7月度座談会拝読御書 乙御前御消息

SEIKYO online (聖教新聞社):仏法の教え

〈教学〉 7月度座談会拝読御書 乙御前御消息 2017年7月4日

御書全集 1221ページ4行目~6行目
編年体御書790ページ4行目~6行目
“いよいよ”の心で求道の前進
妙法の功力は信仰に励むことで増す
 
本抄について

 本抄は、日蓮大聖人が建治元年(1275年)8月、身延で認められ、乙御前の母(日妙聖人)に送られたお手紙です。本抄末尾に「乙御前へ」と記されているので、「乙御前御消息」と呼ばれています。
 乙御前の母は、鎌倉在住の女性門下で、夫と離別していました。しかし、乙御前という幼い娘を育てながら、竜の口の法難・佐渡流罪の渦中にも、純粋な信心を貫いたのです。
 本抄御執筆の前年10月には蒙古の襲来(文永の役)が起きました。さらに本抄御執筆の年の4月には蒙古の使者が再び訪れるなど、世情は騒然としていました。そうした中、乙御前の母は変わらぬ求道の一念を貫き、身延の大聖人をお訪ねしたのです。
 蒙古の再びの襲来が懸念され、世情が乱れる中で認められた本抄は、いよいよ強盛に信心に励むことを呼び掛けています。

拝読御文

 いよいよ強盛の御志あるべし、冰は水より出でたれども水よりもすさまじ、青き事は藍より出でたれども・かさぬれば藍よりも色まさる、同じ法華経にては・をはすれども志をかさぬれば・他人よりも色まさり利生もあるべきなり

「志をかさぬれば」

 拝読御文は「従藍而青」の例えを通して、ますますの求道の心で信心に励んでいくことを教えられています。
 「従藍而青」は、古代中国の思想家・荀子の「青はこれを藍より取りて、しかも藍よりも青し」との言葉に由来します。「従藍而青」を、日蓮大聖人は本抄で信心の修行を重ねていく例えとして用いられています。
 藍は、青色を出すための染料になる植物であり、その葉は緑色です。この葉から採れる染料に、布や糸を漬けて染める作業を重ねていくと、鮮やかな青に染まります。
 大聖人は「上野殿後家尼御返事」でも、「従藍而青」に触れられています。ここでは、「法華経の法門をきくにつけて・なをなを信心をはげむを・まことの道心者とは申すなり」(御書1505ページ)と示されています。
 これらの比喩では、成仏の原理が説かれている法華経を、藍に例えられています。さらに、修行の深まりは、藍から採った染料に何度も染められた布や糸が、ますます青くなるようなものであるとされています。
 法華経の法門を聞いて信心を深め、修行に励んでいくことで、私たちの生命は妙法に染め抜かれ、何ものにも揺るがない仏の境涯となるのです。
 本抄を頂いた乙御前の母は、これまでも強盛な信心に励んできた門下です。その乙御前の母に、ますます信心を奮い起こしていくよう大聖人が教えられているのは、仏法の修行にあっては、“今から、これから”という求道の心で前進することが、常に肝要となるからにほかなりません。
 御聖訓にある通り、信心を重ねていくならば、他人よりも生命の輝きが増し、利益も現れてくることは間違いありません。

後継の人材を育む

 「従藍而青」の言葉のそもそもの意味は、“教えを受けた人が教えた人より優れること”です。
 南条時光に与えられた「上野殿御返事」(御書1554ページ)で、日蓮大聖人は「従藍而青」を“後継者の成長”の例えとして用いられています。
 時光の父・南条兵衛七郎は、日蓮大聖人に帰依してほどなく亡くなりました。時光が7歳の時です。それから14年後、時光が父の後を継いで立派に成長し、見事な信心に励んでいる姿を喜ばれた大聖人は、次のように時光をたたえられました。
 「亡くなられた上野殿(兵衛七郎)こそ、情けに厚い人と言われていたが、(南条時光は)そのご子息であるから、父のすぐれた素質を受け継がれたのであろう。青は藍より出でて藍より青く、氷は水より出でて水より冷たいようであると感嘆している。ありがたいことである。ありがたいことである」(同ページ、通解)
 ここでは、父・兵衛七郎を「藍」に、時光を「青」に例えられています。
 時光は、熱原の法難の際にも、信心根本に難に勇敢に立ち向かい、師弟の道を歩み通しました。
 “後輩を自分以上の立派な人材に育てていこう”――これが、創価学会の人材育成の伝統です。慈愛と真心の関わりで後継の人材を育むことが、確かな広布の未来を約束するのです。

