人材を育てる人が真の人材 池田大作先生の写真と言葉「四季の励まし」 2019年11月24日

人材を育てる人が真の人材 池田大作先生の写真と言葉「四季の励まし」 2019年11月24日

 【写真の説明】見上げると、赤や黄に色づいた広葉樹が陽光に照らされていた。その向こうには、送電塔がそびえ立つ。それはまるで、自然と人間の営みが織り成す一幅の名画のよう――。2004年(平成16年)12月、池田大作先生が東京・八王子市内でカメラに収めた。
 創価学会は、老若男女の違いも社会的地位も問わず、皆で仏法哲学を学び、切磋琢磨する“人間教育の場”である。第2代会長・戸田城聖先生は、学会を「校舎なき総合大学」と表現した。
 明年の学会のテーマは「前進・人材の年」。さあ、“皆が前進”“皆が人材”を合言葉に、互いに励まし合いながら、心新たに出発しよう。

池田先生の言葉

 個人も、団体も、国家も、
 どれだけ人材を見つけ、
 どれだけ人材を育てたか
 ――それで
 歴史の真価が決まる。
 民衆のため、社会のため、
 人間のために貢献する
 指導者を育てゆくことだ。
 これが
 世界平和の波動を広げる。
 これが
 創価学会の実践である。

 人材とは人格の人である。
 人への思いやり、包容力、
 自分を律する精神の力、
 正義への信念と意志等々、
 人格の輝きこそ、
 人間として最も大事だ。
 それには、
 精神闘争が必要である。
 自分の弱さに挑み、
 苦労に苦労を重ねて、
 自己の精神を
 磨き上げていくことだ。

 自分が偉くなるのでなく、
 人を偉くする。
 幸福にする。
 その人が
 本当に偉い人である。
 先輩は後輩を守ることだ。
 後輩に
 尽くしていくことだ。
 後輩を
 自分以上の大人材に
 していくことである。

 「一人」が大事である。
 本物の「一人」が立てば、
 「万人」の
 勝利と幸福につながる。
 人数が
 多いかどうかではない。
 一人でも、二人でも、
 真剣な人がいれば、
 全体に大きな波動を
 起こすことができるのだ。
 目の前の「一人」、
 自分が縁した「一人」を、
 全力で励まし、
 伸ばしゆくことだ。

 人間の一切の力、
 可能性を
 引き出していくカギは、
 ひとえに信心にある。
 「信心」の二字には、
 すべてが
 納まっているのだ。
 ゆえに人材の根本要件は、
 一言すれば、
 強盛な信心に
 立つことに尽きる。

〈ライフいま 不況の波を越えて 2019年11月21日ウオッチ――人生100年時代の幸福論〉 “就職氷河期”世代の

〈ライフいま 不況の波を越えて 2019年11月21日ウオッチ――人生100年時代の幸福論〉 “就職氷河期”世代の

苦闘の数だけ強くなれる。経験が輝く
「負けるわけにはいかないと、彼らが勇気をくれました」。加藤さん(左から2人目)が、固い絆で結ばれた男子部の後輩たちと(長野・松本市内で)

 あらゆる世代が「人生100年時代」を幸せに生きるための知恵を探る「ライフウオッチ」。今回は、30代で職場の経営危機と倒産に直面し、2度の転職を重ねた、長野・松本市に暮らす“就職氷河期”世代の友を取材した。(記事=木﨑哲郎)

 コンビニで買った夜食を手に、倒れ込むように帰宅した深夜。悔し涙があふれる。
 “なんで、またこんな目に?”
 2013年春、当時34歳だった加藤雅也さんは、数年前から働く会社の経営難に直面し、人生2度目の転職を考えていた。
 時を同じくして、本紙で小説『新・人間革命』第26巻「奮迅」の章の連載がスタート。そこには、主人公・山本伸一が、信越の男子部員を励ますシーンがあった。
 「諸君の人生は長い。決して焦ってはならない。焦って、地道な努力を怠れば、必ず、どこかで行き詰まってしまう。人生の勝負は、五年や十年で決まるものではありません。一生で判断すべきです」
 社会人となり約10年。加藤さんは、“ともかく負けまい”と自分に言い聞かせた。「小説を読んで、人生は“長いスパン(時間の幅)”で見なくちゃいけない。まだまだ、これからなんだと、勇気をもらいました」

