世界広布新時代第41回本部幹部会から(婦人部長あいさつ) 2019年5月10日

界広布新時代第41回本部幹部会から(婦人部長あいさつ) 2019年5月10日

永石貴美子 婦人部長
幸の対話で希望を拡大
 

 一、お元気な池田先生・奥さまと共に、新しい時代を晴れやかに前進できる感謝と喜びでいっぱいです。
 5・3「創価学会の日」「創価学会母の日」、5・5「創価学会後継者の日」、大変におめでとうございます(拍手)。
 栄光の「5・3」を凱歌で飾り、全世界の同志も祝賀しています。
 一、先日、行われたSGI研修会には、遠くアフリカ・コートジボワールからも、先生への感謝と求道の心にあふれ、40時間以上もの時間をかけて、30人の友が来日しました。
 東京での交流交歓会に参加したメンバーは、病気と闘う日本の女子部員の話を聞き、「私も信心で病を克服し、今は元気に体育教師をしています」と語り掛けました。そして、「お名前を教えてください。あなたの回復を帰国してからも祈りますから」と。その真心の言葉に、その女子部員は涙し、勝利を誓ったのです。
 “池田先生と同じ心”で前進する地涌の民衆の祈りは国境を超え、世界中で常に誰かを幸せにしているのだと実感します。  
 ある時、池田先生は「本当の偉人とはどういう人をいうのですか」との未来部員の質問に、「いかなる富、力、技術でも救えない一人の不幸な年配者を両の手でしっかり抱きかかえ、悩みを解決し、救いきっていく――そうした人こそ、真実の偉人であると思うのです」と答えられました。
 私たちは、出会う人々に、先生と同じ慈愛のまなざしをもって接し、自他共の幸福のために生き抜いていく。「創価学会母の日」は、「永遠に先生と共に、先生の心で」との生き方を後継の友に語り伝える誓いの日にしていきたいと思います(拍手)。
 一、今、全国の同志が、新たな広布の山へ、勇気の前進を開始しました。
 先生のご指導に、「『会う』ことから何かが始まる。何かを学べるし、自分の世界も広がる。(中略)民主主義の出発も、対話である。対話は、一人の人格を平等に尊重する営みだからだ」とあります。
 私自身、主義主張が違う親戚にも何度も会ってきました。対話を重ねる中で心が通い、先日も、会えたことがうれしいと本当に喜んでくれました。
 そして、人のつながりを大切にしていることをたたえてくれ、今では会うたびに、学会が社会に積極的に関わることへの理解と期待を寄せてくれるようになりました。
 地域の同世代の友人も、さまざまな社会状況の中で、人と人とのつながりが一番大切だと、皆、真剣に考えていました。
 対話によって、お互いの生きる力を増していく。対話が、社会を変え、世界を結び、希望の未来を創ります。
 まさに、先生・奥さまが世界に築いた人間主義の連帯を、一人一人が求めている時代を迎えていると確信します。
 さあ、婦人部結成の6月、そして師弟勝利の7月へ、「汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を禱らん者か」(御書31ページ)との立正安国の誓願を胸に、全ての人に幸の仏縁を広げ、民衆凱歌の新時代を築き上げていきましょう(拍手)。

世界広布新時代第41回本部幹部会から(会長指導) 2019年5月10日

世界広布新時代第41回本部幹部会から(会長指導) 2019年5月10日

原田稔 会長
「仏縁」は三世永遠にわたる友情――
民衆の連帯築く「人間外交」を
 

 一、栄光の「5・3」を晴れやかに祝賀する「世界広布新時代第41回本部幹部会」の開催、誠におめでとうございます(拍手)。
 一、4月の統一地方選挙におきまして、私たちが支援する公明党は、1560人の当選という大勝利を果たすことができました。全同志の皆さまに、心より御礼申し上げます。献身的なご支援、誠にありがとうございました。
 この統一地方選によって、立党の基本理念である「大衆福祉の公明党」の存在感を、幾重にも増すことができたと確信します。
 そして、いよいよ次なるは間近に迫った参院選。すでに学会として、埼玉、東京、神奈川、愛知、大阪、兵庫、福岡の各選挙区で公認の7人、そして比例区公明党について、党からの支持依頼を受けて、各都府県の社会協議会、および中央社会協議会で検討・協議し、支持することを決定しております。
 公明党は、本年11月で結党55周年を迎えます。池田先生は、小説『新・人間革命』第9巻「衆望」の章で、その創立者としての真情を、このようにつづられております。
 「多様な大衆に深く根を下ろし、大衆の味方となり、仏法の慈悲の精神を政治に反映させゆく政党が、今こそ躍り出るべきであろう。それが衆望ではないか――山本伸一は、こう結論したのである。彼は、日本の政治の現状を検証していくなかで、公明党の結成の意志を固め、あえて嵐に向かって、船出しようとしていたのである」と。
 権力の魔性との壮絶なる闘争を覚悟の上で、あえて先生は、公明党を創立されました。そして今、半世紀余りを経て、公明党は「日本の柱」として、見事なる発展を遂げました。
 ケンブリッジ大学出版局が刊行する学術誌「日本政治学誌」では、連立政権における公明党の役割について、こう論じています。
 「公明党は、その規模以上の力を発揮して、自民党の重要な安全保障政策を抑制している」「1955年以来、自民党アイデンティティーや綱領に関わる優先事項とされている事柄について、重要な政策上の譲歩を引き出している」との分析であります。
 今回の参院選7選挙区の全員当選と比例区議席以上の獲得によって、非改選を合わせ、過去最高の27議席以上となります
 「日本の柱 公明党」への大いなる衆望を厳然たる結果で示し、「大衆と共に」との立党精神の偉大さを、満天下に宣揚していきたいと思います(拍手)。

