〈文化〉 新旧メディア 変遷の歴史 2018年10月5日

〈文化〉 新旧メディア 変遷の歴史 2018年10月5日

競合だけでない映画とテレビ
共同製作で生き残り図る
カラー、大画面、3Dなど差別化も
北浦寛之
 
ネットに取って代わられるのか

 テレビは衰退する産業だと言われて久しい。そこにはインターネットの台頭が影響として指摘されてきた。テレビで見てきたような番組(コンテンツ)は、ネットでも楽しめ、今やテレビを所有しない人も相当数いる時代である。
 ここで、この時間を60年ほど前に戻してみよう。そこでは、旧来のメディアであるテレビは、新興メディアとして扱われ、今のテレビのポジションには映画が座る。この新旧映像メディアの関係について、今年の3月末に上梓した拙著『テレビ成長期の日本映画 メディア間交渉のなかのドラマ』(名古屋大学出版会)で詳しく考察している。
 日本が戦後復興から高度経済成長へと発展を遂げる1950年代末から60年代にかけて、今とは逆にテレビは爆発的な勢いで所有されていくものであり、いわゆる「三種の神器」として注目を集めた。特に、59年に当時の皇太子・美智子妃のご成婚パレードの影響もあってテレビは一気に普及する。
 一方の映画は、その年、大きなショックを受ける。50年代、日本映画は海外の映画祭で受賞が相次ぎ、国内では観客動員が急増し黄金期を迎えていた。その数は58年に最高の11億2700万人を記録するが、それを境に、翌59年から減少へと転じてしまい、映画の斜陽が指摘されていく。こうして、映画観客の減少とテレビの爆発的な普及の時期的符合により、映画とテレビを対抗的に捉える見方が一般化していった。
 とはいえ、現代の商業映画に目を向けると、そうした図式は成立しない。共同出資型の映画製作によって、テレビ局も映画製作に参加しているのが普通である。
 また、人気ドラマの映画化、テレビアニメの劇場版というように、作品コンテンツの共有も果たされていて、映画とテレビはビジネス・パートナーと呼べるような関係性になっている。

反発と協調繰り返す中で収斂

 それでは、いかにして、映画とテレビは現在のビジネス上の有益な関係性を築くようになったのだろうか。あるいは、そもそもの関係性を再考する必要があるのではないか。
 50年代からの両者の関係を精察していくと、確かにテレビの台頭で、映画会社は自社作品のテレビ放映を禁止したり、俳優のテレビ出演を認めなかったりと、やはりテレビへの反発が大いに見受けられた。
 とはいえ、同時に邦画各社はテレビ局に出資し、さらには、テレビ向けのフィルム番組を作って提供するなど、テレビ事業にもちゃっかり乗り出していたのである。その過程で、禁止していた俳優のテレビ出演を、各社とも自社製作のテレビドラマで解禁していくなど、テレビ事業への期待を高めていった。
 また現在の映画は、カラーで大画面のフォーマットで当然のように製作されるが、このようなカラー化や大型化は、50年代から、白黒で小さな画面だったテレビとの差異化で推進された。
 そうした技術革新は、現在ではより進化を遂げ、CGを駆使した3D映像などが映画観賞を特別なものにしている。
 こうして、映画とテレビの関係は、初期から一概には対立的には歩んでこなかったのであり、反発と協調を繰り返しながら、現在の状況へと収斂していった。さらに言えば、そうした交流があったからこそ、現在の両メディアの在り方が見いだされたのではないだろうか。
 ネットとテレビにも似たような摩擦が起こっているが、それは避けるべきものではなく、メディアを未来に存続させていくために必要な過程だと捉えてはどうか。そうした今のメディア状況も考えながら、拙著を読んでもらえたら幸いである。

 きたうら・ひろゆき 1980年、奈良県生まれ。博士(人間・環境学)。専門は映画学、メディア史。国際日本文化研究センター助教などを経て、現在、イギリス・セインズベリー日本藝術研究所研究員。