働けど報われない 

 加藤さんが大学を出た2001年は、求人倍率1・09%という就職氷河期。京都出身でもあり、当初は関西の企業への就職を望んでいた。だが不況により募集人員は限られ、いくつもの会社にエントリー用紙を郵送したが、ほとんど返事がない。
 「何かしらの職に」と、卒業前の秋に滑り込むように内定を得たのが、加藤さんの通う大学があった長野・松本市の電機メーカー。「賃金が低く、将来が不安でした。30代になっても、ほとんど貯金がありませんでした」
 2008年にリーマン・ショックが起こると、翌年、会社が経営難に陥る。加藤さんは、再建のために不眠不休で奔走した。心身が悲鳴を上げるまで働いたが、会社はもたなかった。
 悪化する景気動向下での転職活動は困難を極めた。転職エージェントからのメールも、ピタリと途切れた。企業に連絡しても、「求人はしていません」と相手にされない。
 ようやく採用が決まった精密機器メーカーも、すでに経営に陰りがあった。1年足らずで希望退職の募集が始まり、後に整理解雇が行われた。社員は3分の1に減り、加藤さんは、またもや会社再建の業務を担うことに。
 やがて一時帰休制度で週休4日となり、賞与が消え、収入は大幅にダウン。転職エージェントからは、「とにかく嵐が過ぎ去るのを待ちましょう」と。結局、この二つ目の会社も、わずか3年で退職することになる。
 働けど働けど、報われない。一体、自分の将来はどうなるのか。結婚はおろか、翌月の生活すら思い描けない。「奮迅」の章が連載されたのは、まさに苦悩の渦中だった。

“決勝点”を見つめ 

 小説『新・人間革命』起稿の地・長野では、長年、「創価信濃大学校」の名で、各部で同小説の学習運動を進めている。当時、男子部の圏書記長だった加藤さんも、再度の転職に挑みながら、メンバーと共に研さんを深めていた。
 後輩の一人に、中学を卒業後、仕事に就けず、ふさぎ込みがちな男子部員がいた。加藤さんが「実は今、僕もね」と近況を語ると、少しずつ心を開いてくれた。「働きたいけど、一歩が踏み出せないんです……」
 やがて加藤さんは、「一緒に頑張ってみよう」と後輩を車に乗せ、共に就労支援所へ通うように。彼が、あれこれと希望する職種を教えてくれるようになった時、ふと「苦労は宝」だと思った。「仕事の悩みが、彼との絆を強めてくれた。ありがたいな、と」
 その後、後輩は人生初の定職を得る。人のことなのに、涙が出るほどうれしかった。
 またこの頃、加藤さんのことを、よく気に掛けてくれる壮年部の先輩がいた。水産関係の自営業を営むその人は、さまざまな仕事の苦労を話してくれた。取引先から突然、契約の打ち切りを伝えられたが、何度も誠実に交渉する中で、新たな活路が開けたこともあったという。
 常々、先輩は言った。「仕事の悩みが、自分を強くしてくれる。苦労が大きい分、大きく道を開いていけるのが、この信仰だよ」
 加藤さんは、「自分も、仕事での挑戦を“土台”にして、強くなりたい」と思えた。
 日々、学会の先輩や後輩と関わり、触発を受ける中で、加藤さんは、今まで以上の覚悟で転職活動に臨むことができた。
 そして、「奮迅」の章の連載が終了した2013年7月、現在の勤務先である商社から内定を得る。「貴重な経験をお持ちですね」と、2度の会社の経営難、再建への職務経歴が買われての新出発となった。
 2年前には、縁あって結婚。家族を支えるためにスキルアップをと、昨年は宅地建物取引士などの国家資格を取得し、英語の勉強にも力を注ぎ始めている。
 学会では今秋、男子部から壮年部に進出した。「41歳。いよいよ、これからです」
 ◇ 
 加藤さんが赤い線を引き、何度も読み返してきた「奮迅」の章――。信越男子部への激励の場面で、山本伸一は、「さあ、出発しよう! 悪戦苦闘をつき抜けて! 決められた決勝点は取り消すことができないのだ」(富田砕花訳)との、アメリカの詩人ホイットマンの詩を引用。続けて、こう訴える。
 「悪戦苦闘は、われらにとって、避けがたき宿命的なものです。しかし、決められた決勝点、すなわち、われらの目的である広宣流布、また、一生成仏、人間完成、福運に満ちた勝利の実証を示すという、人生の決勝点は取り消すことはできない」
 そして同章には、こうも記されている。「悪戦を経た数だけが、自身の経験の輝きとなる。苦闘の数だけが力の蓄積となる」と。
 ならば、わが人生の“決勝点”に到達する直道は、苦難のど真ん中を進むことであろう。加藤さんは決意する。「何があっても、試練に挑み立っていける自分。目標に向かって努力できる自分。そこを目指したい。悪戦を経て、多くのメンバーに励ましを送れるようになることが、人生の財産だと思っています」
 100年時代を生きる自身の“決勝点”へ――加藤さんの目は、「今」の先にある「未来」を見据えている。

