〈文化〉 宇宙研究を支える人間力 2018年5月4日

〈文化〉 宇宙研究を支える人間力 2018年5月4日

ピンチを生かす 「どうやったら実現するか」
的川泰宣JAXA名誉教授)
 

 ペンシルロケットの開発、日本初の人工衛星おおすみ」、ハレー彗星探査機「さきがけ」、小惑星探査機「はやぶさ」……。日本の宇宙開発を振り返ってみると綱渡りの連続です。しかも、その多くは“人の力”によって成し遂げられているのです。
 そんな、知られざるエピソード、意外な舞台裏を知ってもらいたく、近著『ニッポン宇宙開発秘史』を出版しました。そこには、世界に通用する日本人の人間力が秘められています。
 私が、ペンシルロケットを開発した糸川研究室に配属されたのは1965年。以来、宇宙科学研究所JAXA宇宙航空研究開発機構)で仕事をしながらも、糸川英夫先生からさまざまなことを学びました。
 先生の口癖は「金がないなら頭を使え」というもの。また「若い人は金がないと何もやらない。お金がなければないなりに、やることはいくらでもある」とも。
 ペンシルロケットの開発は54年に始まりました。戦後、それまでの研究成果がないなか、一から研究を始め、55年にはベビーロケット、国際地球観測年(57~58年)にはカッパロケットを60キロ上空に打ち上げることに成功。何もないところから数年で、アメリカ、ソ連、イギリスと共に“世界4強”入りを果たしたのです。
 糸川先生は、できるかどうかではなく、「どうやったら実現するか」を考えていました。そのため先生の中には、無理だからやめようという選択肢はないのです。困難にぶち当たった時にいつも思い出します。
 資金が足りないからこそ成功した、といえるミッションが「はやぶさ」です。
 当初、はやぶさに割り当てられた予算は、必要な額の4分の1。予算がなかったため、自分たちにできることは何でもやり、町工場でも作りやすいものを考え、直接、町工場に足を運んでお願いしていったのです。
 しかし、資金がない中で必死に取り組んだことが、後になって役立ちました。
 いくつかの映画にもなっているので、「はやぶさ」についてはご存じの方も多いでしょう。小惑星イトカワ」の近くまでは順調だったのですが、それ以降は次々と問題が起こりました。
 イトカワへの着地失敗、サンプル回収の不具合、帰還時には一時行方不明になり、再突入に先立つ半年前のエンジンストップ……。数え上げたら切りがないほど。
 しかし、これらの問題は、はやぶさを知り尽くしていた技術者のアイデアによって、乗り越えることができました。お金のない中で皆が必死になって作ったからこそ、気付いたらシステムを非常に熟知し、ピンチを切り抜けるアイデアも出せたのです。
 宇宙ミッションでは100%大丈夫というものは存在しません。必ず想定外のことが起きるものです。「想定外のことが絶対に起きるという想定」を常にもっておくことが大切なのです。
 鹿児島・内之浦のロケット発射場に、外国の研究者を連れて行くと、一様にびっくりされます。「何で、こんなところがきれいに磨かれているんだ」と。実は日本のロケットには、汚い部分がありません。隅から隅までピカピカになるぐらい磨き上げられているのです。
 それは、まるで日本刀のよう。匠の仕事の完璧さと似ています。そうでないと気が済まないというのも、日本人だからなのかもしれません。
 ISS(国際宇宙ステーション)の「きぼう」実験室は、最も清潔で、最も衛生的で、最も静かなモジュールといわれています。ロシアのモジュールでは、ブーンという機械音が常に聞こえているのと対照的です。
 清潔で正確、非常に折り目正しいというのは、培われてきた文化にほかなりません。匠の仕事のように、損得を超えてやりきらないと気が済まないというのも、日本の良さです。
 ところが最近では、世界標準や、グローバリゼーションという言葉がはやり、世界と同じでないと遅れていると思われるようです。
 グローバルという言葉は、本来のギリシャ語では「球」という意味。宇宙から見たときの“球のような地球”を指し、その中で幸せに暮らしていこうという言葉だと思うのです。
 宇宙開発の場でも、そんな日本の良さを生かした人材こそが、ピンチを乗り越えていけます。また、そこにこそ世界に貢献できる道があるように感じます。=談

 まとがわ・やすのり 1942年、広島県生まれ。JAXA名誉教授。横浜市の「はまぎん こども宇宙科学館」館長。宇宙研究に関する啓蒙活動から「宇宙教育の父」と称される。著書に『小惑星探査機 はやぶさ物語』『新しい宇宙のひみつQ&A』など多数。