三重秘伝

三重秘伝

 六巻抄と日寛上人について少々述べて見ましたが、その際 「三重秘伝抄」 については、日蓮仏法の奥義が説かれた書ですので、久しぶりに手に取ってみました。 
  
 『三重秘伝抄』 は、日寛上人が 「開目抄」 を講義なされたとき、“文底秘沈” の句に至って、其の義甚だ深く、其の意は難解であると観じられた。故に、此の文を三段に分け、その義を十種の法門に開いて講義なされ、後継の弟子に仏法の奥義を教えられたのである。 
 「此れは是れ偏(ひとえ)に法をして久住せしめんが為なり、末弟等深く吾が意を察せよ云云」(六巻抄・3P) と述べられ、日寛上人が三大秘法の広宣流布の大願を期せられて著した重書である。 

 その 『開目抄』 の文は、「一念三千の法門は但法華経の本門・寿量品の文の底にしづめたり、竜樹・天親・知つてしかも・いまだ・ひろいいださず但我が天台智者のみこれをいだ(懐)けり」(189P) という御文です。 
  
 御書の文中で、二行ばかりの短い語句でありますが、日蓮仏法にとって甚深の意義を明かした、重要な御金言であります。 
 日寛上人は、この 「文」 を “標・釈・結” の三段に分ち、甚深の 「義」 を “十門” に開いて詳釈なされ、文底に秘し沈められた大法を明かされて、末法流布の大白法であることを示されました。 

 「標」 とは、標題ということで 「一念三千の法門は」 のところになります。要するに、この御文では一念三千の法門がテーマになっている分けです。 
 「釈」 とは、解釈ということで 「但法華経の本門・寿量品の文の底にしづめたり」 のところです。一念三千の法門を、どのような角度から論ずるのか、ということです。 
 「結」 とは、結論ということで 「竜樹・天親・知つてしかも・いまだ・ひろいいださず但我が天台智者のみこれをいだけり」 までの部分です。一念三千という標題を、解釈していって、そこから導き出される結論ということです。 

 この御文の 「釈」 の部分を解釈すると、そこには三つの意味が含まれている。 
 「釈の文に三意を含む、初めは権実相対・所謂 『但法華経』 の四字是なり、次は本迹相対・所謂 『本門寿量品』 の五字是なり。三は種脱相対・所謂 『文底秘沈』 の四字是なり。是れ即ち従浅至深して次第に之を判ず。 
 ……… 
 応(まさ)に知るべし、但法華経の但の字は是れ一字なりと雖(いえど)も、意は三段に冠(こう)むるなり。謂(いわ)く、一念三千の法門は一代諸経の中には但法華経法華経の中には但本門寿量品、本門寿量品の中には但文底秘沈と云云。故に三種の相対は文に在りて分明なり」(六巻抄・12P)
 


 はじめに 「但法華経」 とありますが、何に対して 「但法華経」 なのかといえば、爾前・権経であり、法華経との比較相対でありますから、“権実相対” になります。 
 次に、「本門寿量品の五字是なり」 ですが、これにも 「但」 の字がかかってきます。「但本門寿量品」 と読めば、法華経の中の迹門に対して、「但本門寿量品」 でありますから、これは “本迹相対” になります。 
 さらに深く見れば、「文の底にしづめたり」 となります。これは寿量品の文上に対して、「但文の底」 という分けですから、“種脱相対” になります。 
 この 「但」 の字は、一字でありますが 「但・法華経」 「但・本門寿量品」 「但・文の底」 というように、三段階にかかってきます。このように、三重に亘って 「一念三千の秘法」 を解釈していますので、“三重秘伝” というのであります。 

 「結」 の部分は、「結とは是れ正像未弘を結す意は末法流布を顕わすなり、亦二意あり、初めに正法未弘を挙げ通じて三種を結し、次に像法在懐を挙げ別して第三を結するなり」(六巻抄・12P) と仰せです。 

 種脱相対して明かされた 「一念三千の法門」 は、正法・像法時代には未だ弘まらなかった、というのが結論である。しかし、その心は末法広宣流布することを顕わしている。 
 この “権実相対” “本迹相対” “種脱相対” の三つ相対はともに、正法時代には竜樹・天親さえも弘めていない。ゆえに 「正報未弘」 である。 
 像法時代、天台大師は本迹相対までは宣(の)べたが、種脱相対は、知っていたけれど懐(ふところ)にしまったままで、宣べなかった。ゆえに 「像法在懐」 という。 
 では、“種脱相対” はどうなのかと言えば、それは末法に、日蓮大聖人によって流布される 「未曽有の大白法」 であるというのが、「開目抄」 の御文から読み取れる結論なのであります。 