小説「新・人間革命」に学ぶ 第13巻 御書編 2019年11月20日

小説「新・人間革命」に学ぶ 第13巻 御書編 2019年11月20日

  • 連載〈世界広布の大道〉

 今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第13巻の「御書編」。小説で引用された御書、コラム「ここにフォーカス」を紹介する。

師弟を結ぶのは“戦う心”
御文

 御身は佐渡の国にをはせども心は此の国に来れり
 (御書1316ページ、千日尼御前御返事)

通解

 あなたの身は佐渡の国にいらっしゃっても、心はこの国(身延)に来ているのです。

小説の場面から

 <1968年(昭和43年)9月、山本伸一は北海道の稚内へ。最北端の地で奮闘する同志に励ましを送る>

 稚内地域は、日本の最北端にあり、幹部の指導の手も、あまり入らぬところから、普段は、取り残されたような寂しさを感じながら、活動しているメンバーも少なくなかった。
 実は、伸一の指導の眼目は、その心の雲を破ることにあったといってよい。
 (中略)
 伸一は、「御身は佐渡の国にをはせども心は此の国に来れり」の御文から、こう訴えた。
 「佐渡という山海を遠く隔てた地にあっても、強い求道心の千日尼の一念は、大聖人と共にあった。地理的な距離と、精神の距離とは、全く別です。
 どんなに遠く離れた地にあっても、自分がいる限り、ここを絶対に広宣流布してみせる、人びとを幸福にしてみせると決意し、堂々と戦いゆく人は、心は大聖人と共にあります。
 また、それが、学会精神であり、本部に直結した信心といえます。
 反対に、東京に住んでいようが、あるいは、学会本部にいようが、革命精神を失い、戦いを忘れるならば、精神は最も遠く離れています。
 私も真剣です。
 広布に燃える稚内の皆さんとは、同じ心で、最も強く結ばれています」
 (「北斗」の章、149~150ページ)

魔を人間革命への飛躍台に
御文

 我を損ずる国主等をば最初に之を導かん
 (御書509ページ、顕仏未来記)

通解

 自分を迫害する国主等を最初に化導してあげよう。

小説の場面から

 <山本伸一は、学会に対する迫害が続く奄美大島へ向かう派遣幹部に、“魔”の本質について語る>

 「人間は、魔の働きをすることもあれば、諸天善神の働きをすることもあります。
 また、一つの現象が魔となるのか、人間革命への飛躍台になるのかは、自分の一念の問題です。
 大弾圧が起こっても、御書の仰せ通りであると確信を深め、歓喜する人もいる。逆に、功徳を受け、生活が豊かになったことで、真剣に信心に励まなくなる人もいる。
 さらに、戸田先生の時代から、師匠の厳愛の指導に怨嫉し、反逆していく者もいました。結局、外の世界のすべての現象は、魔が生ずる契機にすぎず、魔は己心に宿っているんです」
 (中略)
 伸一は、彼方を仰ぐように、目を細めて言った。(中略)
 「大聖人は『我を損ずる国主等をば最初に之を導かん』と仰せです。自分を迫害した権力者たちを、最初に救おうという、この御境涯に連なれるかどうかです。(中略)
 奄美の同志も、その考えに立って、人びとを大きく包容し、皆の幸福を願いながら、仲良く進んでいってほしいんです。
 奄美のこれからの戦いとは、信頼を勝ち取ることです。そのための武器は誠実な対話です。さらに、社会にあって一人ひとりが、粘り強く社会貢献の実証を示していくことです」
 (「光城」の章、242~243ページ)

