第25回 参院選の結果分析  2019 令和元年

第25回 参院選の結果分析

21日に投開票された第25回参院選で、公明党は埼玉、東京、神奈川、愛知、大阪、兵庫、福岡の7選挙区で擁立した公認候補7人が全員当選を果たし、比例区でも7議席を獲得。合計で改選11から3増の14議席を得た。非改選と合わせた陣容は過去最多に並ぶ28議席に達し、11月に結党55周年を迎える公明党は、令和最初の国政選挙を大勝利で飾った。

参院で新たな党派別議員数

議席占有率は過去最高に

過去最多に並ぶ

選挙区で7人当選
比例区含め計14議席
非改選と合わせ28議席

「政治の安定」を争点に掲げた自公連立政権に対し、有権者の信任が示された。

選挙戦で自民、公明両党は協力し、改選議席過半数(63)を超える71議席を獲得、非改選議席と合わせた議席数でも、与党は過半数(123議席)を上回る141議席となり、引き続き安定した政権運営が可能となった。

公明党は7選挙区で完全勝利を果たし、比例区でも7議席を獲得。改選11から3増の14議席は、前回(2016年)に続き過去最多となった。今回と同じ亥年の選挙だった07年の参院選では、5選挙区のうち3選挙区で惜敗するなど改選13議席から9議席に後退した。今回の大勝利は、12年前の雪辱を果たしたと言える。

非改選議席と合わせた公明党の新勢力は28議席で、1977年の参院選で達成して以来、過去最多議席に並んだ。これを議席占有率で見ると11.4%に上り、77年の11.1%を上回って結党以来の過去最高を記録した。現行の参院の総定数(245)が77年当時(252)より少ないためで、参院における公明党の存在感が、一段と増した形だ。

自民党は改選議席を9下回ったが、57議席を獲得した。

野党は、立憲民主党が改選9から17議席に増やしたものの、共産党は1減の7議席、国民民主党は2減の6議席にとどまった。日本維新の会は10議席社民党は1議席諸派のれいわ新選組は2議席NHKから国民を守る党は1議席を得た。

選挙区 兵庫など激戦制す

公明党は埼玉、東京、神奈川、愛知、大阪、兵庫、福岡の各選挙区で候補を擁立。7人全員が当選し、完勝した。選挙区で7議席の獲得は前回に引き続き、過去最多である。

公明党が挑んだ選挙区のうち、全国屈指の大激戦区となった兵庫選挙区(定数3)では、新人の高橋光男氏が執念の追い上げにより、し烈な戦いを制して50万3790票を獲得し、2位で当選した。得票率は22.9%で、前回と比べると0.7ポイント増えた。

福岡選挙区(定数3)では、新人の下野六太氏が40万1495票で2位当選。得票率は前回より1.4ポイント増の22.8%を記録した。

愛知選挙区(定数4)では、新人の安江伸夫氏が混戦を突破し、45万3246票で4位当選した。

埼玉選挙区(定数4)では現職の矢倉克夫氏が53万2302票、神奈川選挙区(定数4)では現職の佐々木さやかさんが61万5417票、大阪選挙区(定数4)では現職の杉久武氏が59万1664票をそれぞれ獲得し、いずれも3位で2期目の当選を果たした。

東京選挙区(定数6)では現職の山口那津男氏が4期目に挑み、81万5445票で2位当選した。参院選の選挙区の投票率が全国で大きく落ち込む中、6年前よりも得票数を増やした。

立憲民主党日本共産党などによる野党共闘は、候補者を一本化した32の1人区で、前回の11勝を下回る10勝22敗に終わり、共闘の効果は限定的だった。

比例区 3回連続の7議席

比例区公明党は、投票率が大幅に低下する中、党員、支持者の懸命な押し上げにより、政党名と候補者名を合わせた得票総数で653万6336票を獲得した。

前回よりも103万6624票減となったものの、得票率は13.1%で、前回の13.5%と比べ、わずか0.4ポイント減にとどまっており、現職の山本香苗、山本博司、若松謙維、河野義博、新妻秀規、平木大作の各氏と新人の塩田博昭氏の計7人の当選に結び付けることができた。比例区の7人当選は3回連続。

なお、福島県だけは、公明党の得票数が前回の9万6862票から10万1369票と4507票の増加となった。

連立を組む自民党は約1771万票を獲得。2000万票を超えた前回よりも240万票ほど減らしたが、約792万票の立憲民主党を大きく上回った。得票率は前回から0.5ポイント減の35.4%で、公明の13.1%を合わせると、与党で比例票のほぼ半数を獲得したことになる。

立憲民主党の約792万票と国民民主党の約348万票を合わせた合計は約1140万票で、民進党として戦った前回の1175万票を下回った。

共産党の得票数は約448万票で、600万票以上集めた前回から減らし、獲得議席も前回の5から4となった。得票率も前回の10.7%から8.95%に低下した。

「政治の安定」求めた民意

公明党は選挙戦を通して「政治の安定」の重要性を強調し、自公連立政権への支持を訴えた。

その結果、自公両党が改選過半数を超える議席を獲得した。

これについて22日付の各紙は、「当面は安定した政権運営ができる基盤を改めて確保した」(朝日)、「与党の自民、公明両党が過半数を得て、国会での安定基盤を確保した」(産経)と報じるとともに、「安倍内閣の6年半余りの実績が評価されたのだろう」(読売)、「6年半に及ぶ長期政権に対し、有権者は一応の支持を与えたと言えよう」(毎日)など、「政治の安定」を求める民意が強いとの見方を示している。

野党共闘については、「共闘の効果は限定的だった。安全保障など基本政策で隔たりの大きい共産党と手を組み、『野合』との批判を払拭できなかったことが響いたのではないか」(22日付読売)、「立憲民主党と国民民主党の確執が選挙戦の緊張感をそいだ側面は否めない。立憲単独では議席を伸ばしたが、両党の合計議席では旧民進党が前回獲得した32議席を下回った」(同毎日)、「明確な対立軸をすえて具体的政策を競うことが十分にはできなかった」(同産経)などと報じられた。

