〈世界広布の大道――小説「新・人間革命」に学ぶ〉 番外編 第1巻~第5巻㊦ 2019年8月14日

〈世界広布の大道――小説「新・人間革命」に学ぶ〉 番外編 第1巻~第5巻㊦ 2019年8月14日

 
第1巻「開拓者」の章

 今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は「番外編㊦」。第1巻から第5巻につづられた山本伸一の励ましを紹介する。次回は、第6巻から第10巻の「番外編㊤」を8月21日付に掲載予定。

広布誓願の祈りが成功の源    

 〈1960年(昭和35年)10月、山本伸一は、ブラジルのサンパウロで座談会に出席。席上、農業移住者の壮年を励ます中で、誓願の唱題の大切さを訴える〉
  
 ――“誓願”とは何か?
  
 「“誓願”というのは、自ら誓いを立てて、願っていくことです。祈りといっても、自らの努力を怠り、ただ、棚からボタモチが落ちてくることを願うような祈りもあります。それで良しとする宗教なら、人間をだめにしてしまう宗教です。
 日蓮仏法の祈りは、本来、“誓願”の唱題なんです。その“誓願”の根本は広宣流布です。
 つまり、“私は、このブラジルの広宣流布をしてまいります。そのために、仕事でも必ず見事な実証を示してまいります。どうか、最大の力を発揮できるようにしてください”という決意の唱題です。これが私たちの本来の祈りです。
 そのうえで、日々、自分のなすべき具体的な目標を明確に定めて、一つ一つの成就を祈り、挑戦していくことです。その真剣な一念から、智慧が湧き、創意工夫が生まれ、そこに成功があるんです。つまり、『決意』と『祈り』、そして『努力』と『工夫』が揃ってこそ、人生の勝利があります。
 一攫千金を夢見て、一山当てようとしたり、うまい儲け話を期待するのは間違いです。それは、信心ではありません。それでは観念です。
 仕事は生活を支える基盤です。その仕事で勝利の実証を示さなければ、信心即生活の原理を立証することはできない。どうか、安易な姿勢はいっさい排して、もう一度、新しい決意で、全力を傾けて仕事に取り組んでください」(第1巻「開拓者」の章、295~296ページ)

自分らしく皆の模範に!  

 〈1960年(昭和35年)11月、山本伸一は、長野を訪れる。夜、宿泊先の旅館で、自動車整備士として働く男子部幹部と懇談する〉
 
 ――学歴のない私が、男子部の幹部として、指揮を執れるのか不安です。
 
 「人間は実力だ。学歴がなんだというんです! 自動車の整備士として、油まみれになって働いて、その仕事で、みんなの模範になればいいんです。職種は違っても、信心を根本にして社会の勝利者になった体験は、万人に通じます。
 同志は、幹部の信心について来るんです。人柄について来るんです」(中略)
 「学歴がないからと、卑屈になるのではなく、自分らしく、自分のいる場所で頑張ることです。それが人生の勝利の道です。
 私も、戸田先生の下にあって、夜間の学校を、途中でやめざるをえませんでした。学歴がないことは恥でもなんでもない。しかし、学ばないことは卑しい。勉強しないことは恥です。私も毎日、勉強している。一日に二十分でも、三十分でもよい。寸暇を惜しんで読書し、勉強することです。その持続が力になる。君も実力を蓄え、本当に力ある民衆のリーダーになっていくんだよ」(第2巻「勇舞」の章、232~233ページ)

全てをやりきる決意と行動   

 〈1961年(昭和36年)5月、京都の舞鶴を訪れた山本伸一は、青年の質問に答える〉

 ――仕事と学会活動は、どのように両立させていけばよいのでしょうか?
 