 この三種の相対は、「一には爾前は当分・迹門は跨節(かせつ)なり是れ権実相対にして第一の法門なり、二には迹門は当分・本門は跨節なり是れ本迹相対にして第二の法門なり、三には脱益は当分・下種は跨節なり是れ種脱相対にして第三の法門なり、此れ即ち宗祖出世の本意なり故に日蓮が法門と云うなり、今一念三千の法門は但文底秘沈と云う意此にあり」(六巻抄・13P) と仰せです。 (跨節…節を跨ぐ、更に深く一重立ち入った立場)

 以上のことを、図示すれば次のようになります。 

    ……… 一念三千の法門

    ……… 但法華経 …………… 権実相対(第一法門)
       但本門寿量品 ……… 本迹相対(第二法門)
       但文底秘沈 ………… 種脱相対(第三法門)

    ……… 正報未弘(竜樹・天親) …… 通じて三種を結し
       像法在懐(天台大師) …… 別して第三を結す …… 末法流布を顕わす   

 日蓮大聖人は、「開目抄」 で示された、権実相対を第一法門、本迹相対を第二法門、種脱相対を第三法門と名づけられ、此の 「第三法門の種脱相対」 にこそ “出世の本意” があり、故に “文底独一本門”・“日蓮が法門” と仰せられています。 

〈座談会 師弟誓願の大行進〉36 「新・人間革命」30巻〈上〉が発刊へ 世界の同志と共に広布後継の道を! 2018年5月24日

〈座談会 師弟誓願の大行進〉36 「新・人間革命」30巻〈上〉が発刊へ 世界の同志と共に広布後継の道を! 2018年5月24日

組織を利用した「商売」は厳禁
〈出席者〉
原田会長
長谷川理事長
永石婦人部長
竹岡青年部長
伊藤女子部長
小説『新・人間革命』の冒頭の一節が刻まれたニュージーランドの「碑」

 伊藤 このたび、「韓国青年友好交流団」として、韓国を訪問しました。支えてくださった全ての皆さまに心から感謝いたします。

 竹岡 この5月は、池田先生の韓国本部への初訪問から20周年です。今回、韓国の同志と触れ合う中で、先生が各国に築かれてきた世界広布の基盤は、韓国でも強固に発展していると、あらためて感じました。どの地でも、同志の方々は、師匠への熱い求道心を燃やし、広布への強い責任感に立っていました。その姿に、信心を学びました。

 原田 本当に、ご苦労さまでした。日本の青年部の皆さんにとっても、世界宗教として飛翔する創価学会の使命を再確認する機会になったと確信します。この経験を生かし、皆さんが世界広布の先頭を走りゆくことを期待しています。

創価学会仏の意義

 長谷川 さて、小説『新・人間革命』第30巻の上巻の予約が、全国の書店やSOKAオンラインストアなどで始まっています。

 永石 師弟共戦の日である「7・3」を記念して、6月21日に発売されます。聖教新聞の2017年1月1日付から始まった「大山」の章をはじめ、「雌伏」「雄飛」「暁鐘(前半)」の章が収録されます。

 原田 障魔の嵐が吹き荒れる中、池田先生の大激闘によって、広布の道は開かれました。「大山」の章には、第3代会長を辞任された際の心境が描かれており、「弟子のために道を開くのが師である。そして、その師が開いた道を大きく広げ、延ばしていってこそ、真の弟子なのである。この広布の継承のなかに真実の師弟がある」と書かれています。

 竹岡 この章には、「創価学会会則」の前文にも記されている「創価学会仏」の意義も描かれています。

 原田 かつて戸田先生は、「学会は、この末法にあって、これだけ大勢の人に法を弘め、救済してきた。未来の経典には、『創価学会仏』という名が厳然と記されるのだよ」と語られました。

 長谷川 法華経の不軽品には、「威音王仏」という名前の仏が登場します。この仏は、一人を指すのではなく、最初の威音王仏の入滅後、次に現れた仏も「威音王仏」といいました。

 原田 法華経に、「是くの如く次第に二万億の仏有し、皆同一の号なり」(法華経556ページ)と記されています。「二万億の仏」が皆、同じ「威音王仏」という名前で、長遠なる歳月にわたり、衆生を救済してきたと説かれているのです。

 長谷川 そこで戸田先生は、「これは、威音王仏の名を冠した『組織』『和合僧団』とはいえまいか」と洞察されます。その点を、池田先生も、「個人の今世の寿命は限られている。しかし、広宣流布に戦う根本精神が師匠から弟子へと脈々と受け継がれ、一つの組織体として活動し続けるならば、それは、民衆を救済し続ける恒久的な仏の生命力をもつことになる」とつづられています。

 原田 つまり、「創価学会仏」とは、初代会長・牧口先生、第2代会長・戸田先生、第3代会長・池田先生という師弟に連なり、広宣流布の大誓願の使命に生きる、同志のスクラムであり、地涌の菩薩の集いなのです。「創価学会仏」であればこそ、私たちは、永遠の後継の流れをつくり、広宣流布の大使命を果たし続けていかねばなりません。