ここにフォーカス/五つの段階

 「光城」の章で、インドの独立運動の指導者マハトマ・ガンジーが語った、立派な運動が経る五つの段階が示されています。①無関心②嘲笑③非難④抑圧⑤尊敬です。
 ガンジーはさらに、抑圧から尊敬へと至る秘訣を、「誠実」と述べています。
 同章では、1967年(昭和42年)に奄美大島の村で起こった、学会への迫害の歴史が記されています。
 村の有力者らによって、学会員は村八分にされ、学会撲滅を叫ぶデモまで行われます。公明党が躍進したことで、支援団体である学会を敵視したのです。
 山本伸一は、弾圧の要因について、“学会の真実を知らないがゆえの誤解”と結論し、「憎み合うことは、決して信仰者の本義ではありません。皆と仲良くすることが大切です」と伝言を託します。68年11月の奄美訪問では、「奄美を日本の広宣流布の理想郷に」と呼び掛けました。
 伸一の励ましを胸に、奄美の同志は、対話を重ね、地域貢献に取り組んでいきました。21世紀の今、奄美では信頼の輪が大きく広がっています。すべての居住世帯が、本紙を購読した集落も誕生しました。
 いかなる抑圧があろうと、誠実を貫いていくならば、必ず勝利の道は開かれる――奄美の同志の足跡は、広布史に不滅の光彩を放っています。

 【挿絵】内田健一郎 【題字のイラスト】間瀬健治

本部幹部会・SGI総会への池田先生のメッセージ

 

本部幹部会・SGI総会への池田先生のメッセージ


 一、戸田先生は健気な母の宿命転換の体験を聞かれると、いつも、「大作、牧口先生にお聞かせしたいな」と言われました。また人知れず陰の労苦に徹する男女青年部の姿を見つけると、「牧口先生にお見せしたいな」と言われました。
 
 師匠と弟子は常に一体であり、生死を超えて、永遠に不二であります。
 牧口先生の荘厳なる殉教の朝から、まさに満75年の今日この日――。
 
 全てを戦い勝って集い合った凱歌の創価家族のスクラムを、牧口先生も、戸田先生も、どれほどお喜びであるか。両先生の心を継ぐ日本全国、そして、世界65カ国・地域の「広宣流布の闘士」の皆さん、誠におめでとう! 本当にありがとう!(大拍手)

 
先師の勇気の訴え

  一、御本仏は、「日蓮仏法をこころみるに道理と証文とにはすぎず、又道理証文よりも現証にはすぎず」(御書1468ページ)と宣言されました。
 
 宗教はもとより哲学・思想・科学等、万般にわたって、真と偽、正と邪、優と劣の価値を見極めていく指標が、この文証・理証・現証の「三証」に示されております。
 
 創価学会は、大聖人の御精神に直結する師弟の言論闘争から出発しました。「創立」のその日は『創価教育学体系』の発刊日であり、以来、両先生は一貫して対話に、座談会に、執筆にと、信念の言論戦を繰り広げたのであります。
 
 1941年の12月、太平洋戦争が勃発すると、邪宗門は直ちに戦争を賛美する文書を出しました。しかし牧口先生は、この月に発行した機関紙「価値創造」で、国家主義などによって民衆の生活が犠牲にされることは、絶対に誡めねばならないと、厳然たる論陣を展開しております。
 
 先生は訴えました。
 ――妙法こそ、世界の人類が等しく渇望する「無上最大の生活法」であり、「成仏の法」である。この偉大な力を、我々同志の実験によって証明し、誰にもたやすく分かるようにするのだ。そして、その功徳を普く施して、一切衆生を無上最高の幸福へ至らしめるまで、前進していこうではないか、と。
 
 それが、どれほど勇気ある主張であったか。この「価値創造」も、半年後には軍部政府から廃刊を命じられました。その翌年、牧口先生は戸田先生と共に投獄され、そして75年前の11月18日に獄死を遂げられたのです。

 


