フィリピンリサール協会「国際賞」授与式から 池田先生の謝辞(代読) 2018年10月22日

フィリピンリサール協会「国際賞」授与式から 池田先生の謝辞(代読) 2018年10月22日

希望と幸福の未来を青年と共に!
君よ人間革命の道を
トインビー博士「現代の脅威を取り除く力は一人一人の心の変革に」
リサール協会会長(当時)のキアンバオ氏(左端)一行を池田先生が歓迎(1998年11月、愛知で)。リサール博士を巡る2人の語らいは、『世界の文学を語る』に収められている

 一、はじめに、先月の超大型台風で犠牲になられた方々へ深い哀悼の意を表します。全ての被災者の方々にお見舞いを申し上げるとともに、一日も早い復旧と復興を心からお祈り申し上げます。
 今、私の心は大海原を越えて、懐かしいフィリピン国際会議場へ飛び、敬愛してやまない皆さま方とご一緒にあります。
 本日は、光栄にも、貴リサール協会から第1号となる「正義・平和・人道のためのリサール協会国際賞」を賜りました。
 ホセ・リサール博士のお名前を冠した顕彰は、いかなる栄誉にもまして、厳粛な未来への責任をもって拝受せねばならないと私は思っております。
 リサール博士こそ、人類史に輝き渡る平和と人道の先駆の世界市民であり、命を賭して正義の信念を貫き通した大英雄だからであります。
 この魂の宝冠を、私は、社会の模範の市民として活躍するフィリピンをはじめ、愛する世界192カ国・地域のSGIの宝友と一緒に、謹んでお受けさせていただきます。そして、リサール博士の哲学と行動を、後継の青年たちと改めて仰ぎ学びながら、三つの大いなる希望を心に刻みたいのであります。
 一、第一に、「いかなる試練も幸福へ転じゆくレジリエンス(困難を乗り越える力)の希望」であります。
 何ものにも負けない、明るく、強く、朗らかな太陽の人間性の輝きを放っていた大指導者こそ、リサール博士であります。
 友人に送った書簡に記していたように、博士の人生には、常に「過酷な不運」が立ち現れました。しかし、その一つ一つを賢く逞しく乗り越えながら、愛する家族、愛するフィリピン同胞をはじめ、世界の民衆、さらには、未来の世界市民たちの幸福の道を開いていったのであります。
 35歳という若さで殉難したリサール博士は、処刑の前夜、最愛の妹に「別れのあいさつ」と題する詩を手渡しました。そこには――「さようなら、愛する祖国、なつかしい太陽の地よ」。そして「君のために、この命を捧げよう、君のしあわせのために、この身を捧げよう」(安井祐一著『ホセ・リサールの生涯』芸林書房)と、万感胸に迫る一節が綴られておりました。
 この博士の烈々たる一念を、時を超えて継承しておられるのが、まさに貴リサール協会の先生方に他なりません。
 私たち創価学会創始者である牧口常三郎先生は、リサール博士より10年後に誕生し、博士と相通ずる「民衆の幸福」への大願に徹し抜きました。日本の軍国主義と対峙して獄死を遂げた牧口先生が示されたのも、「賢者はよろこび愚者は退く」(御書1091ページ)という不撓不屈の希望の力だったのであります。
 今、打ち続く自然災害をはじめ、人類全体が幾多の困難に直面する時代だからこそ、リサール博士が体現されていた「いかなる試練も幸福へ転じゆくレジリエンスの希望」を、いやまして広げていこうではありませんか。
 一、第二に確認し合いたいのは、「一人の生命から無窮の力を解き放つ人間革命の希望」であります。
 わが創価大学の本部棟のロビーでは、レオナルド・ダ・ビンチなどと共に、貴協会が贈ってくださったリサール博士の凜然たる胸像が学生たちを、毎日、温かく見守り、励ましてくれております。
 東洋の若きダ・ビンチとも仰がれるリサール博士は、一人の人間が、どれほど大きな可能性を発揮できるかを証明した挑戦と向学の青春だったといってよいでありましょう。
 私は、このほどライフワークである小説『人間革命』『新・人間革命』の執筆を完結させました。
 主題は「一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする」であります。
 それは、一人一人の前進や向上こそが、社会、国土の発展と繁栄につながると展望し、自ら範を示されたリサール博士の信条とも響き合っております。
 フィリピンの民衆の力に深い敬意と信頼を寄せていた大歴史学者トインビー博士は、私との対談で「人類の生存に対する現代の脅威は、人間一人一人の心の中の革命的な変革によってのみ、取り除くことができる」(『21世紀への対話』、『池田大作全集』第3巻所収)と語られていました。
 その先覚の変革者こそ、リサール博士です。
 高名な法律家であられるイバニェズ会長は、本年6月の会長就任の挨拶で、「偉大な社会の変革というものは、言葉と行動の両方によって成し遂げられるものである」と訴えられました。
 リサール博士という希有のモデルに学びながら、まさに「言葉と行動」の両輪で「人間革命」即「社会の変革」を推し進めたいと思うのであります。
 一、第三に申し上げたいのは、「あらゆる差異を超えて人類を結び合う大連帯の希望」であります。
 私は、無二の親友であるキアンバオ博士をはじめ、貴協会の先生方と、リサール博士を巡って語らいを重ね、世界の青年たちと分かち合ってきました。
 なぜ貴国が、リサール博士を「フィリピン第一の民族英雄」と讃えるのか。キアンバオ博士は、それは、フィリピンの民衆が「平和」を愛するからであると明快に結論されました。
 まさしくリサール博士こそ、平和を愛する民衆が生んだ平和の大英雄であります。
 キアンバオ博士が鋭く指摘されたように、リサール博士の思想の根底には、民衆への深い愛情と「人類は一体である」との崇高な人間主義が漲っております。
 ここに、21世紀の青年に厳然と託し伝えていくべき世界市民の真髄があるといってよいでありましょう。
 私たちもまた、尊敬する貴協会の諸先生方と共に手を携え、あらゆる差異を超えて人類を結び合う新たな「リサール精神の大連帯」を創り開きゆくことを、ここに固くお誓い申し上げます。
 一、結びに、世界市民の希望の都たるフィリピン共和国の永遠無窮の栄光と、貴協会の益々の発展、そして本日、ご臨席を賜りました皆さま方の更なるご健勝とご多幸を心よりお祈り申し上げ、私の御礼とさせていただきます。
 マラミン・サラマッポ!(フィリピノ語で「誠にありがとうございました!」)(大拍手) 

