〈座談会 創立90周年を勝ち開く!〉40 「私の勝利」が「創価の勝利」に―― 広布拡大の新記録に挑戦! 2019年5月20日

〈座談会 創立90周年を勝ち開く!〉40 「私の勝利」が「創価の勝利」に―― 広布拡大の新記録に挑戦! 2019年5月20日

子育てに奮闘する友に励まし
〈出席者〉
原田会長
長谷川理事長
永石婦人部長
竹岡青年部長
大串女子部長
最後に勝つ人こそ、真の勝利者――異体同心の団結で祈り、語り、動き、新時代の民衆凱歌を轟かせよう!(4月23日、東京・足立総区の集い)

 竹岡 今秋のオープンを目指し、東京・信濃町で「世界聖教会館」の工事が着々と進んでいます。

 大串 東京オリンピックパラリンピックのメイン会場となる新国立競技場も、同じ時期に完成の予定です。信濃町周辺が、世界の人々でひときわにぎわうことになりますね。

 竹岡 世界中のアスリートが今、五輪に向けて自身の新記録に挑み、鍛錬を重ねています。“創価勝利の年”の本年、私たちも、自身の人生と広布の戦いの新記録に挑戦していきたいと思います。

自身の明確な目標

 原田 池田先生は本年1月、建設中の新国立競技場を撮影されました。その写真と共に掲載された聖教新聞の「四季の励まし」には「人生の価値とは“記録への挑戦”から生まれる。自分のこれまでの最高記録を、どう更新し、書きあらためるか。その“挑む”姿勢から、勝利と満足の人生が開かれていく」と、ありました。

 長谷川 日頃の広布の戦いにあっては、ともどもに「何人の同志に励ましを送れたのか」「何人を味方にできたのか」を、常に自身に問い掛けながら、張り切って前進していきたい。

 竹岡 大切なことは、目標を明確にすることですね。牧口先生は「曖昧な的に向かって放たれた矢が当たるわけはない」と言われています。

 大串 池田先生もまた、「明確な『挑戦の目標』『拡大の目標』を心に定め、決然と立ち上がる時、必ず『壁』は破れる」と指導されています。

 原田 特に、リーダーが少しでも「自分がやらなくてもいいだろう」というような、他人任せであれば、自身の成長も歓喜もなく、広布の前進もありません。

 大串 小説『新・人間革命』第18巻「師子吼」の章にも、こうあります。「困難な状況のなかで、唱題を根本に自身の限界に挑んで必死に戦い、目標を達成していくならば、『歓喜の中の大歓喜』(御書788ページ)があふれ、信心への確信が深まる」

 原田 学会創立90周年を目指して進む私たちにとって、師弟共戦のかけがえのない毎日です。自分がどう戦ったか。この日々の奮闘は、自身の黄金の歴史となり、無量の福徳となることは間違いありません。

 長谷川 学会員の私たちは、広宣流布の戦いの中で境涯革命、宿命転換を果たしてきました。大闘争の時こそ成長のチャンスです。

 永石 先生は「広宣流布を進める創価学会の大発展を強盛に祈っている人は、どんなことにも負けない自分自身になる。王者のような境涯を必ず開けるのです」と指導されています。

 原田 広布への祈りはいわば公転です。自身の課題への祈りは自転です。自転と公転があって、確かな生命の軌道となる。ともどもに励まし合い、自身の殻を破る戦いにしていきたい。その中で皆が信心の大成長を遂げ、「私の勝利」で「創価の勝利」を開いてまいりたい。

まず話を聞くこと

 長谷川 全国で拡大の先頭に立って、友情と信頼の輪を広げてくださっているのが婦人部の皆さんです。改めて、心から感謝を申し上げます。

 永石 ありがとうございます。特に今、各地で、子育て中のメンバーも、先輩の方々の応援を受け、奮闘しています。

 長谷川 先生は「子育て世代は、目まぐるしく忙しい。苦労や悩みも絶えないであろう。今は家庭の在り方も多様であり、きめこまやかな心配りが望まれる。先輩方は、心のひだに染みいる、懐の深い励ましをお願いしたい」とつづられています。

 原田 励ましとは、話を「聞く」ことでもあります。人は「話を聞いてもらった」「悩みを打ち明けることができた」というだけでも、心が軽くなっていくものです。

 永石 私も、子育て中の同志を訪問・激励した際には、活動の状況だけではなく、お子さんのことも必ず聞くように心掛けています。また、機会があれば、お子さんにも直接、声を掛けるようにしています。

 長谷川 具体的な心配りも大事ですね。乳幼児を連れての、夜の会合参加や天候不順の際の会合参加などについては、周囲が十分に配慮したいと思います。小さいお子さんがいる婦人部の方には、帰りが遅くならないようにする等、気遣うことも大切です。

 原田 今の未来部員や乳幼児たちは、21世紀後半の広布を担う中核となります。御聖訓に「子は財」(御書1576ページ)とある通りです。育児は思うようにいかないことも多いと思いますが、先生は、お母さんが懸命に「人のため、社会のために生き生きと走る姿は、若き生命に焼き付けられる」とも示されています。長い目で見れば親の祈りと聡明な行動は必ずお子さんに通じていきます。

 永石 また、先生は「若き日の苦労は、すべて幸福になるための土台作りである」「苦労した人が一番、幸福になれる信心である」ともつづられています。

 長谷川 「信念をもって、みずから決めた『希望の大道』を朗らかに進んでいく――そんな母親の生き方こそ、子どもに贈る最高の“財産”なのです」と指導されたこともあります。

 原田 婦人部は、使命が大きい分、多忙であり、人知れずご苦労も多いと思います。その上で、信心を根本に懸命に学会活動に励み、広布のために努力した日々が無量の福徳となり、ご一家を照らしていくことは、御聖訓に照らしても間違いありません。ともどもに励まし合い、はつらつと前進していきましょう。

〈随筆 「人間革命」光あれ 池田大作〉 青葉輝く師弟の道 2019年5月19日

〈随筆 「人間革命」光あれ 池田大作〉 青葉輝く師弟の道 2019年5月19日

「最後は勝つ」が人生の醍醐味
偉大な創価の女性と前へ前へ!
牡丹(ぼたん)の真っ赤な大輪が笑顔を寄せ合う。まるで創価の女性たちの談笑の姿のように――(池田先生撮影。本年3月、都内で)

