創価学園卒業式への池田先生のメッセージ 2019年3月17日

創価学園卒業式への池田先生のメッセージ 2019年3月17日

不屈の挑戦で新時代を切り開け
平和と人道の連帯を広げよ
創立者との“父子の絆”を胸に、わが使命の舞台で勝利を!――創価高校・中学校の生徒が清新な歌声を響かせた

 一、さわやかに鳳雛が世界へ羽ばたく卒業式、誠におめでとう!
 学園生と私の命は、いつも一緒ですから、きょうも卒業生全員と心の握手を固く交わしつつ一切を見守っております。
 一人ひとりの尊い青春の力走の晴れ姿を仰ぎ見る、きょうこの日こそ、私の最大の喜びであり、最高の誉れなのであります。みんな、本当によく頑張った!
 一、私の師匠である戸田城聖先生は、西暦1900年、20世紀の黎明の年に誕生しました。それから100年あまりを経た21世紀の黎明の時に、「第三の1000年」の出発を期して躍り出た使命の若人こそ、本日、巣立ちゆく皆さん方です。
 皆さんの成長とともに、21世紀は明るく大きく輝きます。
 21世紀の希望と栄光の第一走者たる皆さんの門出を祝して、私は三つの指針を贈ります。

父母を胸に

 第一に、「父母を胸に! 挑戦と前進の走者たれ」と申し上げたい。
 今年は、フランスの英雄・ナポレオンの生誕250年です。
 いかなる困難にも「前進、また前進」と叫んで新時代を切り開いた、この英雄が残した「歴史の教訓」をめぐって、私は子孫であるナポレオン家の当主シャルル・ナポレオン公と対談集を発刊しました。
 ナポレオンは若き日から、何があっても、自分を卑下したり、あきらめたりしない「負けじ魂」に燃えていました。「数々の逆運に遭っても私の魂は大理石のように堅かった。雷も私の魂には歯が立たず、私の魂の上を滑ってゆかなければならなかった」(オクターヴ・オブリ編『ナポレオン言行録』大塚幸男訳、岩波文庫)と言い切っております。
 だからこそ、その生涯は後世の人々を「勇気があれば、道はいつでも拓ける」(『エマソン選集6 代表的人間像』酒本雅之訳、日本教文社)と励ましてやまないのです。
 このナポレオンの「負けじ魂」を育んだ大きな源は何であったか。それは、気高きお母さんの存在でした。ナポレオン自身、「わたしのなしえたすべては、母のおかげだ」(アラン・ドゥコー著『ナポレオンの母』小宮正弘訳、潮出版社)と感謝をささげています。
 皆さんも晴れの卒業を迎えるまでに、お母さん、お父さんをはじめ、ご家族の方々のどれほどの祈りと応援があったことか。ここで、感謝の大拍手を全員で送りたいと思うけれども、どうだろうか!(大拍手)
 人間は、父母たちの恩を知り、その恩に報いてみせると決心した時、尽きることのない勇気を引き出すことができます。ゆえに、きょうよりまた、素晴らしき父母を心に抱いて、いよいよの学びの挑戦と前進の力走を、自分らしくさっそうと開始していただきたいのであります。

宇宙と共に

 一、第二に申し上げたいことは、「宇宙と共に! 価値創造の走者たれ」ということです。
 先日、日本の「はやぶさ2」が小惑星リュウグウ」への着地を成功させ、世界から喝采が送られました。
 大宇宙と生命の起源への探究は、さらに進んでいくことでしょう。
 私には、大宇宙のロマンを語り合ったブラジルの天文学者モウラン博士の洞察が思い起こされます。
 “宇宙は自然の法則に従い、調和を求め、常に進化を続けている。同じように、私たち人間も常に成長し続けていくことが大切です”と。
 思えば、この1秒間にも、私たちの地球は太陽の周りを約30キロという猛スピードで公転し、太陽は約7億トンともいわれる水素を転じて莫大なエネルギーを生み出しています。
 そして皆さんの若き生命にも、まぎれもなく宇宙大の力と可能性が秘められているのです。それを解き放つのは、積極果敢な行動です。
 私と妻の大切な友人である女性の世界初の宇宙飛行士テレシコワさんも、座して待っているのではなく、未来のために打って出て勇敢に闘ってこそ、大胆な夢もかなえることができると強調されていました。
 どうか、心広々と大宇宙をも友とし味方としながら、日々、正しき生命の軌道をたゆまず進み、新たな価値を創造していってください。

世界の友と

 一、最後に、「世界の友と! 正義と友情の走者たれ」と申し上げたい。
 皆さんは、若き創価世界市民として、人類貢献のリーダーシップを錬磨してきました。
 私の世界の友人たちも、学園生に絶大なる期待を寄せてくれております。冷戦終結の大功労者ゴルバチョフソ連大統領もその一人です。つい先日も、元大統領から私に「大親友へ」と著書を頂きました。
 変わらざる友情と信義で結ばれた元大統領は、「人格」と「哲学の深さ」「人間性の大きさ」という創価人道主義こそが、冷たい政治も経済も全てを温かく変えていけると信頼してくれているのです。
 皆さんは、学園で結んだ一生涯の友情を宝としつつ、全世界に平和と人道の連帯を広げながら、この21世紀を「人間革命の光の世紀」と輝かせてください。そして次の22世紀へ、さらに西暦3000年へと、地球文明の偉大な創造の襷をつないでいただきたいのです。
 皆さんがいずこにあっても、私は学園の先生方や職員の方々と共に、一人も残らず健康あれ! 幸福あれ! 栄光あれ!と祈り抜いていきます。
 わが愛する卒業生に、
   