〈池田先生と共に 新時代を進む〉32 2018年10月21日

〈池田先生と共に 新時代を進む〉32 2018年10月21日

君よ忘るな勝利の絆を
 

 若人の歌声が響くところ生命の躍動は広がる。私も、学会歌のCDに耳を傾けない日は一日としてない。
 先日の中国総会では、心凜々しき鳳雛たちが未来部歌「正義の走者」をスクラム組んで歌ってくれた。
 歌詞に刻んだ『走れメロス』の物語は、「友と友の間の信実は、この世で一ばん誇るべき宝」と描いている。
 それは、人の善意を信じられない悪王の心さえ変えた。
 この最極の信実で結ばれ、正義を勝ち開きゆく奇跡の連帯が、創価である。
 心が通う人間主義の花の輪に皆が加わっていく時、平和の行進が始まる。
 未来部の「E―1グランプリ」でも、メロスたちが登場し、語学を磨き世界市民の友情を育んでいる。何と楽しみな「正義の走者」の成長か!
 ― ◇ ― 
 戸田先生は語られた。
 「青年の一番の財産は信頼だよ」と。
 信じ合える友がいる。友の信頼に応えゆく青春である。ここに無上の誇りがある。
 釈尊は、善き友を持ち、善き友と進むことは、仏道の全てであると明かした。
 錦秋の列島で、聡明な女子部の友が、希望と幸福の哲学を語る姿は清々しい。
 各地の大学祭では、母校愛みなぎる学生部の俊英が友情の光彩を広げる。
 そして、逆境もチャンスに変えゆく男子部の師子の陣列は、頼もしい限りだ。
 今日(21日)は、敢闘精神に燃える関東で、全国男子部幹部会が行われる。
 創価の若き人材群の拡大は、そのまま社会の希望と安全と活力の拡大である。
 ― ◇ ― 
 日蓮大聖人は、「師子吼」の意義を「師弟共に唱うる所の音声なり」(御書748ページ)と教えてくださった。
 「師弟不二」の心、「異体同心」の団結で、広宣流布誓願して唱える題目こそが、最強無敵の師子吼なのである。
 妙法と共に、師と共に、同志と共に――そう決めた生命には、恐れるものはない。いかなる試練も、必ずや変毒為薬できる。ここにこそ、絶対勝利の絆があるのだ。
 ― ◇ ― 
 我ら創価家族のスクラムの中心に輝くのは、太陽の婦人部の皆さん方である。
 思えば、40年前の今日、東京・板橋での本部幹部会で、婦人部歌「母の曲」を贈らせていただいた。
 「あの人照らせ この人も」との母たちの励ましの陽光あればこそ、学会は明るく温かい。
 「ああ悲しみも いざ越えて」との母たちのけなげな祈りがあればこそ、広布は限りなく前進できる。
 さあ創立の秋、学会歌を声高らかに轟かせながら、勇猛精進しよう!