比例区公明党都道府県別得票

〈座談会 創立90周年を勝ち開く!〉56 全同志の異体同心の大前進に感謝 未来にかかる!希望と栄光の橋 2019年7月25日

〈座談会 創立90周年を勝ち開く!〉56 全同志の異体同心の大前進に感謝 未来にかかる!希望と栄光の橋 2019年7月25日

健康第一、無事故で充実の友好期間を
〈出席者〉
原田会長
長谷川理事長
永石婦人部長
志賀男子部長
大串女子部長
首都圏の女子部の教学部長。さあ、錬磨の夏へ。教学の研さんを通し、行学の二道を歩む人材の裾野を拡大

 永石 21日に投開票された参院選で、私たちが支援した公明党は歴史的な大勝利をすることができました(一同、大拍手)。

 原田 全力を挙げて支援活動に奮闘してくださった、すべての同志の皆さまに心から感謝申し上げます。本当にありがとうございました。大勝利、大変におめでとうございます。

 志賀 公明党は今回、候補者を立てた7選挙区で全員当選し、比例区でも目標としていた6議席を超える7議席を確保しました。これにより、非改選の14議席と合わせ、参議院公明党として、現行制度で過去最高の議席数となりました。

 原田 最後まで大激戦だった兵庫をはじめ、見事な完勝です。公明党の議員は、「勝っておごらず」「勝って兜の緒を締めて」、国民のため、日本のために働いてもらいたい。そして、この国の未来に信頼と希望が広がる実績をさらに積み上げてもらいたい。

 長谷川 ともあれ、御本仏・日蓮大聖人は、「陰徳あれば陽報あり」「大果報は又来るべし」(御書1178ページ)と仰せです。立正安国に尽くした創価家族の皆さんが、ますます大福運に包まれゆくことは間違いありません。

 永石 全同志の異体同心の信心で、今再び、「“まさか”が実現」し、大いなる「虹の橋」「希望の橋」「人材の橋」「栄光の橋」を未来へかけることができた喜びでいっぱいです。

 原田 私たちは、真心で結んだ信頼と友好の連帯を、さらに深く強く広げていきたい。そして、日本のため、世界のため、全民衆のため、何ものにも屈しない、何ものをも勝ち開いていく「常勝不退の新時代」を威風堂々と築いていきましょう。

十分に英気を養う

 長谷川 池田先生は、尊い多宝の父母をはじめ、全同志の健康長寿を祈り、題目を送ってくださっています。夏季友好期間も、「健康第一」「無事故第一」で、十分に英気を養っていきましょう。

 永石 健康を勝ち取るために大切なことの一つは、リズム正しい生活であり、休養や睡眠を上手に取ることです。

 原田 特に、梅雨明け以降、生命に危険を及ぼすほどの近年の猛暑を、いかに乗り切るかが大事です。

 永石 一般的に、疲れがたまっている中で緊張がほぐれ、ほっと一息つく時に、体調が崩れやすいといわれます。

 長谷川 体調管理にはやはり、「水分補給」が重要です。体の中で水分が不足すると、熱中症脳梗塞心筋梗塞など、さまざまな疾病の要因となります。健康のため、小まめに水を飲むようにしましょう。

 志賀 水分を取る時は、常温の水が一番のおすすめです。アルコールやカフェインには利尿作用があるため、かえって脱水症状になりやすい傾向があります。

 大串 缶コーヒーやスポーツドリンクは糖分が多いものもあるため、取り過ぎには注意が必要です。

 原田 また、冷房の効いた室内と暑い屋外の出入りなどで、自律神経のバランスを崩しやすい時季でもあります。

 大串 人によっては、めまいや頭痛、だるさなどを感じる場合もあるようです。そうした時は、リラックスすることが必要です。

 永石 たとえば、食事をゆっくりと取ったり、入浴はシャワーで済ませずに湯船に漬かるなど、毎日の生活の中で、一工夫することを心掛けていきましょう。

 原田 さらに最近、「未病改善」が大切であるといわれています。病気になってから病院に行くのではなく、その前に「未病」を改善することが、病気を防ぐことになるのです。

 長谷川 ちょっとした体調の変化を見逃さず、少しでも気になる症状がある時は、後回しにせず、早めの受診を心掛けましょう。

 原田 ともかく、この友好期間は、心身共にリフレッシュし、一家で楽しく和やかに過ごす機会にしていきたい。そして、お世話になっている友人や知人、日頃なかなか会えない親戚と交流する機会にもしたい。

 長谷川 遠出をすることもあると思いますが、余裕をもった計画を立て、くれぐれも自動車の運転には注意してください。

 志賀 常々言われていますが、運転中の携帯電話の使用は厳禁です。長距離運転の前には、車のタイヤの空気圧のチェックなどもしておく必要があります。万全の準備で、有意義な友好期間にしていきましょう。

勇んで研さんの夏

 大串 9月29日には、「青年部教学試験2級」が実施されます。

 志賀 この夏、青年部は教学の研さんにも勇んで取り組んでいきます。早速、勉強会を予定している地域も多くあります。

 大串 2級試験の出題範囲の一つである開目抄の有名な一節に、「ちかいし願やぶるべからず」(御書232ページ)とあります。一人一人が教学研さんに励み、「広布の誓願」に生き抜く決意を、より一層固めていきたいと思います。

 志賀 池田先生は、「仏の大願をわが誓願として生きぬく強き信心の人にこそ、仏界の生命が涌現する」と強調され、「わが創価学会は、この『誓願』を不惜身命で貫き通してきたからこそ、すべてに大勝利することができたのです」と言われています。

 原田 広宣流布への「誓願の心」こそ、日蓮仏法の根幹です。誓願に生きる人生は、苦難や宿命をも勝ち越えていくことができます。私たちは、日々の勤行・唱題で、「広布の誓願」を確認し、歓喜あふれる前進を続けていきたい。

