本部幹部会・中国総会への池田先生のメッセージ 2018年10月8日

本部幹部会・中国総会への池田先生のメッセージ 2018年10月8日

地涌の後継を大銀河の如く!
強くあれ! 「最後の勝利」へ進め
妙法を弘める人の位こそ最も尊貴
友情を結ぶ対話に励んできた女子部の友。師弟に生きる喜びに、笑顔の花が凜と咲く(広島池田平和記念会館で)

 一、小説『新・人間革命』の完結に当たり、応援してくださった全国、全世界の宝友に、心より感謝申し上げます。
 執筆の開始は、25年前の8月6日、広島の「原爆の日」であり、連載の終了は、恩師・戸田城聖先生の「原水爆禁止宣言」から61年の9月8日となりました。『新・人間革命』は、広島そして大中国の同志と一緒に道を開き、つづり残す「平和への共戦譜」なりと、私は思い定めてきました。
 今日も、私の心は縁深き中国家族のもとへ飛び、共々に大好きな「地涌の讃歌」を歌いながら、「人間革命」即「世界平和」へ新たな船出をしゆく思いで、全てを見守っております。
 3カ月前の西日本豪雨の甚大な被災から復興に挑み、さらにまた、台風にも負けず、不撓不屈の祈りと行動で、そして世界一の異体同心の団結で、見事に大拡大を勝ち飾った、虹かかる中国総会、ならびに本部幹部会、誠におめでとう!
 広島、岡山、山口、鳥取、島根の皆さん、本当にご苦労さまです!
 尊き研修で来日されたブラジル、香港、タイ、マレーシア、韓国の皆さん、本当にようこそお越しくださいました。
 御書には「雨ふり・かぜ(風)ふき・人のせい(制)するにこそ心ざしはあらわれ候へ」(1548ページ)と仰せです。御本仏・日蓮大聖人は、皆さん方の「まこと」の信心の心ざしを、いかばかりご賞讃でありましょうか。
 「嵐も吹雪も いざや征け」とは、岡山で誕生した「正義の走者」の一節です。誇りも高き我ら創価家族の行進を、大拍手で讃え合おうではありませんか!(大拍手)
 一、先般、アメリカ青年部は「正義の師子」を合言葉に、5万人の大連帯で新しい歴史を創り開いてくれました。
 思えば、私が中国の同志に一貫して訴えてきたことがあります。それは「師子の中国たれ」ということです。広島の平和記念会館を初訪問した1989年(平成元年)10月、私は「中国は強くあれ!」と訴え、百獣の王・師子が何ものをも恐れないように、大中国は「悪と戦う勇気」「仏子を守りゆく勇気」そして「人生の苦難に負けない勇気」を持て! と望みました
 以来、30星霜――。信義にあつき大中国の同志は、私との約束通り、まさしく「勇気の師子」の人材城を築き上げてくれました。これほどうれしく、これほど頼もしいことはありません。
 打ち続く圧迫や災害にも、「師子」の勇気と団結で、一切を勝ち切っていくのが、わが誉れの大中国です。みんな、本当にありがとう!

