伝統の2月

「伝統の2月」が幕を開ける。「2月闘争」には、青年勝利、師弟勝利の烈々たる歴史が刻まれている。今こそ「創価青年学会」の幾多の人材を輩出しゆく時である。

 広宣流布の大舞台を支える青年――その最たる模範が、名誉会長の若き日の闘争である。

 59年前の1952年(昭和27年)2月、24歳の池田青年は、戸田第2代会長の期待を一身に受けて、蒲田支部の支部幹事として、広布拡大の突破口を開く使命と責任を託される。

 戸田会長が「75万世帯」の願業を打ち立ててから約9カ月、それまで折伏は遅々として進まなかった。各支部の折伏は1カ月で100世帯が関の山、“このままでは5万年かかる”とも言われた。その中での任命、抜擢であった。

 そのころ、学会はわずか5000世帯。「75万世帯」との師匠の叫びを真剣に受け止める弟子など、ほとんどいなかった。

 池田青年は、誰よりも本気であった。必死であった。そして、指揮を執った蒲田支部は、前人未到の1カ月201世帯という結果で、拡大の金字塔を打ち立てたのである。

 勝利の波は全国の支部へと広がった。

 蒲田支部に続けとばかりに、これまでの壁を大きく打ち破る支部が続出、「2月闘争」は、師の願業達成への起爆剤となったのである。

 広布史の岐路となった「2月闘争」以来、日本中、そして世界中で、自らの地域の新たな広布の歴史を築きゆくための闘争が繰り広げられてきた。

 名誉会長は語っている。

 「広宣流布とは、正義の大波を、身近な足元から広げていくことだ。身近な友と信頼を結び、わが地域に対話の花園を広げていく。仏法の慈悲の精神を社会に生かし、展開しゆく創価学会の運動こそ、最も道理に適った『仏法即社会』の前進なのである」

 師弟に生き抜く真剣勝負の青年部。そして永遠に“青春”に生きる壮年部、婦人部。わが地域で燦然と輝く、新たな「伝統の2月」の広布史を、ともどもに綴っていきたい。

 
 万年にわたる広宣流布の未来を開く一年の幕が上がり、「青年学会 勝利の年」を勝ち飾ろうと、全国の同志は、勇んで対話に奔走している。いよいよ「伝統の2月」が始まる。

 その淵源は、1952年(昭和27年)、24歳の池田名誉会長が蒲田支部幹事として広布の指揮を執り、拡大の金字塔を打ち立てた「2月闘争」にある。

 当時、戸田城聖第2代会長が「75万世帯の弘教」を宣言してから約9カ月、折伏は遅々として進まなかった。大きな支部でも、1カ月で「100世帯が限界」という時代であった。

 名誉会長は、「先生がびっくりするような折伏の攻勢に転じてご覧にいれます」と、一人立ち上がった。弟子として「日蓮大聖人の御聖誕の月、そして戸田先生の誕生の月をお祝いしましょう!」と、蒲田支部の友に呼び掛け、日蓮仏法の根幹である「師の恩に報いる心」を勝利の原動力に、1カ月で201世帯の弘教を成し遂げたのである。

 壁を破ったこの戦いから、拡大の波動は全国へと広がり、75万世帯達成の突破口を開いたのだ。

 どのようにして壁を破ったのか――。名誉会長は、組織の最小単位である「組」(現在のブロック)に焦点を当て、「組2世帯」との明確な目標を設定。達成に向け、三つの具体的な取り組みを訴えた。

 一、祈りから始めよう

 一、近隣を大切にしよう

 一、体験を語ろう

 そして、自ら広布の最前線に飛び込み、一対一の対話に力を注ぎ、励ましを送っていった。その姿を通して、「師と共に」戦えば、自身の殻を破ることができる。「師匠のために」戦えば、本当の底力が出る――と、「師弟」に徹する一念の大切さを示していったのである。

 青年部はこの2月、学会理解の輪を広げゆく「創価青年セミナー」を各地で開催する。自身の人間革命に挑む折伏・弘教に挑戦し、勇気の対話に打って出る。皆で青年を励まし、育てていきたい。

 名誉会長は、「さあ行動開始だ。今こそ、信心で、自分自身の壁を破るのだ。広布に戦える喜びを胸に、使命の本舞台で、かつてない拡大の歴史を飾ってもらいたい」(「今日も広布へ」第2部4)と。総