 ※「友と友の間の……」の言葉は、太宰治著『走れメロス』角川文庫を引用。

〈御書池田大学運動のために 池田華陽会御書30編に学ぶ 女子部教学室〉 報恩抄㊤ 2018年10月16日

〈御書池田大学運動のために 池田華陽会御書30編に学ぶ 女子部教学室〉 報恩抄㊤ 2018年10月16日

広布拡大こそ師恩に報いる道
感謝を胸に誓願の実践を
先月16日に開催された兵庫女子部の大会。“御書根本の青春”を歩み、人生の礎を堅固に(兵庫池田文化会館で)

 今月から2回にわたり、「報恩抄」を学びます。
 池田先生は、つづっています。
 「報恩は誓願を生みます。報恩は行動を生みます。報恩は勇気を生みます。報恩は勝利を生みます。報恩に徹する人は、自身の生命を最高に磨き、境涯を最大に勝ち光らせることができるのです」
 仏法における真の「報恩」について学び、いよいよ迎える広宣流布大誓堂完成5周年へ、勝利の誓いも新たに前進していきましょう。(拝読範囲は、御書293ページ冒頭~310ページ2行目「云云」です)

本抄について

 本抄は、旧師・道善房の逝去の報を聞かれた日蓮大聖人が、建治2年(1276年)7月、身延で認められた御書です。修学時代の兄弟子であった、浄顕房と義浄房に送られました。
 道善房は、大聖人が安房国(千葉県南部)清澄寺で仏教を学んだ若き日、師匠となった人物です。大聖人は、その恩に報いるため、浄顕房と義浄房に、本抄を道善房の墓前で読むよう伝言を添え、託されました。
 本抄で大聖人は、師恩に報いるために、御自身の求道と弘教の御生涯を示されます。そして、「三大秘法の南無妙法蓮華経」の無量の功徳を明かされ、人類の未来を救う道を開いたことを宣言されます。

御文

 夫れ老狐は塚をあとにせず白亀は毛宝が恩をほうず畜生すらかくのごとしいわうや人倫をや、されば古への賢者予譲といゐし者は剣をのみて智伯が恩にあてこう演と申せし臣下は腹をさひて衛の懿公が肝を入れたり、いかにいわうや仏教をならはん者父母・師匠・国恩をわするべしや、此の大恩をほうぜんには必ず仏法をならひきはめ智者とならで叶うべきか(御書293ページ1行目~4行目)

通解

 そもそも、狐は決して生まれた古塚を忘れず、また白亀は毛宝の恩に報いたという。畜生ですらこのように恩を知っている。まして人間においてはなおさらである。
 ゆえに昔、予譲という賢人は、智伯の恩に報いようとして剣に伏して死んだという。また衛の弘演という臣下は、自分の腹を割き、懿公の肝を入れたという。ましてや、仏法を学ぼうとするものが、どうして父母の恩、師匠の恩、国土や社会の恩を忘れてよいだろうか。
 この大恩に報いるには、仏法を学び究めて、智慧のある人となってはじめて可能となるのではないか。

解説

 掲げた御文の冒頭で日蓮大聖人は、恩を知り、恩に報いた動物の説話と、命懸けで主君の恩に報いた中国古代の賢人の故事を引き、最高の人間の道を実践する仏法者であればなおさら、父母や師匠、国土・社会の恩に報いるべきであると仰せです。
 「報恩」といっても、特別なことではありません。
 すなわち、今の自分があるのは、誰のおかげなのか。その恩を知り、感謝の心を持って、今度は自分が人に尽くすことで返していく――。これが、仏法における知恩・報恩の生き方です。
 本抄で大聖人は、特に「師匠の恩」を重視されています。
 大聖人の修学時代の師・道善房は、最後まで念仏への執着が捨てられず、大聖人が迫害にあった時も守ることができなかった人物でした。
 それでも大聖人は、若き日、最初に仏法を教えてくれた恩ある師匠として大切にされ、逝去の報を聞かれるや、追善と報恩のために、本抄を書き留められました。
 本抄の結論部分では、大聖人の妙法流布の功徳はすべて、師である道善房に集まるとまで仰せです。どこまでも「師恩」に報いる生き方を、自らのお姿で示してくださったのです。報恩の振る舞いにこそ、仏法の真髄があると拝することができます。
 私たちにとって、師恩に報いる実践とは、何でしょうか。
 60年前、戸田先生の逝去の翌日に、池田先生は「報恩抄」の一節を拝し、語りました。
 「戸田先生の師恩に報いる道は、ただ一つ、先生が命を賭けてこられた広宣流布に邁進し、『先生、このように広布を進めました』と報告できる見事な闘争を展開する以外には、断じてありません」
 師の心をわが心として、目の前の友の幸福を祈り、仏法を語り広げる日々の中に、最高の報恩の道があります。
 小説『新・人間革命』が完結を迎えた今、私たち一人一人が「11・18」を目指し、報恩の誓いに燃え、人間革命のスクラムを広げていきましょう。

池田先生の講義から

 私たちが今、こうして幸福な人生を歩めるのも妙法のおかげです。また仏法を教えてくれた創価学会のおかげで、人間革命と宿命転換の最極の生き方を貫くことができます。
 そして、この報恩の一念と実践があれば、功徳も福徳も莫大に、いや増していくのです。(『わが愛する青年に贈る』)
 ◇ ◆ ◇ 
 広宣流布の正しき師匠とめぐりあい、人間革命と宿命転換のドラマを幾重にも織り成していく人生が、いかに気高く、またいかに尊いか。私たちは無上の人生劇を築いているのです。
 師匠はどこまでも弟子の成長を願う。
 弟子はどこまでも師匠への報恩を誓う。
 師弟は人間の魂の交響の極致です。
 大聖人は、この師弟の大道を教えられました。(中略)
 師弟に徹するなかで、人間のための宗教である仏法は、不滅の輝きを放っていきます。最高の人の振る舞いである師弟の生き方が、青年を照らし、人類の境涯を高め導いていくのです。(2016年12月号「大白蓮華」掲載の「世界を照らす太陽の仏法」)