 走り抜け
  負けじの坂を
   朗らかに
  不屈の一歩が
    明日の凱歌へ
 
 と贈り、祝福のメッセージとします(大拍手)。

3・16青年部代表者勤行会への池田先生のメッセージ 2019年3月16日

3・16青年部代表者勤行会への池田先生のメッセージ 2019年3月16日

師子王のごとく 空飛ぶ大鷲のごとく
人間王者の陣列を築きゆけ

 わが青年部、みんな、本当にご苦労さま!
 昨年3月のあの歴史的な世界青年部総会より1年、君たち一人一人の目覚ましい成長と活躍を、何より嬉しく見守っています。
 地涌の拡大と人材の育成、そして立正安国の堂々たる社会貢献の戦いの息吹で「3・16」を飾ってくれて、本当にありがとう!
 青年に「頼むぞ、広宣流布を!」と託された戸田先生がどれほどお喜びか。
 妻と語らいながら、今朝もみんなに題目を送っています。
 きょうは、三つの御聖訓を一緒に拝したい。
 第一に、華陽姉妹の記念の日に寄せて、日眼女への仰せです。
 すなわち「明かなる事・日月にすぎんや浄き事・蓮華にまさるべきや、法華経は日月と蓮華となり故に妙法蓮華経と名く」(御書1109ページ)と。
 御本仏・日蓮大聖人に直結して、太陽と月のように最も明るく、蓮華のように最も浄らかに咲き光っていけるのが、華陽の皆さんの生命なのです。
 日々、忙しくて大変だろうけれども、何があっても題目を唱え、尊き青春の命を自信満々と輝かせ、最極の歓喜と充実と福運のスクラムを仲良く朗らかに広げていってください。
 第二に、「王者」の意義を示された御金言を拝したい。
 「此の経文は一切経に勝れたり地走る者の王たり師子王のごとし・空飛ぶ者の王たり鷲のごとし」(同1310ページ)
 闘諍言訟の乱世に、若師子のごとく、大鷲のごとく、地涌の人材が躍り出て、民衆の幸福と平和のために、戦い勝っていくことこそ、立正安国の実像である。
 「法華経の将軍学」を受け継ぐ君たちは、師弟不二の正義の師子吼を轟かせ、人間王者の陣列を築き上げていただきたい。試練の烈風をものともせぬ勇気と忍耐の若き翼で、天空高く君たち自身の広布と人生の栄光を勝ち開いていくのだ。
 最後に拝したいのは、「異体同心事」の一節――「悪は多けれども一善にかつ事なし」(同1463ページ)である。
 若き君たちの「異体同心」の連帯ほど、強いものはない。
 きょうから、韓国と日本の青年の意義深い交流も始まる。また世界聖教会館の定礎式も行われる。君たちの晴れ舞台は、いよいよ洋々と開かれている。
 全世界の創価家族の祈りに応え、威風堂々と新たな勝利の金字塔を打ち立ててくれ給え! みんな元気で!(拍手)

〈座談会 創立90周年を勝ち開く!〉24 3・16「広宣流布記念の日」―― 師と同じ「大願」から無限の力が 2019年3月14日

〈座談会 創立90周年を勝ち開く!〉24 3・16「広宣流布記念の日」―― 師と同じ「大願」から無限の力が 2019年3月14日

教育費の負担軽減は公明が主導
〈出席者〉
原田会長
長谷川理事長
永石婦人部長
竹岡青年部長
大串女子部長
青春の誓いを果たす中に、広宣流布の勝利の劇が織り成される――師の万感の期待に応え、仲良く、朗らかに仏縁を広げる女子部の友(今月、九州で行われた女子部の集い)

 大串 間もなく、3・16「広宣流布記念の日」を迎えます。

 原田 1958年(昭和33年)のこの日、戸田先生は広布の大願を、池田先生をはじめとする6000人の青年部に託されました。師から弟子へ、厳粛な後継の儀式が行われたのです。

 永石 それから61年。日蓮仏法は192カ国・地域に広がりました。池田先生は不惜の闘争で恩師の構想を全て実現したのです。

 長谷川 先生は、かつて「『3・16』は、弟子が決然と立つ節だ。常に出発だ。常に挑戦だ。常に団結だ。常に前進だ。常に破折だ。永遠に勝利だ。汝自身が、師と共に『広宣流布の大願』を起こすことである」と、つづられました。

 竹岡 私たち青年部は、自覚も新たに、後継の弟子の道を貫いてまいります。

 原田 御書には「願くは我が弟子等・大願ををこせ」(1561ページ)、「大願とは法華弘通なり」(736ページ)とあります。広布の師匠と同じ「大願」に立てば、無限の力が湧き出てくるのです。

 大串 「3・16」は2008年に女子部の「池田華陽会」が結成された日でもあります。先生は「池田華陽会があれば、創価の師弟城は、今を勝ち、未来を勝ち、永遠に勝ち続けていく」と万感の期待を寄せてくださいました。誕生から10年を迎えた池田華陽会歌「華陽の誓い」を歌いながら、友情と信頼の輪を地域に、社会に広げていきます。

 原田 全国各地、訪問する先々で、勢いよく活躍する多くの青年部に出会います。私たちも、皆が、今ふたたび“青年の心”で、自ら誓った大願の成就に向け、朗々たる師子吼の題目で、いかなる困難も勝ち越えてまいりたい。