〈世界広布の大道――小説「新・人間革命」に学ぶ〉 第10巻 御書編 2019年7月24日

〈世界広布の大道――小説「新・人間革命」に学ぶ〉 第10巻 御書編 2019年7月24日

 

 今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第10巻の「御書編」。小説で引用された御書、コラム「ここにフォーカス」と併せて、識者の声を紹介する。次回の「解説編」は31日付の予定。(「基礎資料編」は10日付、「名場面編」は17日付に掲載)

広布こそ最高最極の人間道

【御文】
 人も又是くの如し世間の浅き事には身命を失へども大事の仏法なんどには捨る事難し故に仏になる人もなかるべし(御書956ページ、佐渡御書

【通解】
 人もまた同じようなものである。世間の浅い事には、命を失うことはあっても、大事な仏法のために命を捨てることは難しい。それ故に仏になる人もいないのである。

●小説の場面から

 〈1965年(昭和40年)夏、世界広布の使命に燃える10人の男子部員が、日本から西ドイツ(当時)へ、自ら志願して雄飛した〉
 西ドイツに渡ることになったメンバーは、皆、ただ一途に、広宣流布のために生き抜こうと、決意を固めていた
 家も、財産も、社会的な地位や名誉も、眼中になかった。楽をしようとか、他人よりいい思いをしたいなどといった考えも、微塵もなかった
 仏法の厳然たる法理に照らして、人間としていかに生きるべきかという思索のうえから、人類の幸福と平和を実現する広宣流布こそ、最高最極の人間道であると結論し、広布に人生を捧げる決意を固めていたのである。
 それは、彼らだけでなく、多くの創価の青年たちの思いでもあった。
 自分のみの、小さな目先の幸せを追い求め、汲々としている人間には、その精神の崇高さは、決してわかるまい。(中略)
 生命は尊厳無比である。これに勝る財宝はない。そうであるからこそ、この一生をいかに生き、その尊い生命を、なんのために使うのかが、最重要のテーマとなる。
 大聖人は、仏法のため、すなわち、広宣流布のために、命を使っていきなさいと言われているのである。
 なぜならば、そこに、一生成仏という絶対的幸福境涯を確立しゆく、直道があるからである。
 (「新航路」の章、233~235ページ) 

病だから不幸なのではない

【御文】
 南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや(御書1124ページ、経王殿御返事)

【通解】
 南無妙法蓮華経は師子吼のようなものである。どのような病が、障りをなすことができようか。

●小説の場面から

 〈65年の11月、12月、全国各地を巡り同志を激励する山本伸一。奈良の友との記念撮影では、病を患う壮年部の友に真心こめて指導した〉
 「南無妙法蓮華経は師子吼です。その声を聞けば、どんなに獰猛な動物も逃げ出すように、いかなる病も、幸福への、また、広宣流布への障害にはなりません。
 現代人は、みんな“半健康”であるといわれるぐらい、なんらかの病気をかかえているし、年齢とともに、体も弱っていきます。
 では、病気だから不幸なのか。決して、そうではない。病に負けて、希望を失ってしまうから不幸なんです。広布の使命を忘れてしまうから不幸なんです。(中略)
 生命の根源においては、健康と病気は、本来、一体であり、“健病不二”なんです。ある時は、健康な状態として現れることもあれば、ある時は病気の状態となって現れることもある。
 この両者は、互いに関連し合っているがゆえに、信心に励み、病気と闘うことによって、心身ともに、真実の健康を確立していくことができるんです」(中略)
 「病気をかかえていても、『あそこまで、元気に生きられるんだ』『あれほど、長生きができるんだ』『あんなに幸福になれるんだ』と、同じ病をもった方が、感嘆するような、人生を歩んでいってください。そうすれば、仏法の力の見事な証明になります」
 (「桂冠」の章、304~306ページ)

ここにフォーカス/メキシコ広布史に学ぶ

 「幸風」の章に、1965年(昭和40年)8月、山本伸一がメキシコを初訪問した場面が描かれています。
 伸一にとって、メキシコ訪問は特別な意味がありました。戸田先生が逝去の直前、「伸一、昨日は、メキシコへ行った夢を見たよ」と語っていたからです。
 伸一の訪問時、メキシコ支部は、わずか26世帯。メキシコ広布は、まさに始まったばかりの時でした。
 伸一は、3年後の68年(同43年)にメキシコ五輪が開催されることから、その時を目指して、「500人の同志が集い合う」ことを提案。それは、そのままメキシコの友の“誓い”となりました。
 同章に、こう記されています。「それぞれが自分だけになっても、この山本会長との誓いを、必ず果たそうと決意していた。皆が一人立ったのである」
 仏法対話や勤行指導のために、1000キロ以上も離れた地域へ、1週間がかりで出掛けることもありました。しかし、苦労をものともせず、友は広布拡大に駆けていきました。その結果、3年後、メキシコは700世帯へと発展。約27倍もの拡大を成し遂げ、伸一との誓いを果たしたのです。
 環境や状況がどうあれ、広布は“新たな歴史の扉を開いてみせる”と決めた一人から始まる――メキシコ広布の軌跡は、不変の方程式を教えています。