宿命を使命に

 一、あの忘れ得ぬ山口開拓指導で、私たちが拝した御聖訓があります。山光(鳥取・島根)ゆかりの富木常忍に与えられた「四信五品抄」の一節です。
 「南無妙法蓮華経と唱える、わが弟子の位は、諸宗の元祖よりも勝れること、百千万億倍なり。国中の諸人よ、わが末弟たちを軽んずることなかれ」「蔑如することなかれ。蔑如することなかれ」(御書342ページ、趣意)との仰せです。
 当時は皆、貧しかった。交通費の工面もどれほど大変だったことか。しかし、「師子王の心」で妙法を弘めゆく我らこそ、最も尊貴な生命の位にあることを、皆が希望と自信と誇りをもって自覚したのです。地涌歓喜がはじけました。
 「誓願」の題目の師子吼を唱えるならば、どんな困難も、自ら願った試練として受けて立ち、必ず乗り越えられる。いな断固と勝ち越え、「宿命」を「使命」に転ずるのだ。そして、あの友にも、この友にも幸の花を咲かせ、愛する故郷から平和の楽土を広げゆくのだと、陽出ずる中国を走りに走ったのです。
 私の胸には、あまりにも健気な、中国広布の父母たちの顔が浮かんできます。
 その一人で、半世紀前、土砂災害の救出作業の最中に、泥の濁流にのみ込まれ、九死に一生を得た丈夫がいます。重い障がいが残りましたが、殉難した同志の分も広布のためにと、立ち上がりました。苦境の連続だった会社の経営も打開し、今、仏法即社会の世雄(勝利の英雄)として、堂々たる実証を示しています。
 人間革命とは、「師子王の心」を取り出して戦い抜くことに他なりません。
 心通う誠実な中国の友どちと語り合ってきた戸田先生のご指導があります。
 「広宣流布は長い。一生の戦いである。いな永遠の戦いである。たとえ苦闘の嵐があっても、断じて負けるな! 最終章の大勝利を確信して進むのだ」と。
 何があっても明るく朗らかに励まし合い、途中はどうあれ、最後は絶対に勝つ。この不退の勇気で一つ一つ変毒為薬し、勝ち進んでいこうではありませんか!

婦女の麗しき連帯

 一、華陽の女子部の皆さん、笑顔もうれしい新出発、本当におめでとう!(大拍手)
 今月、広島で開幕する「わたしと宇宙展」の展示に、「子持ち銀河」と呼ばれる天体写真があります。大小二つの美しい銀河の渦が、仲の良い母と娘が手と手を結ぶように寄り添い、そこから無数の星々を生み出しているのです。まるで、婦人部と女子部の麗しいスクラムにも相通ずるようです。
 わが学会は、たゆみない広布の大回転の渦から、地涌の人材群を、きら星の如く輝かせゆく大銀河であります。明るくにぎやかに「歓喜の中の大歓喜」の題目を轟かせながら、青年部、未来部の凜々しき「正義の走者」たちを、さらに陸続と誕生させよう!
 そして、大いなる「人間革命」の平和と勝利の光で、地球を赫々と包みゆこうではないか! と申し上げ、私のメッセージといたします。
 愛する大中国、万歳!
 愛する全同志、万歳!
 風邪など、ひかれませんように!(大拍手)

〈池田大作先生 四季の励まし〉 希望は常に前にある 2018年10月7日

池田大作先生 四季の励まし〉 希望は常に前にある 2018年10月7日

 
 

 開拓は、地道である。
 一歩一歩である。
 家庭訪問、個人指導、
 弘教・対話こそ、
 本当の仏道修行である。
 大勢を集めて話すだけでは
 修行にならない。
 自分が動かねばならない。
 一カ月に何軒、回ったか。
 一年に何軒、回ったか。
 そこにしか真の「開拓」はない。

 「あの人は駄目」「この人はこう」と
 固定観念をもち、
 決め込んでしまうと、
 相手の違った顔が見えない。
 いな、相手と真っすぐ
 向き合うことができないのだ。
 相手ではない。
 自分の目に惑わされるのだ。
 また、「自分は、もう、
 これだけしかできない」と
 決めつけてしまう場合もある。
 先入観。我見。固定観念。思い込み
 ――それらが自分を縛り、
 閉じ込めてしまっているのだ。
 その心の檻を打ち破ることだ!
 それには祈りと行動だ。
 勇気をもって、
 ぶつかっていくことだ。
 動けば、おのずから、
 視点は変わるのだ。

 勇気こそ、幸福の門である。
 勇気こそ、正義の銅鑼である。
 勇気こそ、勝者の旗である。
 一切の原点は、
 戸田先生が教えてくださった通り、
 「一人立つ勇気」にある。
 そして、究極の勇気である
 「師子王の心」は、
 誰の胸中にも厳然とあるのだ。