半世紀に及ぶ実績

 長谷川 先日、ある企業が「子どもの教育資金に関する調査」を実施しました。そこでは、親の6割半が「子どもの学力や学歴は教育費次第」と感じていることが分かりました。

 永石 本来、家庭の経済状況によって子どもに教育格差が生まれることがあってはなりません。誰もが等しく、十分な教育を受ける権利があるはずです。この問題に、長年取り組んできたのが公明党です。

 大串 今や常識となっている義務教育の「教科書無償配布」や、児童手当の創設・拡充も、かつて、公明議員が全力で推進し、実現したものですね。

 原田 実に、半世紀以上にわたり「教育」を政策の柱として掲げ、国会議員から地方議員まで、ネットワークを生かして多くの実績を積み重ねてきたのです。まさに公明党こそ教育支援の“元祖”といえます。

 永石 2020年4月から、所得が低い世帯の学生を対象に、大学、専門学校など、高等教育の実質的な無償化がスタートします。

 大串 これは、公明党の強力なリードで17年度に創設された「給付型奨学金」と、公明党が粘り強く進めてきた「授業料減免」を対象者・金額ともに大幅拡充する形で行われます。

 竹岡 さらに、公明党の訴えで、20年4月の入学生に加え、在学生も対象となります。党青年委員会が学生との懇談を重ね「将来、奨学金の返還が不安」などの声を国会に届けてきたことが実りました。

 長谷川 また、20年4月からは、公明党の推進で「私立高校授業料の実質無償化」も実現しますね。

 永石 今は、ほぼ全員が高校に進学する時代です。経済的に厳しい中でも、私立に通わざるを得ないケースもあります。そこで、年収590万円未満の世帯を対象にして、私立高校授業料の平均額を上限に実質無償化されます。

 長谷川 この政策に関しては、一部自治体で、公明党の訴えが実り、実施されていました。それを公明議員の、国と地方のネットワークで国の政策へと押し上げ、具体化したのです。

 原田 日本大学の末冨芳教授は、今回の私立高無償化について「家計の教育費負担の軽減に向けた大きな前進」「公明党の取り組みには大変に心強く感じている」と語っています。

 永石 今年の10月からは、幼児教育の無償化も大きく拡充されることになりました。3~5歳児(就学前3年間)は原則として全世帯、0~2歳児は住民税非課税の世帯を対象に、認可保育所などの利用料が無料になります。東京都など、公明党の推進で、さらに対象が拡大している地域もあります。

 竹岡 焦点だった自治体独自の認証保育やベビーホテルといった認可外施設などに関しても、公明党は無償化の対象にするよう粘り強く主張していました。

 長谷川 その結果、今回、共働き世帯など保育の必要性があると認定された3~5歳児は月3万7000円、0~2歳児は月4万2000円を上限に補助されることになりました。また、公明党は待機児童の解消に向けても最優先で取り組んでいます。

 原田 公明党は、2006年発表の「少子社会トータルプラン」で幼児・高等教育の無償化を掲げ、実現に取り組んできました。その結果、政府が動き、一連の教育支援が進んだのです。

 竹岡 教育行政学を専門とする、東京大学大学院の村上祐介准教授は、公明党が「教育を受ける側である庶民の目線を大切にしている」ことを高く評価し、「今後も、公明党には教育を受ける権利の保障という路線をしっかりと進んでほしい」と期待の声を寄せています(月刊誌「潮」4月号)。

 原田 公明党は「子どもの幸福」こそ、教育の目的であると訴えてきました。その結果、幼児教育、私立高校授業料、高等教育の“三つの無償化”が前進しました。これからも公明党には、教育政策の推進に尽力してもらいたい。

〈世界広布の大道 小説「新・人間革命」に学ぶ〉 第6巻 名場面編 2019年3月13日

〈世界広布の大道 小説「新・人間革命」に学ぶ〉 第6巻 名場面編 2019年3月13日

 
「遠路」の章

 今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第6巻の「名場面編」。心揺さぶる小説の名場面を紹介する。次回の「御書編」は20日付、「解説編」は27日付の予定。(「基礎資料編」は6日付に掲載)

幸福のダイヤは心の中に

 〈1962年(昭和37年)2月1日、イラクの首都バグダッドの南東にあるクテシフォンの遺跡を訪れた山本伸一は、飲料水などを売り、生計を立てている若者たちを励ます〉
 
 伸一は言った。(中略)
 「世界のどの国を見ても、人生で成功を収めた人は、みんな必死になって勉強し、努力し、苦労をいとわずに働いています。
 イラクの大地には石油が眠っている。しかし、採掘しなければ使うことはできない。同じように、人間の心の中にも、幸福のダイヤモンドがある。
 そのダイヤを採掘するには、あきらめたり、落胆したりせずに、懸命に努力し続けることです。そこに、知恵がわき、工夫が生まれ、困難の壁を破る道が開かれる。
 要は、真剣な一念です。苦労した分だけ、成功という実りが約束される。だから私は、あえて皆さんに、『努力せよ、苦労せよ』と言いたいのです」(中略)
 最後に、彼は言った。
 「皆さんとお話しできてよかった。皆さんの将来には、いろいろな出来事があるかもしれない。しかし、『何があっても、希望を捨てるな、自己自身に負けるな』との言葉を贈りたい。あなたたちのことは、生涯、忘れません。今日はありがとう。お元気で」
 傍らで、伸一と若者たちとの話を聞いていた、老楽士が語りかけてきた。
 「あなたは、よい話をしてくださった。一曲、あなたのために奏でよう」
 老楽士の奏でる軽やかな調べが流れた。(「宝土」の章、70~72ページ)