日中友好の「金の橋」をさらに強く

 一、さて先月、9年間という歴代で最も長い期間在任した中国の程永華駐日大使が、総本部へ離任のあいさつにお見えになりました。
 程大使は、日中国交正常化後、中国政府が日本に派遣した初めての国費留学生の一人であり、池田先生が身元保証人となって、75年から77年まで創価大学で学ばれました
 席上、池田先生から大使に贈られた漢詩が読み上げられると、大使は「身に余る光栄です。池田先生にはこの9年のみならず、留学時代から多くのご指導をいただきました。帰国することにはなりますが、先生の心を胸に、今後も中日友好のために少しでも力を尽くしたいと思います」と語っておられました。
 この一言に、池田先生が日中友好に果たしてこられたご功績が凝縮されていると、私も感銘を深くしました。
 池田先生が、1974年5月に初めて中国を訪問されてより、45周年の佳節を刻む本年、先生が架けられた「金の橋」は、ますます堅固に光り輝いております。
 池田先生は、初訪中へと旅立たれる際、羽田空港で、見送りの人々を前に宣言されました。
 「貧乏人と病人と言われた人たちとともに、私はここまでやってきました。権力にもよらず。財力にもよらず」と。そして、訪中に当たってのご決意を語られます。
 「私は永久性につながる両国間の文化の交流を第一義として、そしてまた、民間次元の美しくも尊き真実の人間と人間との友好実現によって、揺るぎなき平和の基盤を、さらにさらに強固にしていきたいと思っているものであります」
 このお心は、まさに「庶民の味方」として戦い抜いてきた、私たち学会員一人一人の心であり、実践であります。

学会活動は全て不軽菩薩の実践

 一、私たちが、まい進する広宣流布、立正安国への言論戦は、その語らいの一つ一つが、「仏縁」という三世永遠にわたる友情を結ぶ人間外交です。そして、この私たちが結ぶ、権力にも財力にもよらない、真実の人間と人間との友好ほど、美しく、また尊きものはありません。
 御書には、「末法には一乗の強敵充満すべし不軽菩薩の利益此れなり」(589ページ)と仰せです。
 すなわち、“末法には必ず法華経の強敵が充満するであろう。このような時には不軽菩薩が行った折伏によって、衆生を利益するのである”との御本仏の御断言であります。
 学会活動は、その一切が仏道修行であり、不軽菩薩の実践です。
 さあ、立正安国の月・7月へ、どこまでも「祈り」を根本に、折伏精神で戦い、「従藍而青」の実証を示しきっていこうではありませんか(拍手)。

〈座談会 創立90周年を勝ち開く!〉37 広宣流布と立正安国への連続闘争を! 励ましは「話を聞く」ことから 2019年5月9日

〈座談会 創立90周年を勝ち開く!〉37 広宣流布と立正安国への連続闘争を! 励ましは「話を聞く」ことから 2019年5月9日

ルールを守り自転車事故を起こさない
〈出席者〉
原田会長
長谷川理事長
永石婦人部長
志賀男子部長
大串女子部長
さあ、「人間革命」即「立正安国」の大道を歩みゆこう! そこにこそ、「福運安穏」の道が限りなく開かれていくのだ(3日、東京戸田記念講堂で行われた本部幹部会)

 志賀 10連休のゴールデンウイークが明けました。いよいよの決意で、「創立90周年へ 創価勝利の年」を勝ち進んでいきます。

 大串 各地の女子部も今、新たな気持ちで出発を切っています。

 原田 先日の総県長会議でもお伝えしましたが、池田先生は1955年(昭和30年)の4月を大勝利で飾った直後、5月の日記に、「終幕即開幕。烈火の如き一念を……」とつづられました。先生は、戸田先生のもと、この強き一念で、広宣流布のあらゆる闘争に勝利してきました。

 志賀 池田先生は言われています。「一つの戦いの終わりは、次の新たな戦いへの開幕にほかならない。広宣流布は、燃え尽きることなき連続闘争だからである」と。

 原田 今日の世界広布の驚異的な伸展も、先生の間断なき死身弘法の戦いによって切り開かれてきました。私たち池田門下は今一重、一念を定め、連続勝利へ打って出ていきたい。