半世紀超す執筆に想う 識者が語る/サンパウロ美術館 元館長 ファビオ・マガリャンエス

●永遠に残る人類への貢献

 私は、これまで6度にわたって池田博士と出会いを結んできました。
 印象的だったのは1993年3月、私が館長を務めていたブラジルのサンパウロ美術館にご案内した時のことです。芸術への造詣の深さに驚くとともに、東京富士美術館を創立されたことに感銘を受けました。
 また、博士は偉大な写真家でもあります。博士の写真からは自然への深い愛を感じます。
 さらに、自然環境を守る活動にも尽くされてきました。その一つが、マナウス郊外にある「アマゾン創価研究所」です。博士の構想のもとに誕生した研究所はアマゾンのみならず、地球の未来を支える重要な拠点と輝いています。
 博士は小説『新・人間革命』をはじめ、対談集や、毎年、「SGIの日」に発表される平和提言など、長期にわたり、執筆活動を行ってきました。
 私が池田博士に共感を寄せる理由は、3点あります。
 第一は、いかなる人間も対話によって分かり合えるという、調和を重んじる博士の哲学自体が、平和そのものであるからです。調和は平和であり、調和を求める心が平和に直結します。
 第二は、平和に対して何をすべきかという具体的な方途が示されていることです。
 そして最後に、博士自身が平和な世界を築くために、先頭に立って行動されてきた点です。世界に警鐘を鳴らすだけでなく、自ら対話を通して、「絶望」を「希望」に変える闘争をされてきました。
 私も博士の著作から受けた感動を共有したいと思い、友人である音楽家アマラウ・ビエイラ氏に紹介しました。彼は博士との交流を通して、インスピレーションを受け、数々の新しい作品を生み出してきました。
 またブラジル文学アカデミーアタイデ元総裁や詩人のチアゴ・デ・メロ氏にも紹介しました。博士と総裁との語らいは、対談集『21世紀の人権を語る』という形で結実し、大変にうれしく思います。
 博士の平和行動は、現代だけでなく、永遠に残る人類への貢献です。なぜならば、高邁な見識は、常に未来に対して開かれているからです。池田博士ほど、偉大な人物はおりません。
 これからも執筆活動を通し、博士の調和思想や人間としての崇高な生き方を示しゆかれることを、切に願っています。

 Fábio Magalhães 1942年、ブラジル・サンパウロ生まれ。美術都市設計の専門家。サンパウロ大学で教壇に立ちながら、祖国の民主化運動に参加。軍政を批判したため、国外追放に遭う。74年に帰国。サンパウロ美術館館長、ラテン・アメリカ記念財団総裁などを歴任。

 ※『新・人間革命』の本文は、聖教ワイド文庫の最新刷に基づいています。

【挿絵】内田健一郎 【題字のイラスト】間瀬健治

〈池田大作先生 四季の励まし〉 “私は勝った”と誇れる歴史を 2019年7月20日

池田大作先生 四季の励まし〉 “私は勝った”と誇れる歴史を 2019年7月20日

 
 

 全国の同志が、
 日夜、広布のために、
 懸命に戦ってくださっている。
 仕事や家庭など大変ななか、
 本当に、頑張ってくださっている。
 その功徳は絶大である。
 自己の宿命転換が
 できるだけでなく、
 一家、一族が
 大福徳で包まれていくことは
 間違いない。
 
 全人類を幸福に――
 それが我らの祈りである。
 そのために力を尽くしている。
 しかし、それは、
 一足飛びにはできない。
 自分自身が幸福になり、
 縁した人々をも幸福にしていく。
 この積み重ねのなかに、
 世界平和の大道が開ける。
 
 広宣流布とは「声の戦い」である。
 いかなる悪口罵詈があろうが、
 三類の強敵の迫害があろうが、
 臆病になって、
 沈黙しては絶対にならない。
 正義が勝つか、讒言が増長するか。
 真実が勝つか、デマが蔓延するか。
 広宣流布は、
 言論戦そのものである。
 
 正義の前進が勢いを増せば、
 反動の魔も、当然、競い起こる。
 ゆえに、一日一日、
 一瞬一瞬に勝負がある。
 「今」を勝つことが、
 一切の勝利の出発点である。
 自分の心に噓はつけない。
 今いる場所で
 「本当にやりきった!」と
 誇れる勝利を飾るのだ。
 その気概で挑戦を続ける人こそが、
 本当の勇者である。
 わが親愛なる友よ!
 民衆勝利の凱歌を、
 日本全土に、世界の隅々に
 轟かせようではないか!

 「SEIKYO SHIMBUN」の金文字が輝く。本年11月の完成へ工事が進む東京・信濃町の「創価学会 世界聖教会館」。今月13日、池田大作先生が、その外観を車中から撮影した。
 全国の同志は今、社会の繁栄と民衆の幸福のため、破邪顕正の言論戦を堂々と展開している。さあ「立正安国」の大理想を目指して、声も惜しまず語りきり、わが生命に永遠に光る「黄金の日記文書」をつづりゆこう!

〈随筆 「人間革命」光あれ 池田大作〉 広布誓願の大生命 2019年6月20日

〈随筆 「人間革命」光あれ 池田大作〉 広布誓願の大生命 2019年6月20日

合言葉は「前進また前進!」
地涌」とは希望を点す大光なり
勇者たれ!――道を開く力は勇気
高層ビルの彼方には晴れ渡る青空――。「頭を上げよ!」「もっと上へ!」と励ましているかのよう(池田先生撮影。今月13日、東京・港区内で)

 はじめに、この十八日夜、新潟・山形両県など各地を襲った激しい地震に際し、心よりお見舞い申し上げます。
 夜中の突然の災難に、どれほど恐ろしい思いをされたことでしょう。一日も早く、平穏な生活が戻るよう、深く祈らずにいられません。
 日蓮大聖人は、佐渡の地で、「わざは(禍)ひも転じて幸となるべし」(御書一一二四ページ)との大確信を示されました。
 新潟出身の牧口常三郎先生も、苦難の中、「変毒為薬」の妙法の功力を、何度もご家族に強調されていました。
 一番大変な時、“困難を乗り越える力”を厳然と開いていけるのが私たちの信心です。
 私も妻も、一段と「立正安国」の誓いを強くし、皆様の無事安穏を強盛に祈念してまいります。