民衆の大情熱が偉業の力

 〈2月7日、エジプトで、クフ王の大ピラミッドを視察した伸一は、同行の青年に、ピラミッド建設について、自らの考えを語る〉
 
 ヘロドトスの記述によって、長い間、ピラミッドは、国民を奴隷のように酷使して建設されたという見方が“常識”となっていたのである。伸一は言った。
 「なぜ、私がそのヘロドトスの記述に疑問を感じるかというと、民衆が強制的に働かされ、いやいやながらつくったものが、何千年も崩れることなく残るとは思えないからだ。(中略)クフ王の大ピラミッドが残っているということは、作業にあたった一人ひとりが、強い責任感をもって、自分の仕事を完璧に仕上げていったからだ。さらに、皆が互いに補い合おうとする、団結の心がなければ不可能といえる。その真剣さ、建設への大情熱がどこから生まれたのか。少なくとも強制労働では、そんな人間の心は育たない。私は、この建設には民衆自身の意志が、強く反映されているように思う」(中略)
 一九八三年(昭和五十八年)、フランスのエジプト学の権威であるジャン・ルクランと対談した折、伸一は、自分の考えが間違いではなかったことを確認したのである。今日の研究では、大ピラミッドは、奴隷ではなく、自由民の手によってつくられたことが明らかになっている。
 (「遠路」の章、124~127ページ)

社会建設は仏法者の使命

 〈4月15日、北海道総支部の幹部会で、伸一は、仏法者の使命について訴えた〉
 
 最後に伸一は、なぜ、学会が公明政治連盟を結成して、同志を政界に送り出すのかに言及していった。
 「私どもに対して、宗教団体であるのに、なぜ選挙の支援をするのかとの批判の声がありますので、それについて、一言しておきたいと思います。
 私たちは、仏法を奉ずる信仰者でありますが、同時に社会人であり、国民として政治に参画し、一国の行方を担う責任があります。もし、自分だけ功徳を受け、幸せになればよいと考え、政治にも無関心であるならば、それは利己主義であり、社会人としての責任を放棄した姿であります。
 現在の政治を見ると、社会的な弱者を切り捨て、民衆に本当の意味での救済の手を差し伸べようとはしていないのが現状です。そこで、私どもは、仏法の慈悲の哲理を根底に、民衆の幸福のために働く同志を支援し、政界に送ろうとしているのです。それは、決して、宗教を直接、政治に持ち込むことでもなければ、学会のための政治を行うことでもありません。
 仏法者の使命として、全民衆が幸福になる社会を建設するために、あらゆる問題に取り組んでいこうとしているのです」(中略)
 伸一は、学会に浴びせられる集中砲火のような批判を一身に受け、自らそれを論破しながら、悠々と前進していった。どうすれば会員が勇気を奮い起こせるか――その一点に彼は心を砕き、猛然と戦い続けていたのである。
 (「加速」の章、210~212ページ)

慈悲の行動が自分を強く

 〈6月、伸一は日本全国を東奔西走し、同志の激励に全力を尽くす〉
 
 昨日は名古屋にいたかと思えば、今日は大阪に姿を見せ、東京に戻ったかと思うと、北海道に飛んでいるといった伸一の素早い行動に、幹部たちは「まるで、山本先生が四人も五人もいるようだ」と、感嘆しながら語り合った。
 さらに、周囲の幹部が驚いたことは、もともと病弱で疲れやすい体質の山本会長が、激闘が続けば続くほど、元気になっていくことであった。
 ある時、同行の幹部が尋ねた。
 「先生は、こんなに動いておられるのに、どうしてお元気なのでしょうか」
 伸一は、ニッコリと微笑んだ。
 「それが学会活動の不思議さなんだよ。“私には、励まさなければならない人がたくさんいる。みんなが私を待っている”と思うと、じっとしてはいられないし、勇気が湧く。(中略)
 それは、菩薩の、また仏の、強い生命が全身にあふれてくるからだよ。だから、学会活動をすればするほど、ますます元気になる。戦うことが、私の健康法でもある。
 もちろん、人間だから疲れもする。仏法は道理だから、休養も大切だ。
 (中略)
 元気になるには、自ら勇んで活動していくことが大事だ。そして、自分の具体的な目標を決めて挑戦していくことだ。目標をもって力を尽くし、それが達成できれば喜びも大きい。
 また、学会活動のすばらしさは、同志のため、人びとのためという、慈悲の行動であることだ。それが、自分を強くしていく」(「波浪」の章、264~265ページ)

師匠は原理、弟子は応用

 〈8月31日、伸一の学生部代表への「御義口伝」講義が開始される〉
 彼は、よくメンバーにこう語った。
 「私は、戸田先生から、十年間、徹底して、広宣流布の原理を教わった。師匠は原理、弟子は応用だ。
 今度は、将来、君たちが私の成したことを土台にして、何十倍も、何百倍も展開し、広宣流布の大道を開いていってほしい。私は、そのための踏み台です。目的は、人類の幸福であり、世界の平和にある」
 伸一は、毎回、講義のたびごとに、菓子や食事を用意し、一人ひとりを温かく包み込み、励ますことを忘れなかった。時に放たれる厳しい叱責も、深い慈愛からの指導であった。会場の下足箱の前に立って、底のすり減った靴を見つけると、あとから、その持ち主に、新しい靴を買い与えることもあった。メンバーは、講義を通して、山本伸一という人間に触れていったといってよい。そして、そのなかで、仏法の法理を体現した人格の輝きを知ったのである。
 受講生にとって、伸一は生き方の手本となり、人生の師として、心のなかで次第に鮮明な像を結び始めたのである。そこには、広宣流布という最高、最大の目的に向かう師弟の、温かい交流があり、触発があった。(中略)
 伸一が多忙に多忙を極めたこの時期に、学生部への講義をいっさいの行事に最優先させてきたのは、広宣流布の壮大な未来図を実現するためには、新しい人材の育成が、最重要の課題であると考えていたからだ。
 (「若鷲」の章、366~368ページ)