 伊藤 また、「雌伏」の章では、功労者宅を訪問する模様が描かれ、さらに、広宣流布を目指す上での最第一の鉄則は、「金剛不壊の異体同心の団結」であることが強調されています。

 永石 そして、池田先生を求め、四国から船で神奈川にやってきた同志の様子などもつづられています。

 竹岡 さらには、第5次訪中からの帰途、長崎、福岡、大阪、愛知、岐阜など各地を回って、反転攻勢の戦いを開始し、新たな広布の「雄飛」を果たしていく様子も記されています。

 原田 「雌伏」の章に、「私は、世界の同志が、また、広宣流布のバトンを受け継ぐ後世の人たちが、創価の師弟の道をまっすぐに歩み通していけるように、小説『人間革命』を書き残している」とあります。私たちは徹底して、“師弟の一書”を学び、広布の道を走っていきたい。

「金銭貸借」も禁止

 長谷川 最後に、金銭トラブルについての注意です。それは、いわゆる、“マルチ商法”と呼ばれるものです。“簡単に高収入が得られる”などという、甘い話には警戒してください。特に、高齢の女性の方は気を付けてください。

 原田 言うまでもなく、学会の組織は、広宣流布のためにあります。一人一人が、信心の向上を図り、自他共の幸福を実現していくための組織です。したがって、「組織を利用した商売」は厳禁です。「戸田の命よりも大切」と言われた学会の組織を守り、発展させていくためにも、絶対にしてはいけません。
 組織の立場を利用して、物を売らない。万一、話を持ち掛けられた場合には、きっぱりと断り、すぐに組織のリーダーに相談してもらいたい。

 長谷川 併せて、会員間の「金銭貸借」も、あってはなりません。これが、学会の伝統です。借りる方はもちろん、貸す方も、良くありません。金銭的に困っている人に対し、本人が、信心根本に、自力で立ち上がっていくよう励ましていくのが、学会指導です。

 原田 組織利用の「商売」と、会員間の「金銭貸借」「共同事業」は厳禁――この点を、よく確認し合いながら、仲良き広布の前進を続けていきましょう。

師弟誓願の天地に人間革命の光! 信越総会 世界広布新時代第34回本部幹部会(1面から続く) 2018年5月14日

師弟誓願の天地に人間革命の光! 信越総会 世界広布新時代第34回本部幹部会(1面から続く) 2018年5月14日

新潟・長野 「ブロック1」の新入会者が誕生
信越音楽隊(加藤雅也隊長)が方面歌「美しき信越」を熱演。本部幹部会の前日に弘教を実らせたメンバーも。ある隊員は「“師弟一体”の音律を奏でたい――その思いで自身の限界に挑み、勝ってこの舞台に臨むことができました」と(新潟池田文化会館で)
   

 その後、歌詞とメロディーの推敲を重ねる弟子を、師は温かく見守り、何度も激励。こうして完成した“師弟の共戦譜”を聴いた池田先生は、「素晴らしい! いい歌だ! どんどん歌っていこう」と提案した。
 以来、13星霜――。
 「難攻不落の 友と友 さあ共戦の 勝利旅」との歌詞のままに、いかなる人生の苦難の嵐にも、幾多の自然災害にも、友は屈せず、勝ち越えてきた。
 池田先生は、幹部会に寄せたメッセージの中で述べた。
 「いよいよ『不撓不屈』の信心で『人間革命』の舞を舞い、新たな地涌の連帯の裾野を広げ、わが誓願の天地に『常寂光の都』を輝きわたらせていきたい」――と。
 この師の呼び掛け通り、師弟誓願の天地・信越各地に今、地涌の人材が陸続と躍り出ている。
 今回の幹部会を目指して、新潟・長野両県ではともに、「ブロック1」を超える新入会者が誕生!
 佐藤総新潟長、高頭同婦人部長は「新たな人材と共に、さらなる弘教拡大へ前進します!」と力強く。中野総長野長、矢島同婦人部長は「青年を先頭に、“世界一の広布の理想郷”を築きます!」と固く誓った。
  