 学会家族には、いつも明るく弾む歌声がある。
 五月三日を祝賀する本部幹部会では、未来部の友が「母」と「正義の走者」の美事な合唱を披露してくれた。全国の同志から感動の反響が、私の元にも多く届いている。
 後継の若く尊き宝樹が「従藍而青」の冴え光る命で、大成長の青葉若葉を茂らせてくれており、なんと嬉しいことか!
 ふと、芭蕉の名句が思い浮かぶ。
 「あらたふと 青葉若葉の 日の光」
 江戸時代、千住(今の足立区・荒川区を結ぶ地域)を旅立った芭蕉が、草加を経て東北へ向かう途上、日光で詠んだ句だ。元禄二年(一六八九年)、ちょうど三百三十年前のその日は、太陽暦で五月十九日であった。
 今年もこの季節に、「うつくしまフェニックスグループ」の宝友たちが総本部へ集ってくれた。原発事故等の影響で福島県内外に避難された方々が、いずこにあっても「負げでたまっか!」と励まし合い、不死鳥の心で希望と福徳の輝きを放たれている。
 笑いあり涙ありの大会では、東北の歌「青葉の誓い」を大合唱されたことも、胸に熱く伺った。

緑のモスクワで

 二十五年前の五月、私は青葉光るモスクワにいた。モスクワ大学では二度目の講演を行った後、サドーヴニチィ総長にご案内いただき、構内の植物園で「白樺」の苗木を植樹した思い出が蘇る。
 妻は「日本の“白樺”(看護者の集い)の皆さんも喜んでくださいますね」と微笑んでいた。
 四半世紀の歳月を重ね、白樺の若木は見上げるように大きく育った。総長は、モスクワ大学の卒業式でも、この“友情の大樹”のことを紹介してくださったそうだ。
 大地に深く、広く根を張った大樹は強い。その木と木が森をなすように、未来を開く世界市民の青葉の森を創りゆくのが、創価平和運動だ。
 とくに、青年たちに励ましの慈光を惜しみなく贈ってくれるのが、各地の婦人部の皆様である。母たちの周りには、なんと多くの温かな友情の輪、幸福の笑顔の輪が広がっていることか。
 恩師・戸田城聖先生のもとで女子部の華陽会が学んだ『小公子』には、「この世に、あたたかい心ほど力づよいものがあるでしょうか」とある。
 作者のバーネットは、自身の作品には「ハッピーエンディング」を選ぶと断言した。なぜなら、「すべての人の人生にはじっさいに、目をみはるほどの幸福が数多くあるのですから」と――。
 人生の劇にどんな波乱があろうとも、最後は必ず勝つ。皆を勝たせて、“自他共にハッピーエンディング”を飾る。これこそ、妙法の女性がヒロインとなる人間革命の舞の醍醐味ではないか。

青春の城を想う

 私が若き日の苦闘時代を過ごしたアパートの名も「青葉荘」であった。故郷・大田区の大森にあり、七十年前の一九四九年(昭和二十四年)五月から三年間暮らした。
 小さな小さな青春の城で、私は近隣の方々と清々しい挨拶を重ね、誠実に親交を深めていった。私の部屋で座談会を行い、隣近所にも声をかけた。やがて信心する人も生まれていった。
 「二月闘争」の時には、「友人の折伏にぜひ」と急に呼ばれ、「よし、行きましょう!」と婦人部の応援に勇んで飛び出したこともあった。
 大阪支部の初代支部長となった白木義一郎さんが青葉荘に訪ねてこられたことも思い出深い。
 プロ野球の名投手だった彼が、突然、大阪の球団への移籍を通告されて悩み、相談に来たのだ。
 私は彼の話を聞きながら、一気に広宣流布の展望が開ける思いがした。
 「この大阪行きは御仏意だよ! 大阪に一大拠点を築き、関西、いな西日本に広布の大潮流を起こし、戸田先生の願業の七十五万世帯達成への起爆剤になろう!」
 師弟勝利、民衆勝利の波を大阪、兵庫など全関西、全中国、全四国へ、そして福岡など全九州へ――夢は尽きなかった。
 世界の友が仰ぎ見る常勝大関西の源流も、試練をむしろ好機に転じゆく若き大胆な語らいから始まったといえようか。

正成と正行と母

 「青葉茂れる桜井の」――戸田先生に幾たびもお聞かせした“大楠公”の歌は、今の大阪・島本町桜井が舞台とされる。
 「父は兵庫に赴かん」と湊川の決戦に臨む父・楠木正成は、「御供仕えん」と申し出た長子・正行を制した。
 『太平記』では、正成は、獅子が敢えて子を断崖から突き落として鍛えるという故事を通し、正行を厳しく誡める。
 わが後継として苦難の道を歩み、「早く生い立ち」、世のため人のために戦えと願ったのだ。
 この父子の語らいは、母子に引き継がれる。
 父の死を悲嘆して後を追おうとする正行を、母は毅然と叱咤した。
 「父が兵庫へ向かひし時、汝を返し留めし事」の意味を忘れたのか――時を待ち力を付け、やがて仇を討ち、「孝行の道」を貫くためではないかと母は諭したのである。
 作家の大佛次郎は、この母に鋭く光を当てた。
 「(母は)泣きもせぬ。歎きもせぬ。ただ、この子を父親と同じものに引上げる。心からの、その祈りであった」と。
 母の決定した祈りに勝るものはないのだ。
 私は忘れない。あの「大阪事件」の直後に、兵庫広布・関西広布の草創の母が語った一言を。
 「私は、一生涯の覚悟を新たにしました。
 戦いは、絶対に勝たな、あきまへん。断じて負けたらあかん!」と。
 この「常勝の母たち」の強き一念の脈動ありて、何ものにも崩されぬ錦州城が築かれたのだ。
 どんなに悔しくとも、苦しくとも、「いまだこりず候」(御書一〇五六ページ)との御聖訓のまま、恩師から託された「立正安国」即「福運安穏」の大闘争に母たちは挑み続けてくれている。
 この不撓不屈の挑戦によって耕された母なる大地から、二陣三陣と地涌の人華が育ち、「仏法即社会」の豊かな貢献の果実が幾重にももたらされているではないか。
 堅塁・中部の母たちが万葉の緑の中、誇り高く師弟の絆を「今日も元気で」の歌に託して歌ってくれた歴史も鮮やかだ。
 また「生い立て君よ」と“大楠公”の心を込めた、愛唱歌「火の国『青葉の誓い』」を、先駆・九州の若人と共に、長崎の地で作ったことも懐かしい。