日妙聖人

 日蓮大聖人が佐渡流罪に処せられていた渦中、乙御前の母は、やむにやまれぬ思いから大聖人のもとを訪れました。大聖人は、こうしたけなげな信心をたたえて、佐渡の地から乙御前の母にお手紙を送られています。
 その中で大聖人は「いまだきかず女人の仏法をもとめて千里の路をわけし事を」(御書1216ページ)と仰せになっています。
 乙御前の母の求道の振る舞いが、過去のいかなる行者にも劣らぬ立派なものであると称賛されているのです。
 さらに大聖人は、「日本第一の法華経の行者の女人なり」(同1217ページ)と述べられ、「日妙聖人」という称号まで贈られています。
 乙御前の母の尊い求道心については、今回拝読する「乙御前御消息」の中でも、「かつて佐渡まで自らはるばる来られたことは、現実とは思えないほど不思議なことでした。そのうえ、このたびの身延への訪れは何とも申し述べようがありません」(同1220ページ、趣旨)と絶賛されています。
 また本抄末尾では「何かあったら私のところへ、いつでもいらっしゃい」(同1222ページ、趣旨)と、限りない慈愛で母子を包み込まれています。
 乙御前の母の求道の姿勢を通し、どんな時にも師匠を求めていく「師弟不二の信心」を心に刻みましょう。

池田先生の指針から “持続の信心”で崩れざる境涯を

 信心は、社会と人生の荒波を乗り越えるための羅針盤です。
 濁世を生きるのであればなおさらのこと、悪縁に紛動されるのではなく、信心を自身の生命と生活の中心軸に据えていくことが肝要となります。(中略)
 大聖人は、「いよいよ強盛の御志あるべし」と仰せです。信心があれば、いかなる逆境もはね返すことができる。だからこそ、一層、強盛な信心に立つことが勝利への究極の源泉となるのです。(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第3巻)
 ◇ ◆ ◇ 
 「いよいよ強盛」の信心があれば、「色まさり利生もある」とあるように、心身にますます力と輝きが増し、功徳もますます明瞭に現れてくるのです。
 いよいよ強盛の信心を重ねることによって、私たちの生命に、金剛不壊の仏界の生命が顕現するからです。(中略)
 信心の志を重ねることによって、無常のわが生命が何ものにも崩れざる常楽我浄の永遠の宝によって荘厳されるのです。その大境涯を確立するために、志を重ねることが重要となるのです。「志をかさぬれば」とは、信心の持続です。すなわち、何があってもたゆむことなく、むしろことあるごとに、いよいよ強盛の信心を奮い起こして、わが生命を錬磨していくことです。
 同じ法華経への信心、同じ御本尊への信心でも、いよいよ強盛の信心を奮い起こすことによって、功徳はいやまして大きくなり、境涯はいやまして広く、豊かになる。
 このことは、現実に皆さんが実感し、実証しているとおりです。
 ゆえに御書では「いやましての信心」を強く奨励されている。
 例えば、四条金吾に対して「いよいよ強盛の信力をいたし給へ」(御書1143ページ)、「いよいよ強盛に大信力をいだし給へ」(同1192ページ)と仰せです。また、窪尼御前にも「いよいよ御信用のまさらせ給う事」(同1478ページ)、上野尼御前にも「いよいよ信心をいたさせ給へ」(同1505ページ)と励まされています。
 このように信心強盛な模範の門下にも、大聖人は「いよいよ」と仰せです。言い換えれば、「いよいよ」の姿勢こそ、信心の極意であり、根幹の要諦となるということです。(同)