「感謝の心」で人生は豊かに 池田大作先生の写真と言葉「四季の励まし」 2019年12月15

「感謝の心」で人生は豊かに 池田大作先生の写真と言葉「四季の励まし」 2019年12月15日

 【写真の説明】真っ赤なバラ、ピンクのコチョウラン、白のカスミソウ……。一本一本の花が互いをたたえるように美しく咲いていた。2010年(平成22年)3月、池田大作先生が都内で撮影した一葉である。
 多くの花は、風や虫などの助けによって受粉し、実を結ぶ。
 人間もまた、一人では生きられない。家庭や地域、学校や職場など、常に誰かを支え、支えられる中で生きている。それを忘れず、周囲の人に感謝の思いで接していく。これが、よき人間の在り方といえよう。
 本年も、あと2週間余り。お世話になったあの人、この人に感謝の気持ちを伝えよう。そこから信頼と友情の花が咲く。

池田先生の言葉

 感謝の心は美しい。
 自らに縁した人を
 大事にしていこうという
 心の余裕が、
 人生を豊かにする。
 美しくする。

 新渡戸稲造博士は
 「恩」を知る大切さを
 述べている。
 「偉大なる心は
 常に感恩の情に満つ」
 感謝の人は成長できる。
 恩を忘れた時から、
 人間の堕落が始まる。
 恩を知ることが
 人間の道だ。

 愚痴と文句は、
 歓喜を奪い去り、
 心をすさんだものにし、
 自分で自分を
 不幸にしていく。
 反対に、
 「ありがたいな」という
 感謝の思いは、
 歓喜
 燃え上がらせていく。
 そして、歓喜
 自らの心を豊かにし、
 幸福にする。

 創価学会には、
 誰も見ていないところで、
 広布のため、同志のため、
 また地域のために、
 地道に真剣に
 努力している人が
 数多くいる。
 その人たちのおかげで
 学会は発展してきた。
 そういう陰の立場の人を、
 心から
 大切にしていくことだ。
 その功労をたたえ、
 温かく励まし、
 深く深く感謝できる人で
 あっていただきたい。

 私は毎日、
 全学会員の方々に感謝し、
 健康、長寿、無事故を
 真剣に祈っている。
 来る日も来る日も、
 一生懸命に広布に走る
 学会員の皆さまは、
 地涌の菩薩であり、
 御本仏の
 お使いであられる。
 この世で
 最も尊い方々なのである。
 この誇りに燃えて、
 明年もそれぞれの立場で
 「使命の人生」を
 戦いましょう!

 ※新渡戸稲造の言葉は「随想録」、『新渡戸稲造全集第5巻』所収、教文館

〈池田先生と共に 新時代を築く〉 若々しく福運に満ちて! 2019年12月12日

〈池田先生と共に 新時代を築く〉 若々しく福運に満ちて! 2019年12月12日

 御聖訓に「深く信ずる者は満月の闇夜を照すが如し」(御書1501ページ)と。
 今日は、今年最後の満月。御本仏が、広布に走り抜いた創価家族を微笑み御照覧くださっているであろう。
 
 婦人部の「ヤング白ゆり世代」の誕生、おめでとう!
 日蓮大聖人は、この世代の女性たちを、誠にこまやかに激励なされていた。
 「年は・わかうなり福はかさなり候べし」(同1135ページ)
 この御文を賜ったのも、まさに「ヤング白ゆり世代」に当たる日眼女(四条金吾の妻)である。
 若々しく、福運に満ちた歓喜の大行進を、皆で応援していきたい。

 この日眼女への御書では「法華経を持たせ給う人は一切衆生のしうとこそ仏は御らん候らめ」(同1134ページ)とも仰せである。
 妙法流布に生きる人こそ、まさに「一切衆生の主」であり、人々を幸福と平和へリードする宝の存在なのだ。
 
 災害の多発した、この一年、わが宝友たちは、地域でも、職場でも、社会でも、なくてはならない依怙依託として奮闘してくれた。
 人知れぬ陰の献身、言い知れぬ苦労の積み重ねを、御本仏はお見通しである。
 生命の峻厳な因果の理法を象徴する同生天・同名天の働きも、日眼女へ語られた励ましであった。
 私たちも、同志の功労を見逃さず、ねぎらい、讃え、宣揚して差し上げたい。それが同生天・同名天の力用に通ずるからだ。

 誰しも現実は、さまざまな課題が絶えない。
 釈尊の弟子の須達長者夫妻も、「七度貧になり」(同1574ページ)という波乱の連続であった。その最も厳しい苦境の時に、身命を惜しまず師匠を守り抜いた福徳で、祇園精舎を寄進する大長者になったと説かれる。
 苦難の一つ一つに挑み、学会活動に励む。大変だからこそ、無量の「心の財」を積み、境涯を大きく変えられるのではないだろうか。
 
 戸田先生が語られていたご指導が思い起こされる。
 ――たった一人でもよい。その一人の人に、本当の妙法蓮華経を説く。心から話し合い、感激し合って帰ってくるんだよ、と。
 会えば、心が通う。語れば、胸に響く。よき出会いから、新たな価値が創造される。
 
 大聖人は「今年御つつがなき事をこそ」(同1097ページ)と、門下の無事安穏を祈念してくださっている。
 油断なく健康第一、絶対無事故で、大勝利の一年を飾りたい。そして、勇気と希望の連帯を広げゆこう!