法華弘通の旗印

 青葉の五月は、恩師が第二代会長に就任して直ちに学会常住の御本尊を発願された月でもある。
 御本仏・日蓮大聖人は「大願とは法華弘通なり」(同七三六ページ)と仰せになられ、「法華弘通のはた(旌)じるし」(同一二四三ページ)として御本尊を御図顕された。
 この御本仏のお心そのものである「大法弘通慈折広宣流布大願成就」とお認めの常住御本尊を大誓堂に御安置してより六年――。全世界の地涌の大前進は、いよいよ威光勢力を増している。
 「此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只我れ等衆生法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり」、「此の御本尊も只信心の二字にをさまれり以信得入とは是なり」(同一二四四ページ)――。
 この御聖訓は、その名も日女御前という女性門下に送られた。「日女」とは、まさに太陽の女性という意義であり、その生命の光彩は、わが「太陽の婦人部・女子部」に受け継がれている。
 御本尊の無量無辺なる大功力を涌現するのは、創価の女性の最も強盛な信心である。「祈りからすべては始まる」のだ。

妙法の力を開け

 モスクワ大学の講演で私は「妙の三義」を敷衍して申し上げた。
 この「妙の三義」も、女性門下への「法華経題目抄」で明かされた法門である。すなわち――
 「妙と申す事は開と云う事なり」(同九四三ページ)
 「妙とは具の義なり具とは円満の義なり」(同九四四ページ)
 「妙とは蘇生の義なり蘇生と申すはよみがへる義なり」(同九四七ページ)
 あらゆる人の仏の生命を開き、自他共に幸福を勝ち広げる勇気!
 どんな局面も聡明に包み込んで、調和と和楽を創り出す智慧
 いかなる宿命も使命に転じ、喜びあふれる蘇生へと導く慈悲!
 妙法の真髄の力を生き生きと発揮しながら、あの友もこの友も、あの地もこの地も、笑顔で照らし晴らしゆくのが、創価の女性たちの立正安国の対話ではないだろうか。
 この“婦女一体”の連帯で、栄光勝利の未来の鐘を打ち鳴らすのだ。
 今月、アメリカ・ルネサンスの大詩人ホイットマンは生誕二百年の日を迎える。ゆかりの地には、このほど新宝城ブルックリン会館も誕生した。
 彼は恐れなき開拓者を讃えた詩で叫んだ。
 「旗じるしには力づよき母を掲げよ、
 そのたおやかな女性の姿を振りかざせ、万人の頭上に高く星さながらに輝く姿を、(一同のこらず頭を垂れよ)」
 創価の民衆スクラムは、尊き母たち女性たちの旗印のもと、希望の人間世紀へ前進する。
 御書には「音の哀楽を以て国の盛衰を知る」(八八ページ)と仰せである。
 我ら学会家族は、歓喜の歌声と対話を、さらに明るく仲良く賑やかに響かせながら、誓願の国土に福運安穏の青葉を勝ち茂らせようではないか!(随時、掲載いたします)

 芭蕉は萩原恭男校注『おくのほそ道』(岩波書店)等。バーネットの言葉は『小公子』坂崎麻子訳(偕成社)とその訳者解説から。楠木正成・正行と母の話は兵藤裕己校注『太平記』(岩波書店)、落合直文作「青葉茂れる桜井の」による。大佛次郎は『大楠公 楠木正成』(徳間書店)。ホイットマンは『草の葉』酒本雅之訳(岩波書店)。

〈座談会 創立90周年を勝ち開く!〉39 5月19日は創価学会常住御本尊の記念日 広宣流布は我ら久遠の大誓願 2019年5月16日

〈座談会 創立90周年を勝ち開く!〉39 5月19日は創価学会常住御本尊の記念日 広宣流布は我ら久遠の大誓願 2019年5月16日

“創造的人生”こそ“健康人生”
〈出席者〉
原田会長
長谷川理事長
永石婦人部長
志賀男子部長
大串女子部長
広宣流布大誓堂」に集い来る世界の同志。我ら「創価の師弟」こそ、御本仏直結の地涌の菩薩の大陣列

 大串 5月19日は、「創価学会常住御本尊」の記念日です。

 志賀 これは、1951年(昭和26年)5月3日、第2代会長に就任された戸田先生が、仏意仏勅の広宣流布の団体である創価学会の「金剛不壊の大車軸」として発願。同月19日に認められたことに由来します。

 永石 脇書に「大法弘通慈折広宣流布大願成就」と記された常住御本尊は、学会本部に御安置されました。そして、57年(同32年)12月には、戸田先生の生涯の願業であった75万世帯の弘教が成就されます。

 原田 その後、第3代会長に就任された池田先生は、戸田先生の不二の弟子として、本部の師弟会館で、この御本尊を厳然とお守り申し上げ、一閻浮提への「大法弘通」「慈折広宣流布」の大願成就のため、死身弘法の指揮を執ってこられたのです。

 長谷川 池田先生は、この御本尊の御前で、全同志の健康とご多幸、人間革命と一生成仏を祈り抜き、末法万年尽未来際を見つめ、後継の人材の大河を創り、令法久住への完璧なる基盤を築いてくださいました。

 永石 今や学会は世界192カ国・地域に広がり、その平和・文化・教育の運動に、各国の方々から期待と共感が寄せられています。

 志賀 世界広布新時代を迎え、常住御本尊は、東京・信濃町広宣流布大誓堂に御安置されています。大誓堂にある「広宣流布 誓願の碑」の碑文に、先生は、「広宣流布は、世界の平和と社会の繁栄を開きゆく大道なり。全人類を救わんとする、我らの久遠の大誓願なり」とつづられています。

 大串 全国、全世界の同志が大誓堂に集い行われる「広宣流布誓願勤行会」では、常住御本尊に、皆が誓願の祈りをささげ、新たな決意で出発しています。

 志賀 池田門下の私たちは、“戦いに勝ってこそ後継である”との決定した一念で勝ち進んでいきます。

宗祖違背の邪宗門

 原田 学会の大発展とともに、日蓮大聖人の仏法は世界に弘まり、全人類を照らす希望の太陽は、赫々と昇りました。一方、大聖人の正法正義に違背し、邪宗と堕したのが日顕宗(日蓮正宗)です。