 一、一国が残酷な戦争に暴走するただ中で、牧口先生は、「信心即生活」「仏法即社会」の実験証明を積み重ね、世界の平和へ、全人類の幸福へ、限りなく前進していくことを、命を賭して後継の弟子に、また未来の人材に託されました。
 
 この殉教の先師の師子吼を胸に、私たちは、創立90周年「前進・人材の年」へ、自行化他の題目を唱え抜きながら、一人一人が自らの「人間革命」に挑戦し、功徳と福運の実証をいやまして生き生きと打ち立てていきたい。
 
 体験・実証ほど、雄弁なものはありません。
 
 今や世界語となった「ザダンカイ」を中心に、体験談を楽しく明るく語り合い、幸の仏縁を大いに結んで、悩める友、苦しむ友が「信心してよかった」「学会員になって幸せである」と笑顔を光らせる大歓喜スクラムを、地域社会にも、地球社会にも、さらに広げていきたいと思うが、どうだろうか!(大拍手)

 

男女青年部の代表が次代を担う決意に満ちて。人間主義の哲学を広げゆく創価の若人こそ、人類の未来を照らす希望の存在!

 
海外出版が2千点に

  一、言葉には、心を蘇らせる力があります。人と人を結び合う力があります。
 
 90年、アフリカの人道の獅子・マンデラ氏が獄中闘争を勝ち越えて来日された折、晴れわたる青空のもと、私は多くの青年たちと共に聖教新聞本社で熱烈に歓迎しました。
 
 私たちとの語らいを、あの満面のマンデラ・スマイルを浮かべ、「今日ここで得た最大の“収穫”は英知の言葉です。勲章は、いつか壊れてしまうかもしれない。しかし、英知の言葉は不変です」と喜んでくださいました。
 
 ついに誕生した世界聖教会館は、各国の姉妹紙誌とも心を一つに、力強く英知の言葉を発信し、人類へ希望と勇気を贈りゆく民衆の言論城であります。
 
 いずこでも、完成を祝す聖教新聞の拡大、本当にありがとう!
 
 そして創立日を前に、私の著作の海外出版が48言語で2000点を超えたことを、皆さんとご一緒に牧口先生・戸田先生に謹んで報告させていただきます(大拍手)。
 
 牧口・戸田両先生がどちらも御書に線を引かれ、大切にされた一節があります。それは「よき師と・よき檀那(よき弟子)と・よき法と此の三寄り合いて祈を成就し国土の大難をも払ふべき者なり」(同550ページ)との仰せであります。
 
 妙法と共に広布の大誓願を貫く創価の師弟に、成就できない祈りはありません。人類に立ちはだかる大難も、地涌世界市民による異体同心の団結で一つ一つ打ち払いながら、いよいよ大前進していこうではありませんか!

 


先月、行われた「全日本吹奏楽コンクール」で2年連続13度目の“日本一”に輝いた創価グロリア吹奏楽団。師への誓いと感謝を一音一音に託し、友を鼓舞した

 

 一、明年はSGIの結成45周年。グアムでの出発の会議で、世界の草創のリーダーに呼び掛けた言葉を再び申し上げて、私のメッセージといたします。
 
 「今日から皆さんが何をするか――それが未来の世界を決するんです」と。
 
 わが愛する創価家族に、健康あれ! 和楽あれ! 勝利あれ! そして、尊き全国各地、尊き世界各国に、福徳あれ! 安穏あれ! 栄光あれ!(大拍手)

「学びの道」継つぐ 青春の挑ちょう戦せん王おうたれ!

「学びの道」継つぐ 青春の挑ちょう戦せん王おうたれ!


北海道・札幌創価幼稚園の園児たちは、元気いっぱい。どんなことにも輝く笑顔で取り組む“太陽の子”に!