 長谷川 そのためにも大切なのは、リーダーが同志一人一人の声にじっくりと耳を傾けていくことです。副役職の方や高齢者の方をはじめ、広布の第一線で奮闘される方のもとへ、リーダー自身が率先して足を運び、励ましを送っていくことです。

 原田 御書には、「九思一言」(1175ページ)とあります。「九つの思いを重ねた上で、一言をいだす」との意味です。礼儀正しく、思慮深くあれ、とのリーダーの姿勢を示した言葉です。

 長谷川 “9の言葉を聞いて、1の言葉を伝える”ことといえるかもしれません。仕事のこと、自身や家族の病のこと、挑戦していることなど、まずは友の話を徹底して聞くことです。そして、全力で励ましを送ることです。それが、どれほど勇気と安心を送り、友の気持ちを奮い立たせることになるか。

 原田 その際、リーダーは相談を受けた内容を絶対に他言してはいけません。もしも、自分だけでは解決できないような場合は、本人に了解を得て、“一緒に先輩のもとに行きましょう”と伝えることです。

 永石 池田先生は、「松栄れば柏悦ぶ芝か(枯)るれば蘭なく情無き草木すら友の喜び友の歎き一つなり」(御書934ページ)との御聖訓を拝し、教えてくださいました。
 「友の喜びを我が喜びとし、友の歎きを我が歎きとする――共に泣き、共に笑う、最も麗しく、最も強き生命の共生の絆こそ、信心の世界であり、創価の集いである。ここにこそ、苦悩を希望へ転換しゆく、生命の安全地帯があるのだ」と。

 原田 今、各地を訪問するたびに、宿命転換・人間革命の感動的なドラマを伺います。一方、悩みや課題との真剣勝負の戦いを続けている方とも出会います。そうした友のもとへ、リーダーは足を運び、徹底して話を聞く。共に祈り、共に進んでいく――この学会活動の基本中の基本をゆめゆめ忘れることなく、連戦連勝への指揮を執っていただきたい。

 志賀 さて、環境省の発表を踏まえ、学会として本年も、「クールビズ」を推進していきます。

 長谷川 クールビズは、冷房時の室温が28度でも快適に過ごせるような「軽装」を促す取り組みです。

 原田 地域によって異なりますが、実施期間は5月から10月です。地球温暖化に適応し、過度な冷房を防ぐことによって健康増進にも役立ち、節電効果もある取り組みです。積極的に推進していきましょう。

一切の油断を排す

 長谷川 最後に、「自転車」の運転についてです。5月は、運転ルールの順守などを訴える「自転車月間」になっています。

 原田 言うまでもなく、自転車は手軽で便利な移動手段です。子どもからお年寄りまで利用できるのが特長です。一方、事故も多く発生するなど、危険と隣り合わせでもあります。

 大串 だからこそ、きちんとルールを守ることが必要です。例えば、「夜間のライト点灯」などです。

 永石 他にも、6歳未満の子どもを幼児用座席に乗せる場合等を除いての「2人乗り」や、「飲酒運転」「並走」は厳禁です。また、道路に「止まれ」と書いてあったり、「一時停止」の標識がある場合も、必ず停止しましょう。

 志賀 傘差しや携帯電話を操作しながらの片手運転、イヤホンなどを使用しながらの運転も違反です。

 永石 買い物袋などをハンドルに引っかけるのも危険です。バランスを崩しやすく、前輪に荷物を巻き込む恐れがあります。

 大串 自転車は車道通行が原則ですが例外もあります。もしも歩道を通る場合は、すぐに止まれる速度で走行し、歩行者優先で運転しなければいけません。

 長谷川 最近は、「電動アシスト自転車」を利用する人が増えています。走行が楽な半面、スピードが出やすく、一般的な自転車とは異なる注意が必要です。

 永石 電動アシスト自転車は、電源を入れた状態で、ペダルに足を乗せ、少しでも力を加えると、思わぬところで急発進します。そのため、電源を入れる際は、両足を地面に着けた状態にする必要があります。信号待ちをしている時も同様で、しっかりとブレーキをかけ、ペダルから足を外しておきましょう。

 長谷川 また、車体が重いため、バランスを崩さないように、気を付けてください。具体的には、上り坂でも立ちこぎはせず、ゆっくりと踏み込んで発進することです。下り坂では、重量がかかってスピードが出がちなので、しっかりとブレーキをかけながら下ることです。

 原田 ともかくも、一切の油断を排し、皆で声を掛け合いながら、無事故で充実した日々を送っていきましょう。

〈教学〉5月度座談会拝読御書 種種御振舞御書 2019年5月4日

〈教学〉5月度座談会拝読御書 種種御振舞御書 2019年5月4日

御書全集 919ページ3行目~6行目
編年体御書956ページ3行目~6行目
平和と安穏の世界へ、一人立て
創価の誇りに燃え  正義の師子吼を!
 