研さんのために

 ○…『わが愛する青年に贈る』(聖教新聞社
 ○…2016年12月号「大白蓮華」掲載の「世界を照らす太陽の仏法」(同)
 ○…『希望の経典「御書」に学ぶ』第3巻(同)

〈座談会 師弟誓願の大行進〉68 10月24日――結成45周年の社会部 誓いの題目で桜梅桃李の勝利劇 2018年10月18日

〈座談会 師弟誓願の大行進〉68 10月24日――結成45周年の社会部 誓いの題目で桜梅桃李の勝利劇 2018年10月18日

会場提供者に心から感謝
〈出席者〉
原田会長
伊藤社会部長
田代社会部女性部長
志賀男子部長
大串女子部長
なくてはならない存在に!――激動の時代にあって、法華経の兵法を根本に、明るく粘り強く、職場の第一人者を目指す社会部の友(4月、埼玉文化会館での総埼玉社会部の集い)

 大串 「広宣流布大誓堂」完成5周年の「11・18」まで1カ月。各地では現在、座談会がたけなわです。

 原田 ここで、あらためて、会場を提供してくださる全ての皆さまと、その家族の方々に、心からの感謝を申し上げます。いつも、本当に、ありがとうございます。

 志賀 常に確認していることですが、会場の使用に当たっては、「ルールを守る」ことが大原則です。使用時間の厳守や、清掃などを心掛けていきましょう。また、駐車や駐輪で迷惑を掛けないなど、近隣への配慮も忘れてはなりません。

 原田 会場を使わせてもらうことは、決して当たり前ではありません。私たちは、常に感謝の心で、誠実な行動を貫き、皆がすがすがしく前進できる座談会にしていきましょう。

ピンチはチャンス

 志賀 さて、1973年(昭和48年)10月24日に結成された「社会部」は本年、45周年の佳節を迎えます。

 伊藤 勇躍、“創価勝利の年”へ出発する今こそ、“職場で、さらなる実証を示そう! 人間革命の大光で、職場を照らそう!”と、全国の社会部の皆さんが決意を深くしています。

 田代 この時に当たり、大変にうれしいことに、待望の社会部指導集が12月中旬に発刊されます。

 伊藤 タイトルは、『社会で光る 「桜梅桃李」の勝利劇を』。小説『新・人間革命』や「随筆」など、これまで、池田先生が社会部の友らに贈った指針がまとめられています。

 原田 社会部員の方はもちろん、「社会で働く全ての人」にとって、「信心即生活」「仏法即社会」の重要な指針が収められた指導集となっています。

 伊藤 今、社会部の皆さんを取り巻く状況は、決して全てが順風なわけではありません。職場の人間関係や転職の悩みなど、乗り越えなければならない壁も、たくさんあります。

 原田 その中、「御みやづかいを法華経とをぼしめせ」(御書1295ページ)の御文を胸に、歯を食いしばっておられます。各地に行っても、素晴らしい実証を示されている社会部の方に、大勢出会います。

 田代 私は今、そうした、お一人お一人と懇談をしています。皆さん、仕事、家事、子育てや、学会活動など、目まぐるしい毎日を全力で生きています。師弟の原点を胸に、広布の誓いに燃え、社会で奮闘する様子を聞き、目頭が熱くなります。こうした方々が“新しい広布拡大の大切な人材”であると深く感じます。

 志賀 そうした苦労を誰よりも分かっているからこそ、先生は、社会部の会合の多くに、伝言やメッセージなどの激励を送ってくださるのだと思います。

 大串 先日も、先生は、「御書と歩むⅡ」の中で、「朗々たる唱題で、生命力と智慧を涌現させ、大誠実の『人の振舞』」で日々を勝ち開こうと、社会部の皆さんに呼び掛けられました。

 田代 昨年、東京のあるグループの総会が行われた日のことです。先生は当日の午前中、その会社の前を車で通られ、社屋を写真に収められました。夜に行われた総会では、その写真が紹介され、皆が歓喜に沸いていました。

 大串 こうした先生の励ましの行動は、その会社の社会部の方々だけでなく、全ての社会部の皆さまにとって、大きな喜びと励みになったことと思います。

 原田 先生は常々、言われています。「大変であればあるほど、断じて打開してみせると、誓願の題目を勇敢に唱えて、わが使命の舞台で、『仏法即社会』そして『仏法勝負』の旗を堂々と打ち立てていってください」と。

 伊藤 ピンチはチャンスです。信心をしている私たちに、乗り越えられない壁はありません。大切なのは、日々の唱題です。祈り切る姿勢です。特に朝の勤行・唱題こそ、全てを勝利する原動力となります。

