〈虹を懸ける〉 池田先生とニュージーランド②=完 2018年5月6日

〈虹を懸ける〉 池田先生とニュージーランド②=完 2018年5月6日

誓いこそ人生勝利の力
「ご健康を祈ります」「お父さん、お母さんを大切にしてください」――青年の中に飛び込み、一人一人に励ましを送る池田先生(2002年9月、東京・信濃町で)
  

 世界で初めてエベレストの登頂を成し遂げた、ニュージーランドの登山家エドモンド・ヒラリー。彼は自伝の最後に、こうつづった。「私はまだこれからなすべき仕事があることを何よりも感謝している」(吉沢一郎訳『ヒラリー自伝』草思社
 ニュージーランドSGIの友の心もまた、師の励ましを胸に、広宣流布という“未聞の山”を登攀する喜びと感謝に輝いていた。

率先垂範の行動

 広布への情熱を燃やすジミー・ワラスさん(副オセアニア長)は「池田先生と同志の支えがあったからこそ、今の私がいます」と、ほほ笑む。
 首都ウェリントンで生まれ育った。幼い頃に両親が離婚。寂しさから、10代は自暴自棄の生活を送った。転機は20歳の時。友人に誘われ、SGIの集いに参加した。題目を唱えると、充足感と安らぎを感じ、入会した。
 1988年7月、SGI青年研修会で来日した折、池田先生との出会いが。ワラスさんと目が合うと、先生は笑顔で親指を立てた。
 ワラスさんも同じポーズをすると、先生はもう一度、親指を立て、ワラスさんにエールを送った。
 「先生の温かい表情やまなざし、振る舞いに胸が熱くなりました。先生との出会いが、私の人生を変えたのです」
 投資会社のIT部門に勤めていたワラスさん。信心を根本に社会で実証を示そうと、懸命に働き、ITインフラのスペシャリストに。大きな仕事も任されるようになった。
 学会活動にも一歩も引かずに取り組み、2000年8月、36歳でニュージーランドSGIの理事長に就いた。
 「当初、若すぎて自分はふさわしくないと思いました。でも、先生が32歳で創価学会の会長になられたことを思い出し、師と同じ心で皆に尽くそうと誓いました」
 同国では、これまでウェリントンにある国会議事堂で、“ガンジー・キング・イケダ展”(03年)や“核兵器廃絶への挑戦展”(07年)、環境展示“希望の種子展”(11年)などを開催。ワラスさんは「その陰には、先生の指導を学び、『良き市民』を目指して、社会貢献に尽力してきた同志の行動がありました」と。自身も率先垂範で、地域の発展と友の幸福を祈り、昨年8月、友人一家に弘教を実らせている。
 「池田先生から“他者に尽くすことが自身の喜びとなる”という深い人生観を学びました。生涯、師と共に広布にまい進します」

夫婦二人三脚で

 ワラスさんの後任として、14年11月に理事長に就任したイアン・ゴードンさん。「妻に折伏されて入会しました」と、流ちょうな日本語で話す。
 北部のダーガビルの出身。大学を卒業後、仕事を求め、1981年に来日。塾の英語講師として働き始めた。
 だが、人間関係や経済的な面で苦境に。そんな時、後に妻となるセツコさん(全国総合婦人部長)から「6週間、信心を真剣に頑張れば、絶対にいい方向に変わるよ」と言われた。半信半疑だったが、勤行・唱題に挑戦。「3週間で、前よりも良い条件の職に就くことができました」
 初信の功徳に確信を深めたゴードンさんは、首都圏在住で英語を話す海外メンバーの集い「東京インタナショナル・グループ(TIG)」の一員に。その後、池田先生と記念撮影の機会があった。「本当にうれしかったです。もっと先生のことを求め、学んでいこうと思いました」
 89年、一家でニュージーランドへ渡った。転居したタウランガには、まだSGIメンバーがいなかったため、車で1時間半ほどかけ、ロトルアやハミルトンへ。点在する同志のもとに足しげく通う中、座談会が毎月、開かれるようになった。
 92年、先生は新春の歌を2首詠んだ。その一つには、こうあった。
  