 〽世界が見つめむ
  理想郷……
  
 今や世界の同志が仰ぎ見る、三代会長有縁の天地・信越
 「若き池田先生が、戸田城聖先生と最後の夏を過ごした地に来ることができ、夢のよう」。幹部会の前日、長野・軽井沢を訪れたアメリカのアケミ・ヘイニーさん(婦人部長)は、喜びを語った。
 同地は、池田先生が小説『人間革命』執筆の決意を固めた地であり、『新・人間革命』を起稿した縁深き場所でもある。ヘイニーさんは、「自身の人間革命の姿を通して、“師弟の魂”を全米の同志に伝えたい」と力を込めた。
 一方、同日、牧口常三郎先生が生誕した新潟・柏崎を訪問した台湾の曽鏖彰さん(圏男子部書記長)は、「“創価源流”の地に来られて感無量です」と。
 そして新潟は、佐渡流罪という大難を勝ち越えた日蓮大聖人の魂魄がとどめられた地である。「“不惜身命の精神を継ぐのは、われら青年!”との誓いを一重深く、強くしました」と曽さんは、拳をぐっと握り締めた。
 ◆◇◆ 
 幹部会では、池田主任副会長が池田先生のメッセージを紹介。
 畑信越長、五十嵐同婦人部長らが、8・6「信越師弟誓願の日」制定10周年の佳節へ、不撓不屈の“信越魂”を燃え上がらせて、新たな広布拡大の歴史を開こうと力説した。
 次に、本年7月、池田先生の佐渡訪問60周年の節を刻む佐渡圏の友が体験発表に立った。頓宮愛子さん(圏総合婦人部長)と、長男・浩明さん(同男子部長)の母子である。
 法華経で説かれる「在在諸仏土 常与師俱生(在在の諸仏の土に 常に師と俱に生ず)」の経文を抱き締め、最愛の家族の死という深い悲しみを乗り越え、師と共に歩んだ勝利の体験に、場内から万雷の拍手が送られた。
 次いで、スペインのエンリケ・カプート理事長が、師弟の絆を胸に、忘恩の輩を悠然と見下ろしながら、障魔の嵐を乗り越えた同国の広布の軌跡を紹介。「魂の独立」(1991年11月28日)から約27年の今、地涌の陣列が当時の60倍に拡大した喜びを語った。
 原田会長は、青年を心から大切にし、日中友好の“金の橋”を架けてきた池田先生の足跡に言及。さらに、先月訪問した欧州各地の広布伸展のドラマを通し、創価学会世界宗教として飛翔しゆく模様を述べた。
 そして来月、小説『新・人間革命』第30巻の上巻が発刊されることに触れ、「師弟の月・7月へ、『わが人間革命』の新たな一ページをつづりゆく一日一日を」と呼び掛けた。
 続いて、記念映像「師弟不二の天地 池田先生と信越」が上映され、最後に方面歌「美しき信越」を大合唱した。

世界広布新時代第34回本部幹部会・信越総会から(要旨) 海外活動体験 スペイン創価学会 エンリケ・カプート理事長 2018年5月22日

世界広布新時代第34回本部幹部会・信越総会から(要旨) 海外活動体験 スペイン創価学会 エンリケ・カプート理事長 2018年5月22日

平和目指す宗教間対話をリード
仏法の人間主義に共感広がる
 

 一、私はアルゼンチンで生まれ育ち、13歳の時に信心を始めました。アルゼンチン青年部の中で信心の土台を築き、1990年の暮れに新天地を求めて、31歳でスペインに移住。ちょうどその頃、あの第2次宗門事件が起こりました。
 スペインでは当時の中心者が反逆し、邪宗門と結託。多くのメンバーが正邪に迷って脱会していきました。メディアに、無認識なデマを流されたことまでありました。
 障魔の嵐が渦巻く91年6月、池田先生は欧州を訪問してくださいました。フランス・トレッツの欧州研修道場で開催されたSGI総会には、スペインから100人のメンバーが参加しました。先生は、私たちに「スペインの同志を守ってください」と万感の励ましを送ってくださいました。
 さらに同年夏、代表が日本に集った時も、先生はご指導くださいました。「正しいから勝つとは限らない。正しいからこそ、勝たねばならない。悪に勝ってこそ、初めて、善であることが証明されるのだ」と。
 スペインは断じて邪悪に打ち勝つ。私たちは、この不退の一念で破邪顕正の言論戦を開始しました。
 学会が「魂の独立」を果たした同年11月28日は忘れることができません。スペインのメンバーに“宗門が学会を「破門」と言ってきた”と伝えると、大爆笑が沸き起こりました。なぜならスペイン語で「ハモン」といえば、名物の「生ハム」のことだからです(笑い)。私たちは“何が「ハモン」だ!”と笑い飛ばし、いよいよ一対一の勇気の対話に走りました。
 仏の軍勢の勢いが増せば、魔の蠢動は白日の下に晒されます。その後は坊主や退転者の策略も、ことごとく大失敗。のこのこスペインまでやって来た日顕も勤行中に居眠りをして、世界中の笑いものになりました。
 大勝利をして来日した98年1月8日の本部幹部会、池田先生と共に「スペイン創価学会、万歳」をすることができた喜びは、生涯、この胸から消えることはありません。
 さらなる勝利を先生に誓い、同志と共に戦い抜いてきた結果、「魂の独立」から27年を経た今、スペインの正義の陣列は、当時の60倍にまで発展したのです(拍手)。
 どこまでも明るく、どこよりも麗しい、スペインの異体同心の団結の姿こそ、極悪と戦い抜いてきた最高の実証であると確信しています。
 一、無知で、偏狭で、化石のように硬直した日顕宗と決別した私たちは、仏法の人間主義への理解を社会に広げようと、宗教間対話運動にも喜び勇んで取り組んできました。
 2008年には「スペイン仏教連盟」に加盟。他の団体と誠実に語り合い、積極的に活動を支えてきたところ、2年前、思いもかけないことに、加盟18団体の全会一致により、連盟の会長に、私が選出されました(拍手)。
 その年の国家の祝日「イスパニアデー」には、連盟の会長として、スペイン創価学会の理事長として、正式に王室主催のレセプションへの招待を受け、スペイン国王に謁見することもできました。そして本年1月、池田先生に創立500年の伝統を誇る名門・アルカラ大学から名誉教育学博士号が贈られました(拍手)。
 また、先月の原田会長のスペイン訪問の際は、わが国の主要宗教であるカトリックの司教協議会を表敬訪問。タマージョ事務総長と、平和と教育について語り合いました。
 さらに法務省では、カタラ法務大臣と会見。終了後、大臣は自らのSNSで「世界で最も重要な仏教団体の一つで宗教間対話と平和の文化のための教育の推進を通して寛容の精神を広げ、スペインでも強い存在感を示す創価学会の代表と会見」とのメッセージを写真入りで発信しました。
 同志一人一人の良き市民としての行動、開かれた対話が、かつてのデマ報道を見事に払拭したのです。学会の正義は厳然と証明されました(拍手)。
 さらなる勝利の実証を社会に堂々と示し、創価学会が平和への情熱あふれる世界宗教であることを、スペインから高らかに宣言していく決意です(拍手)。