創価家族の底力

 梅雨の晴れ間が広がった先週十三日、街路樹の緑もまぶしい都心の街を車で回った。
 ふと見上げると、空の「青」がビルの窓に映り込んでいた。天空に青、地上にも青。ああ青春の色、希望の色だ――私は思わずカメラを向けた。
 希望は人生の宝なり。
 希望は社会の光なり。
 希望は勝利の力なり。
 ドイツの大詩人シラーは「希望」を歌った。
 「希望は人に生をあたへ」「まばゆい光りで青年を鼓舞し/老年とともに埋もれもしない」
 この詩歌さながらに、民衆の心に希望の灯を明々と点し続けているのが、創価家族である。
 男女青年部は、まさにまばゆい光を放ち、尊き多宝の父母たちも青春の誓いのままに、奮闘の汗を流してくれている。
 広宣流布の大誓願に生き抜く地涌の菩薩の群像にこそ、決して埋もれることのない、どこまでも燃え広がりゆく希望の炎があるのだ。

清き蓮華の如く

 各地から蓮華の花便りが届く季節となった。
 法華経の会座に大地より躍り出でた地涌の菩薩は「如蓮華在水」、すなわち最も深い泥水の中でも最も清らかな花を咲かせる蓮華に譬えられる。
 苦悩渦巻く現実生活にあって、仕事で悪戦苦闘する友も、経済苦に挑む友もいる。病と闘う友も、家族を失った友もいる。子育てに追われる友も、介護に尽くす友もいる。
 皆、それぞれに言い知れぬ悩みを抱え、多忙を極める中で、それでも、広宣流布のため、立正安国のためにと労を惜しまず奔走する日々である。
 牧口先生が大切にしておられた「御義口伝」の一節がある。戦時中の弾圧で押収された御書に線が引かれていた。
 それは、すなわち「煩悩の淤泥の中に真如の仏あり我等衆生の事なり」(七四〇ページ)と。
 泥沼の如き社会に、あえて打って出る立正安国の大闘争こそ、自他共に「真如の仏」の大生命を馥郁と開花させゆく希望の道なのである。

共戦の弟子の道

 全ては、日蓮大聖人がお見通しであられる。
 門下の四条金吾と日眼女の夫妻を「陰徳あれば陽報あり」(御書一一八〇ページ)と賞讃されたように冥の照覧は絶対である。
 日本中、世界中の創価の陣列には、この四条金吾夫妻を彷彿とさせる陰徳陽報の同志がいる。
 私は、その尊き「負けじ魂」の宝友たちの顔を心に浮かべつつ、金吾夫妻への御聖訓を拝するのが常である。
 大聖人は言われた。
 「返す返す今に忘れぬ事は頸切れんとせし時殿はとも(供)して馬の口に付きて・な(泣)きかな(悲)しみ給いしをば・いかなる世にか忘れなん」(同一一七三ページ)
 竜の口の法難で馬に乗せられて処刑場に向かう際に、馬の口に取りすがって泣き悲しんでくれたことを、永遠に忘れない――との仰せである。
 その上で、大聖人は、世間が過ごしにくいなどと嘆いて、人に聞かせてはならないと諭され、さらなる仏道修行へと導く大激励をされている。
 「中務三郎左衛門尉は主の御ためにも仏法の御ためにも世間の心ね(根)もよ(吉)かりけり・よかりけりと鎌倉の人人の口にうたはれ給へ」「心の財をつませ給うべし」(同ページ)等々――。
 皆、凡夫であるから、愚痴をこぼす時もある。感情に流されたり、つい調子に乗って失敗したりする場合もある。
 だからこそ、御本仏は何としても愛弟子を最後まで勝ち切らせたいと、油断や慢心を厳しく細やかに戒めておられる。
 「人の振舞」を大事にし、いやまして「心の財」を積むよう御指南してくださっているのだ。
 わが門下よ、師弟不二の「共戦」の誉れの上に、いよいよ師弟不二の「勝利」を満天下に示し切っていくのだ、と。
 どこまでも弟子の勝利を願い信じる大慈大悲が拝されてならない。

破邪の師子吼を

 あの「大阪の戦い」の渦中、破竹の勢いで広布拡大を成し遂げた関西の同志に、私は波瀾万丈のナポレオンの人生を通して語った。
 妙法流布に生き抜く、我らの「前進また前進」こそが人類の平和を築きゆく希望なのだ、と。
 人間として最も崇高な使命に目覚めた民衆の大前進は、「魔競はずは正法と知るべからず」(同一〇八七ページ)との御金言に寸分違わず、三障四魔の嵐を呼び起こした。
 この時、関西入りされた恩師・戸田城聖先生は、大阪・中之島の中央公会堂で師子吼された。
 ――いかに学会を憎もうと、陥れようと、誰人が騒ごうと、我らは師子王だ。野良犬を恐れて何としようぞ!――と。
 魔を断ち切る、正義と大確信の叫び、邪悪を許さぬ烈火の怒り……恩師の声が今も蘇る。同志がどんなに安堵し、希望と勇気を抱いたことか。
 これが、広布の陣頭指揮を執る大将軍の気概であらねばならない。

難所を越えゆけ

 本年はナポレオン誕生二百五十年――。
 ナポレオンの“アルプス越え”は世界史上に名高いが、日本では一ノ谷の合戦における源義経の“鵯越”の奇襲戦が思い浮かぶ。六甲山地に抱かれた、現在の兵庫県神戸市域が舞台である。
 “あんな場所から攻めるのは不可能”と誰もが怖じ気づく難所。しかし義経は鹿が通ると聞いて言った。ならば馬が通れぬはずはない、と。
 道はある。自分が先陣を切ろう!――この決断と率先の行動が突破口を開いたのだ。
 「勇気があれば、道はいつでも拓ける」とは、アメリカの哲人エマソンがナポレオンの人生から導き出した教訓である。
 勝つと一念を定めた人間ほど強いものはない。
 我らには「なにの兵法よりも法華経の兵法を」(御書一一九二ページ)と教えられた常勝不敗の将軍学がある。かつて、この御指南を胸に、兵庫の播磨・加古川へ、姫路、西宮等へと駆けたことも忘れられない。恐れなき勇者の信心に、勝利への勢いは必ず加速していくのだ。