 願わくば
  大法輪を
   世界へと
  平和と文化の
   宮殿つくると
  
 法輪とは釈尊の説いた教えのことで、教法が輪のごとく転じ伝わって、悪を砕き、人を救っていくことを意味している。この和歌に接し、夫妻は広布への誓いを新たにした。
 地域活動にも積極的に挑戦。98年からはロトルアのグラハム・ホール市長(当時)へ、地元のメンバーと共に先生の平和行動を語ってきた。2000年9月、市議会の決定を経て、先生の名を冠した「池田・ホール平和庭園」がロトルア市内に開園。毎年、満開の桜が咲き薫り、市民の憩いの場となっている。
 二人三脚で広布の道を歩んできたゴードンさん夫妻。「これからも友情の輪を大きく広げ、平和と文化の宮殿を築いていきます」

青年との質問会

 割れんばかりの拍手が会場を包んだ。02年9月、東京・信濃町で行われた世界平和祈念の勤行会。世界50カ国・地域から200人の青年が集った。
 池田先生は会場に入るや、皆の健闘をたたえ、両手でVサインを。青年たちもVサインで返す。こぶしを握り締める青年に応え、先生もこぶしを掲げた。
 当時、ニュージーランド女子部長だったカミーラ・ブラウンさん。「先生の振る舞いから、私たちをどこまでも信頼し、期待してくださっていることが伝わってきました」と声を弾ませる。
 先生はスピーチした後、「質問はありますか?」と。次々と手が挙がった。
 ――友人を折伏するために、懸命に対話に励んでいます。「君の言うことは分かる。でも自分は、やらない」という人には、どうすればよいでしょうか(コートジボワール、男子部)。
 「『祈る』ことです。断固たる決意を込めて、御本尊に祈ることです。祈りに勝るものはありません。これは理屈ではない。祈りがなければ、何をやっても空転です。祈って、祈って、祈り通して、その上で語っていけば、必ず変わっていきます」
 ――同世代の若い友人たちに、仏法の素晴らしさを伝えていく上での、指針を教えてください(オーストラリア、女子部)。
 「自分自身の確信と体験を堂々と語り抜いていくことです。それが相手の生命に、幸福と希望の種を植えることになるのです。その種は、いつか必ず根を張り、芽を出し、花を咲かせます。それまで祈り続けて、時を待てばよいのです」
 先生の言葉を抱き締め、ブラウンさんは広布一筋に歩んだ。
 現在は、全国副婦人部長として拡大に先駆。1年間で7人に弘教を実らせたことも。昨年11月には、28年越しの対話で父親を入会に導いた。
 「広宣流布のために自身が本気になって挑戦している時、師弟の絆は、どんどん強くなっていくと感じます。大切なのは、師弟の誓願を果たすために、今日をどう行動するかなのです」
 朗らかに語る瞳には、前進への誓いが光っていた。

活躍光る新会員

 オークランドニュージーランド文化会館では平日の毎朝、自由勤行会が行われている。そこに、新会員のパラムジート・コールさん(女子地区リーダー)の姿もあった。
 インド出身。家族と離れて、ニュージーランドの大学に通っていた時、父親の病気をきっかけに入会した。15年11月のことだった。
 その後、真剣に唱題を重ねる中、父親は最善の治療が受けられ、回復へ。コールさんも、念願だった大学院博士課程への入学を果たした。現在は、情報システムの研究をしながら、大学の助手として働く。
 愛読書は、池田先生の『青春対話』。「自分の悩みに対する答えが全部、書かれていたのです。友人にも、信心の素晴らしさを伝えたいと思いました」
 “信心を求めている人に会わせてください”と祈りつつ、果敢に仏法対話に挑んだ。
 これまでインド人、スリランカ人、ネパール人など、6人の友人を入会に導いた。今、さらに7人目の友人が唱題に挑戦しているという。
 「女子部の先輩が『先生は、あなたの心にいつもいるよ』と教えてくれました。その時から“日々の唱題の中で、先生と対話しよう”と決めました。先生に誇りに思ってもらえるような弟子に成長していきたい」
 ◇ ◆ ◇ 
 ニュージーランド支部結成から36年で、26支部体制に発展している。その原動力は、“師に応えたい”という真剣な一念にあった。
 師弟は、物理的な距離ではない。信仰の年数でもない。師との誓いに生きる時、その絆は強まり、人生の勝利を開く力となる。