 ※『新・人間革命』の本文は、聖教ワイド文庫の最新刷に基づいています。

 【挿絵】内田健一郎

〈座談会 創立90周年を勝ち開く!〉23 堂々と正義と真実を語り抜く! 大聖人直結の立正安国への挑戦 2019年3月11日

〈座談会 創立90周年を勝ち開く!〉23 堂々と正義と真実を語り抜く! 大聖人直結の立正安国への挑戦 2019年3月11日

「命を救う」公明党の豊富な実績
〈出席者〉
原田会長
長谷川理事長
永石婦人部長
志賀男子部長
大串女子部長
小樽問答の舞台・北海道の友。後年、池田先生は正義の言論戦に挑む心構えを、こうつづった――「迅速にして緻密たれ!」「細心にして大胆たれ!」「先手先手で攻め抜け!」

 志賀 3月11日は、「小樽問答」の記念日です。正義の言論で、邪論を打ち破った歴史は不滅です。

 長谷川 戸田先生は問答を振り返り、池田先生に語られました。「敵が攻めかかってきたが、それで守備に回らないで、逆に攻撃に回って、先手、先手と攻めたから、非常に楽に勝てた。攻めることが肝心なのだ」

 原田 重要な指針ですね。池田先生は、この指導を通し、「正義が負ける社会は不幸だ。勝ってこそ正義である」「どんな人にも臆さず、堂々と正義と真実を語るのだ」と言われています。これこそが、学会精神です。

 大串 日蓮大聖人は、「よく・よく・かたらせ給へ」(御書1227ページ)等と繰り返し仰せです。

 原田 「音も惜まず」(同504ページ)とも仰っています。黙っていては、真実が明らかになりません。自分らしく、自信満々と、正義を叫び抜く中でこそ、立正安国の道は開かれます。

 大串 大聖人御自身が「この法門を弘めるので、他の人とは比較にならないほど多くの人に会ってきた」(同1418ページ、通解)とも述べておられますね。

 永石 5日付の「新時代を築く」には、その事実を通し、「『人と会う』『友と語る』――我らの立正安国の挑戦は、大聖人直結であり、仏道修行の真髄である。そこに、仏の勇気も智慧も慈悲も涌現しないわけがない」との先生の確信がつづられていました。

 長谷川 さらに「立正安国論」を拝し、「同じ時代を生きる仲間として現実社会の課題を率直に見つめ、相手の意見に誠実に耳を傾ける」「反発にも笑顔で懐深く受け止めつつ、相手の仏性へ信頼を込めて、聡明に信念を語り切っていく」ことが、「対話の極意」であると強調されています。

 原田 「青年が立つ月」「師弟誓願の月」3月から、功徳満開の大歓喜の春へ。いよいよ大切な時を迎えます。勝利の根本は、題目であり、信心であることを命に刻み、異体同心の団結も固く、明るく、楽しく、朗らかな前進を続けていきましょう。

白血病治療に有用

 永石 3月1日付の公明新聞に、さい帯血国際患者支援の会の理事長である、有田美智世さんが、2月27日に「未来のいしずえ賞」を受賞し、公明党の国会議員から祝福を受ける様子が掲載されていました。

 大串 これは、京都大学山中伸弥教授の推薦によるものだそうですね。

 原田 「さい帯血」とは、胎盤とさい帯(へその緒)の中にある血液のことです。その中には、血液の元になる細胞がたくさん含まれており、白血病再生不良性貧血などの治療に大いに役立ちます。

 志賀 しかし、長い間、日本の医療で、さい帯血が活用されることはありませんでした。約20年前、その事実を知った有田さんは、草の根の署名活動などを展開し、さい帯血移植の推進を訴えていました。

 原田 この時、一緒に行動をしたのが、公明党でした。有田さんは当初、「私たちも全力で応援します」と言う公明党の議員に、「リップサービスではないか」と感じていたそうです。けれども、公明党の議員は全国各地で署名活動に全力で取り組みました。

 永石 私たちも力の限り応援しました。また、公明党は、厚生省(当時)などに粘り強く働き掛け、その結果、さい帯血移植の保険適用と公的バンクの設立が実現できたのです。さい帯血移植は、昨年末までで1万6862件に上り、多くの方の命を救っています。

 志賀 この経緯や詳細は、公明党のさい帯血支援サイトや、YouTube公明党チャンネルでも確認することができます。
 大串 今、この取り組みは、公明党の主導で、造血幹細胞(骨髄、さい帯血、末梢血幹細胞)移植推進法へと結実していますね。

 原田 研究の結果、さい帯血から、良質なiPS細胞を作れることが分かっています。iPS細胞は、神経や心筋など、さまざまな細胞になる能力を持っており、再生医療の切り札になると期待されています。

 長谷川 世界で初めて、iPS細胞を作製し、ノーベル賞を受賞した、京大の山中教授は、「公明党の長年にわたる支援のおかげで、さい帯血の制度がどんどん整っています。造血幹細胞移植の推進法ができたことで、世界の中でも、さい帯血の利用に向けた制度が一番整った国になったのではないかと思います。これは、極めて意義が高いもので、本当に感謝しています」と語っていました。

