クローン病と闘い17年

SEIKYO online (聖教新聞社):信仰体験(長編)

〈信仰体験〉 クローン病と闘い17年 2017年6月14日

負けない人が最後に勝つ
15回の再燃を乗り越え 介護の道で人に尽くす
高齢者と周辺を散策し、会話を弾ませる石谷さん㊧

 【北海道・余市町】「心の温かい穏やかな人」。周囲からそう慕われる石谷県一さん(38)=余市支部、県青年部長=は今、介護福祉士として社会福祉法人の高齢者施設で働く。21歳で発症したクローン病(指定難病)と闘うこと17年。「痛み、苦しみ、悔しさを経験したからこそ、少しでも入所者の方々と生きる喜びを分かち合っていけたら」。にじみ出る優しさは、苦悩の日々の中で培われた。

一縷の望み抱く

 “何だ、この痛みは……”
 2000年(平成12年)5月、自宅で突然、腹部の激痛に襲われた。嘔吐と下痢の繰り返し。緊急搬送された病院で検査すると、小腸に穴が開き、腹膜炎を起こしていた。切除した炎症部分を検査したところ、「クローン病」と告げられる。
 小腸や大腸の粘膜に、慢性の炎症や潰瘍を引き起こす疾患。症状が安定する「寛解」と、症状が悪化する「再燃」を繰り返す、原因不明の難病だった。
 「今の医学で治す方法はなく、一生付き合っていく病気」と医師。点滴による栄養療法のため絶食生活が始まった。腹痛、下血、発熱……。寝ているだけでも苦しい。管につながれ身動きが取れない自分が、惨めに思えてならなかった。
 その頃、見舞いに来てくれた友人が本紙の切り抜きを持ってきた。病を克服した信仰体験のページ。
 「祈って治るわけがない。こんなの全部“ヤラセ”だ!」
 宗教への偏見から反発はしたものの、苦難を乗り越えたという“事実”には、一縷の望みを抱かずにはいられなかった。
 3カ月後に退院するも、数日後にまた再燃。「だまされたと思って祈ってみようよ」。友人の言葉にすがるように、石谷さんは題目を唱え始める。
 2週間後、入院前に行う血液検査。ヘモグロビンの数値が正常値に戻り、入院しなくて済むことに。
 “この信仰には、何かあるのかもしれない”。翌年3月、石谷さんは自ら進んで創価学会の一員になった。

確信刻む祈り

 その後も数カ月ごとに再燃を繰り返した。一生続くかもしれない苦悩の日々。次第に弱気になっていく。
 だが同志の励ましが、その心を支えた。ある男子部の先輩は、潰瘍性大腸炎を患っていた。同じ消化管の難病。食事制限もあり、入院も経験していた。
 「薬の副作用もつらいよな……。でも、負けない人が最後に必ず勝つから」。苦しみと向き合いながら、病にひるまず同志を励ます姿。目指すべき目標が見つかった気がした。
 07年、28歳の時に長期療養を余儀なくされ、当時勤めていた運送会社を退職した。“使命を果たせる職場に”と祈り抜く中、介護士を志すように。体力を使う仕事のため、周囲からは反対もされたが、「こんな体でも、人に尽くせるのであれば、それでよかった」。
 08年、現在の社会福祉法人に就職。だが翌年、またしても激しい腹痛に襲われる。嘔吐のほか、手のしびれや脱水症状まで起こし、いつもと様子が違った。
 病院へ運ばれると、小腸に瘻孔(管状の穴)ができ、腸管同士がつながる合併症に。食べた物が詰まり、腸閉塞を起こしていた。
 医師からは「小腸の大半を切除します。栄養が十分に吸収されない短腸症候群となり、小腸機能障害になるかもしれません」と。
 不安の中で手術日を待っていると、池田先生から伝言と激励が届く。さらに地域の同志からも真心の色紙が。そこには、池田先生の言葉が記されていた。
 〈祈り――それは、あきらめない勇気だ。自分には無理だと、うなだれる惰弱さを叩き出す戦いだ。“現状は変えられる! 必ず!”。確信を命の底に刻み込む作業だ〉
 止めどなく涙があふれた。“俺には信心がある。師匠と同志がいるんだ。必ずこの信心で治して、もう一度、広布のために戦える体になってみせる!”
 術後は40度の高熱と腹痛や下痢に襲われ、体重も40キロ台にまで落ちた。それでも毎日のように御書を拝し、さらなる祈りを深めていった。「南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや」(御書1124ページ)
 栄養療法とリハビリが奏功し、1カ月半後には口から食事が取れるように。短腸症候群の症状も現れず、その半年後には、退院することができた。
 翌年春、通院中の病院にクローン病の専門医が赴任してきたことも幸いした。寛解維持率が高いとされるレミケード(生物学的製剤)を使った治療により、炎症反応を抑えられるように。8週間ごとの投与を続けて8年、以来、1度も再発は起きていない。

宿業を使命と

 職場復帰後、3年間の実務経験を経て、11年に介護福祉士の国家試験に合格。通信教育を受け、社会福祉主事の資格も取得した。
 施設には認知症や障がいのある高齢者が多い。真夜中に徘徊する人、物を投げ付けてしまう人、「誰かがいる」と、幻覚を感じながら生活する人……。
 「その一人一人の“世界”を否定したり、無理に引っ張り出そうとしたりはしません。自分もそこに飛び込んで、一緒に同苦する姿勢を貫いています」
 夜中に「家へ帰る」という人がいれば、「一緒に帰りましょう」と施設内や周辺を散歩する。趣味の話に花を咲かせ、部屋に戻った時には、「送ってくれてありがとう」と笑顔になってくれることも。
 口からご飯を食べられない入所者にも、自らの経験を語りながら苦悩を分かち合う。「あんたじゃなきゃ駄目」と、さまざまな相談や悩みを打ち明けてくれるようになった。
 「宿業とは、使命の異名」。池田先生の指針の重みが、いっそう胸に迫る日々。計15回の再燃で、何度も心が折れかけた。それでも、師匠と同志が“最後まで諦めない心”を教えてくれた。信心があったから、人生の山坂を逃げずに、ぶつかっていくことができた。
 「全ての苦労が、何ものにも代えがたい“財産”になったんです」