拝読御文

 日蓮によりて日本国の有無はあるべし、譬へば宅に柱なければ・たもたず人に魂なければ死人なり、日蓮は日本の人の魂なり平左衛門既に日本の柱をたをしぬ、只今世乱れてそれともなく・ゆめの如くに妄語出来して此の御一門どしうちして後には他国よりせめらるべし、例せば立正安国論に委しきが如し

本抄について

 本抄は建治2年(1276年)、日蓮大聖人が55歳の時、身延で認められ、安房国(千葉県南部)の門下・光日尼に与えられたとされていますが、詳細は不明です。
 文永5年(1268年)から身延入山に至るまでの、大聖人御自身の大難との闘争をはじめとする振る舞いについて、つづられています。
 まず、文永5年に蒙古から国書が届き、「立正安国論」で予言した二難のうち、「他国侵逼難」(他国からの侵略)が、現実のこととなって迫ってきたことを述べられます。
 続いて大聖人は、末法折伏を行ずると必ず大難が起こることを示され、門下に、不惜身命で戦い、大聖人の後に続くよう教えられています。
 事実、文永8年(1271年)9月、平左衛門尉頼綱が率いる武装した軍勢が、大聖人を捕縛し、ひそかに竜の口で斬首しようとしました(竜の口の法難)。ところが、失敗に終わり、大聖人は佐渡流罪されます。
 大聖人は、佐渡で、御自身こそ末法の人々を救う存在であるとの大確信の書「開目抄」を著され、文永9年2月、弟子一同に送られます。また同月、北条一族の内乱である「二月騒動」が起き、「自界叛逆難」の予言が的中します。
 文永11年、大聖人は流罪から赦免され、鎌倉に戻られます。そこで、平左衛門尉を厳しく諫められ、同年5月に鎌倉を出て身延に入られました。
 最後に身延での生活と、はるばる身延まで便りを届けた門下の信心をたたえられ、本抄を結ばれています。

大聖人こそ「日本の柱」

 日蓮によって、日本国の存亡は決まる。
 日蓮は日本の人の魂である。
 ――日蓮大聖人の烈々たる御確信から発せられたお言葉です。
 本抄で大聖人は、「法華経の肝心・諸仏の眼目たる妙法蓮華経の五字・末法の始に一閻浮提にひろまらせ給うべき瑞相に日蓮さきがけしたり」(御書910ページ)と仰せです。
 大聖人、ただお一人が、末法の民衆救済のために立ち上がり、妙法流布を開始されました。
 五濁悪世の末法にあって、大聖人がいらっしゃらなければ、一切衆生の成仏の道は、閉ざされてしまうことになります。
 ゆえに、民衆を幸福に導き、国土に安穏をもたらすために、不惜身命で妙法を弘通する大聖人こそ、「日本の人の魂」「日本の柱」であることは、法華経の経文に照らして間違いありません。
 さらに、「日蓮によって、日本国の存亡は決まる」との仰せには、どこかの、だれかが、人々を救うのではなく、“私が万人成仏の道を開くのだ”との大慈悲心から発せられた、主体者として立つ覚悟を示されていると拝せます。
 それは取りも直さず、門下一人一人に“私と同じ自覚で、広宣流布に戦い、生き抜け!”との呼び掛けでもあります。
 大聖人直結で、全人類の幸福と世界の平和を願い、広宣流布を進める私たちも、自分が今いる地域や職場の幸福責任者との自覚と誇りを胸に、積極的に動き、語り、信頼の柱、希望の柱となっていくことが大切なのです。

「立正安国」の対話を

 拝読御文の後半で、「北条家御一門において同士討ちが起こり、後には他国から攻められるであろう」と、「立正安国論」で予言した、「他国侵逼難」「自界叛逆難」が現実になると述べられています。
 大聖人は、予言が的中することを、望まれていたわけでは決してありません。大聖人は、どこまでも、国土の安穏と民衆の幸福を願われていました。
 予言といっても、何かのお告げなどといった、神秘的なものでは全くありません。社会の根本原理の誤り、人々の精神の荒廃が、さまざまな現象となって表れることを知っているがゆえに、それを防ごうとされたのです。
 だからこそ、「立正安国論」を著し、内外の戦乱という災難を、事前に押しとどめるために、時の権力者を諫暁したのです。
 ところが幕府は、大聖人の諫言を用いないばかりか、大聖人を亡き者にしようと、さまざまな迫害を加えてきたのです。
 ゆえに大聖人は、竜の口の法難、佐渡流罪などの弾圧を、「日本の柱」を倒す所行であると断じられているのです。
 大聖人への迫害は、社会が依って立つべき精神の基盤を、権力者が自ら破壊してしまうことと同じです。
 事実、人々の思想が乱れ、社会が騒然とし、「立正安国論」での予言が「二月騒動」「蒙古襲来」として現実となり、大聖人の言葉が真実であることが証明されました。
 社会の安穏と言っても、その根本は、民衆一人一人の心に人間主義の哲学を打ち立てることです。
 大聖人が、生涯、「立正安国」の言論戦を貫かれたように、私たちも、民衆の幸福と世界の平和へ、勇気の師子吼を広げていきましょう。