異体同心で勝つ

 戸田先生が逝去された翌年――つまり六十年前の六月、私は“大関西の電源地なり”と信頼してやまない尼崎にいた。
 関西の総支部幹部会に出席し、恩師なき学会への心ない中傷が続く中、歯を食いしばって戦ってきた同志に、戸田先生からの記別を伝えた。
 「関西は広宣流布の牙城である。錦州城だ」
 いついかなる時にも、私には常勝の同志がいる。私と共に逆境をはね返してきた、難攻不落の「金の城」の戦友がいる。
 「立正安国」という大理想への我らの建設は、誰もが波濤を越えて、自他共の勝利と幸福へ至る高き橋を築く戦いだ。
 私は五十一年前、明石・淡路、また北兵庫の豊岡の友のもとへ飛び込んでいった。「広宣流布に生きる人生が、どれほど素晴らしく、偉大な名誉であり、福運であるか」――この大歓喜を全同志が味わってほしかった。
 そのために、「自他彼此の心なく水魚の思を成して」(同一三三七ページ)進むのだ。「異体同心」で勝ちまくるのだ! これが我らの大兵庫であり、不二の常勝関西である。

永遠の功徳の花

 一九九〇年の六月、懐かしい東兵庫を走り、丹波の関西墓園を初訪問した折、道すがら、野の花を摘んで花束をつくり、歓迎してくれた高等部の乙女がいた。
 私は妻と感謝を込め、
 「れんげ草
   香り千年
    功徳千年
    父に母に友に
      よろしく」
 と記し、贈った。
 「れんげ草」には、「因果俱時」の蓮華の意義を留めたのである。
 今、立派な女性リーダーとして、ご家族、地域の友と元気に功徳の花を咲かせている様子を、先日もうれしく伺った。
 妙法は「末法一万年の衆生まで成仏せしむる」(同七二〇ページ)究極の希望の極理である。
 我らは「前進また前進」「希望また希望」を合言葉に、威風も堂々と舞いゆこう!
 一切を断固と勝ち切って、「人間革命」即「立正安国」の希望の物語を世界へ、未来へ、光らせゆこうではないか!
 
 (随時、掲載いたします)

 シラーの詩は『新編シラー詩抄』小栗孝則訳(改造社)、エマソンの言葉は『エマソン選集6』所収「代表的人間像」酒本雅之訳(日本教文社)、源義経の逸話は『平家物語』等参照。

〈座談会 創立90周年を勝ち開く!〉55 最後まで祈り切り、語り切る―― 広布の誓願を果たす時は今! 2019年7月18日

〈座談会 創立90周年を勝ち開く!〉55 最後まで祈り切り、語り切る―― 広布の誓願を果たす時は今! 2019年7月18日

公明こそ政治の安定への要石
法華経の行者」の祈りは絶対に叶う。常勝不敗の旗を高く掲げ、創価の師弟が堂々の前進!

 永石 全国の同志が日々、社会のため、地域のため、対話拡大に奮闘しています。

 長谷川 大きな広布の闘争の中でこそ、大きな成長も大きな境涯革命もできます。無量の福運も積んでいけます。だからこそ、共々に励まし合い、勇んで進んでまいりたい。

 原田 人生、社会、また信心も戦いです。日蓮大聖人は、苦境の中で奮闘する池上兄弟の弟・宗長に対して「せんずるところひとすぢにをもひ切って」「すこしも・をそるる心なかれ」(御書1091ページ)と鼓舞されました。いかなる困難をも恐れず、正義を叫び切ることが、日蓮仏法に脈打つ言論戦の魂です。

 竹岡 池田先生は、かつて次のように指導されました。「仏法は勝負だ。社会も勝負だ。決して油断してはならない。勝つためには、浮つかないで、誰が見ていようがいまいが、師匠に誓ったわが責任を、最後の最後まで果たし抜くのだ」

 原田 自らの誓願を果たすため、勇敢に「最後の1日」「最後の5分」まで戦い抜いてこそ、勝利があります。師弟の月・7月、私たちは、決して悔いを残さないよう、祈り切り、動き切り、語り切ってまいりたい。正義の凱歌を轟かせていこうではありませんか。

「福祉と平和」の党

 大串 参院選の投票日(21日)まで、残すところ「3日」となりました。

 永石 期日前投票(20日まで)も進んでいます。参院選で期日前の制度が始まった2004年は、期日前投票者数は717万人でしたが、前回16年には1598万人と倍増しました。制度の定着がうかがえます。

 原田 今回は、自民、公明の連立政権による「安定」の継続か、野党による「混乱と停滞」への逆戻りかが問われている選挙です。

 長谷川 作家・佐藤優氏は「安定」とは、内政においては「福祉」、国際政治においては「平和」であると指摘し「『安定』すなわち『福祉と平和』の政策を形にする要石が公明党だ」(月刊誌「潮」8月号)と語っています。

 原田 公明党は結党以来「福祉の党」「平和の党」として実績を積み重ねてきました。日本は、人口減少と少子高齢化という現実の中、社会保障の充実など多くの問題解決が求められています。また、揺れ動く国際情勢にも対応していかねばならない。今こそ、公明党の本領発揮の時です。

 竹岡 さらに佐藤氏は「公明党の議員には『民衆こそ王者』という哲学がある」と、国会議員から地方議員まで公明党の議員が「大衆とともに」との精神に根差し、活動していることを評価。参院選での勝利に期待を寄せています。

 原田 公明党の全ての議員は最後まで政策を訴え、実績を語り、理解と支持を広げてもらいたい。

小さな声を聴く力

 志賀 参院選では特に社会保障制度をどのように維持・充実させていくかが大きな争点になっています。

 竹岡 10月に予定される消費税率10%への引き上げも、高齢化に伴い年々増加する社会保障費の確保が目的です。消費税収は景気などに左右されにくく安定している特徴があります。