 一、巡めぐり来くる11月18日は、私たち「創価教育」の「原点の日」であります。
 この日は、創そう始し者しゃである牧まき口ぐち常つね三さぶ郎ろう先生が、平和と人じん道どうの信しん念ねんを貫つらぬき通とおして、軍ぐん部ぶ政せい府ふの不ふ当とうな弾だん圧あつによって獄ごく死しされた日でもあります。今年で75年。牧口先生は悲ひ願がんであった「創価の学びや」で凜り々りしく成長する皆みなさん方がたの晴はれ姿すがたこそ、何よりの喜びとされるでしょう。先生の会かい心しんの笑え顔がおが胸むねに迫せまります。
 牧口先生は、幼おさなき日から青春時代、さらに最さい晩ばん年ねんまで一いっ生しょう涯がい、学んで学んで、学び抜ぬかれました。きょうは、その偉い大だいなご生涯を偲しのびつつ、先生が開き示しめしてくださった三つの「学びの道」を、皆で受け継ついでいきたいと思うのです。

 

読書は希望の力ちから


関西創価小学校では、全員が“創価のメロスに”を合言葉に、友への感謝の心で一日一日を走り抜いてきた(大阪・枚方市で)


 一、第一に「学びの道」は朗ほがらかな「希望の道」なり、ということであります。
 新潟県柏かしわ崎ざき市の荒あら浜はま(現在)に誕たん生じょうした牧口先生は、幼くして実じつの父ちち母ははと別れて、逆ぎゃっ境きょうの中で成長していきます。家の仕事の手伝いをせねばならず、小学校に思うように通かよえない日もありました。でも、そういう時は、仲の良い友だちに授業の内容を砂すな浜はまに書いてもらって教わりました。どんな境きょう遇ぐうでも、学ぼうという情じょう熱ねつを燃もやし、たくましく前へ前へ進んでいったのです。共ともに学ぶ仲間とは、朗らかに一生涯の友情を結むすんでいきました。
 13歳の頃ころ、北海道へ渡わたり、警けい察さつ署しょで給きゅう仕じとして働はたらきながら、暇いとまがあれば、本を開き、一いっ心しん不ふ乱らんに勉強していきます。「勉強給仕」と呼よばれるほど尊とうとい努力の日々は4年間。今の中学生・高校生の年代に当あたります。
 そして、その姿に心を打たれた人たちからの支し援えんに応こたえ、学校の先生を養よう成せいする師し範はん学校へ進学を勝ち取っていったのです。
 牧口先生には、いつ、いずこにあっても、一いっ緒しょにいる大切な親友がいました。それは「本」です。「読書」こそを、「希望の力ちから」とされたのです。
 女性教育の先せん駆く者しゃでもあった先生は、日本で最初の少女雑ざっ誌しを編へん集しゅうされた折おり、苦く労ろうして学ぶ乙おと女めたちを激げき励れいして呼よび掛かけました。
 “我われらは書物のおかげで、いながらにして世界万ばん国こくの人々と話をすることもでき、また千年前の人の教えも受けることができます”と。
 そして良りょう書しょという、楽しく面おも白しろく、しかも親しん切せつに真実の力ちからになってくれる親友を、生涯、そばから離はなさないようにしようと、訴うったえておられました。
 ですから、わが学園の読書の伝でん統とうを、牧口先生はさぞかしたたえてくださっているでしょう。今、皆さんが時間を工く夫ふうして読み進める一冊一冊が、心の天てん空くうを広げ、英知の大地を耕たがやし、創そう造ぞう力りょくの大おお海うな原ばらを豊ゆたかにしてくれるのです。

 

勇気の一歩を!


東京創価小学校の集い。児童たちは“読書で英知の扉を開こう!”と多くの本との出あいを重ねてきた

 