 永石 有田さんも、「政治が命を救う。公明党が、まざまざと、その事実を見せてくれました」と述べていました。

 原田 公明党が、命を守るために実現してきたことは、枚挙にいとまがありません。たとえば、乳がん・子宮頸がん検診の無料クーポンの配布です。

 大串 30~40代女性のがん患者は、男性の約3倍に上るといわれます。特に、乳がんや子宮頸がんは、若い人にも増えています。いずれも、早期発見・治療が重要であることから、公明党は、がん検診の受診率向上に取り組んできました。

 志賀 ほかにも、妊婦と生まれてくる子どもたちを守るための風疹の拡大防止へ、抗体保有率が低いとされる、1962年4月2日~79年4月1日生まれの男性の抗体検査と予防接種が、今春から3年間、原則無料になるようにも取り組みました。

 長谷川 人々の生活と暮らし、そして命を守るのが政治の役割です。そのために、真剣に動き、政策を実現している政党はどこか。公明党は、その実績を大いに訴え、今春の統一地方選を大勝利してもらいたい。

〈随筆 「人間革命」光あれ 池田大作〉 福光勝利の春 2019年3月11日

〈随筆 「人間革命」光あれ 池田大作〉 福光勝利の春 2019年3月11日

君も不屈なり 貴女も偉大なり
負けじ魂で! 永遠の人材城を共に
東北の「心の財」の輝きを 世界が讃嘆
左手の壮麗な白い建物が民音文化センター。音楽で心を結び、励ましを送り続けて(池田先生撮影。5日、東京・信濃町で)

 今も深く温かく、心に響く恩師の声がある。
 「昭和三十一年」(一九五六年)の四月、宮城訪問の折、東北放送のラジオ・インタビューに応じられたのである。
 「特に仙台の方々に望むというようなことはございますか?」とのアナウンサーの問いかけに、戸田先生は即答された。
 「一日も早く幸福になれ!と。これが私の主張です」
 ただただ幸せになってほしい。一人でも多く幸せにしてほしい――。こよなく愛されていた東北の友への真情であった。
 東北に続いて訪れた関西でも、雨の大阪球場で先生は師子吼なされた。
 ――正しい信心に立つならば、皆、必ず幸福になる。民衆救済に立つ者こそ日蓮大聖人の弟子である。立正安国のため、社会のため、民衆のため、大確信に立って行動していただきたい、と。
 六十三星霜を経た本年「平成三十一年」の春を、福光勝利の創価桜で飾りゆこうと、全宝友が勇気凜々と前進している。
 恩師は、いかばかり讃えてくださるだろうか。

生き抜いた8年

 八年前(二〇一一年)のあの三月十一日。
 思いもかけぬ巨大地震と大津波。続いて起こった原発事故――。「東日本大震災」は、まさに未曽有の大苦難であった。
 あれから、どれほど言語に絶する艱難と不安の風雪を堪え忍ばねばならなかったことか。
 皆で新たな出会いと絆を広げ、支え支えられて、互いの思いを重ねつつ寄り添ってこられた。苦悩に打ちひしがれた友のため、我が身を顧みず、億劫の辛労を尽くしてくださったのだ。
 まさしく仏であり、菩薩の振る舞いである。
 福島県富岡町にある双葉会館では、今年の正月、震災後初となる新年勤行会が行われた。
 県内外から百十一人の友が集った。大震災の年の新年勤行会の写真も、館内に飾られていた。
 「負けない日々」を生き抜いた同志は、この日再びカメラに納まった。苦楽を分かち合った福光の賢者たちの笑顔――。広布の宝城に、新たな黄金の一頁が刻まれた。
 あの地でも、この地でも、「地涌の正義の旗頭」の皆様は、ここが使命の大舞台なりと、自他共の幸福へ奮闘されている。
 人間とは、なんと優しく、明るく、負けない強さを持てるものか。
 君も不屈なり。貴女も偉大なり。世界よ、この「人間の英雄」を見よ! 民衆の「歓喜の凱歌」を聴け!と、私は叫びたい。

異体同心の支え

 東日本大震災以降も、深刻な自然災害が続いている。昨年も、広島、岡山、愛媛など西日本各地を蹂躙した「七月豪雨」があり、九月に起こった「北海道胆振東部地震」も激甚であった。
 打ち続く自然災害に対して、どう応戦するか。その辛苦の歩みの中で、私たちの社会は「レジリエンス」(困難を乗り越える力)をいかに強めるかという課題に、真摯に向き合い始めている。
 なればこそ、「立正安国論」で「汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を禱らん者か」(御書三一ページ)と仰せの如く、民衆の幸福と平和を根本とする生き方が輝き光っていくはずだ。
 そして、我ら創価家族には、「難を乗り越える信心」がある。崩れざる「心の財」がある。そして久遠からの「異体同心」の友がいる。
 長年、双葉会館の近くで活動してきた“多宝の父母”は、震災後、隣接の栃木県へ避難した。
 最初の座談会で、地区の友は東北の歌「青葉の誓い」を歌って、大歓迎してくれた。夫妻は友の心遣いに感極まり、声にならなかった。
 しかし、翌月の座談会では、夫婦して誇り高く、声の限りに歌った。その姿に、今度は栃木の友が胸打たれ、涙で一緒に歌えなくなったという。
 夫妻は今、富岡町に戻り、「元気に暮らすことが栃木の皆さんへの恩返し」と活躍されている。
 御聖訓に、「夫れ木をうえ候には大風吹き候へどもつよ(強)きすけ(扶)をか(介)ひぬれば・たうれず」(同一四六八ページ)と仰せ通りの人間共和のネットワークである。
 この絆は、生死を超えて永遠である。
 若くして父を亡くした南条時光への励ましには、「いよいよ強盛なるべし、さるほどならば聖霊・仏になり給うべし、成り給うならば来りてまほ(守)り給うべし」(同一五一二ページ)とある。
 大難に怯まぬ強盛な信心を貫けば、亡き家族・眷属も成仏し、我らを守る。共に「常楽我浄」の旅を続けていけるのだ。