 長谷川 腐敗堕落した日顕宗は、万人平等を説く仏法に背き、“僧が上、信徒が下”などと、衣の権威で学会員を隷属・支配しようとしました。さらに、広宣流布の団体である学会の破壊を企み、「C作戦」発動直後の1991年(平成3年)には、学会員への御本尊下付を停止しました。

 志賀 まさに破和合僧の大罪です。御本尊が欲しければ、宗門に従えという、卑劣極まる弾圧でした。

 原田 大聖人は万人幸福のため、「法華弘通のはたじるし」(御書1243ページ)として御本尊を御図顕されました。その御精神に真っ向から反するものです。

 長谷川 また、宗門は、“法主は御本尊と不二の尊体であるから信伏随従せよ”と前代未聞の邪義を唱えました。そんなことは、御書のどこにも書かれていません。

 志賀 今も、日顕宗の坊主や信徒は、学会員を狙って、言葉たくみに言い寄ってきます。私たちは日顕宗の邪義を打ち破り、一切の魔を断固、粉砕していきたい。

“必ず深い意味が”

 原田 さて、人生100年時代を迎え、各地を訪れる中で、「病気」という問題に直面している方と出会います。病とどう向き合い、どう乗り越えていくかは、大きな課題です。

 長谷川 私たちはまず、闘病中の方がいれば、心からの励ましを送っていきたい。そして、真剣に題目を送っていきたい。

 原田 御書に、「病によりて道心はをこり候」(1480ページ)と仰せです。信心していて病気になったということは、必ず深い意味があります。事実、私たちは、病気と闘う中で境涯を大きく開いてきた方を、たくさん見てきました。

 大串 先生ご自身も、結核を患い、「30歳まで生きられるかどうか」と医師から言われていました。
 「しかし、だからこそ病弱な人の心もわかるようになった。だからこそ、一瞬一瞬を大切に生きよう、片時もむだにせず、生あるうちになすべきことをなそう、と完全燃焼で生きてこられたのです」と振り返られています。

 永石 ある時、先生は、病に倒れて治療中のご主人がいる、婦人部の方に語られました。「断じて健康にしてみせるという強い祈りに立つことです。その一念通りに開かれていきます。それが一念三千の仏法です。病魔に紛動されてはいけない。『私たちの人生は楽しい人生だ。何があっても幸福な人生だ』と決めていくのです」と。

 長谷川 さらに、「南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや」(御書1124ページ)の御聖訓を拝し、「たとえ病気であったとしても、それが幸福への妨げにはならない。むしろ『病ある人仏になる』(同1480ページ)と捉えるのが仏法です」とも言われています。

 永石 そして、「仏法の眼から見れば、三世から見れば、全て、幸福になるための、成仏していくための姿なのだから、何も心配ありません。ご主人と一緒に、朗らかに、堂々と、勝利の人生を生ききってください」と励まされるのです。

 原田 仏法には「願兼於業」の法理が説かれています。病との闘争は、信心の力の証明にもなります。

 永石 先生は、「『病気がない』だけが『健康』なのではない。一生涯、何かに挑戦する。何かを創造する。前へ前へと自分の世界を広げていく――この“創造的人生”こそ、真の“健康人生”ではないだろうか」とも述べられています。

 長谷川 そうした深い人生観・生命観をもって生きることが、ますます大切な時代になっています。

 原田 ですから、学会と共に広布に生き、信心していることが、どれほどすごいか。共々に励まし合い、題目を唱え、使命の人生を勝ち飾っていきましょう。

〈世界広布の大道 小説「新・人間革命」に学ぶ〉 第8巻 名場面編 2019年5月15日

〈世界広布の大道 小説「新・人間革命」に学ぶ〉 第8巻 名場面編 2019年5月15日

 
「布陣」の章

 今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第8巻の「名場面編」。心揺さぶる小説の名場面を紹介する。次回の「御書編」は22日付、「解説編」は29日付の予定。(「基礎資料編」は8日付に掲載)

若さは柔軟な精神に

 〈1963年(昭和38年)5月14日、東京の「おとしよりの集い」に出席した山本伸一は、人生の大先輩への感謝と真心を込めて、励ましを送る〉
 
 伸一は、さらに、強い確信を込めて語った。(中略)
 「若くても、老いている人もいる。年は老いても若い人もいる。人間の若さの最大の要因は、常に向上の心を忘れない、柔軟な精神にあるといえます。
 また、人間の幸福は、人生の晩年を、いかに生きたかによって決まるといえます。過去がどんなに栄光に輝き、幸福であったとしても、晩年が不幸であり、愚痴と恨みばかりの日々であれば、これほど悲惨なものはありません。
 さらに、幸福は、財産によって決まるものではない。社会的な地位や名誉によって決まるものでもない。幾つになっても、生きがいをもち、使命をもって、生き抜くことができるかどうかです。
 信心をしてこられた、人生の大先輩である皆様が、お元気で、はつらつと、希望に燃え、悠々と日々を送られていること自体が、仏法が真実である最大の証明であります。
 皆様方が、いつまでもお元気で、長寿であられんことをお祈り申し上げ、本日のあいさつとさせていただきます」
 (中略)
 彼は、退場すると、そのまま会場の正面玄関に回り、参加者の激励にあたった。人の命には限りがある。今、この時に、会って励ましておかなければ、生涯、会えなくなってしまう人もいるかと思うと、一人ひとりに声をかけずにはいられなかった。
 「ご苦労様! おばあちゃんは、お幾つ?」
 「はい、八十三です」
 「そうですか。大変に若々しい。いついつまでも、お元気で!」
 参加者は、伸一が差し出した手を強く握り締めながら、満面に笑みの花を咲かせるのであった。なかには喜びのあまり、目に涙を浮かべる人もいた。
 言葉は光である。たった一言が、人間の心に、希望の光を送ることもある。
 彼は、命を振り絞るようにして、“励ましの言葉”“賞讃の言葉”“勇気の言葉”を紡ぎ出し、参加者に語りかけた。(「布陣」の章、38~40ページ)

