の廃絶を求めてきた世界の被爆者の方々、そして連帯をしてきた国際社会による努力の結実です。SGIも、市民社会の代表として交渉会議に参加するなど、条約成立に尽力してきました。核兵器の廃絶に向けた大いなる一歩といえます。
竹岡 人類の悲願である「核兵器なき世界」の実現へ、新たな歴史の幕が開かれました。条約は、未来への希望の道標となります。
永石 本年は、戸田先生が核兵器を“絶対悪”と断じた「原水爆禁止宣言」の発表から60年という、意義深い節目です。
伊藤 ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)のベアトリス・フィン事務局長は、宣言から60年の年に条約が採択されたことに触れ、こう語っています。
「非常に意義深いことです。冷戦の渦中に示されたその宣言を原点として、SGIは数十年もの間、平和の戦いに取り組んでこられました。たとえ希望が見いだせず、人々が諦めそうになった困難な時代にあっても、SGIが立ち上がるエネルギーと勇気を発揮し続けてきたことに多大な啓発を受けるのです」
長谷川 恩師・戸田先生の熱願を胸に、池田先生は毎年、「SGIの日」記念提言を発表し、各国の首脳、識者との対話を行うとともに、青年を軸にした草の根の運動や多角的な核兵器廃絶運動のリーダーシップを執ってこられました。
原田 池田先生は、学会の平和運動や国連支援の取り組みは、「立正安国」の現代的な展開の一つであると語られています。7月16日は「立正安国論」提出の日でもあります。「一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を禱らん者か」(御書31ページ)と仰せの通り、私たちは草の根の「一対一の対話」を軸に「民衆の連帯」を拡大し、「平和の潮流」をさらに広げてまいりましょう。
竹岡 先日、沖縄県の那覇市議選(9日投開票)が行われ、私たちが支援する公明党は大混戦を制し、前回を上回る得票総数で、7人全員が当選を果たすことができました。
また、奈良市議選(同)においても、公明党は7人全員が当選。得票総数も過去最高を記録しました。
原田 国政においても、地方政治においても、公明党の存在感は、ますます際立ってきています。議員の皆さんは決して、支持者の真心を忘れることなく、どこまでも「大衆とともに」との立党精神を貫き、庶民のため、社会のために尽くし抜いていただきたい。
〈スタートライン〉 ㈱「和える」代表取締役
SEIKYO online (聖教新聞社):インタビュー
〈スタートライン〉 ㈱「和える」代表取締役 矢島里佳さん 2017年7月8日
あふれるモノの消費から智慧を大切にする暮らしへ
現代的で便利な暮らし。モノがあふれる一方で、見失いがちな視点がある。㈱「和える」社長の矢島里佳さんは、“日本の伝統を次世代につなぎたい”と、学生時代に同社を設立。日本の伝統技術を活用した“0から6歳の伝統ブランドaeru”を展開し、日本の伝統文化の視点から見た価値を再発信している。伝統品の魅力や夢を実現するポイントなどについて話を聞いた。
日本の伝統が息づく古都・京都。市内の一角に、木造の京町家を修繕した㈱「和える」の直営店がある。
店頭には、徳島県産の〈本藍染の産着〉や、青森県で作られた〈津軽塗りのこぼしにくいコップ〉等、伝統技術で磨き上げられた品々が丁寧に並べられている。
特徴的なのは、製品が幼少期から使えるということだ。
「“日本の伝統文化を次世代につなぎたい”という想いから、会社は出発しました。
未来を担う子どもたちに、本当に贈りたい日本の物をお届けしたいと、直営店では“0から6歳の伝統ブランドaeru”の製品を販売しています」
一つ一つの品が、矢島社長自ら日本各地を回り、職人と語り合いながら、生み出されてきたもの。価格は決して安くはないが、出産祝いやお食い初め用の贈り物として人気も高い。
矢島さんが日本の伝統文化に興味を持ったのは、中学・高校で茶華道部に所属したことだった。
やがて、“伝統職人に話を聞いてみたい”と考えるようになる。
その願いがかない、大学時代には、旅行会社が手掛ける季刊誌の連載を受け持つことになった。
「連載で全国の職人さんを取材する中で、職人さんの、ものづくりへの真剣な姿勢に刺激を受けました」
職人との出会いに触発され、心の中に、“次世代に伝統をつなぐ仕事をしたい”という火がともった。そして、大学4年の時、会社を立ち上げた。社名は「和える」と付けた。
「お料理で『和える』って使いますよね。それと同じ意味です。日本の伝統や先人の智慧と、今を生きる私たちの感性を『和える』のが、会社の役割です。