世界広布新時代第34回本部幹部会 信越総会から(要旨) 畑正夫信越長 五十嵐真理子信越婦人部長 佐藤了総新潟長 高頭かおる総新潟婦人部長 中野千寛総長野長 矢島千鶴子総長野婦人部長 2018年5月19日

世界広布新時代第34回本部幹部会 信越総会から(要旨) 畑正夫信越長 五十嵐真理子信越婦人部長 佐藤了総新潟長 高頭かおる総新潟婦人部長 中野千寛総長野長 矢島千鶴子総長野婦人部長 2018年5月19日

不撓不屈の魂で新たな歴史を

 佐藤 新潟は、日蓮大聖人有縁の佐渡、そして牧口先生生誕の柏崎を擁する創価源流の誉れの天地です。
 1983年(昭和58年)4月14日、「新潟の日」の淵源となった総会で、池田先生は「勇気の新潟」との永遠の指針を示してくださいました。
 35周年を迎えた本年、師匠への報恩と勇気の心で戦い抜いた結果、1600人を超える新会員が誕生。約半数が、後継の青年、未来部世代の新入会者です。新潟新時代を開く大勝利で、本日を迎えることができました(拍手)。

 高頭 第1新潟総県・大学本部の女子部の高山美幸部長は、1月に2人の友人に折伏を実らせました。壮年・婦人部が、体験や入会動機を赤裸々に語って応援する中、入会した同級生も、すぐに友人への仏法対話に挑戦。歓喜の輪は広がり、各部の連携プレーで、男・女・学の青年部が拡大目標を突破。一緒に動いた壮年・婦人部もすっかり若返り、総県全体でもブロック1を上回る新入会者が誕生しました。

 佐藤 新しい人材を輩出する“若々しき新潟”にとって、この信越総会こそ、新たなスタートです。さらなる折伏、人材拡大へ、新会員の皆さんと共に、にぎやかに前進しようではありませんか(拍手)。

 中野 日本の屋根・アルプスがそびえる信州・長野は百花繚乱の季節、対話と功徳の花が満開です。全地区が朗らかに拡大に挑戦し、地区2を大きく超える新入会者を誕生させ、本日を迎えることができました(拍手)。

 矢島 長野の誇りは、師弟有縁の二つの研修道場です。
 池田先生から「創価の師弟の生命錬磨の大城」と言っていただいた軽井沢の長野研修道場。そして「天に一番近い研修道場」と呼んでいただいた霧ケ峰の長野青年研修道場。本年は、霧ケ峰の雄大な風景を前に、青年育成を誓われた池田先生の初訪問から60周年の佳節です。

 中野 その霧ケ峰の地元・長野第5総県では、青年部長、男子部長、女子部長が率先して弘教を達成。
 第1総県では、対話の場に常に青年部が参加し、壮男一体、婦女一体の団結でブロック1を大きく超える折伏を達成しました。拡大の実践の中で、師弟の誓いに燃える青年が陸続と成長しています。