 大聖人の御生涯の中でも、最も大きな法難に、敢然と挑まれた振る舞いが示されたのが本抄です。
 いかなる迫害の嵐をも見下ろしていく、大聖人の大境涯を象徴する本抄の一節こそ、「日蓮悦んで云く本より存知の旨なり」(御書910ページ)です。
 なぜ、大聖人は、“うれしい”とまで言い切られたのでしょう。
 それは、妙法蓮華経の五字を末法に弘める者は、必ず迫害されるとの経文を、身で読む喜びからです。
 大聖人は、なぜ自らの闘争の姿を門下に書き送られたのでしょう。
 池田先生は、つづっています。
 「『わが弟子に、何としても勝ってもらいたい!』『法華経の行者の振る舞いとは、境涯とは、いかなるものか、後世に示し残しておきたい!』――そうした大聖人の、迸るような熱き思いが、本抄には込められていると、拝されてなりません」
 大聖人はさらに、「各各思い切り給へ此の身を法華経にかうるは石に金をかへ糞に米をかうるなり」(同ページ)とも仰せです。
 広宣流布の途上に、さまざまな難が競い起こってくるのは必然です。その時に、“私と同じように強く生き抜け!”と教えられているのです。なんとありがたいことでしょうか。
 師匠は、弟子に自身の振る舞いを通して、師弟不二の成仏の道を教えられています。報恩の心で続くかどうかは、どこまでも弟子にかかっているのです。

池田先生の指針から 「私には広宣流布しかない」

 「日本の柱」とは、いかなる権力の魔性にも倒されない、万人救済の正義の信念に生きぬく覚悟と不惜の闘争があればこそ、表現できる言葉です。
 この御本仏の魂を受け継いだのが創価学会にほかなりません。いな、創価学会しかありません。
 私の脳裏には、会長就任直前の戸田先生の言葉が刻まれています。
 「私には広宣流布しかない」「私は立つぞ! 誰がなんと言おうが、恐れるものか! もう、何ものにも邪魔させるものか!」「私は、一人立つぞ!」と。
 いつの時代にあっても、いずれの国土にあっても、広宣流布は、常に「一人立つ精神」から始まります。「一人立つ」心があれば、妙法の力用は自在に発揮されます。
 私も、戸田先生の弟子として、世界広宣流布という未聞の道に「一人」立ち上がりました。
 「一人立つ精神」こそ、三世永遠に変わらぬ妙法弘通の根本原則です。
 そして、「誓願の心」こそ、法華経の行者の魂であり、大聖人の宗教の根幹です。(『池田大作全集』第34巻「開目抄講義」)
 ◇ ◆ ◇ 
 大事なのは、強盛なる信心の「一人」である。一人の「一念」であり、「心」である。
 環境がどうあれ、魂の「金の城の人」が一人いれば、「黄金の人材」さえ一人いれば、すべてを良き方向へ、幸福の方向へと開いていける。この「真剣の一人」を育て、「真剣の一人」に育ちながら、私どもは進んでいきたい。
 学会員一人一人が、真金の人と輝くならば、全人類も、「幸福」へ、「安穏」へ、「平和」へと導いていけないはずがない。事実、学会の発展と、歩調を合わせるかのように、日本と世界の歴史も、大きく転換してきた。その意味から、学会こそ、「日本の柱」「世界の光」との気概で進みたい。
 (1994年1月、「新春幹部会」でのスピーチ、『池田大作全集』第84巻所収)

参考文献

 ○…『御書と師弟』第2巻(聖教新聞社
 ○…2012年4~6月号「大白蓮華」掲載の「勝利の経典『御書』に学ぶ」(同)