 大串 今回の引き上げによる約5兆円強の増収分のうち、2兆円程度が教育費負担の軽減や子育て支援などに使われることになりました。これは、公明党の粘り強いリードで、政府・与党として決定したものです。

 永石 具体的に、10月からスタートする幼児教育・保育の無償化、来年4月から始まる大学や専門学校など高等教育の無償化の財源などになりますね。一方、待機児童の解消への取り組みも加速し、20年度末までの3年間で保育の受け皿が約32万人分整備されます。

 長谷川 その上で、高齢者向け施策に充てる財源が減るわけではありません。低年金の高齢者に対して、月最大5000円(年間6万円)が年金の支給額に上乗せされます。対象者は約970万人の見込みです。

 志賀 また、低所得の高齢者の方々の負担緩和のため、介護保険料の軽減なども実施されます。

 大串 消費税には、所得の低い人ほど負担割合が高くなる「逆進性」の問題があるため、引き上げと同時に飲食料品(酒、外食は除く)などの税率を据え置く軽減税率も実施されます。

 永石 これは、政党の中で、公明党だけが提案してきたものですね。

 竹岡 一方、立憲民主、共産両党は消費税率10%への引き上げの凍結・反対を訴えているものの、公約に掲げている社会保障や、子育て支援などに使う代替財源はあいまいです。

 志賀 例えば、企業や高所得者への課税強化を挙げています。しかし、これらは景気動向に左右されやすいため、安定財源にはなり得ません。「膨らむ社会保障費を、それで賄い切れるのか」(朝日)、「消費税に代わって恒久的な安定財源となり得るか」(毎日)など、各紙からも酷評されています。

 竹岡 そもそも、今回の引き上げは、2012年に旧民主党の呼び掛けで自公両党と合意した「社会保障と税の一体改革」に基づくものです。自分たちから協力を求めておきながら、今になって「あの判断は間違っていた」(立憲の枝野幸男代表)とは、極めて無責任。「人ごとのような発言は理解に苦しむ」(読売)と厳しく指摘されています。

 志賀 だから、“有権者受けを狙った人気取り政策”、あるいは“政権批判のために国民の不安をあおり立てているだけ”などと言われてしまうのです。

 長谷川 ひるがえって、公明党の数々の実績は「小さな声を聴く」という政治姿勢と確かな実行力から生まれたものです。「地に足のついた政治」「責任ある政策」を実現してこそ、衆望に応えられるのです。

 原田 最終盤まで大激戦の兵庫をはじめ、公明党は断固として参院選を勝ち抜いてほしい。そして、政治のさらなる安定、希望あふれる社会の建設のために、戦い抜いてもらいたい。

〈世界広布の大道 小説「新・人間革命」に学ぶ〉 第10巻 名場面編 2019年7月17日

〈世界広布の大道 小説「新・人間革命」に学ぶ〉 第10巻 名場面編 2019年7月17日

 
「新航路」の章

 今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第10巻の「名場面編」。心揺さぶる小説の名場面を紹介する。次回の「御書編」は24日付、「解説編」は31日付の予定。(「基礎資料編」は10日付に掲載)

配達員の同志は「無冠の王」

 〈1965年(昭和40年)7月15日、聖教新聞の日刊がスタートした〉
 
 この日刊化を一番喜び、最もはりきっていたのが、配達員であった。
 
 日刊化を前に、その趣旨などを説明するために、各地で配達員会が開かれたが、どの地域でも、集ったメンバーは、闘志に満ちあふれていた。
 新しき広布の幕を開く聖教新聞を、自分たちが支えるのだという、誇りと歓喜を、皆がかみしめていたのであった。
 (中略)
 山本伸一は、各地の配達員の奮闘を聞くにつけ、深い感謝の思いをいだき、合掌するのであった。
 彼は、配達員や取次店の店主らの無事故を、日々、真剣に祈り、念じていた。
 また、配達に携わるメンバーが、睡眠時間をしっかりとるために、幹部に、活動の終了時間を早めるように徹底するなど、心を配ってきた。
 皆のことが頭から離れずに、深夜、目を覚ますことも少なくなかった。そして、そろそろ取次店のメンバーが仕事に取りかかるころかと思うと、目が冴えて、眠れなくなってしまうのである。
 また、全国の天気が、気がかりでならなかった。朝、起きて、雨が降っていたりすると、配達員のことを思い、胸が痛んだ。そんな日は、唱題にも、一段と力がこもった。
 山本伸一は、聖教新聞が日刊になって以来、取次店の店主や配達員が、張り合いをもって業務に取り組めるように、さまざまな提案と激励を重ねてきた。その一つが、メンバーが互いに励まし合い、業務の指針となるような、機関紙を発刊してはどうかとの提案であった。
 そして、この機関紙は、日刊化一周年にあたる、一九六六年(昭和四十一年)の七月に、月刊でスタートすることになる。
 伸一は、メンバーの要請を受け、機関紙の名を「無冠」と命名した。それは、「無冠の王」の意味である。
 権力も、王冠も欲することなく、地涌の菩薩の誇りに燃え、言論城の王者として、民衆のために戦い走ろうとする、取次店、配達員のメンバーの心意気を表現したものである。(「言論城」の章、67~71ページ)

誠実の行動が人間共和築く

 〈8月、アメリカ・ロサンゼルス南部のワッツ地区で、人種差別に端を発する暴動が発生した。しかし、山本伸一は予定通りアメリカを訪問。15日には、ロサンゼルス郊外のエチワンダで野外文化祭が開催された〉
 
 そこには、人種、民族を超えた、崇高なる人間と人間の、信頼と生命の融合の絆が光っていた。(中略)
 