 矢島 長野は永遠に、先生と共に、青年を先頭に、「世界一の広布の理想郷」を目指して前進します。

 中野 「栄光の師弟の夏」へ、さらなる拡大に挑戦していきましょう(拍手)。

 畑 93年8月6日、池田先生は長野研修道場で、小説『新・人間革命』の執筆を開始してくださいました。

 五十嵐 以来、四半世紀。掉尾を飾る「誓願」の章が日々つづられる、この日この時に、わが信越の地で、本部幹部会を開催でき、これ以上の喜びはありません。

 畑 世界青年部総会の大結集を成し遂げ、励まし運動が進む中、信越として両県ともに、地区2の目標を上回るブロック1の新入会を達成し、本日を迎えることができました(拍手)。

 五十嵐 これも信越の全同志が、先生と共に拡大の黄金の歴史を築こうと、祈り、語り、動いた結果です。

 畑 大聖人が法難を受けられ、「開目抄」「観心本尊抄」など重書を著された信越。初代会長・牧口先生が生誕された信越。戸田先生・池田先生が世界広布の構想を語り合われた信越
 私たちの誉れは、ここ信越で、池田先生が世界広布の指揮を執ってこられたことです。

 五十嵐 長野では77年、全国に先駆けて、『人間革命』を研さんする人材グループ「信濃大学校」が発足。新潟でも、先生が来県された83年に「源流大学校」が発足。現在は、『新・人間革命』を学び実践する人材グループとして、「創価信濃大学校」「創価源流大学校」が活発に開催されています。

 畑 本年は、2008年8月6日、「師弟不二」を貫く弟子の姿勢を教えてくださった「信越師弟誓願の日」から10周年の佳節です。この時に当たり、新しいモットー「師弟誓願の信越」「人間革命の信越」「不撓不屈の信越」を掲げました。
 わが信越は、池田先生と共に師弟誓願の炎を燃やし、世界の同志と共に人間革命に挑みながら、不撓不屈の信越魂で、新たな歴史を開いていきます(拍手)。