決然と「一人立つ」

 田代 現在、社会部員による信仰体験を披露する場を設けようと、各地で取り組みを進めています。特に北海道では、今年も20を超える地域で体験談大会を開催する予定です。

 大串 「仕事」という、多くの方が悩みに直面するテーマだからこそ、反響が大きいのですね。

 伊藤 社会部員の多くの方が、心に刻む学会指導は、「信心は一人前、仕事は三人前」です。

 原田 仕事に取り組む根本の姿勢を簡潔に示された、この言葉の意味を、池田先生が、かつて教えてくださったことがあります。

 志賀 はい。先生は、「『一人前』の仕事でよしとすれば、自分に与えられた仕事だけをこなせばよいという無責任な“雇われ根性”になりかねない」と危惧され、三つの姿勢を示されています。

 原田 「自分だけでなく、周囲にも目を配り、皆の仕事がうまくいくように心を砕く」「後輩を育て上げる」「全体観に立ち、未来を見据え、仕事の革新と向上に取り組む」――こうした仕事への姿勢こそ、「三人前」の意味ではないかと言われました。

 田代 その際、「一人前の信心」とは、広宣流布をわが使命と定め、決然と「一人立つ」ことだとも教えてくださっています。

 原田 先日、日本を代表する大企業のトップの方が述べていました。「わが社でも、学会のメンバーが、はつらつと活躍しています。厳しい現実社会の中で、前向きに生きているのは、『人生の師匠』と出会ったからこそなんでしょう」と。さあ、日々、人間革命に挑戦し、その人格の輝きで、周囲に信頼と希望を送る、「桜梅桃李の勝利劇」を、さらに一段と、つづっていこうではありませんか。

世界広布新時代第38回本部幹部会 中国総会から(活動体験) 2018年10月16日

世界広布新時代第38回本部幹部会 中国総会から(活動体験) 2018年10月16日

広島 呉東平和圏・川尻支部
平谷邦子 婦人部副本部長(支部婦人部長)
父の心を継ぎ地域に尽くす
2011年の正月、父・原本格(いたる)さん(2列目の左から3人目)のもとに集い、広布への決意を新たにする平谷さん一家(呉市の原本栄光会館で)

 一、私は4人姉妹の長女として、現在の呉市川尻町で生まれ育ちました。
 呉の名産であるヤスリ職人だった父が、友人から折伏を受けたのは1963年のことです。病弱だった妹が見る見る元気になっていく姿に確信をつかみ、それからは学会一筋。あらゆる広布の活動に、喜び勇んで取り組んでいました。
 温厚ながら職人かたぎで、一度、決めたら、とことんやり抜く父が、自宅の隣に広布の会場を建てると決意を口にしたのは77年。半年後には、鉄筋造りの「原本栄光会館」が完成しました。
 不景気で全く仕事がないような時期もありましたが、この会館を守るため、父は題目をあげては一本のヤスリに丹精を込め、地道に信頼を広げてきました。
 そんな父を見て育った私たち姉妹も学会の庭で育ち、私は関西創価学園創価大学で学び、創立者・池田先生との数々の思い出を築くことができました。大学卒業後は故郷に帰って塾の講師として働き、学会活動にも全力で取り組みました。
 ある夜、女子部の先輩から、自宅の電話に日程等の急な変更を伝える連絡がありました。私は電話を切った後、つい愚痴をこぼしてしまいました。
 そんな私を見て父は一言、「どっちを向いて信心しとるんかのう」と言いました。
 誰かではない。自分と御本尊、自分と池田先生――これが父から学んだ信心の姿勢でした。
 一、女子部で走り抜いた後、創大の先輩で、地元の男子部だった夫と結婚しました。日中友好に貢献したいという夢がかない、夫は中国の工場を管理する仕事に転職。93年には、子どもを連れて香港に移り住みました。
 多くの民族が行き交う国際都市・香港で、多彩な同志と共に、世界広布の指揮を執られる池田先生を何度もお迎えできたことは、最高の思い出です。3人の子どもたちも皆、香港創価幼稚園の卒園生になりました。
 2005年、支部婦人部長として広布の最前線を走り、夫も本部長の任命を頂いた矢先、試練が待ち受けていました。夫の勤務先の工場で大きな問題が発生し、役員だった夫は、帰国を命じられかねない状況になったのです。
 必死で題目をあげました。初めは苦境から脱したい一心でしたが、唱題を続けるうち、香港の同志を全魂で励まされる先生の姿が心に浮かびました。
 香港広布のために絶対に負けるわけにはいかない。夫婦の祈りがこう変わった時、不可能と思っていた工場の再編や合理化が進み、夫は苦境を脱することができたのです(拍手)。
 香港で暮らして20年。2013年に、再び転機が訪れました。父が入院することになったのです。末期のがんでした。
 香港から父を見舞う前日、父の病室には、母と3人の妹が集まっていました。そこで父と一緒に「開目抄」の一節を暗唱したそうです。
 「我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし」(御書234ページ)――父は、小さいながらも、しっかりとした声でそらんじ、数時間後、霊山へと旅立ちました。香港から駆け付けて父の顔を見た時、信心を貫く人生の素晴らしさを父の姿から教えてもらい、不思議と悲しみより感謝が込み上げました。
 さらに葬儀に会葬してくださる方々を見て、父がどれほど地域のために尽くしてきたのかを改めて知り、地域広布への情熱を受け継ぎたいとの思いが募りました。
 夫の仕事も一区切りがつき、一人で個人会館を守っている母のためにも、夫婦で帰国を決断。2年前に故郷の呉に帰ってきました。
 一、地元に戻ったからには、地域に根差した仕事がしたいと、夫婦で社会福祉士資格の取得に挑戦。共に合格することができ、現在、夫は近隣の社会福祉協議会に勤務。私も、小・中学校のスクールソーシャルワーカーとして働いています。
 組織では1年前に、地元・川尻支部支部婦人部長の任命を頂きました。旧姓の原本で訪問・激励に回ると、何年も活動に出てこられなかった先輩がドアを開けてくれ、“お父さんにはお世話になりました”と思い出を語ってくださいます。
 7月の豪雨の際は、支部内でも約1カ月間、断水が続きましたが、こんな時こそ信仰の真価を示そうと、各部が団結して地域の方々へ励ましを送ってきました。
 皆さんの大奮闘で、わが支部もブロック2に迫る折伏を達成して、本日を迎えることができました(拍手)。
 香港で育ったわが家の子どもたちも皆、創価学園創価大学で学び、それぞれの使命の場所で頑張っています。
 3人の妹の子どもたちも全員が広布後継の人材に育ち、わが家と合わせて9人が、創価の学びやで成長させていただいています。
 父が言っていた通り、これからも家族全員が真っすぐに池田先生を向いて、広布のために前進していく決意です(拍手)。