いざという時が勝負

 〈7月6日、伸一は、水滸会の研修が行われる宿舎に着くと、あいさつに来た青年部長らに、死身弘法の精神について指導する〉

 伸一は、語り続けた。
 (中略)
 「戦後、先生の事業が行き詰まり、最悪の事態を迎えられた時にも、皆がどうするか、弟子たちがどんな行動に出るか、じっとご覧になっていた。それが“人を見る”ということだ。だから、いざという時にどうするか、何をするかが勝負だよ」
 伸一は、懐かしそうに、戸田城聖との思い出を語り始めた。
 「先生の事業が最も窮地に陥っていたころ、私も胸を病み、発熱と喀血に苦しんでいた。給料も遅配が続き、社員は一人、二人と去っていった。なかには陰に回って、大恩ある先生を痛烈に批判する者もいた。
 そのなかで、私は働きに働いた。そして、先生に一身を捧げ、先生とともに戦い、先生が生きておられるうちに、広宣流布に散りゆこうと、密かに決心した。そうしなければ、後世にまことの弟子の模範を残すこともできないし、現代における大聖人門下の鑑をつくることもできないと、考えたからだ。
 しかし、戸田先生は、何もかも、鋭く見抜かれていた。私の心も、すべてご存じであったのだ。先生は言われた。
 『お前は死のうとしている。俺に、命をくれようとしている。それは困る。お前は生き抜け。断じて生き抜け! 俺の命と交換するんだ』
 弟子を思い、広宣流布を思う、壮絶な火を吐くような師の叫びだった。この先生の言葉で、私は広宣流布のために、断じて生き抜く決意をした。
 広布に一身を捧げ、殉ずることと、広宣流布のために生き抜くことは、表裏の関係であり、一体といってよい。そこに貫かれているのは、死身弘法の心だ。
 なぜ、水滸会員である君たちに、私がこんな話をするのか。広宣流布を託すのは、青年部の代表として選ばれた、水滸会の君たちだからだ」
 深い指導であった。秋月英介たちは、山本会長が、水滸会に、最大の力を注ごうとしていることを痛感したのである。(「宝剣」の章、108~110ページ)

常に師を心の規範として

 八月十一日の夕刻、羽田の東京国際空港から、副理事長の春木征一郎と、理事で南米総支部長の山際洋が、アルゼンチンへ向けて出発した。
 これは夏季海外指導の第一陣で、二人はカナダのバンクーバーを経由し、アルゼンチンに入り、パラグアイ、ブラジル、ペルー、ボリビアなどを歴訪して、メンバーの指導、激励にあたり、八月二十九日に帰国の予定であった。
 (中略)
 草創期から行われてきた夏季地方指導が、今や世界指導となったのである。
 伸一は、(中略)春木と山際が、出発のあいさつに来た時、二人にこう語った。
 「二人はメキシコも経由することになっていたね」
 「はい」
 「戸田先生が亡くなる直前、『昨日は、メキシコへ行った夢を見たよ』と、嬉しそうに語っておられたことが、私は忘れられないんだ。そして、『待っていた、みんな待っていたよ。日蓮大聖人の仏法を求めてな。行きたいな、世界へ』と言われた。
 あなたたちは、その戸田先生の代わりに、今回、南米に行くのだという、強い自覚をもってほしい。
 私も、どこに行っても、いつも、その自覚で行動している。“戸田先生ならどうされるだろう。どんな戦いをなされるだろう”と、常に考えている。また、先生がご覧になって、お喜びいただける自分であるかと、常に問い続けている。だから力が出せた。勇気を出すことができた。師弟の道とは、そうした生き方であると、私は思っているんだよ。
 私もできることなら、メキシコにも、アルゼンチンにも、ペルーにも行きたい。いや、すべての国を回って、力の限り、一人ひとりを励ましたい。しかし、今の私には、その時間がない。だから、あなたたちは、私の代わりでもある。ひとたび行く限りは、そこに生命を刻みつける思いで、メンバーの指導、激励にあたってくることだ。(中略)」
 春木と山際は、決意を新たにして、南米へ旅立って行った。(「清流」の章、218~219ページ)

信義と友情の「宝の橋」

 〈日本の支配によって辛酸の歴史を刻んだ韓国では、1964年(昭和39年)、学会への誤解から、同志は弾圧を受ける。「正義」を証明しようと、社会奉仕の諸活動に励む〉
 
 山本伸一も、韓国の敬愛する同志の、幸福と活躍を念じ、「功徳の雨よ降れ!」と、日々、題目を送り続けてきた。また、韓国の同志が日本にやって来ると聞けば、真っ先に会い、一人ひとり、抱きかかえる思いで、精魂を込めて激励した。さらに、日本と韓国の間に、信義と友情の、永遠の「宝の橋」を架けようと、文化・教育の交流に、力を注いでいったのである。
 そうした努力が実り、一九九〇年(平成二年)秋、(中略)初めて、念願の韓国を訪問したのである。そして、九八年(同十年)五月、伸一は、再び韓国の大地に立った。創価大学創立者として、名門・慶煕大学から招かれ、「名誉哲学博士号」を贈られたのである。伸一の「世界平和への献身的努力」と、「韓国の文化と歴史への深い洞察を通し、韓日の友好に大きく寄与した」ことを讃えての授与であった。
 この韓国訪問中の五月十八日、伸一は、ソウルにある、SGI韓国仏教会本部を初訪問したのである。初夏の風がさわやかであった。
 (中略)メンバーは、この日が来ることを夢に見、祈り、待ちわびてきたのである。それは、伸一も同じであった。彼は、韓国の“信心の大英雄”たちに、万感の思いを込めて呼びかけた。
 「皆様方がおられれば、いっさいを勝利に導いていけるということが、厳然と証明されました。皆様は勝ちました!」
 喜びの大拍手が舞った。
 「社会に奉仕し、人間性を広げていく。二十一世紀の仏法ルネサンスは、韓国から始まっています。私は嬉しい。全世界が皆様を讃嘆しています!」
 一言一言に、全生命を注ぐ思いで、伸一は語った。
 「どうか、『楽しき人生』を! 『偉大な人生』を! 『勝利の人生』を!」
 誰もが泣いていた。誰もが大歓喜に包まれていた。そして、誰もが新たな旅立ちの誓いに燃えていた。(「激流」の章、369~372ページ)