小説「新・人間革命」に学ぶ 名場面編 第14巻 2019年12月11日

小説「新・人間革命」に学ぶ 名場面編 第14巻 2019年12月11日

  • 連載〈世界広布の大道〉
イラスト・間瀬健治
イラスト・間瀬健治

 今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第14巻の「名場面編」。心揺さぶる小説の名場面を紹介する。挿絵は内田健一郎

広布に生きる革命児たれ

 <1969年(昭和44年)、学生運動が過激化する中で、学生部員の多くは、社会改革とはどうあるべきか、悩んでいた。そんな折、山本伸一は、学生部の会合で質問を受ける>
 学生の一人が尋ねた。
 「革命児として生き抜くとは、どういう生き方でしょうか」(中略)
 伸一は、メンバーの質問に答えて、語り始めた。(中略)
 「帝政ロシアの時代や、フランスのアンシャンレジーム(旧制度)の時代は、一握りの支配者が栄華を貪っている、単純な社会だった。
 しかし、今は、社会は高度に発達し、多元化しています。利害も複雑に絡み合っている。矛盾と不合理を感じながらも、既存の秩序の安定のうえに、繁栄を楽しむ人びとが圧倒的多数を占めています。
 そうした現代社会に、単純な暴力革命の図式はあてはまりません。全共闘が提示した最大のテーマは、権力をもつ者のエゴを、さらに、自己の内なるエゴを、どう乗り越えるかということではないかと思う。つまり、求められているのは、権力の魔性、人間の魔性に打ち勝つ、確かなる道です」
 伸一は断言するように語った。
 「人間のエゴイズム、魔性を打ち破り、人間性が勝利していく時代をつくるには、仏法による以外にない。それは、生命の根本的な迷いである『元品の無明』を断ち切る戦いだからです。
 大聖人は『元品の無明を切る利剣は此の法門に過ぎざるか』(御書九九一ページ)と仰せです。仏法によって、内なる『仏』の大生命を開き、人間自身を変革する広宣流布なくして、解決はありません」(中略)
 伸一は話を続けた。
 「結論を言えば、一人の人間の生命を変革する折伏に励むことこそが、漸進的で、最も確実な無血革命になるんです。さらに、生涯を広宣流布のために生き抜くことこそが、真の革命児の生き方です。また、君自身が社会のなかで力をつけ、信頼を勝ち得ていくことが、折伏になります。
 私たちが、行おうとしていることは、未だ、誰人も成しえない、新しい革命なんです。それを成し遂げ、新しい時代を築くのが君たちなんだ」
 (「智勇」の章、27~30ページ)

自身を鍛える“青春学校”

 <7月、富士鼓笛隊は、第6回全米総会を記念するアメリカでの“日米鼓笛隊パレード”に参加。“平和の天使”たちは、互いに励まし合いながら大きな成長を遂げてきた>
 鼓笛隊は、音楽の技術を磨くだけではなく、友情と団結の心を培い、自身を鍛え輝かせる“青春学校”ともいうべき役割を担ってきた。
 アメリカ公演に参加し、やがて第三代の鼓笛部長になる小田野翔子も、鼓笛隊で学会の精神や人間の在り方を学んだ一人であった。(中略)入隊後、しばらくすると、数人の部員に、練習の日時や場所を連絡する係りになった。きちんと連絡をしても、来ない人もいた。しかし、自分は責任を果たしたのだから、あとは本人の問題であると、別に気にもとめなかった。(中略)
 だが、同じ係りのメンバーの取り組み方を見て、彼女は驚いた。連絡しても練習に来ない人がいると、そのことを真剣に悩んで唱題し、先輩に指導を受けたり、家まで訪ねて行って、励ましたりしているのだ。
 「なぜ、そこまでしなくてはならないの?」と首をかしげる小田野に、あるメンバーは言った。
 「だって、練習に通って上達し、出場できるようになれば、すばらしい青春の思い出になるわ。あんな感動はほかにはないんですもの。本人も、それを夢見て鼓笛隊に入ったはずだから、なんとしても、その夢を、一緒に実現してもらいたいのよ。だから私は、最後の最後まであきらめない。適当に妥協しても、誰も何も言わないかもしれないけど、それは、自分を裏切ることだわ」
 小田野は、自分の考え方を恥じた。(中略)
 また、小田野は、音楽の専門家でもない先輩たちが、「世界一の鼓笛隊」にしようと、懸命に努力し続けている姿を目にするたびに胸を熱くした。
 その心意気に感じて、彼女も、「世界一」を実現させるために、自分は何をすべきかを考えた。(中略)
 “自分がどこまでできるかわからないけれど、音大に行って勉強して、鼓笛隊のために役立てるようになりたい”
 人それぞれに使命がある。それぞれが「私が立とう!」と、自己の使命を果たし抜くなかに、真の団結がある。そして、そこに、新しき歴史が創られるのだ。
 (「使命」の章、155~157ページ)

師の舞に勝利の誓い固く

 <12月、関西指導に赴いた山本伸一は、高熱を押して和歌山へ。県幹部会で、全精魂を尽くして指導する>
 伸一の話は、二十四分に及んだ。式次第は、学会歌の合唱に移った。(中略)
 合唱が終わるや、会場のあちこちで「先生!」という叫びが起こった。
 「学会歌の指揮を執ってください!」
 ひときわ大きな声が響いた。伸一は笑顔で頷いた。
 その時である。喉に痰が絡み、彼は激しい咳に襲われた。口を押さえ、背中を震わせ、咳をした。五回、六回と続いた。一度、大きく深呼吸したが、まだ、治まらなかった。苦しそうな咳が、さらに立て続けに、十回、二十回と響いた。
 演台のマイクが、その音を拾った。咳のあとには、ゼーゼーという、荒い呼吸が続いた。皆、心配そうな顔で、壇上の伸一に視線を注いだ。だが、彼は、荒い呼吸が治まると、さっそうと立ち上がった。 
 「大丈夫ですよ。それじゃあ、私が指揮を執りましょう!」
 歓声があがった。
 「皆さんが喜んでくださるんでしたら、なんでもやります。私は、皆さんの会長だもの!」
 大拍手が広がった。(中略)
 音楽隊の奏でる、力強い調べが響いた。(中略)
 山本伸一は、扇を手に舞い始めた。
 それは、天空を翔るがごとき、凜々しき舞であった。
 “病魔よ、来るなら来い! いかなる事態になろうが私は闘う!”
 伸一は、大宇宙に遍満する「魔」に、決然と戦いを挑んでいた。
 (中略)
 和歌山の同志は、伸一の気迫の指揮に、胸を熱くしていた。(中略)
 どの目も潤んでいた。なかには、彼の体を気遣い、“先生! もうおやめください!”と叫びたい衝動をこらえる婦人もいた。
 皆が、涙のにじんだ目で、この光景を生命に焼き付けながら、心に誓っていた。
 “私も戦います! 断じて勝ちます!”
 そして、力の限り手拍子を打ち、声を張り上げて歌った。
 (「烈風」の章、218~223ページ)