 これからが「本番」である。
 希望は常に前にある。
 栄光は前進し続ける中にある。
 ともどもに悔いなく、
 最高の勝利の人生を飾っていこう。

 青空のもと、5層の天守がそびえ立つ。1991年(平成3年)3月、池田大作先生は中国方面の総会等に出席するため、広島へ。その折、「鯉城」という美しい別名を持つ広島城をカメラに収めた。
 安土桃山時代に築城された広島城天守は国宝となったが、戦時中、原爆投下によって灰燼に帰してしまった。その後、天守は再建され、復興の象徴となっている。
 明後9日は広布史に燦然と輝く「山口開拓指導」の開始の日。56年(昭和31年)10月から翌年1月にかけ、池田先生の陣頭指揮のもと、短期間で約10倍となる弘教拡大の金字塔を打ち立てた。
 開拓精神こそ学会精神。私たちもまた、不屈の心で新たな人材の城を築いていきたい。

「情熱の日」記念集会への池田先生のメッセージ 2018年10月5日

「情熱の日」記念集会への池田先生のメッセージ 2018年10月5日

青春のチャレンジ精神で宇宙大の可能性を開け!

 一、明るく楽しく、友と輝く「情熱の日」おめでとう!
 不屈の負けじ魂を燃やす競技大会も、価値創造の英知みなぎる文化祭も、笑顔と団結光る演目も、私は皆さん方に届けと拍手を送りながら、全て見守っておりました。いつも、皆さんと私の心は一体です。
 今日、10月4日は、世界的に何の日か、聞いたことがありますか。そう、「宇宙開発記念日」です。61年前の今日、人類は初めて人工衛星の打ち上げに成功しました。
 そこで、皆さんと一緒に心を天空に広げ、宇宙のロマンを語り合う思いでメッセージを送ります。
 一、まず、皆さんに呼びかけたいのは、「チャレンジ精神で、宇宙大の可能性を開いていこう!」ということです。
 これまで私は、世界の多くの宇宙飛行士や著名な天文学者と、宇宙や生命の不思議をめぐって語らいを重ね、対談集も発刊してきました。その一人に、ロシアを代表する宇宙飛行士のセレブロフ博士がいます。博士が4度の宇宙飛行を成し遂げ、合計すると373日間も宇宙に滞在できるようになった出発点は、いったい何だったのでしょうか。
 じつは、まさに61年前、最初に打ち上げられた人工衛星が星空を悠々と飛ぶ姿を、10代の少年時代に仰ぎ見つめた体験でした。この時の感激によって、若き博士の命に眠っていた好奇心、探求心が目を覚まし、大きく動き始めたといいます。
 星よりも美しく瞳を輝かせ、夢中になって、天文学など学問の万般に挑んでいきました。もともと体が弱かったのでスポーツを通して体も心も鍛え、大いに読書に励んで、ずるいことや卑しいことをしない高潔な人格を磨き上げていったのです。
 このセレブロフ博士ご夫妻は、わが創価学園生との出会いを人生の宝とされ、「心が震えるほど感動しました」とまで語られていました。
 そして学園生に、理想に向かい、自分のなすべきことを自覚し、いやいやではなく、喜び勇んで挑戦していってほしいとエールを送ってくださったのです。そこにこそ、新たな創造性が発揮されるからです。
 皆さん一人ひとりの生命には、まさしく宇宙大の可能性が秘められています。それを、「今 ここから!」「今日から明日へ」、思い切り解き放っていくのが、青春のチャレンジ精神なのです。
 一、次に申し上げたいのは、「思うようにいかない時こそ、どっしりと朗らかに根を張ろう!」ということです。
 女性で初めて地球から飛び立って、「私はカモメ」という言葉を宇宙から発したロシアのテレシコワさんも、私たちの大事な友人です。このテレシコワさんは、学生時代、お母さんが重い病気にかかってしまいました。突然、お母さんの看病や、食事の支度、買い物、洗濯などを、お姉さんと二人で背負うようになり、それはそれは忙しい毎日となりました。お母さんの病気との闘いが長く続いたので、学校の方は諦めなければならないと考えたこともあったようです。
 でも、彼女が心に刻んでいた学校の先生の励ましの言葉がありました。それは、「樹木は、はじめに根をおろして、そのあとで上に向って伸びはじめるんだよ」(宮崎一夫訳『テレシコワ自伝』パピルス双書)という一言でした。
 彼女は、今はじっくり根を張る時だと心を定めました。命の奥底から湧き上がってくる負けじ魂で、必死に時間をやりくりし、一歩でも前に進もうと勉強に挑みました。
 その後も努力に努力を貫き通し、やがて宇宙飛行士という夢を叶えました。そして宇宙から、自分のお母さんをはじめ地球上の全てのお母さんたちへ、幸福と平和を願うメッセージを送っていったのです。
 青春は、誰もが、思うようにいかないこととの戦いです。その時に、歯を食いしばって根を張った人は強い。どんな試練の嵐が襲いかかってきても、倒れません。そして、自分自身が揺るがぬ大樹とそびえ立って、悩める人たちを、温かく励まし、力強く支えていくことができます。
 一、この9月8日、私はライフワークである小説『新・人間革命』の連載を完結しました。全30巻の中で、折々に愛する学園生のことを綴っていくことは、何ものにも勝る喜びでありました。
 わが命である学園生が、それぞれの誓いの道で、たくましく「勝利の旗」を掲げてくれることこそ、地球の未来を照らし晴らす「人間革命」の希望の光なのです。
 さあ、これからも一緒に、「勇気の太陽」を輝かせながら、いよいよ学び、いよいよ鍛え、いよいよ勝ち進んでいこう!
 親孝行をよろしくお願いします。風邪などひかないように。
 皆さんの健康と充実と友情の青春を、私は一生懸命、祈り抜いていきます。
 みんな、元気で!(大拍手)