 【挿絵】内田健一郎
 【題字のイラスト】間瀬健治

 ※『新・人間革命』の本文は、聖教ワイド文庫の最新刷に基づいています。

本部幹部会で紹介された池田先生の指針 学会は正義の中の正義の団体 2019年5月14日

本部幹部会で紹介された池田先生の指針 学会は正義の中の正義の団体 2019年5月14日

行動こそ真実の信仰の証し
2005年5月の本部幹部会でスピーチする池田先生(八王子市の東京牧口記念会館で)

 「世界広布新時代第41回本部幹部会」(3日、巣鴨の東京戸田記念講堂)の席上、2005年5月の本部幹部会での池田先生のスピーチ映像が上映された。師弟勝利の月・7月へ、いよいよの決意で前進する友への指針として掲載する。

 一、恩師・戸田先生は、常々、こうおっしゃった。
 「正義は絶対に勝たねばならない。正義が負ければ正義ではなくなる。創価学会は、正義の中の正義の団体である。ゆえに、絶対に勝たねばならない。勝ってもらいたい。永遠に勝ち抜き、勝ち誇って、一生を送ってもらいたい」
 厳しく、正しき恩師の指導であった。
 この恩師の言葉の通り、全国の同志が力を振りしぼり、何があっても我慢して、広宣流布のために戦い、勝ってくださった。忍耐と希望を持ちながら、敢然と前進してくださった。
 それゆえに、会長就任以来、この45年間を連戦連勝で進んでくることができたのである。
 一、戸田先生の希望は「青年」であった。
 「これからの日本、そして世界は、青年が嵐のごとき絶讃の応援をしていくならば、どんなことでも実現できる。否、それしかこれからの大業の実現はありえない」
 これが、先生の大確信であった。私も「青年の時代」をつくっている。世界広布という大業の実現は、青年に託すしかないからだ。日本はもとより、海外も、頼もしい青年が増えてきた。私は本当にうれしい。
 一、戸田先生は言われた。
 「生命力の弱い者は、強い者に負ける!」
 生命力を増す。それには題目をあげることだ。色心ともに健康になるのだ。
 生命力を強くする軌道が、折伏であり、広宣流布である。そのリズムに乗った人間は強い。
 広宣流布の組織から離れた人間は弱い。強いように見えても、勝手気ままに偉そうな格好をしていても、弱い。
 また、戸田先生は「新しい仕事というのは、自分たちのこれまでの枠を破るところから出発するものだ」と言われていた。
 深い意味をもった言葉である。よく思索していただきたい。偉大な仕事、価値ある仕事をすることだ。

善の連帯を拡大

 一、戸田先生は師子吼された。
 「広宣流布の大業というものは、魔との闘いである。たじろぐことは許されない。負ければ、人類は、永遠に闇に包まれてしまう」
 広宣流布は魔との闘争である。魔に打ち勝てばいいのである。そうすれば、平和と幸福の花園が広がっていく。
 魔が出現しない広宣流布の戦いなど、ありえない。大聖人は「此の世界は第六天の魔王の所領」(御書1081ページ)と、明確に仰せである。
 では、「魔を打ち破る利剣」とは何か。
 それは「題目の力」である。
 魔を打ち破って、多くの人を味方につける。これは、すごいことである。折伏である。邪義を破折して屈服させるのだ。
 魔との戦いは、幸福になるためである。仏になるためである。永遠の功徳輝く生命になるための、いちばんの力であり、近道である。
 魔と恐れなく戦え! 魔の蠢動を許すな! 絶対に妥協するな!――そう恩師は叫んだ。
 正義が負ければ、人類は闇に包まれる。地球を救うには、善の連帯を広げるしかない。
 一、さらに、小樽問答(1955年〈昭和30年〉3月)の時のことである。
 問答は学会の正義を満天下に示した、歴史的な他宗との法論であった。日蓮宗(身延派)は宗門を相手にしたいと言ってきたが、宗門が逃げ回り、代わって学会が、受けて立った。社会も大いに注目した。
 戸田先生は、私を中心とする青年部に、全権を任された。「大作、やってやろうじゃないか」「行ってくれ」と。
 〈池田先生は当時、青年部の室長として、実質的に対策の指揮をとっていた。法論では、学会側の司会を務め、痛烈な破折の第一声で、勝敗の帰趨を決した〉
 法論の勝利のために、もっとも大事な点は何だったか。
 それは、法論の中身の問題ではなかった。戸田先生はただ、「思いきり攻撃する」ことを教えられた。「攻めることが肝心なのだ」と。
 学会は永遠に、この攻撃精神で進みましょう!

幸福への王道を

 一、戸田先生は訴えた。
 「最後に勝つ、その人が本当の勝利者である」
 「戦わなければ正義は敗れる。正義であればこそ負けるわけにはいかない。断じて勝たねばならない。だから戦うのだ。師子は吠えてこそ師子である」
 たとえ正義であっても、敗れてしまえば、現実に何の波動も起こせない。
 勝ってこそ正義である。だから勝ちましょう!
 戸田先生は達観されていた。
 「野良犬が吠えるような、いかなる罵倒や非難があっても、決して動ずるな! そんな、つまらぬことに、決して紛動されるな! 
 英雄の道を歩むのだ。偉人の道を歩むのだ。私たちの信奉する大聖人の難から見れば、すべて九牛の一毛(取るに足りないこと)に過ぎないのだ」
 私たちもまた、恩師のごとく、こういう境涯で頑張ろう!
 一、インド独立の父マハトマ・ガンジーは言った。
 「信仰が、その結果として行動に移されないとしたら、いったい信仰とは、何であろう?」
 信仰は、観念論ではない。「行動」こそ、真実の信仰の証しである。
 私はかつて、世界的に有名な微生物学者であり、医学の分野で大きな業績を残されたルネ・デュボス博士とお会いしたことがある(1973年〈昭和48年〉11月)。
 デュボス博士は、こう述べている。
 「努力のない人間が堕落し、努力なくしては人は進歩することができず、そして努力なくして人が幸福になりえないことは、歴史の教えるところである」(『生命の灯』長野敬・新村朋美訳、思索社
 「努力のない人間は堕落する」――まったくその通りである。
 努力していない人が、本当に幸福になったためしはない。
 皆さんには今、さまざまな苦労があるかもしれない。
 しかし、大変ではあるけれども、そうした苦労のなかで努力しているからこそ、幸福になれる。努力と幸福は一体である。
 その確信をもって、広布のために勇んで苦労し、幸福への王道を歩み抜いてまいりたい。