創刊原点の精神を胸に

 <1970年(昭和45年)9月、聖教新聞社の新社屋が落成。山本伸一は館内を巡り、聖教新聞創刊の原点を振り返った>
 伸一は、創刊当時に思いを馳せながら、傍らにいた、新聞社の幹部たちに言った。(中略)
 「あの市ケ谷のビルの狭い一室で、新聞を作っていたころの苦労を忘れてはいけない。環境が整えば整うほど、創刊のころの精神を、常に確認し合っていくことが大事ではないだろうか」(中略)
 聖教新聞の創刊は、戸田が事業の失敗という窮地を脱し、第二代会長に就任する直前の、一九五一年(昭和二十六年)四月二十日である。
 戸田が、その着想を初めて伸一に語ったのは、前年の八月、戸田が経営の指揮を執っていた東光建設信用組合の経営が行き詰まり、業務停止となった時のことであった。
 戸田と伸一は、東京・虎ノ門の喫茶店で、信用組合の業務停止を知った、ある新聞社の記者と会った。その帰り道、戸田は、しみじみとした口調で語った。
 「伸、新聞というものは、今の社会では想像以上の力をもっている。……一つの新聞をもっているということは、実にすごい力をもつことだ。
 学会もいつか、なるべく早い機会に新聞をもたなければならんな。伸、よく考えておいてくれ」
 戸田が学会の理事長の辞任を発表したのは、聖教新聞発刊の着想を伸一に語った日の夜のことであった。
 (中略)
 年が明けた一九五一年(昭和二十六年)二月の寒い夜であった。戸田は、伸一に宣言した。
 「いよいよ新聞を出そう。私が社長で、君は副社長になれ。勇ましくやろうじゃないか!」(中略)
 何度となく、準備の打ち合わせがもたれた。新聞の名前をどうするかでも、さまざまな意見が出た。(中略)
 種々検討を重ねて、結局、「聖教新聞」と決まった。
 そこには、大宇宙の根本法たる仏法を、世界に伝えゆく新聞をつくるのだという、戸田の心意気がみなぎっていた。
 (「大河」の章、359~362ページ)

〈教学〉 12月度座談会拝読御書 兄弟抄 2019年12月3日

〈教学〉 12月度座談会拝読御書 兄弟抄 2019年12月3日

拝読御文

 設ひ・いかなる・わづらはしき事ありとも夢になして只法華経の事のみさはくらせ給うべし、中にも日蓮が法門は古へこそ信じがたかりしが今は前前いひをきし事既にあひぬればよしなく謗ぜし人人も悔る心あるべし、設ひこれより後に信ずる男女ありとも各各にはかへ思ふべからず(御書全集 1088ページ16行目~18行目、編年体御書 689ページ16行目~18行目)

[池田先生の指針から] 広布の大道を貫く

 現代において、「只法華経の事のみ」という「心の師」を求める生き方を堅実に歩んできた学会員は皆、見事に勝利の実証を示しています。日本中、世界中に庶民の信心の英雄は数多くおられます。
 その方たちこそ、「広宣流布の宝」です。
 また、「人類の宝」です。
 「法」を根幹として、また「師弟不二」に徹して、自身の宿命を転換し、何ものにも揺るがぬ幸福境涯を確立されています。
 
 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
 
 人間の心の動きは千差万別です。なかには、大聖人の予言的中の現証を見て、誹謗していたことを撤回して悔いる心をもつ人もいました。
 反対に、信心をしていながら迫害を恐れて退転し、あまつさえ、もともと誹謗していた人よりも一層激しく毀謗する心をもつ人も多くいました。
 
 心浅き人間。退転反逆の輩。臆病な者たち。人間の心は恐ろしいものです。だからこそ、大聖人は、まっすぐに師弟の道を歩み通した池上兄弟と夫人たちに「設ひこれより後に信ずる男女ありとも各各にはかへ思ふべからず」とまで仰せくださったと拝されてなりません。
 
 どんな嵐が吹き荒れても、いささかも微動だにせずに、背信の者たちを悠然と見おろし、ただ広宣の大道を貫いてきた門下たちこそ真の弟子であると、大聖人は最大に讃嘆なされております。「師弟」こそ、人生の無上の価値です。
 
 戸田先生は、次のように語られたことがあります。
 「一生成仏という大空に悠々と舞い上がっていくには、難という烈風に向かって飛び立たねばならない。難に負けない信心こそが、永遠の幸福の城を築きゆく力なのだ。信心で越えられぬ難など、断じてない」
 この戸田先生の決然たるご確信こそ、学会精神であり、折伏精神であり、魔と戦う攻撃精神です。
 
 どこまでも大事なのは信心です。
 大聖人は池上兄弟に対して、「必ず三障四魔と申す障いできたれば賢者はよろこび愚者は退くこれなり」(御書1091ページ)と仰せになられました。
 