『和える』と『混ぜる』は違います。伝統と今をごちゃ混ぜにするのではなく、それぞれの魅力を活かしていきたいのです」
“もったいない”という言葉に象徴されるように、日本では、モノを尊び、壊れても捨てずに修復する習慣が根付いてきた。
「陶磁器やガラスの製品は、割れたり欠けたりしても、『金継ぎ』という方法で『お直し』できるんですよ。漆器も塗り直せますし、和紙でできたものも、すき直すことができます」
陶磁器や漆器は、壊れたら捨てざるを得ないと誤認している人も多い。消費社会が進展し、日本人には、“壊れたら捨てる”という感覚が自然と身に付いてしまった。
「お直しの魅力の一つは、壊れる前よりも製品に味が出ることです。使い続けることで愛着も湧いていきます。
“aeru”でも、製品のお直しを承っていますが、このお直しという技術自体が、日本の伝統的な無形の智慧です。子どもたちにも、お直しの魅力をお伝えしたいです」
日本人の心が、より豊かになっていくためには、一人一人が「消費者」から、賢い「暮らし手」に変わっていく必要があるという。
「もちろん、消費により経済は発展しました。でも、消費のために、捨てる・買うを繰り返すのは、何だか悲しいですよね。
あふれるモノを消費する生活を見直し、伝統文化がもつ有形無形の智慧や、モノを大切にする暮らしに目を向けることで、心が豊かになっていくのではないかと感じています」
22歳で起業し、自分の望む仕事を実現した矢島さんだが、夢をかなえるポイントは何だったのだろうか。
「想いを“秘める”のではなく、“声に出す”ことですね。『日本の伝統産業の仕事がしたい』と、とにかく声に出し続けてきました。今も、“こうしたい”と思ったことは、言い続けています。
あと、あまり高い目標を設定しないこと。社長になって、重圧を感じたことがないのですが、それは、あえて高すぎる目標を立てないからです。
目標の立て方も一つの技術みたいな部分があります。私は、小さい目標を設定して、小刻みに達成するようにしています。達成できた自分を素直に褒めることで、自信も生まれます」
やりたいことが見つからない場合は、どうすればいいのか。
「やりたいことが分からないという声も、たくさん耳にします。でも、そういう時は、自分が“まだ決めていない時”です。目の前には、いっぱい選択肢があります。
その中には、興味があることもあるはずです。まずは決めて、挑戦してみることではないでしょうか」
今、矢島さんは「伝統産業」の世界と「伝統工芸」の世界を“和えよう”としている。
「伝統産業は、伝統技術を日用品に織り込む世界で、手に取りやすいものです。
伝統工芸は、『一点物』に見られるように、時間と技術を惜しみなく注ぎ、製品を創り上げる世界です。
伝統産業と伝統工芸は両輪です。伝統工芸によって技術が引き上げられることで、伝統産業の質も向上していきます。
伝統技術は、自然と継承されていくものではありません。“つなぐ人”がいて、初めて伝わっていくもの。『和える』がそれぞれの伝統産業の“横串”となって、日本の伝統を次世代へつないでいきたいのです」
やじま・りか 1988年、東京都生まれ。大学4年の2011年、㈱「和える」を創業。慶應義塾大学卒業。12年、“0から6歳の伝統ブランドaeru”を立ち上げた。14年、東京直営店「aeru meguro」、15年には京都直営店「aeru gojo」をオープン。同年、日本政策投資銀行(DBJ)の女性起業大賞に輝いた。『和える』(早川書房)、『やりがいから考える自分らしい働き方』(キノブックス)などを著している。
【編集】松崎慎一 【写真】荒木稔、綿谷満久 【レイアウト】竹内貴洋
〈幸齢社会〉 人生100年時代の備え
SEIKYO online (聖教新聞社):介護・幸齢社会
〈幸齢社会〉 人生100年時代の備え 2017年7月12日
行動科学マネジメント研究所 所長 石田淳さん
“人生100年”ともいわれる今の時代、自分や配偶者が長生きすることに対して何をどう準備すればいいのか、行動科学マネジメント研究所所長の石田淳さんに聞きました。(写真は本人提供)
今から約30年後、日本人の平均寿命は100歳を超えるともいわれます。今50歳の人は80歳になり、あと20年ほど生きる計算。勘の鋭い人なら「老後資金が足りるのか」と心配になるでしょう。
最近は“老後破産”ともいわれる、長寿という喜ばしい事態が招くリスクも知っておく必要があります。でも私がセミナーで会う中年男性は、どこか人ごと。長生きするのは自分なのに、自分事と思えない人が少なくありません。具体例を紹介しましょう。
――50歳の会社員Aさんは「今後のキャリアプラン」と称して人事部に呼び出され、三つの選択肢を示された。