ミュージシャンBORO世界広布新時代第41回本部幹部会から(活動体験) 2019年5月13日

世界広布新時代第41回本部幹部会から(活動体験) 2019年5月13日

関西副芸術部長 兵庫・創価西宮県 副県長 森本尚幸さん
ミュージシャンBORO 今年デビュー40周年
どん底からはい上がった勝利の人生

 一、私は1956年(昭和31年)、兵庫県伊丹市で家族と共に入会しました。
 幼少の頃の私は病弱で、重度のぜんそくと皮膚炎に悩まされていました。外遊びができなかった分、家にあったおもちゃのピアノやリコーダーで遊ぶようになり、自然と音楽が大好きになりました。
 両親の懸命な祈りで、中学生になった頃には健康体に。そんな私に母は、生涯最高の財産をプレゼントしてくれました。御書です。
 「ここに書いてあるのは皆、前向きな言葉や。世界一、高い教えやから、尚幸も必ず高いところまでいけるんやで」。母はそう教えてくれました。
 しかし高校1年生の時、そんな母との突然の別れが訪れました。脳出血で倒れ、7日後に霊山へと旅立ったのです。
 どん底の悲しみの中で、私の病まで再発。ある寒い日の夜に、激しいぜんそくの発作に見舞われました。
 父は留守で私一人。あまりの苦しさに、いっそ裏の池に身を投げてしまおうと思いつめました。はうようにして池にたどり着き、冷たい水の中に漬かり、真ん中を目指して歩いていきました。“これで楽になれる”と思いましたが、そうはいきませんでした。池は真ん中に行くほど浅かったのです(笑い)。気が付けば、膝ぐらいまでしか水のないところに、ポツンと立っていました(笑い)。
 突然、母が教えてくれた「南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや」(御書1124ページ)の御聖訓が心に浮かびました。「生きるんや。生きて生きて生き抜いたる!」。私は池の真ん中で叫びました。帰りは死ぬほど寒かったです(笑い)。
 一、病と闘う決意をした私を、男子部の先輩が心から励ましてくださいました。「宿命転換するには折伏や」との激励のままに、仏法対話に挑戦。友人4人を入会に導くことができました(拍手)。
 自行化他の実践の功徳で、見る見る体調も回復。71年には夏季講習会に参加し、池田先生に初めてお会いすることができました。「広布のお役に立つ音楽家に成長します」。こう心の底から誓いました。
 その後、上京して音楽学校で学び、卒業後は大阪の北新地で歌いながら作曲活動に没頭しました。自作の曲が300曲を超えた頃、大物プロデューサーとの出会いがあり、79年にメジャーデビュー。2曲目のシングル「大阪で生まれた女」を大ヒットさせることができました(拍手)。
 その後も芸能活動は順調そのものでした。私は感謝の思いで、各地で開催される仏法セミナーに参加し、喜んで体験を語っていました。しかし、こうした私の信仰活動を快く思わない人もいました。
 デビューから6年後、レコード会社や事務所関係者に呼び出され、「信仰を取るか、仕事を取るか」と詰め寄られました。今なら「両方、取ります。信仰は個人の自由です」と言えるのですが、若かった私は「信仰です」とキッパリ言い切りました。
 事務所は即日解雇に。それから4年ほどは、完全に芸能界から干されました。しかし、私の心は晴れやかでした。「世間の失一分もなし」(同958ページ)。御書の通りやと闘志が湧きました。今思えば、舞台演劇やミュージカルへの出演など、この時、新しいことに挑戦できたことも、かけがえのない財産となっています。
 一、しかし、自分の信念を通すことは、家族に負担を掛けることにもつながりました。妻とのすれ違いが増え、私にとって2度目となる離婚を経験することになりました。最愛の子どものことを思うと、あまりにふがいなく、どん底まで落ち込みました。
 離婚が決まった翌日もセミナーがありました。出席するべきか、当時の芸術部の先輩に相談すると、「行きなさい。自分のありのままを語ってきなさい」と厳しくも温かい激励を頂きました。
 セミナー終了後に、一組の夫婦が私のもとに来られました。ご主人が未入会でした。
 私はお二人に、「実は私は昨日、離婚しました。偉そうなことなんか言えません。奥さん、ご主人が信心に反対でも夫婦仲良く歩んでいること自体、素晴らしいやないですか」と話しました。するとご主人は「そんな個人的なことまで、よく話してくれました。分かりました。私も妻と共に信心します」と語ってくださったのです。
 奥さんは号泣され、私も人目をはばからず泣きました。「はたらかさず・つくろわず・もとの儘」(同759ページ)、これが仏法者なんやと心の底から教えていただきました。
 一、91年の夏、故郷の伊丹でタクシーに乗っていると運転手さんが声を掛けてきました。
 「BOROさん、筋ジストロフィーの娘のために曲を作ってくれませんか」。筋ジストロフィー――この難病(厚生労働省指定の特定疾患)の名を、その時、初めて聞きました。
 当時5歳だった娘さんの、あやかちゃんに会いました。すでに筋肉が萎縮し、手足は動かず、話すこともできませんでしたが、笑顔がひときわかわいい女の子でした。
 私は、彼女のために喜んで曲を書きました。その曲を収録したCDの売り上げは、難病撲滅のために全て使ってもらいました。ご家族も本当に喜び、その後、入会されました(拍手)。
 あやかちゃんは9歳で亡くなりましたが、彼女が生きた証しを示すためにも、難病撲滅を目指す「AYAKA基金」を立ち上げました。今年で26年になります。
 チャリティーコンサート等で集まった募金は、これまで6人の厚生労働大臣に直接お渡しし、安倍首相にも難病克服の重要性を訴えることができました。
 さらに活動の輪が広がり、一昨年には、京都大学iPS細胞研究基金にも、支援の楽曲を提供させていただくことに。ノーベル医学・生理学賞を受賞した山中伸弥教授も曲を気に入ってくださり、私の活動も、教授の活動も目標は同じであるとエールを送ってくださいました。
 一、私自身も、これまでC型肝炎、硬膜下血腫など、数々の病魔と闘ってきましたが、全て信心で勝ち越えてくることができました。65歳になった今が一番、健康です。
 思い込んだら、がむしゃらに突き進む私を深く理解し、前の妻や子どもたちとも仲良くし、私の全てを支えてくれる今の妻には感謝しかありません。再婚して29年、彼女のおかげで宿命転換できました。
 私にとって今年は、デビュー満40年の節目の年です。報恩感謝を胸に、まずは関西の月、正義の月・7月へ、愛する兵庫の、また全国のボロ勝ちのために、全力で戦い抜いていきます(拍手)。