〈池田先生と共に 新時代を築く〉 2019年5月8日

〈池田先生と共に 新時代を築く〉 2019年5月8日

共々に「自受法楽」の人生を
 

 敬愛する全同志と共に、晴れ晴れと5月3日を飾り、新時代の出発ができた。
 日本の各界からも多くの祝賀をいただいた。世界からの顕彰も、全て先師と恩師に捧げる宝冠である。
 それは、わが宝友が誓願の天地で、地道に誠実に勝ち広げてきた信頼の証しにほかならない。
 なかんずく、賢く朗らかな創価の母たちのたゆまぬ行動あればこそである。
 私は少年の日、心に留めた詩を思い出す。兵庫をはじめ関西の友と語らい、大切にしてきた一詩である。
 「踏まれても 踏まれても なお咲く タンポポの笑顔かな」
 タンポポは地中深く根を伸ばしているゆえに強い。
 まさに、いかなる苦難もはね飛ばす、明るい不屈の常勝の母たちのようだ。
 * * * 
 「創価学会後継者の日」(5日)、妻と足を運んだ恩師記念会館には、従藍而青の若人たちとの共戦譜が展示されていた。
 九州の霧島で、未来部の友に最敬礼して激励した一こまも懐かしい。全魂を込めて薫陶してきた一人一人が、仰ぎ見るリーダーと育って指揮を執っていることは、何と頼もしいことか。
 草創期、広布の拡大のため、安い“わらじ”を履いて後輩たちと歩き回った東京・足立支部の名支部長が、青年部の室長だった私に語ってくれた言葉が蘇る。
 「青年のためには、なんでもしようと思っています。もし、何かあれば、私は、命懸けで青年を守る決意でおります」と。
 庶民の人間王者たる父母たちの祈りと励ましに応え、民衆と社会に貢献しゆく地涌の人材群を、我らはいやまして送り出すのだ。
 * * * 
 聖教新聞の配達員の方々は、この連休の間も日々の配達に励んでくださった。
 広宣流布を推し進め、人々に勇気と希望を贈りゆく聖業の福徳は、無量無辺である。偉大な「無冠の友」の益々の健康と絶対の無事故、ご一家のご多幸を、妻と祈り続けている。
 * * * 
 御本仏・日蓮大聖人は、神奈川の先達・四条金吾夫妻に仰せになられた。「苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ、これあに自受法楽にあらずや、いよいよ強盛の信力をいたし給へ」(御書1143ページ)
 何があっても題目を唱え、法のため、友のため、社会のため、立正安国のため行動しゆくなかにこそ、生命から滾々と湧きいずる「自受法楽」(自ら法楽を受く)の大歓喜がある。
 この最極の「生き甲斐」と「充実」と「大福運」の人生を、共々に生き生きと!

〈世界広布の大道――小説『新・人間革命』に学ぶ〉 第8巻 基礎資料編 2019年5月8日

〈世界広布の大道――小説『新・人間革命』に学ぶ〉 第8巻 基礎資料編 2019年5月8日

物語の時期 1963年(昭和38年)5月3日~1964年初頭
「激流」の章
         

 今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第8巻の「基礎資料編」。各章のあらすじ等を紹介する。次回の「名場面編」は15日付、「御書編」は22日付、「解説編」は29日付の予定。

「布陣」の章

 山本伸一の会長就任から3年、広宣流布は飛躍的な伸展を見せていた。1963年(昭和38年)5月3日の第25回本部総会を前に、伸一は、翌春の戸田城聖の七回忌に向かい、「今なすべきことは何か」を考える。そして、殉難も恐れず、民衆の幸福と人類の平和に生涯を捧げた、牧口常三郎戸田城聖の精神を伝え抜いていくことを決意する。
 本部総会では、組織が拡充され、新たな人事も発表されるなど、大前進の「布陣」が整えられていく。
 6月、人類初の女性宇宙飛行士テレシコワを乗せた人工衛星打ち上げのニュースが世界を駆け巡る。伸一は、女性が社会の第一線で活躍する時代の幕開けを感じる。また、女子部の要請を受け、「女子部に与う」を執筆する。
 20日、伸一は、鹿児島、宮崎の指導へ。徳之島から船で、奄美大島を初訪問。奄美大島会館の落成式に続いて、名瀬港に面した塩浜海岸の埋め立て地で、奄美支部の結成大会が行われる。伸一は、離島広布に戦ってきた同志を全力で激励。「私と同じ心で、同じ決意で」と、奄美の広布を託し、力走を続ける。

「宝剣」の章

 7月1日、男子部幹部会に出席した伸一は、戸田城聖の七回忌を期して、「本門の時代」すなわち広宣流布の本格的な展開の時代に入ることを宣言する。次いで5日、女子部幹部会では、女子部も、男子部も、それぞれ部員100万の達成を提案。また、「真心を込めて、一人ひとりのメンバーの個人指導を実践していっていただきたい」と呼び掛けた。
 翌6日、伸一は、伊豆の天城で行われた男子の水滸会、続いて女子の華陽会の研修に駆けつけ、青年の育成に全精魂を傾ける。
 彼は、男子部の結成12周年を記念して、青年部の新しい指針「青年よ世界の指導者たれ」を執筆する。それは、青年たちの眼を大きく世界へと開き、指導者への自覚を促す、精神の暁鐘となった。
 関西では、京都大学に学ぶ学生部員への「百六箇抄」講義を始める。講義を通し、伸一は受講生一人一人を広布の「宝剣」へと磨き、育てていく。
 25日、聖教紙上に、日達法主の訓諭が掲載。広布の息吹もなく、学会を批判する宗門の僧、法華講を戒めるものであった。伸一は、衣の権威に潜む魔性との闘争に挑んでいく。