音楽は蘇生の力

 大震災後、音楽隊の「『希望の絆』コンサート」からは、幾重にも感動が紡ぎ出されてきた。
 人をつなぎ、心を鼓舞する歌の力、音楽の力は何と大きいことか。それは「生きる歓び」と「魂の蘇生」「勇気の共鳴」をもたらしてくれる。
 民音民主音楽協会)では、世界的な音楽家やラジオ局、また地元の方々のご協力をいただき、岩手、宮城、福島の小・中学校などで「東北希望コンサート」を重ねてきた。二〇一二年の五月に陸前高田市の中学校で第一回を行い、昨年十二月の気仙沼市の中学校で七十五回を数える。
 歌や楽曲の響きと共に広がる、子どもたちの明るい笑顔こそ、何よりの復興の希望の光だ。
 この五日の朝、総本部の周辺を車で回った折、白亜の“音楽の宮殿”民音文化センターが目に飛び込んできた。昨秋、創立五十五周年を迎えた民音の海外交流は百十カ国・地域に広がり、国内での鑑賞者は一億二千万人に迫ると伺っている。
 支えてくださっている全ての方々に感謝を込めシャッターを切った。

青葉城と岡城と

 恩師が仙台の青葉城址に立ち、「学会は、人材をもって城となす」との永遠の指針を示されたのは、六十五年前(一九五四年)の春四月だった。
 詩人・土井晩翠が、この青葉城や福島・会津の鶴ケ城に着想を得て作詞したといわれる「荒城の月」の一節には、「昔の光 いまいずこ」とある。
 森羅万象は、変化、変化の連続である。
 戸田先生は青葉城を訪れたその日、仙台支部の総会で、妙法こそ生命の一切をよりよく変化させゆく根源の力であると明快に教えてくださった。
 人生も社会も、どんなことがあろうと、全てを善の方向、幸福の方向、勝利の方向へと変化させていけるのが、「人間革命」即「立正安国」の我らの祈りなのである。
 思えば、「荒城の月」の作曲者・滝廉太郎ゆかりの大分・竹田の岡城も難攻不落で知られた。
 その本丸跡で、九州の友と「荒城の月」を大合唱したことはあまりに懐かしい(一九八一年)。それは私が長編詩「青年よ 二十一世紀の広布の山を登れ」を発表した二日後、熊本へ向かう途次のことであった。
 歴史上、岡城の堅固さは「一人萬卒を制するといひしはかゝる所の事ならん」と称えられた。
 広布の勇者が「一人立つ」ならば、千人、万人にも匹敵する百戦不撓の「平和の城」となる。
 「熊本地震」(二〇一六年)では、熊本・阿蘇両地方と大分は、激しい揺れに襲われた。試練に挑み、「負けんばい!」と険難の坂を越えゆく師子のスクラムは誇り高い。
 ともあれ、城は「民衆を守る」ものだ。それは民衆が安心して暮らせる拠点であり、地域社会であろう。まさに「立正安国」とは、崩れざる民衆城を築く戦いだ。わが地域の繁栄を願って仏縁を広げる一人ひとりの誠実な行動が、この城を盤石に固めているのである。

「八」は開く義

 法華経に、八歳の竜女の「即身成仏」が説かれている。女子部や未来部のような乙女が、尊い人間勝利の道を開いたのだ。
 「御義口伝」には、「八とは色心を妙法と開くなり」(御書七四五ページ)と仰せである。「八」には、わが生命に具わる仏界を「開く」意義が込められている。
 大震災より八年。我らは今、人間復興の新生の道を開き、大きく境涯を開く「勝利の春」を迎えていると確信したい。
 かの竜女は「我が成仏を観よ」と宣言し、疑う人びとの前で即身成仏の実証を現した。その勝利の姿に、皆が「心大歓喜」したと示されている。
 いかなる宿命にも「負げでたまっか!」と、いよいよ学会精神を燃え上がらせる、東北の宝友たちそのものではないか。
 勇気ある信心で、全てを変毒為薬しゆく「世界の東北」の見事なる実証と「心の財」の輝きに、全世界の同志が「大歓喜」しているのだ。
     ◇
 昨年三月十一日、壮大に地球を結んで開催された、世界青年部総会から一年――。今、広布後継の「3・16」の誓いのままに、東北青年部をはじめ、「従藍而青」の若人が澎湃と躍り出ている。
 君たち青年こそが、「大悪を(起)これば大善きたる」「大正法必ずひろまるべし」(同一三〇〇ページ)との御金言を証明しゆく地涌の本命なのだ。
 「信ずる後継よ 不二の生命よ」――私と共に、永遠なる創価の城を築きゆこうではないか!
 (随時、掲載いたします)

 岡城への評言は古河古松軒著「西遊雑記」(『日本庶民生活史料集成』第2巻所収)三一書房

〈座談会 創立90周年を勝ち開く!〉22 3・11東日本大震災から8年―― 困難の壁を乗り越える信心 2019年3月7日

〈座談会 創立90周年を勝ち開く!〉22 3・11東日本大震災から8年―― 困難の壁を乗り越える信心 2019年3月7日

公明は防災・減災対策に全力
〈出席者〉
原田会長
長谷川理事長
永石婦人部長
竹岡青年部長
大串女子部長
「青年の連帯」がある限り、希望は失われることはない――東北と欧州の青年部が、不屈の負けじ魂で未来への飛躍を誓い合った(昨年12月、東北文化会館で行われた青年友好総会)