〈文化〉 新旧メディア 変遷の歴史 2018年10月5日

〈文化〉 新旧メディア 変遷の歴史 2018年10月5日

競合だけでない映画とテレビ
共同製作で生き残り図る
カラー、大画面、3Dなど差別化も
北浦寛之
 
ネットに取って代わられるのか

 テレビは衰退する産業だと言われて久しい。そこにはインターネットの台頭が影響として指摘されてきた。テレビで見てきたような番組(コンテンツ)は、ネットでも楽しめ、今やテレビを所有しない人も相当数いる時代である。
 ここで、この時間を60年ほど前に戻してみよう。そこでは、旧来のメディアであるテレビは、新興メディアとして扱われ、今のテレビのポジションには映画が座る。この新旧映像メディアの関係について、今年の3月末に上梓した拙著『テレビ成長期の日本映画 メディア間交渉のなかのドラマ』(名古屋大学出版会)で詳しく考察している。
 日本が戦後復興から高度経済成長へと発展を遂げる1950年代末から60年代にかけて、今とは逆にテレビは爆発的な勢いで所有されていくものであり、いわゆる「三種の神器」として注目を集めた。特に、59年に当時の皇太子・美智子妃のご成婚パレードの影響もあってテレビは一気に普及する。
 一方の映画は、その年、大きなショックを受ける。50年代、日本映画は海外の映画祭で受賞が相次ぎ、国内では観客動員が急増し黄金期を迎えていた。その数は58年に最高の11億2700万人を記録するが、それを境に、翌59年から減少へと転じてしまい、映画の斜陽が指摘されていく。こうして、映画観客の減少とテレビの爆発的な普及の時期的符合により、映画とテレビを対抗的に捉える見方が一般化していった。
 とはいえ、現代の商業映画に目を向けると、そうした図式は成立しない。共同出資型の映画製作によって、テレビ局も映画製作に参加しているのが普通である。
 また、人気ドラマの映画化、テレビアニメの劇場版というように、作品コンテンツの共有も果たされていて、映画とテレビはビジネス・パートナーと呼べるような関係性になっている。