 「結論を先に言えば、いかなる状態にあっても、必ず、すべてをやりきると決め、一歩も退かない決意をもつことです。人間は厳しい状況下に置かれると、ともすれば、具体的にどうするかという前に、もう駄目だと思い込み、諦めてしまう。つまり、戦わずして、心で敗北を宣言しているものなんです。実は、そこにこそ、すべての敗因がある。
 自分は仕事も学会活動もやりきるのだと決め、時間を見つけて、ともかく真剣に祈ることです。そして、生命力と知恵を湧かせ、工夫していくことです。(中略)
 たとえば、幹部で、出張が多くて、メンバーを回ることができないような場合には、出張先から頻繁に手紙で激励するという方法もある。さらに、平日は、深夜まで残業があるが、日曜日は休みであるような場合には、その日曜日に、一週間分の活動をするんです」(中略)
 「また、自分が組織の中心者である場合には、自分がいない時に、代わりに活動の指揮を執ってもらえる後輩を育成することも大切になる。
 そして、組織として皆で決め、掲げた目標は、何があっても達成し、結果を出していくという決意が大事です。自分が十分に動けないからといって、組織を停滞させるようなことがあってはなりません」(中略)
 「仕事と活動の両立といっても、時という問題も考えねばならない。学生ならば、試験の前には、一生懸命に勉強するのが当然ですし、仕事にも勝負時というのがある。その場合には、しばらくは、仕事に大半の時間を割くのは当然です。
 したがって、両立といっても、ケース・バイ・ケースで考えなければならない。また、短い単位でとらえるのではなく、長い目で見ていく必要もあります。しかし、いかなる場合でも、青年時代に、仕事も、学会活動もやりきったといえる戦いをすべきです。それが人生の基盤になるからです」(中略)
 
 「何事にも両面があり、一方に偏らないからこそ、人間的なんです。つまり、人間が生きるということは、相反する課題を抱え、その緊張感のなかで、バランスを取りながら、自分を磨き、前へ、前へと、進んでいくということなんです。
 だから、仕事なら仕事だけ一本に絞れば、すっきりすると思うかもしれませんが、何かを投げ出そうとするのは誤りです。仕事、勉強、そして、学会活動と、大変であることは、よくわかっています。しかし、苦労して、それをやり遂げていくところに、本当の修行があり、鍛えがある。また、その苦労が、諸君の生涯の財産になるんです」(第4巻「青葉」の章、167~171ページ)

平和のための“善の競争”を  

 〈1961年(昭和36年)10月、バチカン市国を訪問した山本伸一たち一行は、宗教間対話について議論を重ねる〉
 
 ――キリスト教などの他の宗教に、いかに対応していけばよいのでしょうか?
 
 「大事なことは、まず対話をすることでしょう。他の宗教は謗法であるからといって、対話もしないのは臆病だからです。
 宗教的な信条や信念は異なっていたとしても、まことの宗教者ならば、世界の平和を願い、人類の幸福の実現を、真摯に考えているものです。
 私は、その心が、既に仏法に通ずると思っている。その善なる心を引き出し、人間としての共通項に立って、平和のため、幸福のために、それぞれの立場で貢献していくことです」(中略)
 「人類の歴史は、確かに一面では、宗教と宗教の戦争の歴史でもあった。だからこそ、平和の世紀を築き上げるには、宗教者同士の対話が必要になる。特に将来は、それが切実な問題になってくるでしょう。
 仏教とキリスト教、仏教とユダヤ教、仏教とイスラム教なども、対話を開始していかなければならない。それぞれ立場は違っていても、人間の幸福と平和という理想は一緒であるはずだ。要するに、原点は人間であり、そこに人類が融合していく鍵がある。そして、宗教同士が戦争をするのではなく、“善の競争”をしていくことだと思う」(中略)
 「“善の競争”というのは、平和のために何をしたか、人類のために何ができたかを、競い合っていくことです。また、牧口先生が言われた、自他ともの幸福を増進する“人道的競争”ということでもある。
 たとえば、世界平和に貢献する優れた人格の人を、どれだけ輩出したか、あるいは、民衆に希望や勇気を与えたかなど、さまざまなことが考えられる」(第5巻「歓喜」の章、150~152ページ)

 【挿絵】内田健一郎 【題字のイラスト】間瀬健治

 ※『新・人間革命』の本文は、聖教ワイド文庫の最新刷に基づいています。