世界広布新時代第34回本部幹部会 信越総会から(要旨) 原田稔会長 2018年5月19日

世界広布新時代第34回本部幹部会 信越総会から(要旨) 原田稔会長 2018年5月19日

「真実に勝る雄弁なし」の確信で――
創価の正義を胸張り語ろう
 

 一、「世界広布新時代第34回本部幹部会」ならびに「信越総会」の開催、誠におめでとうございます(拍手)。
 本日は、12カ国・地域から、82人のSGIメンバーも参加されております。遠いところ、ようこそお越しくださいました。
 一、さて、先日、日中平和友好条約締結40周年を記念する中国・李克強首相の歓迎レセプションに出席してまいりました。
 池田先生から李首相に贈られた漢詩と共に、先生の歓迎の意をお伝えすると、李首相は「33年前の池田先生との出会いを、よく覚えております」と誠に懐かしそうに語っておりました。
 33年前の1985年(昭和60年)3月、若き李首相は中国青年代表団の副団長として、当時の胡錦濤団長と共に来日されました。それは、前年に日本から青年3000人の大交流団が訪中した、その返礼としての来日でした。
 この時、先生は“昨年、日本の青年がお世話になったことでもあり、大事な未来の指導者だから”と、地方指導の予定を変更して東京に戻り、代表団と会見されました。
 青年を心から大切にされ、そして誠実には大誠実をもって報いる池田先生の行動こそ、時を経るごとに輝きを増す友情の根幹なのだと、今回、改めて学ぶことができました。
 一、また、先月には、フランス、スペイン、イギリスを訪問してまいりました。
 スペインについては、カプート理事長の報告にあった通りですが、フランスでは、フランス学士院を訪れ、アブラハム友愛協会のエドモンド・リール会長夫妻、経済等の分野で活躍するベルナール・エザンベール氏らと会見。フランス・仏教学研究所のドミニック・トロティニヨン所長とも、有意義な対話を交わすことができました。
 さらに、「欧州会議」設立45周年を祝賀するフランスSGIの総会では、席上、大手出版社のアルマッタン社から、池田先生に「平和への対話特別賞」が贈られました。
 また、6000人を超す青年結集の大勝利に沸くイギリスでは、ロンドン市庁舎でマシュー・ライダー副市長と会見。タプロー・コート総合文化センターでの環境展示“希望の種子展”の開幕式には、多くの来賓が集い、地域貢献の努力が結実した式典となりました。
 多様な民族、言語、文化の人々がひしめき合うヨーロッパにあって、広宣流布を進めることが、どれほどの艱難辛苦を伴うか。
 だからこそ、かつて池田先生は「日蓮仏法もこのヨーロッパで実験証明されてこそ、初めて世界宗教として飛翔することができる。私はそう決めて祈り、欧州広布の第一歩を踏み出しました」と、つづられました。
 例えばフランスでは、「ライシテ」と呼ばれる原則があります。これは、私生活の信仰は自由だけれども、公共空間には宗教性は持ち込まないという考え方です。
 ライシテは、フランス革命以来の長い歴史的経緯に根差しており、こうした独自の事情によって、フランスでは創価学会に対して厳しい偏見の目が向けられた時代がありました。
 2001年12月のこと、ゴルバチョフソ連大統領と、池田先生との対談集『20世紀の精神の教訓』のフランス語版が発刊され、ゴルバチョフ氏自身が出席しての出版記者会見が、パリ政治学院で行われました。
 その後、ゴルバチョフ氏は、パリで人気のテレビ番組に出演しました。ところが、その番組で司会者から、先生とSGIに関する無認識からくる質問が飛び出したのです。学会を取り巻く当時の社会状況を象徴する、ひと幕でした。
 しかし、質問が終わるや否や、ゴルバチョフ氏は毅然とした口調で語り始めました。
 「いいですか。池田会長に対して、一部の根拠なき言説があるようですが、私がそのような質問を受けたのはフランスだけです。どこからそのような話が出てくるのか理解できません。全く根も葉もないことです。
 この本は、すでにいくつかの国で出版され、各国の読者から多大な賛同と支持を得ています。まず、それが第一点。
 次に、池田氏は私との対話を行う前に、全大陸のおよそ100人ほどの識者と対談し、その中の誰一人として、池田氏を非難した人はいませんでした!」――こう明快に切り返したのです。
 慌てた司会者は、「それはその通りです。その通りです」と、ほうほうの体で退散してしまいました(笑い)。
 池田先生の結ばれた友情が、いかに強い絆であるか。そしてフランスの同志は、こうしたゴルバチョフ氏に負けず劣らずの言論戦を展開してこられました。それはスペインしかり、イギリスしかり、であります。ゆえに今、日蓮仏法が世界宗教として飛翔しゆく実証を、見事に示しきっているのであります。
 一、日蓮大聖人は「日蓮がごとく身命をすてて強敵の科を顕す」(御書1589ページ)と仰せになられました。
 広布が伸展すれば、三類の強敵が出来するのは必定です。ゆえに、こちらから斬り込み、根も葉もないデマの正体を暴き、責め抜く――。相手の心に深く入り込んだデマの“毒気”を抜き去らなければ、真に「心に刺さる対話」「心を変える対話」にはならないのです。
 私どもは「真実に勝る雄弁なし」そして「勇気に勝る信心なし」の大確信で、胸を張って、創価の正義と真実を語り広げていきたい(拍手)。
 一、ここ信越の地で書き起こされた小説『新・人間革命』は、以来、四半世紀を経て、いよいよ6月、その掉尾を飾る第30巻の上巻が発刊されます。
 師弟の月・7月へ、池田先生が命を削るようにして紡ぎ出された、一言一句に全身全霊で向き合い、実践しながら、私どももまた、「わが人間革命」の新たな一ページをつづる、一日また一日にしていこうではありませんか(拍手)。