反発と協調繰り返す中で収斂

 それでは、いかにして、映画とテレビは現在のビジネス上の有益な関係性を築くようになったのだろうか。あるいは、そもそもの関係性を再考する必要があるのではないか。
 50年代からの両者の関係を精察していくと、確かにテレビの台頭で、映画会社は自社作品のテレビ放映を禁止したり、俳優のテレビ出演を認めなかったりと、やはりテレビへの反発が大いに見受けられた。
 とはいえ、同時に邦画各社はテレビ局に出資し、さらには、テレビ向けのフィルム番組を作って提供するなど、テレビ事業にもちゃっかり乗り出していたのである。その過程で、禁止していた俳優のテレビ出演を、各社とも自社製作のテレビドラマで解禁していくなど、テレビ事業への期待を高めていった。
 また現在の映画は、カラーで大画面のフォーマットで当然のように製作されるが、このようなカラー化や大型化は、50年代から、白黒で小さな画面だったテレビとの差異化で推進された。
 そうした技術革新は、現在ではより進化を遂げ、CGを駆使した3D映像などが映画観賞を特別なものにしている。
 こうして、映画とテレビの関係は、初期から一概には対立的には歩んでこなかったのであり、反発と協調を繰り返しながら、現在の状況へと収斂していった。さらに言えば、そうした交流があったからこそ、現在の両メディアの在り方が見いだされたのではないだろうか。
 ネットとテレビにも似たような摩擦が起こっているが、それは避けるべきものではなく、メディアを未来に存続させていくために必要な過程だと捉えてはどうか。そうした今のメディア状況も考えながら、拙著を読んでもらえたら幸いである。

 きたうら・ひろゆき 1980年、奈良県生まれ。博士(人間・環境学)。専門は映画学、メディア史。国際日本文化研究センター助教などを経て、現在、イギリス・セインズベリー日本藝術研究所研究員。

〈座談会 師弟誓願の大行進〉64 10・7「勝利島部の日」40周年 求道の勇者 創価の英雄 2日018年10月4

〈座談会 師弟誓願の大行進〉64 10・7「勝利島部の日」40周年 求道の勇者 創価の英雄 2日018年10月4

女子部新体制 希望輝く華陽のスクラム
〈出席者〉
原田会長
島瀬勝利島部長
永石婦人部長
竹岡青年部長
大串女子部長
各地で行われている「勝利島サミット」(昨年11月。鳥羽文化会館での三重の集い)

 大串 このたび、女子部長の任命をいただきました。いつも最大の励ましをくださる池田先生・奥さまにお応えするため、伊藤総合女子部長、千尋書記長と共に、さらなる希望あふれる前進を開始し、使命を果たし抜いてまいります。

 原田 すがすがしい新出発、大変に、おめでとうございます。池田先生は常々、「明るく清らかな女子部こそ、学会の一番の希望である」と言われ、女子部は全員が広布の宝の存在であることを教えてくださっています。先生のご期待通りの大発展を深く祈念しています。

 竹岡 新出発に当たり、先生は、「どうか、希望輝く華陽姉妹が、楽しく伸び伸びと『人間革命』のスクラムで、新たな『友情の波』を『歓喜の波』を『福智の波』を起こしていってください」とメッセージを寄せてくださいました。

 大串 新スローガン「希望輝く 華陽姉妹 『人間革命』のスクラムで 師弟勝利の門を開く!」のままに、自身の生命を磨く「人間革命」に挑戦し、その輝きで、縁する全ての人に、希望を送っていく一人一人へと成長していきます

 永石 「女子は門をひらく」(御書1566ページ)との御聖訓通り、創立90周年へ、女子部の皆さんが、師弟勝利の門を開いていけるよう、婦人部も全力で励ましを送り、応援していきます。

「地域貢献の模範」

 原田 10月7日は、「勝利島部の日」です。本年は、「部の日」の淵源である、1978年(昭和53年)10月7日の第1回「離島本部(後の勝利島部)総会」から40周年の佳節です。