 一、第二に「学びの道」は不ふ屈くつの「勇気の道」なり、ということであります。
 日本の軍ぐん国こく主しゅ義ぎが吹ふき荒あれる時代にも、牧口先生は民みん衆しゅうの大地に飛び込んで、苦く悩のうの庶しょ民みんを励はげましながら、生命尊そん厳げんの平和の哲学を互たがいに学ぶ対話を広げていかれました。人間が人間として学び合い、励まし合い、高め合う権利は、誰たれ人びとたりとも奪うばうことはできません。先生は迫はく害がいの牢ろう獄ごくでも、悠ゆう然ぜんと、たゆまず読書に励み、最後の最後まで、断だんじて哲学の探たん究きゅうをやめなかったのであります。
 この偉大な牧口先生に続く創価の青年にとって、学ぶことは即そく、正義の戦いです。ゆえに、苦しみながら、悩なやみながら、もがきながらでいい。自分らしく学びの一歩を、日々、踏ふみ出していく。この勇気を忘わすれないでいただきたいのです。
 第三に「学びの道」は世界市民の「連れん帯たいの道」なり、ということであります。
 牧口先生は、若き日から、地球全体の自然環かん境きょう、人類全体の生活文化を研究され、「世界市民」の教育に先さき駆がけて取り組まれました。小学校の校長として、直ちょっ径けい2メートルもの大きな地ち球きゅう儀ぎを教きょう材ざいに、児じ童どうの心を世界に広げたこともあります。さらに、自みずからも激げき務むの中で生き生きと英語の習しゅう得とくに挑いどまれていました。
 私の師し匠しょう・戸田城じょう聖せい先生の「地球民族主義」というビジョンも、この牧口先生から継けい承しょうされたものです。
 創価の大理想を断だん固こと実現し、両先生の偉大さを世界中に宣せん揚ようすると決めて、私は戦い続けてきました。学園の創立者として皆さんの先せん頭とうに立って、世界市民が学び合う平和・文化・教育の大連帯を築きずき上あげてきました。一いっ切さいは、弟子で決まる。後継の勝利こそ、先せん人じんの勝利だからです。

 

「負まけじ魂だましい」で進め


自身の課題を、一つ一つ乗り越え、学園創立記念日を飾った東京・創価中学校の生徒たち(東京・小平市で)


 一、世界の知性との対談集も、トインビー博士をはじめ80点に及およびます。
 その一人、中国教育学会名誉会長の顧こ明めい遠えん先生の言葉が思い起おこされます。
 「この瞬しゅん間かんも大きく変化している社会において、ただ学ぶということだけが、新しい創造を生み、不ふ敗はいの地(決して敗やぶれないという天地)に立つことができるのです」と。
 これから皆さんは、ますます変化のスピードが激はげしくなる時代に直ちょく面めんします。だからこそ、「さあ何でも来こい!」と立ち向かい、勇ゆう敢かんに学び抜いてください。悔くやしい失敗や敗はい北ぼくからさえも学んでみせるという「負まけじ魂だましい」で、大だい胆たんかつ聡そう明めいに前進していただきたい。「常じょう勝しょう不敗の英知の大し城ろ」で学ぶ旭きょく日じつの学園生は、どんな闇やみも晴らして、新たな価か値ち創そう造ぞうの暁あかつきを告つげてくれたまえ!
 牧口先生、戸田先生とご一いっ緒しょに、私はいつも、奇くしき縁えにしで結ばれた、わが命いのちの学園生を一人一人、見守っています。皆、健康第一で、青春の挑ちょう戦せん王おうたれ!(大拍手)

 

 


 全すべてに大だい勝しょう利りの11・18
 世せ界かい中じゅうの同どう志しに深しん謝しゃ!
 「大だい願がんとは法ほっ華け弘ぐ通つうなり」
 伸のびゆく青せい年ねんが先せん頭とうに
 新あらたな地じ涌ゆの拡かく大だいを!
 (御書P736)

 

 

 東西の創価学園で16日、11・18「学園創そう立りつ記念日」を祝賀する「英知の日」記念行事が開かい催さいされた

 東西の創価学園で16日、11・18「学園そうりつ記念日」を祝賀する「英知の日」記念行事がかいさいされた。これには創立者池田大作先生がメッセージを寄せ、心から祝福。今年度の卒業予定者に卒業しんおくった。また同日、札幌創価ようえんでも記念の集いが行われ、同幼稚園の新園舎の建設が発表された。

 『創価教育学たいけい』発刊の日(1930年)であり、創価教育の父・牧口常三郎先生のじゅんきょうの日(44年)である11月18日は、創価学園創立記念日。「英知の日」とばれる。
 7・17「栄光の日」、10・10「情熱の日」という成長のふしきざんできた学園生たちは、この「11・18」を目指し、あらためて自らに問いける。“何のために学園で学ぶのか”“学園生の使命とは何か”と。
 その答えをたんきゅうし、創立者へのちかいを行動で示そうと、みなが勉学や読書に、友との対話に、校内のせいそう活動にと、自身が定めた目標に取り組んできた。

