〈教学〉 1月度座談会拝読御書 阿仏房御書(宝塔御書) 2020年1月4日

〈教学〉 1月度座談会拝読御書 阿仏房御書(宝塔御書) 2020年1月4日

拝読御文

 末法に入って法華経を持つ男女の・すがたより外には宝塔なきなり、若し然れば貴賤上下をえらばず南無妙法蓮華経と・となうるものは我が身宝塔にして我が身又多宝如来なり、妙法蓮華経より外に宝塔なきなり、法華経の題目・宝塔なり宝塔又南無妙法蓮華経なり(御書全集1304ページ6行目~8行目、編年体御書469ページ6行目~8行目)
 
 

[池田先生の指針から] 妙法の当体と輝く

 大聖人は、ここで「法華経を持つ男女の・すがた」と言われております。「すがた」とは、外に現れた姿形、行動です。抽象的、理念的なものではなく、目に見える具体的、現実的な「すがた」であり、今、ここで、懸命に生を営んでいる一人ひとりの人間そのものでありましょう。

 大聖人は、この生きた人間の外に宝塔はないのだと断言されているのです。まさしく、御本尊を持ち、題目を唱え、仏法を弘めゆく人の「すがた」は、妙法の当体として、瞬間瞬間、輝いていく。喜怒哀楽も露わな凡夫がそのままで「尊極の宝塔」と現れるのです。

 苦悩に満ちた現実の中で、心ない悪口にも負けず、自身の宿命転換のために、そして人々の幸福のために、尊き金の汗を流しながら戦い抜いている、学会員の「すがた」こそ、まさしく宝塔にほかなりません。
 
 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 大聖人は、“阿仏房、あなた自身が妙法蓮華経の宝塔なのです”“あなたも七宝の輝きを放っているのです”“あなた自身が仏なのです”と繰り返し、阿仏房自身が宝塔であることの意味を展開されていきます。

 まず、大聖人は、「法華経の題目・宝塔なり宝塔又南無妙法蓮華経なり」と仰せです。法華経で説かれる宝塔とは、南無妙法蓮華経以外の何ものでもないのです。法華経の題目こそ宝塔であり、それを大聖人は御本尊として顕されたのです。

 「御義口伝」には、「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は明鏡に万像を浮ぶるが如く知見するなり、此の明鏡とは法華経なり別しては宝塔品なり」(763ページ)と仰せです。

 鏡がなければ、自分の顔を見ることができません。まして「己心の宝塔」は、それを見る明鏡がなければ誰も見ることができない。そこに、大聖人が御本尊を顕された理由もあります。

 日蓮大聖人は、御本仏としての御自身の生命を御本尊として御図顕されました。私たちが、この御本尊を明鏡として、南無妙法蓮華経の題目を唱えた時に、自身に内在する仏の生命が力強く涌現します。私たち一人ひとりが胸中に宝塔を打ち立てる、まさに、そのための御本尊なのです。
(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第10巻)

学会員の「すがた」が宝塔にほかならない
[キーワード1] 尊厳性に目覚める

 法華経に説かれる壮大なスケールの宝塔。それは、あなた自身のことなのです!
 佐渡の門下・阿仏房から、法華経に描かれる宝塔出現の意味について聞かれ、答えられたのが本抄です。

 大聖人は「法華経を持つ男女の・すがたより外には宝塔なきなり」と仰せです。
 つまり、私たち世界広布にまい進する学会員こそが、想像を絶するようなスケールと荘厳さで表現された宝塔そのものなのです。

 さらに、「貴賤上下をえらばず」と教えられています。男性・女性の差別もなく、身分や立場などに関係なく、妙法を唱え弘める、ありのままの一人の人間こそ、宝塔なのです。

 拝読御文の直前で、宝塔の出現とは、声聞たちが法華経を聞いて「己心の宝塔」を見たことであると教えられています。続いて大聖人は、“日蓮の弟子檀那も同様です”と仰せです。

 私たちにとって、己心の宝塔を見るとは、自身の尊極にして偉大な可能性に目覚めることです。それは、他人の尊厳性を知ることと表裏一体です。

 そのために大切なことは「南無妙法蓮華経と・となうるものは我が身宝塔にして我が身又多宝如来」と仰せの通り、唱題の実践です。それも自行化他にわたる唱題行です。

 御本尊を信じ、唱題と学会活動に励む人は、尊厳なる自身の存在に目覚め、わが生命を最高に輝かせていけるのです。

 

[キーワード2] 仏法の偉大さを証明

 “南無妙法蓮華経と唱える人が多宝如来です”と仰せです。

 多宝如来は、法華経を説くところに宝塔を涌現させて法華経の真実を証明することを誓った仏のことです。

 つまり、信心に励む私たちは、自身が「宝塔」と輝くことで、妙法の偉大さを証明していく存在であるともいえるのです。

 法がいくら素晴らしいといっても、それを実践し、偉大さを体現する人がいなければ、他人には伝わらず、法が弘まることもありません。

 日蓮大聖人は他の御書で、「法自ら弘まらず人・法を弘むる故に人法ともに尊し」(御書856ページ)と仰せです。

 学会や仏法への理解といっても、それは、人を通してなされます。さわやかなあいさつをはじめ、日々の誠実な振る舞いが、仏法の偉大さを証明し、広宣流布を開くのです。私たちは、仏法正義の証明者であり、創価人間主義の体現者となっていく使命を担っているのです。

 自身が御本尊への真剣な唱題によって、仏界の生命を開き、顕し、自分のいる地域や職場で宝塔と輝いていくことが大切です。その希望と勇気の光で、周りの人、そして地域を照らしていくのです。

 信仰の輝きは、必ず相手の仏性をも触発します。つまり、自分が宝塔と輝くだけでなく、自他共に宝塔と輝いていくことができます。この人間革命の連帯を広げゆくことで、平和と安穏の人間主義の社会が築かれていくのです。