 「賢者はよろこび」の信心に立てば、三障四魔の激しき風は、わが生命を覆う宿命の「雲」を吹き払います。そして、澄み切った天空には、大歓喜の虹がかかることは絶対に間違いありません。そこにこそ「正義」と「幸福」と「勝利」の太陽の光が燦然と輝くことを確信して、大難に対して威風堂々と挑んでいくことです。
 三障四魔を打ち破る弟子の勝利こそ、師匠の祈りであり、喜びなのです。
 (『勝利の経典「御書」に学ぶ』第2巻)
 
 

師弟不二に徹し 幸福境涯を確立
[キーワード1] 只法華経の事のみ

 今回の拝読御文の直前で、「心の師とは・なるとも心を師とせざれ」(御書1088ページ)と、揺れ動く自分の「心」を基準にするのではなく、「心の師」を求める生き方の大切さを示されています。
 
 私たちにとって「心の師」を求めるとは、御本尊根本、御書根本に生き抜くことです。それは、正しき道を厳然と指し示す師匠と共に、不二の人生を貫くことにほかなりません。
 
 さらに、私たちには「広宣流布の大願」という、ぶれることのない「地涌の菩薩」の使命があります。日々の祈りの中で、この崇高な誓願に立つことができるのは、どれほど素晴らしいことでしょうか。
 
 煩わしいと思うことも、大願で大きく包めば、自身を「人間革命」していくための糧になります。全てを“広布のため”と、価値創造していくことができます。
 
 一方で、信心が弱ければ、煩わしさは、三障四魔となって信仰を破壊してしまいます。だからこそ「法華経のことだけに取り組む」姿勢、すなわち法華経の信心を根本に置いた揺るがない生き方を強調されているのです。
 
 妙法流布、折伏に励む人は、必ず人生を大きく開いていくことができるのです。そのことを、池上兄弟とその夫人たちに大確信で教えられているのです。
 
 私たちも、広布の誓願に生き抜く師弟不二の人生を、朗らかに勝ち進んでいきましょう。
 
 

[キーワード2] 宿縁深き同志の世界

 人の本性は、苦難に直面した時に現れるものです。
 大聖人の時代も、迫害が激しくなると、多くの門下が退転していきました。
 仏法の厳しき眼で見れば、それはまさに、自身の揺れ動く弱い「心」を師としたことにほかなりません。
 
 大変な環境にあって、池上兄弟が、状況が良い時も、悪い時も、ただ一筋に信仰を貫いていることを、日蓮大聖人は「あなた方に替えて思うことはできない」と、最大にたたえてくださっているのです。
 
 広宣流布に励む人こそ、人類の宝です。それは、他の誰かではありません。師弟不二の道を歩む一人一人が人材です。
 
 池田先生はつづっています。
 「一人も残らず、使命の人だ。病と闘い、経済苦に挑み、夢に向かう友がいる。皆、人間革命のドラマの主役なのだ。
 戸田先生は『時には、“貧乏菩薩”や“病気菩薩”のように見えるかもしれない。しかし、それは人生の劇を演じているんだよ。正真正銘の地涌の菩薩なんだ』と、よく語られた。
 闘う姿で、同じ悩みを抱える人を励ましていける。嵐に揺るがぬ大境涯を開いていける。
 人生、劇の如く、思い切って楽しく演じ、勝ちまくって、妙法の偉大さを証明していこう!」
 
 今、この時に生まれ合わせた、師弟の縁、同志の宿縁は計りしれません。異体同心の仲良き団結で、励ましを広げながら、一人ももれなく使命の人生を歩み抜きましょう。

小説「新・人間革命」に学ぶ 第14巻 基礎資料編 2019年12月4日

小説「新・人間革命」に学ぶ 第14巻 基礎資料編 2019年12月4日

  • 連載〈世界広布の大道〉

 今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第14巻の「基礎資料編」。各章のあらすじ等を紹介する。次回の「名場面編」は11日付、「御書編」は18日付、「解説編」は25日付の予定。

【物語の時期】 1969年(昭和44年)5月3日~1970年11月8日
「智勇」の章

 1969年(昭和44年)5月3日の本部総会の席上、山本伸一は来年の5月3日までの目標として、750万世帯の達成を発表する。また、71年(同46年)の開学をめざす創価大学に、「人間教育の最高学府たれ」など、三つのモットーを示す。さらに、過激化し、混迷する学生運動に言及。自由主義共産主義止揚する人間主義に立脚した、「第三の道」を開くように提案する。
 彼は、学生運動の行方に、常に心を砕き続けてきた。月刊誌に次々と学生運動についての原稿を寄せ、大学紛争の根本原因は、教授らに学生への愛情と信頼がなかったところにあると述べ、学生には、暴力では真の社会改革はできないと強調。また、三権分立に教育権を加えた「四権分立」構想を提唱する。
 夏季講習会の折、男子学生部は、大学の自治を奪う「大学立法」に反対する全国野外統一集会を行う。伸一も参加し、自らデモの先頭にも立つ。
 学生運動の「第三の道」を開くために、智勇兼備の学生部員が立ち上がり、10月19日、新学生同盟の結成大会が開かれる。これは後の学会の平和運動の先駆的試みとなっていく。

「使命」の章

 1969年(昭和44年)、広布の緑野に、多彩な「使命」の花が、新たに咲き始める。
 当時、看護師の過重労働から病院でのストライキが起こるなか、6月6日、女子部の看護師メンバーによる白樺グループが結成される。それは、メンバーに新たな使命の自覚を促し、限りない勇気と誇りを与えた。彼女たちは、「生命の世紀」のパイオニアとして、人間主義の看護をめざし、奮闘していく。
 7月、第6回全米総会を記念するパレードに、日本から富士鼓笛隊が出場。そこには、体の不調を克服して臨んだメンバーなど、乙女らの青春勝利のドラマがあった。また、56年(同31年)7月の鼓笛隊結成以来の歴史がつづられていく。アメリカでの公演の大成功を聞いた伸一は、心で「世界一の鼓笛隊万歳!」と叫び、「平和の天使」たちを称賛する。
 8月17日、夏季講習会の折、文芸部が結成される。伸一は、“「文は生命」であり、「文は魂」であり、また「文は境涯」である”と指導。新しきルネサンス(文芸復興)の担い手が、陸続と育つことを願い、全魂を込めて激励する。