①55歳前に早期退職なら、退職金が上乗せ②60歳の定年退職なら、55歳から給料減額で退職金は満額支給③60歳の定年後も希望すれば65歳まで勤められるが、給料は新入社員並み――というもの。
ほぼ予想通りで、妻と相談していたAさんは③を選択。その晩、妻に報告しました。
「何とか65歳までは勤めることができそうだよ」
ねぎらってくれると思っていたところ、妻は不安そうに「その後どうするの?」と。Aさんは思わず「もっと働けって言うのか」と声を荒らげてしまったそうです。
その後、初めて老後資金についてシミュレーションを。夫婦二人の生活費は最低でも毎月25万円ほど掛かり、少し余裕のある暮らしには35万円は必要だと知りました。
そして年金を含めない計算で「毎月30万円を自分たちで何とかしなければならない」と。80歳まで生きるとして、65歳で退職したら残り15年。30万円を180カ月分なので5400万円も必要なのか、と青ざめたと言います。
Aさんは今の50歳前後の典型的なサラリーマンですが、その思惑は外れるでしょう。80歳で亡くなるとは限らないからです。少なくとも夫婦のどちらか一方は100歳まで生きる時代が来るのです。
私は今の中年男性に「人生100年」への発想転換を勧め、85歳まで働くことを提案しています。それは必ずしも正社員としてではなく、少しでも収入を得られる状態にするもの。方法は仕事と投資の主に二つで、バランスが大切ですが、リスクの高い投資は避けた方が無難でしょう。
仕事を考える際、まず行うのは「社名や肩書を外して自分に何ができるのか」という“棚卸し”。〇〇ができる、という売りがないと再就職は困難です。笑い話で「部長ができます」と答えた人も。求められるのはスキル(技能)であり、お勧めはプログラミングや英語などです。
85歳まで仕事をするために不可欠な要素は、自分を磨き続ける努力であって、中年には「学び直し」も必要です。何歳からでも新しいことを始めるのは楽しいもの。でも、最初は大きな目標を立てないことを勧めています。
行動科学マネジメントでは例えば「週2冊、本を読む」「月1回、ビジネススクールに通う」など、確実に達成できる小さなゴールを設定。それを繰り返して大きなゴールに到達します。大事なのは、継続することです。
学び直しには、起業家を目指す観点も大切ですが、安易な早期退職はしない方がいいでしょう。今の会社で給料をできるだけ長くもらい、可能なら副業をする方が得策。起業の見込みが甘かった失敗例を数多く見てきました。
もし、今の会社の出世競争で自分は負けたと感じていても、100歳までの人生は、これからです。学び直しで、“逆転”可能な第2・第3のステージが待っています。
とはいえ、それは「健康」であってこそ。①体が健康で②頭が認知症にならず③心がうつにならないこと――この3点を心掛けましょう。
そのために、食事と運動が重要なことは言うまでもありません。100歳までの健康づくりは40代には始めるべきで、50代ではギリギリ。健康診断で危険な信号が出たら要注意。良い食事と運動の習慣を身に付けてください。
また、人生を充実させるには「生きがい」も重要です。好きなことをしたり、人との温かい交流をしたりすると、私たちは生きがいを感じるもので、人間には趣味と友人が欠かせないと思います。
趣味は、体を動かすアウトドアのものと、頭を働かせるインドアのものの2種類持つのが理想的。友人は、一般に会社員の男性が苦手な“地域との関わり”で、新たな友を作るようにしましょう。
既婚者にとって、忘れてはならないのが、配偶者。退職後も40年近く一緒に過ごし、健康に最も気を配ってくれる相手です。その関係をおろそかにせず、50歳になったら、配偶者との会話を倍に増やすくらいがいいですね。
何より重要なのは、ささやかな幸せを感じる習慣です。人は考え方一つで、幸せにも不幸にも感じるもの。この、お金では買えない心の能力を鍛えるには「今日あったいいことを三つ書き出す」作業が効果的。「娘が笑っていた」「昼食がおいしかった」など、どんなことでも構いません。
50歳の人なら100歳まであと50年――1年365日、三つずつ書き出したら、ノートは5万5000近い「いいこと」で埋め尽くされます。私はそういう人生にしたいと思っています。
いしだ・じゅん 一般社団法人行動科学マネジメント研究所所長。株式会社ウィルPMインターナショナル代表取締役社長兼最高経営責任者。米国の行動分析学会ABAI会員・日本行動分析学会会員。米国ビジネス界で成果を上げる行動分析を基にしたマネジメント手法を、日本人に適したものにアレンジして「行動科学マネジメント」として確立。著書に『教える技術』(かんき出版)など多数。