 永石 その模様を含め、勝利島部の歴史は、小説『新・人間革命』第28巻「勝利島」の章に、詳しく記されています。

 大串 2016年9月号から17年7月号の「大白蓮華」に掲載された企画「使命の天地・勝利島」でも詳述されていましたね。

 原田 40年前、全国の離島の友が、先生を求め、学会本部に集い合いました。各地の島々から、東京にやって来る苦労は並大抵ではありません。けれども皆が、「道のとをきに心ざしのあらわるるにや」(同1223ページ)と仰せの通り、求道の心を燃やし、本部へと駆け付けてきたのです。その「求道の勇者」の信心をいやまして奮い立たせ、離島の同志は戦い抜いておられます。

 島瀬 先生は言われています。「私は、離島にあって、周囲の人たちに信心を反対されながらも、着実に信頼を勝ち取り、広宣流布の道を開いてこられた方々こそが、真正の勇者であり、真実の勝利王であると思っています。学会のいかなる幹部よりも、強盛な信心の人であり、創価の大英雄です」と。各地の勝利島部の同志の皆さんと懇談し、その筆舌に尽くしがたい闘争を伺うにつけ、先生の言われる「創価の大英雄」との言葉の重みを実感しています。

 竹岡 池田先生の訪問から60周年の新潟・佐渡島では、中学校教員の男子部副本部長の活躍が話題を呼んでいます。野球部の監督を務める彼が率いるチームが今年8月、全国の離島の中学生が集う大会(離島甲子園)で初優勝を飾ったのです。その活躍は、島内の野球少年をはじめ、多くの方に希望を送っています。

 大串 9月に東京で行われた、勝利島部の代表者会議には、その佐渡島をはじめ、広島・因島、鹿児島・奄美大島から女子部も参加したと聞きました。全員が広布拡大の先頭を走っている方々です。頭が下がるばかりです。

 島瀬 島でただ一人、広布の旗を掲げる方もいます。香川・粟島に住む地区幹事は、座談会と本部幹部会の中継行事に参加するため、毎回、船に乗って、会場に赴いています。生来、左足が不自由な中、全てを題目で乗り越え、かくしゃくと広布と地域貢献に進む姿は、まさに「創価の大英雄」です。

 永石 折伏・弘教が大きく進む鹿児島・種子島の原動力は、男子部の皆さんだと伺いました。圏男子部長は本年、4人の友人に弘教を実らせ、ある部長も折伏を達成。新入会となった5人の青年は皆、島の生まれで、その生き生きと躍動する姿に波動が広がっているそうですね。

 原田 この種子島では、圏長も2人の友人に弘教を結実させています。しかも、そのうちの1人は、入会してすぐに、友人に弘教を達成。入会した全員が新しい力として、広布を推進しているそうです。

 島瀬 屋久島でも弘教が進んでいます。ここでは、新しく入会した方の多くが、以前から本部幹部会の中継行事に参加するために屋久島会館を訪れていました。島の学会員と顔なじみになる中で、地域貢献の運動を進める学会への理解を深め、入会に至ったのです。

 原田 宮城・気仙沼市の大島でも最近、島の有力者の方が、東日本大震災の後、学会が献身的に地域に尽くす姿に感銘し、入会されたと聞きました。

 竹岡 創価大学出身の教員が離島に赴任し、活躍しているケースも多くあります。伊豆大島は、その模範です。皆が教育と地域の発展に尽力しています。

 島瀬 また、モバイルSTBの活用により、離島にあっても、いつでも、先生のスピーチや学会の歴史を学ぶことができ、“池田先生が、いつも島に来てくださっている思いがする”と大変に喜ばれています。

 原田 本部幹部会の中継行事を島で行える地域も増えており、参加を楽しみにしている友人の方も多くいますね。原点の日から40年。勝利島部の皆さんは、苦労に苦労を重ねる中、大きく信頼を広げ、地域の“なくてはならない存在”として輝いています。皆さんが、台風など自然災害から守られ、幸福勝利の人生を歩みゆかれるよう、心から祈念しております。