世界広布新時代第34回本部幹部会・信越総会から(要旨) 活動体験 新潟 佐渡圏 頓宮愛子さん(圏総合婦人部長) 浩明さん(圏男子部長) 2018年5月22日

世界広布新時代第34回本部幹部会・信越総会から(要旨) 活動体験 新潟 佐渡圏 頓宮愛子さん(圏総合婦人部長) 浩明さん(圏男子部長) 2018年5月22日

宿命乗り越え使命の道を
頓宮愛子さん

 一、日蓮大聖人有縁の地・佐渡で活動する頓宮愛子です。私は佐渡で生まれ育ち、7歳の時、母に続いて入会しました。
 唱題と御書が大好きだった母は、常に仏壇の横に「在在諸仏土常与師俱生」(御書1338ページ)の経文を掲げていました。どこまでも池田先生一筋の母でした。どんなに家計が苦しくても、母は私を未来部の会合に送り出してくれました。1969年8月15日、東京の日大講堂(当時)で開催された「第2回高等部総会」に佐渡から出席し、先生とお会いできたことが最高の原点です。
 先生のご期待にお応えしたいと、高校卒業後は、東京で働きながら短大の夜学に通い、76年に佐渡へ帰郷。翌年には、佐渡広布に情熱を燃やす夫と結婚しました。
 夫は71年5月、佐渡に伝わる民謡「相川音頭」の踊りを先生の前で披露し、記念撮影していただいたことを最高の誇りにしていました。夫と二人三脚で広布に歩き、3人の子どもに囲まれ、一家和楽の幸福な日々を送っていました。しかし93年9月、夫が突然の心不全で倒れ、そのまま帰らぬ人となりました。
 当時、私は41歳。中学3年、1年、小学5年の3人の子どもを抱え、ただただ呆然と立ち尽くしていました。そんな時、先生から弔意とともに「これからハーバード大学で“生も歓喜、死も歓喜”の講演を行います」とのご伝言を頂きました。2回目のハーバード大学での講演を前に、私たち家族を見守っていてくださる真心に、必ずや「生も歓喜、死も歓喜」と言い切れる勝利の人生でお応えしようと心に誓いました。
 それからは、昼間は農協で臨時職員として働いて家計を支え、夜は婦人部本部長として同志の激励に徹しました。それでも、試練は続きました。父を失ったショックからか、長女は摂食障害に。次男も不登校になりました。仕事帰りと活動の帰りに、子どもたちの無事を確認し、時間を見つけては、ただただ題目をあげる日々でした。
 そんな毎日が何年も続きましたが、やがて長女は病を完治させ、結婚して私にとっての初孫も誕生。次男も、はつらつと農業に従事できるようになりました。長男は東京の大学から佐渡にUターン就職し、圏男子部長を務めるまでに成長してくれました(拍手)。
 一、圏婦人部長をしていた2012年、待望の「佐渡平和会館」の落成式を迎えました。ロビーには、開館を記念して池田先生と佐渡の同志の絆を紹介した写真パネルが展示されました。その1971年の写真には、なんと先生のすぐ横で会心の笑みを浮かべる夫の姿が写っていたのです。家族の皆が、夫と共に、笑顔で会館の完成を迎えることができたと、感謝で胸がいっぱいになりました。
 しかし2年後、今度は31歳だった次男が、夫と同じ心不全で突然、他界しました。この時の数日間のことは、何をどうしていたのか、ほとんど記憶がありません。長男夫婦が、そばで支えてくれていなかったら、立ち上がることもできなかったと思います。
 池田先生からは、この時も「息子さんのことは残念でなりません。けれども、すぐに偉大な境涯に生まれてくるよ。ご主人のことも忘れていません」と、温かな励ましを頂きました。ご伝言を聞いた時、母が仏壇の横に掲げていた「在在諸仏土常与師俱生」の経文が脳裏に浮かびました。題目を唱え抜く中で、“三世永遠に家族みんなが師匠のもとで一緒なんだ、ただただ先生の言葉を信じて前進していこう”と、再び前を向くことができました。
 一、それから4年、深い悩みや悲しみを経験してきた分、さまざまな苦悩に沈む婦人部の方とお会いするたび、どこまでも相手に寄り添い、確信をもって励ませる自分になれたことへの感謝は尽きません。
 少子高齢化の進む佐渡ですが、婦人部ではヤング・ミセスの人材が陸続と育ち、佐渡平和会館には連日、後継の子どもたちのにぎやかな声が響いています。
 長男は3年前、元の敷地に2世帯住宅を新築してくれました。素晴らしいお嫁さんと3人のかわいい孫に囲まれ、また長女にも2人目の子どもが誕生し、今、人生で最も幸せな日々を送っています。不思議にも2歳になった長男の2番目の子は、顔も、やるいたずらも亡くなった次男そっくりになってきました(笑い)。
 大聖人は、佐渡の女性門下・千日尼に「日本国の一切の女人を扶けんと願ぜる志は・すてがたかるべし」(御書1313ページ)と仰せになられました。全ての女性を幸福に――私もこの心で、目の前の一人への励ましに徹し、三世の使命に生き抜く決意です(拍手)。
 一、長男の浩明です。東京から佐渡に帰り、男子部としての1世帯目の折伏を、誰よりも応援してくれたのは弟でした。家に友人を連れてくると、弟は私以上に意気投合し、自然と信心の方向へ、話を振り向けてくれました。
 圏男子部長になってから毎年、「塚原問答」の意義をとどめて開催している青年部の大会も、弟は得意のパソコンを駆使し、素晴らしい企画映像を制作。大会を盛り上げてくれました。
 その弟が突然、亡くなった時、これまで何があっても明るく一家を支えてきた母の、見たこともない憔悴しきった姿に“悲しんでいる時ではない。父の分も、弟の分も母を支えるのは自分しかいない”と腹を決めました。
 そんな私自身も、さまざまな方から“お父さんには世話になった”“弟さんが本当によくしてくれた”と、私の知らなかった父や弟の一面を教えてもらうたび、今も父や弟に支えられているように感じています。本年3月11日の世界青年部総会も、かつてない青年を結集し、大勝利することができました。
 一、学会の青年らしく、地域の発展にも尽くしたいと、「鬼太鼓」という伝統祭事にも積極的に携わってきました。当初は、学会員の私が鬼太鼓で地域の各家庭を回るたびに、相手の方が驚き、“お母さんは怒っていないのか”と確認されましたが(笑い)、母は怒るどころか、その一軒一軒を聖教新聞の購読推進に歩いていました(笑い、拍手)。今では私も、地域の青年会の会長を務めるまでになりました。
 本年は、池田先生が佐渡を訪問されてから60周年の佳節です。先生に勝利をご報告するため、これからも家族と共に、同志と共に、佐渡広布の未来を勝ち開いていきます(拍手)。