〈教学〉 6月度座談会拝読御書 単衣抄 2018年6月5日

〈教学〉 6月度座談会拝読御書 単衣抄 2018年6月5日

御書全集 1514ページ13行目~15行目
編年体御書799ページ13行目~15行目
仏法の魂は民衆救済の実践に
御自身の大闘争で経文の正しさを証明
 
本抄について

 「単衣抄」は、建治元年(1275年)8月、日蓮大聖人が54歳の時、身延でしたためられた御消息です。
 対告衆は不明ですが、南条家ゆかりの夫妻に宛てられたものと考えられています。
 本抄では、はじめに単衣(裏地のない着物)1枚の御供養を頂いたことへの御礼を述べられた後、大聖人が立宗の時から今年54歳に至るまで、二十余年の間、斬首されようとしたり、2度も流罪に処せられたりするなどの大難に遭われてきたことを述べられています。
 また、仏法の上から、大聖人の戦いには天台大師・伝教大師も及ばないと言われています。
 大聖人の闘争は、法華経の「如来(=釈尊)の現に在すすら猶怨嫉多し」(法華経362ページ)などの経文を身をもって証明したものであり、大聖人が出現されなかったならば、仏の言葉も、“法華経は真実である”と述べた“多宝如来の証明”も虚妄となったと仰せです。
 さらに大聖人に衣を供養することは、法華経の六万九千三百八十四の文字の一つ一つの仏に供養することであり、その仏が、夫妻を「わが檀那である」と言って守ると仰せです。
 その供養の功徳は今世だけでなく、死後にまで及ぶことを示され、本抄を結ばれています。

拝読御文

 日蓮・日本国に出現せずば如来の金言も虚くなり・多宝の証明も・なにかせん・十方の諸仏の御語も妄語となりなん、仏滅後二千二百二十余年・月氏・漢土・日本に一切世間多怨難信の人なし、日蓮なくば仏語既に絶えなん

法華経の身読

 御書を拝すると、日蓮大聖人は御自身が受けられた難について「少少の難は・かずしらず大事の難・四度なり」(御書200ページ)と言われています。“四度の大事の難”とは、①松葉ケ谷の法難、②伊豆流罪、③小松原の法難、④竜の口の法難・佐渡流罪の四つです。
 大聖人は権力によって2度にわたり流罪に処せられたほか、斬罪や襲撃などの命に及ぶ難を受け、また、あらゆる階層の人々から憎まれ、悪口を浴びせられたのです。
 法華経には、末法法華経の行者に対して三類の強敵が現われ、「刀杖瓦石」(刀や杖で打たれ、土くれや石を投げつけられる)、「数数見擯出」(権力によって何度も追放される)、「悪口罵詈」(悪口を言われ、罵られる)などの難を受けると説かれています。
 大聖人の遭われた難の様相は、まさにこれら法華経の文と一致しています。すなわち、大聖人が身をもって法華経を読まれていることを如実に示しているのです。このことを“法華経の身読”といいます。
 大聖人による法華経身読は、大聖人が末法法華経の行者であることを、事実と経文の一致をもって証明する実践でした。

 法華経に「我(=釈尊)滅度して後、後の五百歳の中、閻浮提に広宣流布して、断絶して悪魔・魔民・諸天・竜・夜叉・鳩槃荼等に其の便を得しむること無かれ」(法華経601ページ)と説かれています。この経文は、「後の五百歳」すなわち末法に妙法が全世界(一閻浮提)に広宣流布していくことを予言したものです。
 日蓮大聖人は、この法華経の予言通り、命に及ぶ幾多の大難を忍ばれて、法華経の真髄である南無妙法蓮華経の大法を弘通されました。
 「大願とは法華弘通なり」(御書736ページ)と示されている通り、まさに広宣流布こそ大聖人の大誓願であり根本精神です。
 大聖人は、南無妙法蓮華経の大仏法が日本だけではなく全世界に広宣流布していくことを次のように説かれています。
 「法華経の肝心たる南無妙法蓮華経の大白法の一閻浮提の内・八万の国あり其の国国に八万の王あり王王ごとに臣下並びに万民までも今日本国に弥陀称名を四衆の口口に唱うるがごとく広宣流布せさせ給うべきなり」(同258ページ)
 この大聖人の御精神を受け継いで、世界に妙法を弘通し、広宣流布を進めてきた和合僧(=仏法実践者の集い)が創価学会です。
 創価学会が大聖人の御精神を正しく継承する和合僧であるからこそ、世界中に妙法を弘め、大聖人が願われた世界広宣流布を現実のものとすることができたのです。