「烈風」の章

 12月下旬、伸一は、関西指導へ。だが、急性気管支肺炎による高熱と咳が彼をさいなむ。
 医師も危ぶむ容体のなか、21日、和歌山での幹部会に出席。死力を振り絞ってメンバーを励まし、気迫あふれる学会歌の指揮を執る。伸一の生命を賭しての激闘は、同志の闘魂を燃え上がらせ、民衆勝利の歴史を開く。
 この頃、学会が、学会批判書の出版を妨害したとして、非難の集中砲火を浴びていた。学会の幹部が著者を訪ね、臆測ではなく、事実に基づいた執筆を要望したことなどが、言論弾圧とされたのである。やがて、国会を舞台にしての、学会と公明党、さらには伸一への攻撃となっていく。
 その背景には、学会の大発展、そして公明党の大躍進に危機感を抱いた、既成の宗教勢力、政治勢力の動きもあった。
 その中で学会は、1970年(昭和45年)1月、当初の目標より早く、会員750万世帯を突破する。
 伸一は、打ち続く試練の「烈風」に向かい、社会の模範となる理想的な学会をつくろうと心に期す。

「大河」の章

 1970年(昭和45年)5月3日、伸一の会長就任10周年となる本部総会が開かれる。席上、彼は、広宣流布とは“流れそれ自体”であり、“妙法の大地に展開する大文化運動”であると訴える。
 また、言論問題に触れ、学会を正しく理解してほしいとの個人の熱情が、出版を妨害されたとの誤解を招いてしまったことに謝意を表した。
 さらに、学会の組織形態について、紹介者と新入会者のつながりで構成された「タテ線」から、地域を基盤としたブロック組織の「ヨコ線」へと移行することを発表する。
 この総会をもって学会は、「大河」の時代へと入り、新しき前進を開始した。
 伸一は21世紀を見据え、若い世代の中核となる人材の育成に全力を傾ける。6月、高等部、中等部、少年・少女部の代表の研修会を開き、人材グループ「未来会」を結成する。
 9月、聖教新聞社の社屋が落成。11月8日には、第2回全国通信員大会が行われる。伸一は、聖教の幹部に“通信員と配達員こそ新聞の生命線”と訴え、自身も皆の先頭に立って、言論戦を展開しようと決意する。

聖教新聞 創刊からの主な歩み

 「大河」の章では、1970年(昭和45年)9月に行われた聖教新聞本社屋の落成式の模様がつづられている。聖教新聞は、読者、配達員、通信員、新聞長をはじめ、多くの方々の真心に支えられ、歴史を刻んできた。

聖教新聞社 発展の軌跡
①学会本部の移転に合わせて信濃町
1953年11月、学会本部が西神田から信濃町へ。聖教新聞社も市ケ谷のビルから学会本部内に移った
1953年11月、学会本部が西神田から信濃町へ。聖教新聞社市ケ谷のビルから学会本部内に移った
②本部に隣接する建物を社屋に改築
学会本部の隣接地にあった2階建ての建物。これが改装され、聖教新聞社屋となった(1957年8月)
学会本部の隣接地にあった2階建ての建物。これが改装され、聖教新聞社屋となった(1957年8月)
③創刊10周年に3階建ての社屋が完成
創刊10周年に当たる1961年の5月、新社屋が完成。日刊化への移行など、聖教は大きな飛躍を遂げていく
創刊10周年に当たる1961年の5月、新社屋が完成。日刊化への移行など、聖教は大きな飛躍を遂げていく
④近代設備を備えた建物へ
コンピューター室や電送写真室など、近代設備が備わった聖教新聞本社屋が完成(1970年9月)
コンピューター室や電送写真室など、近代設備が備わった聖教新聞本社屋が完成(1970年9月)
⑤「創価学会 世界聖教会館」がオープン
今年11月18日にオープンした「創価学会 世界聖教会館」。機関紙・誌の編集室のほか、礼拝室となる「言論会館」、展示室などが設置されている
今年11月18日にオープンした「創価学会 世界聖教会館」。機関紙・誌の編集室のほか、礼拝室となる「言論会館」、展示室などが設置されている

【挿絵】内田健一郎 【題字のイラスト】間瀬健治

〈随筆「人間革命」光あれ〉 池田大作 創価の陣列に力あり 2019年12月2日

〈随筆「人間革命」光あれ〉 池田大作 創価の陣列に力あり 2019年12月2日

  • 学会は永遠に前進! 威風堂々と

 その日その朝、私は、師から託されていた使命を胸に、遠大なる走破へ一歩を踏み出した。
 愛する沖縄の天地で、小説『人間革命』の執筆を始めたのである。
 一九六四年(昭和三十九年)の十二月。日付は恩師・戸田先生の命日である二日と決めていた。世界広宣流布の旅に出発したのも、会長就任の年、十月の二日である。
 恩師の「妙悟空」の筆名を「法悟空」として引き継いだ『人間革命』は、それ自体が師弟継承の物語といってよい。
 師の厳しくも温かな眼差しを常に感じながら、先生ならどうされるかを常に問いながら、ペンの闘争に打って出たのだ。
 

黎明は沖縄から

 五十五年前、沖縄本部の小さな和室の文机で書き起こした「黎明」の章は、沖縄の宝友たちとの共戦譜そのものである。
 前夜の地区部長会では「国土世間を変えゆく要諦は、人間革命にある。必ず沖縄を、平和と繁栄の、模範の社会に!」と語り合った。
 戦争で両親を亡くした青年部の友には、恩師の和歌を書き贈った。
 「辛くとも 
   歎くな友よ
    明日の日に
   広宣流布
    楽土をぞみん」
 