 騒ぎが起こってからは、白人のメンバーが、ワッツ地区に住む黒人の同志のことを心配し、安全な地域にある、自分の家に泊めたり、練習会場まで、車で送迎する姿も見られた。
 (中略)
 伸一は、グラウンドを後にし、車に向かう途中、立っていた役員の青年たちに、励ましの声をかけ、次々と握手を交わした。
 「ご苦労様! ありがとう!」
 青年たちは、頰を紅潮させ、力の限り、伸一の手を握り返した。彼が、役員の青年と握手をしていると、一人のアフリカ系アメリカ人の青年が駆け寄って来て、手を差し出した。その手を握ると、青年は、盛んに、何か語りかけた。(中略)
 「山本先生。ワッツで騒ぎが起こっている、こんな危険な時に、アメリカにおいでいただき、本当にありがとうございます。その先生の行動から、私は“勇気”ということを教えていただきました。
 また、人びとの平和のために生きる“指導者の心”を教えていただきました。
 私は、勇気百倍です。必ず、いつの日か、私たちの力で、人種間の争いなどのない、人間共和のアメリカ社会を築き上げてまいります。ご安心ください」
 こう語る青年の目から、幾筋もの涙があふれた。伸一は言った。
 「ありがとう! あなたが、広宣流布への決意を定めてくだされば、私がアメリカに来た目的は、すべて果たせたといっても過言ではありません。
 一人の人が、あなたが、私と同じ心で立ち上がってくだされば、それでいいんです。大河の流れも一滴の水から始まるように、あなたから、アメリカの平和の大河が始まるからです。わがアメリカを、よろしく頼みます」
 その青年は、伸一の手を、両手で、ぎゅっと握り締めた。互いの目と目が光った。
 (「幸風」の章、126~132ページ)

“臆病の岬”を越えよ!

 〈10月27日、山本伸一ポルトガルリスボンで、エンリケ航海王子の没後500年を記念して建てられた、新航路発見の記念碑を見学。エンリケは、ポルトガル大航海時代の覇者となっていった最大の功労者である〉
 
 エンリケによって育まれた船乗りが、アフリカ西海岸を、何度、探索しても、新航路を発見することはなかった。
 
 彼らは、カナリア諸島の南二百四十キロメートルにあるボジャドール岬より先へは、決して、進もうとはしなかったからである。
 そこから先は、怪物たちが住み、海は煮えたぎり、通過を試みる船は二度と帰ることができない、「暗黒の海」であるとの中世以来の迷信を、誰もが信じていたからだ。
 エンリケは叫ぶ。
 「岬を越えよ! 勇気をもて! 根拠のない妄想を捨てよ!」
 それに応えたのは、エンリケの従士のジル・エアネスであった。(中略)成功を収めるまでは、決して帰るまいと心に決めて出発した。
 そして、一四三四年に、ボジャドール岬を越えたとの報告をもって、王子のもとに帰って来たのである。(中略)
 カナリア諸島に近い、ボジャドール岬を越えただけであり、新航路の発見にはほど遠かった。しかし、その成功の意義は、限りなく大きく、深かった。
 「暗黒の海」として、ひたすら、恐れられていた岬の先が、実は、なんの変わりもない海であったことが明らかになり、人びとの心を覆っていた迷信の雲が、吹き払われたからである。
 「暗黒の海」は、人間の心のなかにあったのだ。エアネスは、勇気の舵をもって、自身の“臆病の岬”を越えたのである。(中略)
 山本伸一は、しみじみとした口調で語った。
 「ポルトガルの歴史は、臆病では、前進も勝利もないことを教えている。
 大聖人が『日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず』(御書一二八二ページ)と仰せのように、広宣流布も臆病では絶対にできない。
 広布の新航路を開くのは勇気だ。自身の心の“臆病の岬”を越えることだ」
 (「新航路」の章、287~290ページ)

今こそ立て! 創価の黄金柱

 〈1966年(昭和41年)3月5日、壮年部の結成式が学会本部で行われ、山本伸一が指導した〉
 
 彼(山本伸一=編集部注)の声に、一段と力がこもった。
 
 「壮年部の皆さんは、これからが、人生の総仕上げの時代です。
 壮年には力がある。それをすべて、広宣流布のために生かしていくんです。
 大聖人は『かりにも法華経のゆへに命をすてよ、つゆを大海にあつらへ・ちりを大地にうづむとをもへ』(御書一五六一ページ)と仰せです。
 死は一定です。それならば、その命を、生命の永遠の大法である、法華経のために捨てなさい。つまり、広宣流布のために使っていきなさい――と、大聖人は言われている。
 それこそが、露を大海に入れ、塵を大地に埋めるように、自らが、妙法という大宇宙の生命に融合し、永遠の生命を生きることになるからです。
 一生は早い。しかも、元気に動き回れる時代は、限られています。壮年になれば、人生は、あっという間に過ぎていきます。
 その壮年が、今、立たずして、いつ立ち上がるんですか! 今、戦わずして、いつ戦うんですか! いったい、何十年後に立ち上がるというんですか。そのころには、どうなっているか、わからないではありませんか。
 今が黄金の時なんです。限りある命の時間ではないですか。悔いを残すようなことをさせたくないから、私は言うんです!」(中略)
 「私もまた、壮年部です。どうか、皆さんは、私とともに、学会精神を根本として雄々しく立ち上がり、創価の城を支えゆく、黄金柱になっていただきたいのであります」(中略)
 伸一は、参加者に一礼すると、出口に向かって歩き始めたが、足を止めた。そして、拳を掲げて言った。
 「皆さん! 一緒に戦いましょう! 新しい歴史をつくりましょう! 同じ一生ならば、花の法戦に生きようではないですか!」
 「ウォー」という歓声をあげながら、皆も拳を突き出した。その目は感涙で潤んでいた。闘魂は火柱となって燃え上がったのだ。(「桂冠」の章、388~391ページ)

 【挿絵】内田健一郎 
 【題字のイラスト】間瀬健治

 ※『新・人間革命』の本文は、聖教ワイド文庫の最新刷に基づいています。