「清流」の章

 7月28日、伸一は言論部の第1回全国大会に出席。席上、言論部の使命とは、悪質な意図をもって、民衆を扇動するような、邪悪な言論の噓を暴き、「人間の“幸福”と真実の“平和”のための新しい世論をつくりあげていくこと」であると訴えた。
 30日、彼は長野市で、中部第二本部の幹部会に出席する。また、31日の夜、東京では8月度の男子部幹部会が開かれ、「世界広布の歌」を発表。この歌は、伸一から贈られた青年部への指針「青年よ世界の指導者たれ」に応える、誓いの歌であった。
 9月には念願の新学会本部が落成。この新本部を中心に、学会は勇躍「本門の時代」へと突き進んでいく。さらに、伸一は、文化運動への基盤を着々と整え、「民主音楽協会民音)」を創立。民音の設立によって、新たな文化の創造がなされることに期待を寄せた。
 この頃、ある地方で、幹部の金銭詐取事件が発覚する。幹部の不祥事を通し、広布の組織を攪乱する魔の本質が明らかにされる。伸一は、試練を乗り越えた同志へ、生涯、信心の「清流」を貫いていこうと励ましを送った。

「激流」の章

 11月23日、アメリカのケネディ大統領暗殺の衝撃的なニュースが世界を走る。伸一は、ケネディが大統領として戦った“一千日”に思いを馳せ、地上から人間への差別をなくし、世界に永遠の平和を築き上げることを心に誓う。
 11月の本部幹部会では、明64年(昭和39年)を「団結の年」とすることが発表された。年末、学会の総世帯は400万世帯になんなんとしていた。驚嘆すべき大前進であった。
 64年1月、学会代表の韓国訪問が中止になる。韓国では、かつて日本が行った侵略と支配の歴史から、学会に対して根強い誤解があった。韓国の同志は、度重なる弾圧にも、「激流」にそそり立つ巌のように、いささかも揺るがなかった。粘り強く、信頼を勝ち取り、やがて、大統領から表彰されるまでになり、社会で実証を示していく。
 一方、伸一は韓国の同志に、日々、題目を送り続けるとともに、日韓の文化・教育の交流を推進していった。そして90年(平成2年)、ついに念願の韓国初訪問を実現。98年(同10年)には、SGI韓国仏教会本部を訪れ、メンバーとの出会いを果たす。

山本伸一の激励行 1963.5.3-同年末 ※第8巻に記された行事から

 川には源がある。御聖訓には「源遠ければ流長し」(御書1180ページ)と。創価学会にも精神の光源がある。それは、初代会長・牧口常三郎と第二代会長・戸田城聖が織り成した、燦然と不滅の光を放つ、師弟の不二の道である。その精神が脈打っている限り、広宣流布の流れは、永遠に世界を潤し続けるであろう。(「布陣」の章、7ページ)
 ◇ 
 戸田の七回忌を翌年に控えた1963年、山本伸一は、未来の大発展のために全国を東奔西走し、先師・牧口と恩師・戸田の精神を、同志の心に打ち込んでいった。

1963年10月18日 民音が創立

 1963年10月18日、民音民主音楽協会)の創立記念演奏会が開催された。民音は、61年、池田先生が東南アジア各国を初訪問した折、民衆と民衆の相互理解を図り、音楽・芸術の交流を進めることなどを目的として構想したもの。
 これまで、110カ国・地域から音楽家や芸術団体を日本に招へい。日本文化等を伝える派遣公演を、21カ国・地域で800回以上開催している。

 ※『新・人間革命』の本文は、聖教ワイド文庫の最新刷に基づいています。

 【挿絵】内田健一郎 【題字のイラスト】間瀬健治

〈5・3「創価学会の日」記念特集〉下 インタビュー 世界詩歌協会 国際詩人アカデミー サイード・アミールディン会長 2019年5月6日

〈5・3「創価学会の日」記念特集〉下 インタビュー 世界詩歌協会 国際詩人アカデミー サイード・アミールディン会長 2019年5月6日

池田博士の言葉は人類を一つに結ぶ
詩は「時代の良心」「社会変革の力」
たった一言が、生涯を照らす希望の光源ともなる――全国・全世界の同志のために、寸暇を惜しんでペンを執る池田先生(2009年4月)