 最初の原稿を書き上げた午後には、学生部の友と固い握手を交わした。その英才たちが中核となって、十年後、青年部の反戦出版の第一弾となる『打ち砕かれしうるま島』を発刊してくれたのである。
 共戦の五十五年の歳月、大誠実の沖縄家族は一人ひとりが自らの人間革命に挑みながら、人類の希望と光る楽土の建設へ、「命をかけて ひと筋に」走り続けてくれた。
 明年は、沖縄支部の結成六十周年でもある。今再び沖縄から、広宣流布立正安国の新たな「黎明」が世界へ広がりゆくことを、私は強盛に祈ってやまない。
 

人材を育む祈り
紅(くれない)燃ゆる紅葉が大地から噴き上がるように――我らも情熱の炎を燃やし、新たな年へ!(1998年11月、池田先生撮影。京都で)
紅(くれない)燃ゆる紅葉が大地から噴き上がるように――我らも情熱の炎を燃やし、新たな年へ!(1998年11月、池田先生撮影。京都で)

 創立九十周年へ、わが同志は今、威風堂々の大前進を開始している。
 「先駆」の大九州も、「常勝」の大関西も、意気と歓喜にみなぎる美事な総会であった。
 日本全国いずこでも、新進気鋭のリーダーが誕生し、百戦錬磨の先輩と共に、御本仏から任された「其の国の仏法」(御書一四六七ページ)のために奮闘している。頼もしい限りだ。
 最晩年、「もう何もいらない。ただ人材が欲しい」と語られていた戸田先生がどんなに喜ばれているか。
 戸田先生が線を引き、二重丸を付して大切にされていた有名な御聖訓がある。
 「妙法蓮華経の五字・末法の始に一閻浮提にひろまらせ給うべき瑞相に日蓮さきがけ(魁)したり、わたうども(和党共)二陣三陣つづきて迦葉・阿難にも勝ぐれ天台・伝教にもこへよかし」(同九一〇ページ)
 先生は、この仰せのままに、殉教の先師・牧口先生の心を継ぎ、戦後の荒野に、ただ一人立たれたのである。
 そして二陣三陣と続く地涌の若人を呼び出し、薫陶された。魂の炎をつなぐ師弟の共戦と後継なくして、一閻浮提広宣流布の実現はないからだ。
 明「前進・人材の年」は、まさに、この共戦・後継に焦点がある。
 

誓いの後継よ 二陣三陣と立ち上がれ
広布とは「人間勝利の花」「平和と文化の華」を咲かせゆく前進! 香り高き菊花に囲まれて(1997年11月、山梨教学研修センターで)
広布とは「人間勝利の花」「平和と文化の華」を咲かせゆく前進! 香り高き菊花に囲まれて(1997年11月、山梨教学研修センターで)

 日蓮大聖人は、四条金吾への手紙に、「殿の御事をば・ひまなく法華経・釈迦仏・日天に申すなり其の故は法華経の命を継ぐ人なればと思うなり」(同一一六九ページ)と綴られた。
 御自分のことよりも、わが直弟子こそ「法華経の命を継ぐ人」であり、何よりも大事な存在であると、勝利を祈り、励まし抜かれた大慈大悲が拝されてならない。
 後輩を自分以上の人材に、そして二陣三陣と続く後継の友の道を、広々と開いてみせる――この深き祈りと励ましが人材を育むのである。
 そのためには、まず、先輩やリーダーが自ら労苦の汗を流すことだ。人びとに尽くし、勇気と希望を広げる人材の手本を自分が示す以外にない。生まれ変わった決意で、自身の人間革命に挑戦しゆくのだ。
 「月月・日日につよ(強)り給へ」(御書一一九〇ページ)と仰せのように、惰性を排し、朗々たる題目の師子吼で魔を打ち破って、一日一日、生き生きと前進することだ。
 「創造的な活動によって、人は自分自身に新しい命を授ける」――これは、ナチスの暴虐に苦しむ祖国ポーランドのために戦った音楽家パデレフスキの言葉である。
 学会は「価値創造」の団体である。創価の師弟は、この濁世にあって、何があろうとも、平和と幸福の価値を無限に創造しゆく使命を担って、ここに雲集しているのだ。
 

生命は響き合う

 十一月十八日、創立のその日に開催された本部幹部会は、“世界民衆平和会議”というべきSGI総会でもあった。
 それこそ「万里の波濤」を越えるような求道の熱い心で集い来られたのは、世界六十五カ国・地域、二百八十人の地涌の指導者である。
 「道のとを(遠)きに心ざしのあらわるるにや」(御書一二二三ページ)と賞讃された御本仏のお心を拝するにつけ、同志の尊き「心ざし」の陰徳陽報は厳然たり、と確信してやまない。
 総会の前日、世界の友は、台風・大雨の被災等を乗り越えてきた関東五県の三十二会場に走って、交流交歓会に臨んだ。
 “地球家族”のザダンカイには、多数の友人も参加され、南無妙法蓮華経の題目が“世界の共通語”になっていることや、海外メンバーの明るさや信仰体験に大きな感動の輪が広がった。
 世界の友と日本の友の信心の息吹が力強く響き合って、「随喜する声を聞いて随喜し」(同一一九九ページ)という大歓喜の連鎖が起こったのだ。まさに人間と人間、魂と魂の生き生きとした結縁と触発こそ、広宣流布の源泉といってよい。師弟の絆、同志の団結の不変の力がここにある。
 
 戸田先生とご一緒に迎えた最後の創立記念日に、私は書き留めた。
 「先生の力で、われらはこれまで育つ。
 先生の力で、妙法の境涯を開く。
 先生の力で、われらの力は発揮できた。
 先生の師恩は、山よりも高し。海よりも深し。
 忘れじ、われは。偉大なる師の歴史を世界に示さん。誓う、堅く」――
 この不二の縁で結ばれた後継の陣列によって、世界広布の大道はいやまして開かれていくのだ。
 