身延での御生活

 日蓮大聖人は、文永11年(1274年)5月に身延に入られました。
 大聖人は本抄で、身延における当時の御生活を次のようにつづられています。
 「蘇武が幽閉された時のように雪を食として命を継ぎ、李陵のように簑を着て世を過ごしています。山林に入って木の実のない時は、空腹のまま2、3日を過ごします。鹿の皮が破れれば、裸のまま3、4月も過ごしました」(御書1514ページ、通解)
 蘇武や李陵は、中国の古代の武将です。彼らのように、雪を食べ、簑を着、小さな庵室で大聖人は広宣流布の指揮を執っておられました。
 食べるものも十分になく、味噌や塩も足りない中です。大聖人自ら木の実を集め、芹を摘み、薪を取るなど炊事の用もされたと伝えられています。衣も、自然死した鹿の皮を着ておられたといいます。
 こうして衣食住ともに大変に厳しい状況下にあった大聖人の御生活を支えたのが、多くの門下の真心の御供養でした。
 大聖人は御入滅の直前まで、8年間以上を身延で過ごされます。大聖人は身延において「撰時抄」「報恩抄」を著されるなど、末法のあらゆる人々を救う仏法の確立へ、その歩みを進められました。

池田先生の指針から 真心に真心で応えられた大聖人

 まだ面識のない信徒の夫妻から、一枚の「単衣」が届けられました。(中略)
 大聖人は、夫妻の使いの者が帰途につくまでの、わずかな時間を使われたのかもしれません。自ら筆をとり、御礼の返書をしたためてくださった。それが本抄です。
 この御手紙をいただいた夫妻の名前は分かりません。(中略)しかし、本抄の内容から、夫妻で地道に信心を貫いていたことが分かります。
 無名の人こそ大切なのです。地道な信心即生活にこそ仏法の真髄が光っているのです。大聖人は、この夫妻の「真心」に「真心」で応えられました。その御心が、御手紙から、ひしひしと伝わってきます。その大聖人の御心を、かみしめていただきたいのです。
 “あなたの真心は、必ず諸仏に通じていますよ”“成仏は間違いありませんよ”と激励される大聖人の御慈愛が御手紙に、にじみ出ています。単衣の衣は、大聖人にとって、衣であって衣ではなかった。門下の心であり、命であったのです。(『永遠の経典「御書」に学ぶ』第1巻)
 ◇ ◆ ◇ 
 「我ありて、仏法あり」。日蓮大聖人の大確信です。大聖人が一身に大難を受けきってくださったからこそ、仏の言葉は「真実」になったのです。
 「仏法は真実なり」と証明するために、大聖人は自ら魔を駆り出して戦われたのです。
 その大闘争がなければ、どんな立派な経典も、結局は、ただの本にすぎません。どんな深遠な経文も、ただの言葉にすぎません。
 その言葉に、命を吹き込んでこそ仏法です。本当の宗教です。
 今年も「四月二日」を迎えました。永遠に忘れ得ぬ我が恩師・戸田城聖先生の一生は、日蓮大聖人の御金言を虚妄にしないための一生であられた。
 七百年間、言葉だけだった「広宣流布」を事実のうえで証明した一生であられた。
 「日蓮なくば仏語既に絶えなん」とありますが、御本仏・日蓮大聖人の御言葉を絶対に噓にしないというのが、創価学会の根本精神です。(同)

参考文献

 〇…『永遠の経典「御書」に学ぶ』第1巻、「単衣抄」(聖教新聞社