 永石 3月8日は「芸術部の日」です。1962年のこの日、池田先生のもと芸術部は出発しました。

 長谷川 先生はかつて、芸術部の友に語られました。「妙法を護持した芸術家は、全員が、魂の芸術を持った人である。ゆえに、必ずや、最高最大の芸術家として光っていくことができるのである」

 原田 先生の期待に応え、芸術部の友は今、信心を根本に、多彩な分野で才能を発揮しています。その姿は、まさしく“創価文化の旗手”です。さらなる活躍を期待しています。

皆で復興を祈念

 長谷川 今月11日で東日本大震災から、8年となります。今なお、仮設住宅に暮らす方や避難生活を余儀なくされている方が多くいらっしゃいます。

 原田 全ての犠牲者の方々に追善回向の題目を送るとともに、被災された皆さまの健康と幸福、復興を真剣に祈念してまいりたい。

 大串 昨年12月に欧州青年部が東北を訪問し、歴史的な交流行事が行われ、友情の絆を結びました。

 竹岡 欧州のある友は、東北の同志との交流を通して、「自分が大変な状況でも、周囲を照らそうとする姿に勇気をもらいました」と語っていました。

 原田 東北の皆さんは、池田先生の「『心の財』だけは絶対に壊されません」との励ましを胸に、今日まで困難の壁を乗り越えてこられました。

 長谷川 日蓮大聖人は「大悪をこれば大善きたる」(御書1300ページ)と、ご断言です。信仰の力で苦難を一つ一つ乗り越え、希望と勇気の連帯を広げてこられた東北の同志の皆さまは世界の同志の模範です。

 原田 いよいよ信心強盛に、そして異体同心の団結で、さらなる盤石な人材城を東北の天地に築きゆかれることを念願しています。

被災者の声を反映

 大串 昨年は自然災害が相次ぎ、各地に甚大な被害をもたらしました。今、改めて防災・減災への意識が高まっています。

 永石 6月には、大阪府北部地震でブロック塀の倒壊による死亡事故が起きました。痛ましい事故を繰り返さぬよう、公明党が要請し、政府が全国の学校の緊急調査を実施。この調査が、その後の緊急的なブロック塀対策につながりました。

 竹岡 また、昨年は7月の西日本豪雨、9月の北海道胆振東部地震などもありました。そうした災害からの復旧・復興費として、早くも11月に7275億円が第1次補正予算に盛り込まれました。ここでも、インフラ復旧や被災者の生活支援など、公明党が発災直後から被災地を視察し、直接聞いた被災者の声が反映されています。

 原田 国民の命を守ることは、政治の最大の役割であるといえます。

 大串 公明党統一地方選に向けて発表した重点政策で、第一に掲げているのも“防災・減災・復興を社会の主流に”ですね。

 竹岡 東日本大震災の際も、公明党は野党の立場でしたが、迅速に対応し、復旧支援に全力を注ぎました。震災発生直後、全ての国会議員で被災地の担当地域を決め、それぞれが何度も現地に足を運び、課題を国会に持ち帰りました。

 永石 また、地元の議員が「仮設住宅総点検」を行い、その中で聞いた声から、仮設住宅の風呂の「追いだき機能」の追加や、物置の設置などを議会で提案し、実現しました。

 竹岡 一方、震災当時、与党であった民主党は、右往左往するばかりで、全てが後手にまわり「遅い、鈍い、心がない」と批判され続けました。

 原田 発災から現在に至るまで、国会議員、地方議員が連携を密に政策を実現し続けている公明党に、被災地の多くの首長からも信頼の声が寄せられています。宮城県村井嘉浩知事は今年の年頭、「これまでの復興は、公明党なくして成し得なかった」と改めて明言されていました。

人々の命守るため

 大串 公明党は一貫して防災対策に尽力してきました。2002年、文部科学省が初めて公立小中学校の耐震化率を公表しましたがこれを強く要請していたのは公明党でした。調査の結果、耐震化率わずか44・5%という数字が明らかになり、現状打開へ、公明党の国会議員が動きました。

 竹岡 その結果、国の予算で自治体の財政負担を大幅に減らす法律が成立し、耐震化を加速する道筋が示されました。その後も、公明党の地方議員は各自治体で議会質問や予算要望などを重ねていきました。その結果、15年度に全国の公立小中学校の耐震化率は、ほぼ100%の水準まで達したのです。

 永石 学校の耐震化は、まさに公明党の国会議員、地方議員による10年以上の奮闘の結果ですね。さらに、公明党は教室や体育館の天井や窓ガラスなど、非構造部材の耐震化も進めています。命を守るための防災・減災の実績は一朝一夕に作り上げられたものではないことが分かります。

 長谷川 今、政府も防災・減災対策を重要政策に掲げていますが、これについて、政治評論家の森田実氏は「長年にわたり公明党が訴え続けてきた成果だ」と語っています。

 原田 東京大学名誉教授で、政治学者の御厨貴氏も「予期せぬ災害に遭った人たちを精神的に救える政治家は、どの政党よりも公明党に数多く揃っている」と述べています。公明党の存在は、日本社会においてますます重要性を増しています。公明党の議員は人々の期待に応え、一層、実績を重ねていってもらいたい。