〈座談会 創立90周年を勝ち開く!〉38 一人が10人の本当の友人をつくろう! 「自他共の幸福」へ仏縁を拡大 2019年5月13日

〈座談会 創立90周年を勝ち開く!〉38 一人が10人の本当の友人をつくろう! 「自他共の幸福」へ仏縁を拡大 2019年5月13日

気温が上昇 早めの「熱中症対策」を
〈出席者〉
原田会長
長谷川理事長
永石婦人部長
竹岡青年部長
大串女子部長
立正安国の勝利の旗を掲げようと、地道に、誠実に対話を広げる創価家族。「師子王の心」を胸に進む時、無敵の仏の力が涌現する(7日、総兵庫の代表幹部会)

 長谷川 今月も、各地で座談会が行われます。一人でも多くの方が集っていけるよう、皆で声を掛け合っていきましょう。

 竹岡 新しいメンバーや新来の友が参加している地域は、どこでも活気と喜びが満ちています。

 永石 創価家族の温かな励ましの場に集うことで、さらなる拡大への弾みも生まれますね。

 原田 最高の生命尊厳の哲理を学び、互いに信心の体験や決意を生き生きと語り合い、希望と勇気の灯をともす場が座談会です。

 長谷川 あらためて、会場を提供してくださる方々への感謝も伝えていきたいと思います。ご家族や近隣への配慮も忘れないようにしましょう。

 原田 池田先生はかつて「一人が、十人の本当の友人をつくっていこう! そこに実質的な広宣流布がある」と随筆につづられました。今、各地を訪問する中で、どの地でも、この指針を胸に友好拡大に先駆ける同志に出会います。

 永石 特に、ベテランのリーダーの方や副役職の方など、地域で、社会で信頼と友情の輪を広げて活躍している方々が、各地に本当に多くいらっしゃいます。

 長谷川 大いなる目標に向かって、大きく仏縁を広げた分だけ、自身の境涯も大きく広がります。人生が豊かになります。

 永石 さまざまな困難に直面することもあります。しかし、皆さん、そんな時こそ、いよいよの決意、強盛な信心で立ち上がり、味方をつくられています。まさに、これが学会精神です。

 原田 日蓮大聖人は「始より終りまで弥信心をいたすべし」(御書1440ページ)、また「いよいよ強盛の信力をいたし給へ」(同1143ページ)等、壁にぶつかればぶつかるほど、信心の炎を燃やし、挑戦し続けることの大切さを教えてくださっています。今再びの決意で戦い抜き、新しい勝利の道を切り開いていきましょう。

仏法は中道の思想

 竹岡 「大白蓮華」5月号の「世界を照らす太陽の仏法」で池田先生は学会が歩む、仏法においての「中道」の意義について、講義されています。

 長谷川 「中道」というのは「本来は、『道に中る』という意義であり、『正義や道理に適う』ものです。生命の全体観に立った生き方ともいえます」と、先生は強調されています。

 大串 一般的に、中道というと“足して2で割った真ん中”や、中間主義や折衷主義であると言う人もいますが、全く違いますね。

 竹岡 社会には、物質主義と精神主義、自国民と外国人、多数者と少数者など、さまざまな二分法が存在します。それらの一方に偏ってしまうと、他方を切り捨てることになるなど、対立が生じかねません。

 原田 そうした点について先生は、「中道」とは「どちらか一方を切り捨て、犠牲にする発想は持ちえません。なぜならば、いずれの一方にも、そこに『人間』がいるからです。真の仏法は円教です。一切を生かして新たな価値を創造する生き方が、『中道の大道』なのです」と述べています。

 大串 今から半世紀も前に、「中道」という点に着目されていたのが歴史家のトインビー博士ですね。先生と博士の語らいは、対談集『二十一世紀への対話』として結実しています。

 永石 池田先生との2年越しの対話の最後に、博士は「中道こそ、今後、あなたが進むべき道なのです」「私は、対話こそが、世界の諸文明、諸民族、諸宗教の融和に、極めて大きな役割を果たすものと思います。人類全体を結束させていくために、若いあなたは、このような対話を、さらに広げていってください」と述べられました。

 原田 トインビー博士の期待通り、池田先生は、その後、アメリカ、中国、旧ソ連を相次ぎ訪問するなど、イデオロギーや国家体制の違いを超え、人間主義の対話で世界中に友好の橋を架けていきました。

 長谷川 当時は、東西冷戦の真っただ中です。どれほど勇気と先見性ある行動であったか。先生はその後も、世界各国の指導者と対話を重ね、民衆の心と心を結ぶ文化交流、教育交流も広げてこられました。その偉大な業績に、世界中の心ある識者から共感と称賛が寄せられていることは、よく知られている通りです。先生の行動は、仏法中道の智慧の普遍性を証明してきたのです。

 竹岡 今、世界中で格差の拡大や対立の深刻化で人々の分断が進んでいます。そうした中、共生社会、平和社会を建設するため、中道の思想、生き方が、ますます重要性を増していくのではないでしょうか。

 原田 先生が広げてこられた、平和への大道をさらに広げていくことこそ私たちの使命です。わが地域の広宣流布が即「世界広布」「世界平和」に直結するという確信で、皆が仲良く朗らかに「自他共の幸福」を開く対話に、堂々と胸張り挑戦していきたい。

賢明な体調管理で

 大串 さて、気温が上がり始める時季になりました。25度以上の夏日となる日もあります。暑さに体が慣れていないため、5月でも熱中症になることがあるので、早めの対策が必要です。

 永石 4月29日~5月5日の1週間に、全国で342人が熱中症で救急搬送された、との報道もありました。予防するためには、日陰を選んで歩いたり、帽子や日傘を使用するなど、直射日光を避けることを心掛けていきましょう。

 大串 また、出掛ける時は飲み物を持ち歩き、小まめに水分補給をすることも大切です。

 原田 生活即信心です。日々の強盛な祈りを根本に、賢明な体調管理を心掛けていきましょう。