〈世界広布の大道――小説「新・人間革命」に学ぶ〉 第1巻 名場面編 「開拓者」の章 2018年10月17日

〈世界広布の大道――小説「新・人間革命」に学ぶ〉 第1巻 名場面編 「開拓者」の章 2018年10月17日

肉体が限界を超えても
【挿絵】内田健一郎

 打ち合わせが終わったのは深夜だった。伸一の肉体の疲れは既に限界を超え、目まいさえ覚えた。
 しかし、バッグから便箋を取り出すと、机に向かい、ペンを走らせた。日本の同志への激励の便りであった。手紙は何通にも及んだ。
 彼は憔悴の極みにあったが、心には、恩師・戸田城聖に代わってブラジルの大地を踏み、広布の開拓のクワを振るう喜びが脈動していた。その歓喜と闘魂が、広宣流布を呼びかける、熱情の叫びとなってあふれ、ペンは便箋の上を走った。
 ある支部長には、こうつづっている。
 「今、私の心は、わが身を捨てても、戸田先生の遺志を受け継ぎ、広布の総仕上げをなそうとの思いでいっぱいです。そのために大事なのは人です、大人材です。どうか、大兄も、私とともに、最後まで勇敢に、使命の道を歩まれんことを切望いたします。
 そして、なにとぞ、私に代わって支部の全同志を心から愛し、幸福に導きゆかれんことを願うものです」
 日本の同志は、この時、伸一が、いかなる状況のなかで手紙を記していたかを、知る由もなかった。しかし、後日、それを知った友は、感涙にむせび、拳を振るわせ、共戦の誓いを新たにするのであった。人間の心を打つものは、誠実なる行動以外にない。
 (「開拓者」の章、290~291ページ)

 

 

〈世界広布の大道――小説「新・人間革命」に学ぶ〉 第1巻 名場面編 「慈光」の章 2018年10月17日

師弟貫く不屈の闘魂
【挿絵】内田健一郎

 伸一は、背広のポケットにしまった恩師・戸田城聖の写真を取り出すと、ベッドで体を休めながら、その写真をじっと見つめた。 
 彼の頭には、戸田の逝去の五カ月前の十一月十九日のことが、まざまざと蘇った。それは恩師が病に倒れる前日であった。伸一はその日、広島に赴こうとする戸田を、叱責を覚悟で止めようとした。
 恩師の衰弱は極限に達して、体はめっきりとやつれていた。更に無理を重ねれば、命にかかわることは明らかだった。
 学会本部の応接室のソファに横になっている戸田に向かい、彼は床に座って頭を下げた。
 「先生、広島行きは、この際、中止なさってください。お願いいたします。どうか、しばらくの間、ご休養なさってください」
 彼は、必死で懇願した。しかし、戸田は毅然として言った。
 「そんなことができるものか。……そうじゃないか。仏のお使いとして、一度、決めたことがやめられるか。俺は、死んでも行くぞ。
 伸一、それがまことの信心ではないか。何を勘違いしているのだ!」
 その烈々たる師の声は、今も彼の耳に響いていた。
 “あの叫びこそ、戸田先生が身をもって私に教えてくれた、広宣流布の大指導者の生き方であった”
 ブラジルは、日本とはちょうど地球の反対にあり、最も遠く離れた国である。そこで、多くの同志が待っていることを考えると、伸一は、なんとしても行かねばならないと思った。そして、皆を励まし、命ある限り戦おうと心を定めた。胸中には、戸田の弟子としての闘魂が燃え盛っていた。
 (「慈光」の章、265~266ページ)