種を蒔く人の歌

 災害が打ち続いた本年、農漁光部の方々のご苦労が痛いほど偲ばれてならない。「変毒為薬」されゆくことを祈念し、題目を送らせていただく日々である。
 豊かな実りの陰には、大地を耕し、種を蒔いた人の苦闘が必ずある。
 長年、親交を結んだキルギス共和国出身の文豪アイトマートフ氏は、祖国の古謡「種蒔く人」を深く愛されていた。
 創価学園生に温かな励ましを送られた際にも、この古謡を朗誦された。
 「蒔かれた種に心ゆくまで水をやり……一粒の種が千粒の実をつけますように」――と。
 炎天をものともせず、農作業に励む尊さを謳い上げた一節を通し、「種蒔く人の祈り」を強調したのだ。とともに氏は、後悔なき人生の根本を、こうも示していた。
 「自分がだれで、どこから来たのかを忘れないこと、打算も理由もなしに無条件に自分を愛し、育ててくれた人々への感謝を忘れないこと」と。
 創価の多宝の父たち母たちは、同志に会う際、祈り抜いて臨んできた。その真剣な心に「ここまで自分のことを思ってくれていたのか」と多くの後輩が立ち上がり、広布の闘士に育ったのだ。
 いつの時代も、人材の育成に近道はない。だが友の可能性を信じ、大確信で向き合えば、時間はかかろうとも、必ず成長の姿で応えてくれる。
 素晴らしい伝統となった未来部の「E―1グランプリ」も、実に多くの方々の祈りと真心の結晶である。晴れ舞台に立った未来部の友は笑顔で語った。「応援してくださった同志の皆さんの祈りのおかげなんです」と。
 今回、多くの未来部員とその友が、挑戦してくれた。伸びゆく世界市民たちは、何と凜々しく、何と心豊かに、何と聡明に育ってくれていることだろうか!
 この尊き心の大地に、私たちはさらに希望の励ましを注いでいきたい。
 

勇気を! どんな壁も必ず破れる!
挑戦し突破せよ
2009年12月――冷戦終結20周年の節に、ゴルバチョフ元ソ連大統領を歓迎。10度目の語らいは、青年への期待に満ちて(都内で)
2009年12月――冷戦終結20周年の節に、ゴルバチョフソ連大統領を歓迎。10度目の語らいは、青年への期待に満ちて(都内で)

 嬉しいことに今、世界の青年たちが小説『新・人間革命』を学んでくれている。それは、さながら師弟の心の対話である。
 欧州でも「『新・人間革命』世代よ 光り輝け!」を合言葉に、連帯を広げている。
 本年十一月は、あの「ベルリンの壁」の崩壊から三十年――。
 私は、十年前(二〇〇九年)の師走、冷戦終結の立役者ゴルバチョフ氏と語り合った。
 「今再び、『どんな壁も必ず打ち破れるのだ』という勇気を、共に世界の青年に贈りたい」と。
 人生も、社会も、常に「壁」との戦いである。
 しかし、行く手を阻む壁を一つ一つ突破しゆくことが、青春の挑戦であり、本懐である。そして「地球民族主義」のビジョンをもって、世界を分断するいかなる壁も、悠然と越えていくのだ。
 一人の「人間革命」から人類の「宿命転換」へ――この大いなる主題を誇り高く掲げ、わが創価世界市民よ、誓いの後継たちよ、地涌の使命の炎を燃やし、走りゆこうではないか!
 
(随時、掲載いたします)
 

<引用文献>パデレフスキの言葉は『闘うピアニスト パデレフスキ自伝㊦』湯浅玲子訳(ハンナ)。

元品の法性は梵天・帝釈等と顕われ元品の無明は第六天の魔王と顕われたり

 今回の「心大歓喜――紙上講義で学ぼう」には、久保中国教学部長が登場。「治病大小権実違目(治病抄)」の御文を拝し、恒久平和の実現へ、生命尊厳の哲学を社会の柱にしていく、創価の精神闘争について、つづってもらいます。
 

= 御文 =

 元品の法性は梵天・帝釈等と顕われ元品の無明第六天の魔王と顕われたり
 (治病大小権実違目、997ページ7行目~8行目)

= 通解 =

 (生命に本来具わっている)「元品の法性」は、梵天・帝釈などの諸天善神として顕れ、(本来具わっている)「元品の無明」は、第六天の魔王として顕れるのである。
 

「人間革命」の連帯広げ
生命尊厳を社会の柱に

 11月は、広島にとって、師弟の平和闘争の魂が赤々と燃える月です。
 
 あの歴史的な「原水爆禁止宣言」から2カ月後の1957年(昭和32年)11月、体調を崩された戸田先生は、命懸けで広島訪問を断行しようとされました。しかし、病状は思わしくなく、断念せざるをえませんでした。
 恩師の思いを胸に、平和への戦いを起こした池田先生は、75年(同50年)11月、広島を訪れ、原爆死没者慰霊碑に祈りをささげられました。
 
 この師弟の峻厳なる平和闘争を受け継ぎ、さらに世界へと広げるのが、広島で生まれ育った被爆2世である私自身の使命と定め、青年時代から平和運動に邁進してきました。うれしいことに中国方面には、平和の闘争を継ぐ、青年の人材山脈がそびえています。
 
 