〈座談会 師弟誓願の大行進〉63 地球を包む人間主義の光――師と共に大理想に生き抜く 2018年10月1日

〈座談会 師弟誓願の大行進〉63 地球を包む人間主義の光――師と共に大理想に生き抜く 2018年10月1日

訪中団が帰国友好の「金の橋」さらに堅固に
〈出席者〉
原田会長
谷川主任副会長
永石婦人部長
志賀男子部長
伊藤女子部長
訪中団は各地で行われた交流行事に参加。民衆同士の触れ合いが両国の絆を強くする。さらなる平和友好へ、草の根レベルの交流をより活発に!(9月27日。佛山市で)

 原田 台風24号が各地に重大な被害をもたらしています。被災された全ての方々に、心よりお見舞い申し上げます。
 谷川 これから襲来が予想される地域の方々は気象情報等を確認し、厳重な警戒と、万全の備えをお願いします。

歴史的提言50周年

 永石 このたび、原田会長を総団長とする訪中団一行は、全行程を大成功で終え、帰国しました。

 谷川 本年は日中平和友好条約の締結40周年、そして、池田先生の歴史的な国交正常化提言50周年です。その意義深き佳節に、先生に対する「中日友好貢献賞」の授与式や、中国人民対外友好協会と創価学会の「友好交流覚書」の調印式などが相次ぎ挙行され、新たな友誼の歴史を刻むことができました。

 原田 現代中国の発展を長年にわたり、リードする王岐山国家副主席はじめ、多くの要人の方々と会見の機会がありました。王副主席の「名誉会長の国交正常化提言は50年という歴史を経て、その重要性が証明されました。まさに遠見であると思います」との言葉が心に残っています。王副主席は、習近平国家主席の盟友です。

 谷川 招へい元の中国人民対外友好協会の李小林会長、中日友好協会の唐家璇会長も、会談の中で、池田先生に対し、深い敬意と感謝の念を述べられていました。今回の訪中を通し、両国友好の金の橋を架けられた先生の功績の大きさを実感する日々でした。

 永石 婦人部の代表は、中華全国婦女連合会(婦女連)を表敬訪問。来年は第1次婦人部訪中団が婦女連の代表と会見してから40年です。これからも、女性が輝く社会へ向け、交流をさらに深めていくことを約し合ってきました。

 原田 今回の訪中団は全国各方面・県の代表117人からなる大規模なものでした。大切なのは、先生の志を弟子が受け継ぎ、平和の潮流を広げていくために、民衆の交流を拡大していくことです。私たちの行動で、日中友好の金の橋をさらに堅固なものにしていきたい。

民衆凱歌の姿描く

 伊藤 池田先生の世界への平和旅は、58年前の1960年(昭和35年)10月2日から始まりました。この日は、後に「世界平和の日」と定められています。

 志賀 小説『新・人間革命』第1巻の冒頭「旭日」の章は、まさに、山本会長一行が羽田空港から初の海外指導へ旅立つシーンから描かれています。先生は、後継の「弟子の道」を永遠に書き残そうと『新・人間革命』の執筆を開始されました。その書き出しを、海外への第一歩から始められた意義を改めて感じます。

 原田 先生は、第1巻掲載の「はじめに」で「日蓮大聖人の仏法のヒューマニズムの光をもって世界を包み、新たなる人類の歴史を開く創価ルネサンスの民衆の凱歌の姿を描くことになる」と、小説の展望を記されました。

 伊藤 そして、最終章「誓願」の章では、21世紀にかけて、先生がダイナミックに世界を巡り、各国、各界の指導者と平和外交を重ねる姿が描かれています。世界平和の希求こそ、『新・人間革命』を貫く大きなテーマであることが分かります。

 志賀 南アフリカマンデラ大統領、キューバカストロ議長、アメリカの「公民権運動の母」ローザ・パークス氏等――「誓願」の章に登場する方々は、20世紀の歴史に名を刻む人ばかりです。その方たちがそろって、先生の人間主義の思想に共鳴し、平和への思いを共にしている――先生の偉大さに圧倒される思いです。