「英知の日」記念式典を、晴れやかな勝利の姿で迎えた東京・創価高校の生徒たち。清新な歌声に、創立者と学友への感謝を込めて(東京・小平市の創価学園で)
「英知の日」記念式典を、晴れやかな勝利の姿で迎えた東京・創価高校の生徒たち。清新な歌声に、創立者と学友への感謝を込めて(東京・小平市創価学園で)

 むかえた各校の集いではたがいのけんとうをたたえ合う学園生の姿すがたが。明春の卒業式へ成長の日々を!――ほうすうたちは使命の大空へしょうしゆく決意を、校歌や愛唱歌の歌声にたくした。

関西創価中学校・高校では全校を挙げて語学や勉学、クラスでの群読などに取り組んできた。創立者への誓いを胸に合唱を披露(大阪・交野市の関西創価学園で)
関西創価中学校・高校では全校を挙げて語学や勉学、クラスでの群読などに取り組んできた。創立者への誓いを胸に合唱を披露(大阪・交野市の関西創価学園で)
卒業指針

 <中学校・高校卒業生へ>
 今日も勇気の一歩を!
 負けじ魂で青春勝利のはたを!
 しきえにしの君よ
 新時代をつくる英知のきょくじつたれ!

 <小学校卒業生へ>
 わが命の君よ!
 世界へ 未来へ
 学びの大道を!
 ちちははを胸に
 るがぬたいじゅとそびえ立て!

 <幼稚園卒園生へ>
 らいをてらすひかりおうおうじょ
 まなぼう! びよう! きたえよう!
 つよく ただしく のびのびと!

〈池田大作先生 四季の励まし〉 創立の月 世界の友と希望の前進 2019年11月10日

池田大作先生 四季の励まし〉 創立の月 世界の友と希望の前進 2019年11月10日

 
 

 世界のSGIの同志が
 広宣流布の真剣な実践に
 立ち上がっていくことが
 できたのは、なぜか。
 それは、牧口先生、
 戸田先生という創価の師が
 日蓮大聖人の
 御精神のままに、
 不惜身命・死身弘法で
 広宣流布のために戦い、
 それを私たちに
 教えてくださったからだ。
 広宣流布のために
 苦労したことは、
 すべて三世永遠にわたる
 一家眷属の福運になる。

 法華経の方便品には
 「如我等無異」――
 「我が如く等しくして
 異なること無からしめん」
 とある。
 全民衆を、自分と同じ
 境涯にまで高めたい。
 それが仏の誓願である。 
 その心を、わが心として
 不二の道を進んでいけば、
 仏と不二の境涯になる。
 それが法華経の真髄だ。
 その真髄を体現したのが、
 創価学会である。
 わが身をなげうって、
 不幸の人、貧しい人、
 苦しむ人を救っていく。
 これが学会の魂である。

 「こんなに
 幸せになれるなんて」――
 私の誇りは、
 わが愛する同志には、
 このような人生の実感を
 味わってきた方々が
 日本中、世界中にいる
 ということである。
 経済苦、病苦、
 人間関係の苦悩、
 自身の性格の悩み等々、
 宿命と苦悩の闇を
 乗り越えてきた幸福博士が
 大勢いらっしゃる。
 いかなる苦難も
 幸福に転じていける
 大法が妙法である。
 最も不幸に苦しんだ人が
 最高に幸福な人になるのが
 仏法である。

 自他共の幸福を築きゆく、
 正しき人生の道を
 前進しよう!
 地域の同志と、
 仲良く朗らかに、
 励まし合いながら!
 世界の同志と、
 希望のスクラムも固く!

 赤く染まる夕空に、二重の虹がかかった。2000年(平成12年)4月、池田大作先生が八王子市の東京牧口記念会館から撮影した。
 初代会長・牧口常三郎先生の死身弘法の尊き生涯を顕彰して建立された同会館。輝く“七色の虹”は、人種や民族の違いを超えて前進するSGI(創価学会インタナショナル)の友を祝福するかのようだ。
 間もなく学会創立記念日の11月18日。本年は、牧口先生の「殉教75年」に当たる。戦時中、軍部政府の弾圧で投獄されながら、不屈の信念を貫いた牧口先生。その遺志を継いだ戸田先生、そして池田先生によって、創価人間主義の連帯は今や、世界192カ国・地域に広がる。さあ、世界の同志と共に、平和と幸福の虹をかけよう!