核兵器と戦争の惨禍を伝え、平和への誓いを広げる世界遺産の「原爆ドーム」。池田先生は、1993年(平成5年)8月6日、広島に原爆が投下された「原爆の日」に、小説『新・人間革命』の執筆を開始し、冒頭で平和闘争の宣言となる一節をつづった。「平和ほど、尊きものはない。平和ほど、幸福なものはない。平和こそ、人類の進むべき、根本の第一歩であらねばならない」(写真:PIXTA)
核兵器と戦争の惨禍を伝え、平和への誓いを広げる世界遺産の「原爆ドーム」。池田先生は、1993年(平成5年)8月6日、広島に原爆が投下された「原爆の日」に、小説『新・人間革命』の執筆を開始し、冒頭で平和闘争の宣言となる一節をつづった。「平和ほど、尊きものはない。平和ほど、幸福なものはない。平和こそ、人類の進むべき、根本の第一歩であらねばならない」(写真:PIXTA)

 今回拝する「治病大小権実違目」の御文は、一人一人の生命の変革によって、災難をとどめる道理を示されている箇所です。つまり、平和は一人の「人間革命」から始まるのです。
 
 仏法では、善も悪も、一人の生命に厳然と具わっていると教えています。
 その上で、善性である「元品の法性」は諸天善神の働き、悪性である「元品の無明」は「第六天の魔王」の働きとなって顕れると仰せです。
 
 「元品の無明」とは、生命に具わる根本的無知、迷いのことですが、その根底は、生命の尊厳が信じられないということです。それは、他者だけでなく、自身の生命の軽視でもあります。
 
 この視座から見れば、「第六天の魔王」は、支配欲・権力欲・国家悪等として働き、顕れます。人類を何度も亡ぼすほどの膨大な数の核兵器を頂点とする軍事・軍需体系は、その権化です。他者の生命を奪う戦争もそうです。ゆえに、戸田先生が、核兵器をサタン(悪魔)の産物と言われたのです。
 
 核兵器は、人間が生み出したのであるならば、人々の生命を変革し、善の連帯を広げることで、核兵器廃絶も、恒久平和も現実にできるはずです。
 “核兵器なんて私には関係ない”と思う人もいるでしょう。しかし、仏法では、善悪一如と説きます。自分の中に善も悪も具わっていると洞察するならば、誰もが当事者なのです。
 
 

 大学1年の時、アジアからの留学生との交流で、「日本も加害者」と認識されていることにがくぜんとしました。被害者意識だけでは、狭小な運動になりかねないことを知ったのです。平和を前進させるには、互いを良く知り、相手の立場を尊重しながら、理解を広げていかねばなりません。
 
 また、大学2年の時、学会の反戦出版の一つとして、被爆証言集が発刊されました。そこに、母の証言が収録されました。折々に聞いていましたが、まとまった形で読んだ時、母の平和への思いが胸に迫ってきました。
 
 今も新たに、証言される方々がおられます。それは、家族も含め、偏見や差別との戦いの始まりです。その覚悟に、思いを馳せなければなりません。
 “二度とこの苦しみを、誰にも味わわせたくない”との、切なる願いが、重い心の扉を開いたのです。
 
 

学会が取り組んできた反戦出版
学会が取り組んできた反戦出版

 学会は、これまで反戦出版をはじめ、核廃絶を訴える展示や署名を行ってきました。広島では、青年部主催の「平和のための広島学講座」を30年にわたって開催してきました。私も、毎週、内外の人たちに、新聞各紙の切り抜きなどの平和情報を発信し続けています。
 
 日蓮大聖人は、「同居穢土を・とられじ・うばはんと・あらそう」(御書1224ページ)と仰せです。現実の魔性との闘争の中で、一人一人の人間の善性を呼び覚ます対話を続けていくしかないのです。
 
 池田先生は、創価学会の社会的貢献に関して、主師親の三徳になぞらえ、次のように教えてくださいました。
 「生命の尊厳を護る『主の徳』を目指すのは、平和の貢献です。青年を正しく導く『師の徳』を体現するのが、人間教育です。人類の心を耕し、結び合う『親の徳』は、文化の交流です」(『御書と師弟』第3巻)
 学会の平和運動は、憎悪や偏見などが渦巻く現代社会にあって、厳然とそびえ立つ平和と希望の柱なのです。
 
 大聖人は「心地を九識にもち修行をば六識にせよ」(御書1506ページ)と仰せです。現実社会は、利害や思惑が複雑に絡み合っています。分断の風潮が強まる中で、どこまでも「立正安国」の理念を高く掲げながら、平和を構築していきたい。恒久平和は、決して静的なものではなく、間断なき闘争に勝ち続けてこそ可能になるのです。
 

池田先生の指針から――

 核兵器を廃絶せよ! その元凶となる生命軽視の魔性の思想を打ち破れ! 恩師の遺訓のまま我らは弛まず進む。
 それは「元品の無明」を破って「元品の法性」を開き、民衆一人一人の心に平和の砦を築く地涌の挑戦である。「生命尊厳」を地球社会の柱に打ち立てゆく精神闘争だ。
 この最極の道である「立正安国」の対話に、今日も挑みゆこう!(本年9月6日付本紙、御書と歩むⅡ――池田先生が贈る指針)
 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
 きょう9月8日は、わが師・戸田城聖先生が、学会の平和運動の永遠の原点である「原水爆禁止宣言」を、青年に託された日であります。
 “核兵器を絶対に使用させてはならない”“世界の民衆の生存の権利を断じて守らなければならない”との恩師の師子吼を、私は不二の弟子の誓いとして命に刻みつけ、行動を貫いてきました。(中略)
 
 長らく不可能と言われ続けてきた核兵器禁止条約が、2年前に国連で採択されたのであります。
 私は、広島と長崎に原爆が投下されてから75年となる明2020年のうちに、何としても核兵器禁止条約の発効を実現させたいと切望しています。
 条約の発効こそが、原水爆禁止宣言で訴えられた、核兵器を容認する思想の「奥に隠されているところの爪」をもぎ取るための不可欠の基盤になると信じてやまないからです。(本年9月10日付本紙、青年不戦サミットへのメッセージ)