 原田 同時に、忘れてはならないのは、先生が行く先々で出会った学会員や庶民の一人一人と希望の対話、誠実の対話、蘇生の対話を続けてこられた事実です。先生の励ましを胸に、どれだけ多くの世界の友が人生の苦難を乗り越え、地域で信頼を勝ち得る成長の軌跡を歩むことができたか分かりません。

 谷川 歴史学者トインビー博士はかつて、「創価学会は、既に世界的出来事である」と記しました。今、まさしくSGIは192カ国・地域に広がり、平和・文化・教育の運動が社会の希望と光っています。博士が評した通り、池田先生の行動一つ一つが、世界的な偉業です。

 原田 先生は「誓願」の章に「師弟が共に、人類の幸福と平和の大理想に生き抜く姿ほど、すばらしい世界はありません」とつづられました。この、先生のご期待の通り、まず自らの足元から人間主義の仏法を広げゆくことを誓う、あす2日の「世界平和の日」としていきましょう。

「万人成仏」の大法

 伊藤 7、9日は「教学の日」です。各地で「御書講義」が行われ、今回は「三沢抄」を研さんします。

 志賀 同抄で、日蓮大聖人は「各各はかかる法門にちぎり有る人なれば・たのもしと・をぼすべし」(御書1489ページ)と、広布に駆ける宿縁深い門下を賛嘆されています。

 原田 この仰せの通り、今、世界中で、地涌の人材群が、万人成仏の大法を語り、弘める時代になりました。御書の研さんを通して、自らの使命を再確認する契機にしていきたいと思います。

〈池田大作先生 四季の励まし〉 10・2「世界平和の日」 対話で友情の連帯を 2018年9月30日

池田大作先生 四季の励まし〉 10・2「世界平和の日」 対話で友情の連帯を 2018年9月30日

 
 

 心に大きな目標を持つ人は、
 それだけ
 大きな人生を生きられる。
 自ら決めた目標へ、
 祈り戦い抜く人は、
 最後に必ず勝利する。
 「広宣流布」即「世界平和」。
 それが
 我らの大目的である。

 仏法とは、
 仏の教えの真髄であり、
 万人の幸福を実現する
 根本の妙法である。
 狭い一宗一派ではなく、
 宇宙大に広がる仏の慈悲の心だ。
 人間と社会を向上させる根本が
 仏法なのである。

 眼前の苦悩する一人を励まし、
 勇気づけ、
 蘇生させることこそが、
 生命尊厳の社会を実現する
 確かな第一歩であり、
 平和建設の原点となる。

 同じ場所で
 同じ時間を過ごしながら、
 対話によって培われた
 友情と信頼――。
 その堅実な
 挑戦の積み重ねこそが、
 世界平和の創出と
 地球的な課題の解決のために
 行動する「民衆の連帯」の
 かけがえのない礎となると、
 私は確信してやまない。

 臆して立ち止まっていても、
 何も生まれない。
 友の中へ、
 人間の中へ、
 民衆の中へと、
 喜び勇んで飛び込むことだ。
 どんどん人と会う。
 どんどん友と語る。
 形式ではない。
 真心を込めて語っていくのだ。

 潮風にそよぐヤシの木。エメラルド色に輝く海。白い砂浜は多くの人でにぎわっていた――1985年(昭和60年)7月、池田大作先生がアメリカ・ハワイを訪れた折、撮影した。
 間もなく10・2「世界平和の日」を迎える。1960年(同35年)10月2日、恩師・戸田城聖先生の「この世から悲惨の二字をなくしたい」との熱願を胸に、池田先生は世界広布の第一歩として、アメリカへ出発した。当時の真情が、小説『新・人間革命』第1巻「旭日」の章につづられている。「平和の原点は、どこまでも人間にある。一人ひとりの人間の蘇生と歓喜なくして、真実の平和はない」
 「目の前の一人」に勇気と希望を送る対話を! その行動の中から平和が生まれる。