 ――池田先生を知ったきっかけを教えてください。
  
 若い頃、世界詩歌協会創立者であるクリシュナ・スリニバス博士と出会い、折々に彼と詩について語り合ってきました。
 その後、国際的な詩人団体を立ち上げ、各地の詩人を集めて国際会議を開いたり、詩歌の専門誌を出版したりしながら、詩のムーブメントを起こしていきました。
 1980年代だったと記憶しています。スリニバス博士から池田博士の詩集を渡され、「ぜひ、書評を書いてほしい」と頼まれたのです。私は当時、マドラス大学で詩を教えていました。
 初めて池田博士の詩を読んだ時の感動は忘れられません。無上の喜び、究極の幸福を得たような感覚にとらわれました。
 池田博士が紡ぎ出す言葉は、憎悪や苦悩の闇から人々を救い出したいとの熱い思いにあふれています。恒久平和の実現へ全精魂を注いでこられた博士の、不断の闘争の結晶に思えてなりません。
 池田博士の詩歌には、人類を一つに結びゆく響きがあります。まさに「世界に平和をもたらす使者」だと直感しました。だからこそ私は“博士の存在を、世の中にもっと広めていかなければならない”との強い衝動に駆られたのです。
 私はすぐさま、池田博士の紹介文を添えた書評を執筆し、50カ国に読者を持つ世界詩歌協会の専門誌「ポエット」に掲載しました。副題は「平和の詩人・池田大作氏」としました。
 反響は、すさまじいものがありました。書評を読んだ数多くの詩人や文芸評論家から、「これは、天才的な詩人の発掘だ。このような詩人が、今の時代に現存することを知らなかった」との驚きと、喜びの声が殺到しました。一晩で、実に100通を超える便りが届いた日もありました。
 池田博士本人からも丁重な礼状をいただき、それがきっかけで博士との交流が始まりました。
 これまで、各地のセミナーや会議等でも、池田博士の詩や事績を紹介しています。
 詩人でありながら、宗教やイデオロギーの枠を超えて、世界に相互理解の対話の道を開いてこられた池田博士を、私は深く尊敬しています。
 今日まで友情が続いていることを、とてもうれしく思うとともに、5月3日の「創価学会の日」を心からお祝い申し上げます。

詩聖に通じる深み

 ――アミールディン会長は、アメリカ・スタンフォード大学など国内外の大学で、詩に関する講義を担当してこられました。これまで世界中の詩に触れてこられた会長にとって、「本物の詩」とは、どのようなものなのでしょうか。
  
 いわゆる「普通の詩」は、事象をそのまま言葉に表したものに過ぎません。
 それに対し、「本物の詩」と呼べるものは、読む人の感情を揺さぶり、心の奥底から“何か”を湧き上がらせる力を秘めています。
 これは簡単な例文ですが、ある詩の一節にこうあります。
 「私は人生のトゲの上に落ちてしまった」
 この作者は、実際に「トゲの上」に落ちたわけではありません。自分の苦しみを表そうとして、このように書いているわけです。巧みな比喩表現を用いることによって、読み手の心にも痛みが伝わります。
 私は先日、“魂の旅路”をテーマにした詩集を上梓しました。人間誰しもが持つ物質的な欲望を離れ、精神的な高みへと向かう境地をつづったものです。
 仏教における悟りもそうですが、境地というのは達した人にしか分かりません。どんなものかを説明しようにもできない。体験して感じるしかない。詩人は、その“感じたまま”を表現することができるのです。
 現在、活躍する詩人の多くは、愛や自然、希望などをテーマに掲げて詩作しています。
 池田博士の作品は、私たちの内にある聖なるものに気付かせ、宇宙とのつながりを感じさせてくれます。人間の苦しみや悲しみを描きながら、それをいかにして転換することができるか、その方途を示されているのです。
 池田博士の詩の持つ深みは、古代の詩人カーリダーサやティルヴァッルヴァル、そして詩聖タゴールなどの偉人たちと通じるものがあります。

焦点は常に一人

 ――現代社会における詩の役割について、お聞かせください。
  
 詩は「時代の良心」であり、「社会を変革する力」そのものです。人間性を開花させ、人類愛に満ちた世界をもたらします。
 私が会長を務める国際詩人アカデミーは2000年、池田博士に最も栄誉ある「マン・オブ・ザ・ミレニアム(千年紀を代表する人物)賞」を授与しました。
 これは、第三の千年の始まりに当たり、新たな時代を開く人物に贈るものです。世界に数千人の会員を持つわがアカデミーは、池田博士への授与を理事会の満場一致で決めました。授与式の模様は、テレビや全国紙に取り上げられ、インド全土に伝えられました。
 式典で私は、池田博士をこう紹介しました。
 「新千年紀に世界平和と普遍的な兄弟愛を確立するため、宇宙的な響きをもつ新たな思想と、高尚なニュー・ヒューマニズム(新しき人間主義)をもって、この地球上に完全かつ静かな変革をもたらす人」であると。
 池田博士は、地上の全ての目から涙を拭い、全ての顔に笑みを取り戻すことを夢見ておられます。
 壮大なビジョンを持ちながら、その焦点は常に“一人の変革”に向けられています。個々人の智慧を開発し、持てる力を引き出すことによって、世界を平和へ、調和へ、繁栄へと導こうとしておられるのです。
 池田博士こそ、21世紀から始まった新たな千年を照らす存在であると確信します。
 「マン・オブ・ザ・ミレニアム(千年紀を代表する人物)賞」は、博士以外の人には、授与されていません。この名に値するのは、池田博士ただお一人であるからです。

 Syed Ameeruddin 1942年生まれ。インド・マドラス大学英文学部教授などを歴任。客員教授として、国内外の大学で詩を教える。国際詩人アカデミー創設者・会長。世界詩歌協会会長。著書多数。