 

〈世界広布の大道――小説「新・人間革命」に学ぶ〉 第1巻 名場面編 「錦秋」の章 2018年10月17日

会長就任「五月三日」の夜
【挿絵】内田健一郎

 伸一は、第三代会長として、一閻浮提広布への旅立ちをした、この年(一九六〇年=編集部注)の五月三日の夜、妻の峯子と語り合ったことを思い出した。 
 ――その日、夜更けて自宅に帰ると、峯子は食事のしたくをして待っていた。普段と変わらぬ質素な食卓であった。
 「今日は、会長就任のお祝いのお赤飯かと思ったら、いつもと同じだね」
 伸一が言うと、峯子は笑みを浮かべながらも、キッパリとした口調で語った。
 「今日から、わが家には主人はいなくなったと思っています。今日は山本家のお葬式ですから、お赤飯は炊いておりません」
 「確かにそうだね……」
 伸一も微笑んだ。妻の健気な言葉を聞き、彼は一瞬、不憫に思ったが、その気概が嬉しかった。それが、どれほど彼を勇気づけたか計り知れない。
 これからは子どもたちと遊んでやることも、一家の団欒も、ほとんどないにちがいない。妻にとっては、たまらなく寂しいことであるはずだ。だが、峯子は、決然として、広宣流布に生涯を捧げた会長・山本伸一の妻としての決意を披瀝して見せたのである。
 伸一は、人並みの幸福など欲しなかった。ある意味で広布の犠牲となることを喜んで選んだのである。今、妻もまた、同じ思いでいることを知って、ありがたかった。(「錦秋」の章、156~158ページ)

〈教学〉 10月度座談会拝読御書 日女御前御返事(御本尊相貌抄) 2018年10月1日

〈教学〉 10月度座談会拝読御書 日女御前御返事(御本尊相貌抄) 2018年10月1日

御書全集 1244ページ14行目~15行目
編年体御書1024ページ14行目~15行目
妙法と共に幸福と勝利の人生を
南無妙法蓮華経の唱題行で胸中に具わる仏界を現す 
 
拝読御文

 南無妙法蓮華経とばかり唱へて仏になるべき事尤も大切なり、信心の厚薄によるべきなり仏法の根本は信を以て源とす

本抄について

 本抄は建治3年(1277年)8月、日蓮大聖人が56歳の時、身延で認められ、女性門下の日女御前に送られたお手紙です。別名を「御本尊相貌抄」といい、御本尊の相貌(姿・様相)等の深義を明かしています。
 日女御前についての詳細は明らかではありません。大聖人から賜った御書は本抄を含めて2編、残っていますが、いずれも法華経について詳しく述べられていることから、法理を理解する教養があり、信心の志の厚い婦人であったことがうかがわれます。
 当時は蒙古襲来(文永の役)後の混乱期であり、人々は再度の襲来を恐れ、騒然としていました。
 そのような中、日女御前は純真な信心を貫き、大聖人から御本尊を賜ったことへの感謝を込めて御供養をお届けしたのです。
 その真心への返信である本抄では、大聖人が「法華弘通のはたじるし」(御書1243ページ)として顕されたのが御本尊であることを述べられ、御本尊は決してどこか他の場所にあるのではなく、妙法を受持し唱え抜く衆生の生命の中にこそあると教えられています。

御本尊根本

 本抄に「法華経を受け持ちて南無妙法蓮華経と唱うる即五種の修行を具足するなり」(御書1245ページ)との仰せがあります。この御文は、御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱える題目に、法華経に説かれる五種の修行が全て具足することを明かしています。
 五種の修行とは、末法に至るまでの正法・像法時代の修行法であり、法華経を「受持」(受け持つ)、「読」(読む)、「誦」(暗誦する)、「解説」(人に説く)、「書写」(書き写す)することです。
 続けて本抄では、日蓮大聖人の門下にとっての信心の肝要は、御本尊を受持して南無妙法蓮華経と唱える実践以外に求めてはならないと教えられています。
 大聖人が図顕された御本尊を唯一無二の信仰の対象として受持することが「御本尊根本」であり、これが大聖人の仏法における信心の根幹にほかなりません。「本尊」とは、「根本として尊敬(尊崇)するもの」を意味します。
 御本尊には、成仏の根源の法である南無妙法蓮華経を体得された大聖人の御生命が顕されています。「日蓮がたましひをすみにそめながして・かきて候ぞ信じさせ給へ」(同1124ページ)との仰せの通りです。
 大聖人が南無妙法蓮華経の大法を御本尊として図顕されたことにより、万人が御本尊を拝して、自らの胸中の仏界の生命を現す道が開かれました。御本尊は、凡夫である私たち自身の仏界を映し出し、現すための明鏡なのです。

「信心の厚薄」

 祈りを叶え成仏するための四つの要の力を、「四力」(=信力、行力、仏力、法力)といいます。
 「信力」とは仏法を信じる心の強さのことであり、「行力」とは教えの通りに実践する力のことです。
 「仏力」とは仏が持つ力用のこと、「法力」とは妙法に具わる広大深遠な利益のことです。強盛な信力、行力を奮い起こしていく時、偉大な仏力、法力が相応じて、功徳が現れます。
 拝読御文に「南無妙法蓮華経とばかり唱へて仏になるべき事尤も大切なり、信心の厚薄によるべきなり」とあります。
 成仏は、妙法を持つ人の信心の厚薄によるとの趣旨です。御本尊を信じる心が厚いか、薄いかで決まる。厚い信心、つまり、強盛な信心こそ、成仏の要諦なのです。
 第2代会長の戸田城聖先生は、信心の功徳について分かりやすく、次のように教えられました。
 「釣鐘を、楊枝でたたくのと、箸でたたくのと、撞木(鐘を鳴らす棒)でつくのとでは、音が違うだろう。同じ釣鐘だが、強く打てば強く響き、弱く打てば弱く響く。御本尊も同じだ。こちらの信力(信じる力)・行力(行じる力)の強弱によって、功徳に違いがあるのだよ」と。
 人生にあっても広布の活動にあっても、真剣な祈りと勇気ある行動・実践が、勝利の根本条件となるのです。

以信得入

 日蓮大聖人は「仏法の根本は信を以て源とす」と仰せです。
 「信」は、信受ともいい、教えを信じて受け入れることを意味します。
 法華経には、釈尊の弟子のなかで智慧第一といわれた舎利弗も、ただ信受することによってのみ、法華経に説かれる法理を理解できたと説かれています。
 具体的には、譬喩品第3に「汝舎利弗すら 尚此の経に於いては 信を以て入ることを得たり」(法華経197ページ)とあります。これを「以信得入」といいます。
 生命の実相、宇宙の実相を覚知した仏の偉大な智慧や境涯を自身のものとしていく道は、ただこの「信」によるしかないのです。
 本抄で大聖人は「此の御本尊も只信心の二字にをさまれり以信得入とは是なり」(御書1244ページ)と仰せです。
 私たちの拝する御本尊が、拝する人の「信心の二字」に納まっているとの意味です。
 御本尊を拝する功徳について、日寛上人は「我等この本尊を信受し、南無妙法蓮華経と唱え奉れば、我が身即ち一念三千の本尊、蓮祖聖人なり」と述べています。
 御本尊を信受して、広宣流布の実践と信心を貫けば、私たち自身の生命に御本尊が顕現し、凡夫の身のままで、胸中に大聖人と同じ仏の生命境涯を開き現すことができるのです。

池田先生の指針から “祈りとして叶わざるなし”

 無二の信心によって「生も歓喜、死も歓喜」の生死不二の絶対的幸福境涯を成就できる。ゆえに、「南無妙法蓮華経とばかり唱へて仏になるべき事尤も大切なり」と仰せです。
 仏道修行の根本目的は、御本尊に南無妙法蓮華経の題目を唱え、凡夫がその身のままに「仏になる」ことです。そして、重ねて即身成仏の要諦を「信心の厚薄によるのである」と、大聖人は示されています。
 他の御書でも、「叶ひ叶はぬは御信心により候べし全く日蓮がとがにあらず」(御書1262ページ)――あなたの願いが叶うか叶わないかは、あなたの御信心によるのです。全く日蓮のせいではありません――と仰せです。(中略)
 日寛上人は、こう述べられています。
 「暫くもこの本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うれば、則ち祈りとして叶わざるなく、罪として滅せざるなく、福として来らざるなく、理として顕れざるなきなり」(「観心本尊抄文段」)
 草創以来、多くの同志が、この一節を思い起こしては、御本尊への信心を奮い立たせてきました。わが胸中の御本尊を呼び覚まし、いかなる苦難にも絶対に負けない生命の底力を引き出してきました。“祈りとして叶わざるなしの御本尊”です。まさに、学会には信心があったから勝利したのです。(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第11巻)
 ◇ ◆ ◇ 
 「御本尊根本」の信心を教えてくださったのが、牧口先生、戸田先生です。「御本尊根本」の信心と実践は、創価学会の出現によって厳然と確立されました。ですから、創価学会は御本尊の無量の功徳力を引き出すことができたのです。わが同志は、ひたぶるな信心で、顕益、冥益の功徳の体験を積み広げてきました。
 大聖人の仰せの通りの御本尊根本の信心は、創価学会にしかありません。だから、世界広布が現実のものとなったのです。
 私たちは、どこまでも「御本尊根本」の信心で、また、「大聖人直結」「唱題根本」「御書根本」の実践で前進してまいりましょう。(同)

参考文献

 ○…『勝利の経典「御書」に学ぶ』第11巻に所収の「日女御前御返事」(聖教新聞社