〈生老病死を見つめて〉 学会員の「心の財」 ――連載を振り返って――〈完〉 2018年10月20日

生老病死を見つめて〉 学会員の「心の財」 ――連載を振り返って――〈完〉 2018年10月20日

苦難に負けない自分をつくる
太陽の仏法と共に! さあ、人生の幾山河を勝ち越えてゆこう――雄大アルプス山脈を望む(スイス)

 これまで「生老病死を見つめて」では、創価学会員が「生老病死」という四苦を乗り越えてつかんだ、信心の確信や仏法の哲理を紹介してきました。連載終了に当たり、同志の取材を通して記者が感じたことや印象深いエピソードをつづります。

“この信心で間違いない”

 「生老病死を見つめて」は2014年(平成26年)5月24日付から連載が始まり、これまで35回にわたって紙面を掲載しました。
 取り上げた内容は、死の受容をテーマにした「死を受け入れる」(4回)、高齢社会や介護をテーマにした「『老い』と向き合う」(5回)、「介護と向き合う」(4回)。また、闘病などをテーマにした「『生きる』とは戦うこと」(4回)、友人葬を取り上げた「故人との別れ」(3回)などです。
 他にも「生老病死」にまつわる幾多の同志の体験を取り上げてきました。取材にご協力頂いた皆さまに、心より感謝と御礼を申し上げます。
 連載開始当初は全くの手探り状態でした。そんな中で心掛けたのは、同志の心情や思いを、ありのままに伝えることです。実際に取材すると、記者が事前に思い描いていたイメージとは異なる心情を伺うこともあり、取材後にテーマや内容を再検討して、紙面を作成したこともたびたびありました。
 取材のたびに同志の苦難に負けない生き方に感動し、記者自身も涙することがありました。また、読者から多くの反響を頂きました。
 ◇ ◆ ◇ 
 4歳の長女を白血病で亡くした東京の婦人は、取材で語っていました。
 「半ば覚悟していたこととはいえ、娘を亡くした悲しみは深く、つらかったです。娘が亡くなってから、同じ年頃の女の子を見れば心が乱れ、病院の近くを通るたびに涙があふれました」と。
 その婦人は悲しみを振り払うように、学会活動に励み、時間を見つけては題目を唱えましたが、「娘を思わない日は一日としてなかった」と語っています。
 娘の死を受け入れようと必死に生きる中で、ある時、娘のことを一度も思い出さずに一日を終えたことに気付きます。それは長女の死から、実に5年の歳月がたっていました。
 その後、自分と同じような境遇で悩む多くの同志に激励を重ねる中で、婦人は、こう訴えています。
 「試練や苦難に直面した時、『信心して、なぜこんな苦しい思いをしなくてはいけないのか』と思うものです。でも、その苦しみや悲しみを抱えながらもなお、真っすぐに御本尊に祈り続けていくと、必ずその意味が分かる時がきます。“ああ、そうだったのか”“この信心で間違いないんだ”と心から納得できた時こそ、信心で乗り越えた時なのです」
 紙面の掲載後、多くの読者から感動の声が寄せられました。ある壮年は、次のような感想をつづっていました。
 「記事を読み、滂沱の涙でした。『死を受け入れる』とは、こういうことを言うのかと厳粛な気持ちです。阪神・淡路大震災で被災して以来、身内の死で70歳になっても前に進めない自分を猛省。連載の紙面をあらためて最初から読み直し、全て信仰体験であることに感銘。必ず信心で乗り越えると誓いました」

亡き妻と共に広布にまい進

 一方、配偶者を亡くした悲しみを胸に秘めながら、奮闘する同志もいます。
 福岡の壮年は、63歳の妻を不慮の交通事故で亡くしました。「最高の同志であり、最大の理解者」だった妻を亡くした悲しみは深く、とても前を向ける状況ではなかったと言います。しかし、悲しみに押しつぶされないように、壮年は仕事と活動に没頭し、慣れない家事にも挑戦しました。
 壮年は語っていました。「同志と語り合っている時は、自分も勇気づけられ、心が晴れました。でも、自宅に戻ると妻のいない現実生活に引き戻されるのです。仏壇の前で、どれほど涙を流したか分かりません」と。
 そんな中で自身の支えとなった御聖訓が、「ともかくも法華経に名をたて身をまかせ給うべし」(御書1360ページ)の一節でした。
 「御本尊にお任せして、わが身を広布にささげていくならば、必ず全てを乗り越えていける」――そう確信して御本尊に向かい、同志を励ますなかで自身を奮い立たせてきたと言います。妻の死から10年以上が経過した現在の心情を、壮年は次のように語ってくれました。
 「人の死を受け入れ、乗り越えるのは簡単ではありません。また、無理に乗り越えなくてもいいと思うのです。私自身、悲しみは時間とともに少しずつ癒えてきましたが、乗り越えたとは思っていません。でも、今では亡くなった妻が、常にどこかで見守ってくれているように感じています。『お父さん、頑張っているわね』と語り掛けてくる妻の存在を感じながら、広布の戦いに挑んでいます」
 その言葉に亡き妻の分まで広布に生き抜く、壮年の決意を感じました。

苦楽を分かち合う同志の存在

 取材を重ねる中で幾つか感じたことがあります。一つは、「生老病死」という人生の根源的な苦しみや試練に直面しても、決して負けない「学会員の心の強さ」です。
 そこには、御書や教学、池田先生の指導に裏打ちされた「信心の確信」がありました。その確信があったればこそ、自身や家族が病魔や死魔に襲われても、負けることなく戦い抜けるのだと思います。
 また、苦難に挑む人々の周囲には、必ず、苦楽を分かち合い、励ましを送る同志の存在がありました。「池田先生や同志の励ましがなければ、とても一人では乗り越えられなかった」と語る友も大勢いました。そう考えた時、学会と共に、同志と共に広布にまい進することが、いかに大切であるかを実感します。
 さらには、「変毒為薬」や「願兼於業」「宿命転換」といった言葉に代表されるように、学会員には、直面する苦難を捉え直して、自身の成長の糧にしていくという尊い信心の姿勢があります。この「宿命を使命に変える」という学会員の生き方は、多くの人々に希望を与えています。
 末期の大腸がんを患いながら生き抜いた大阪の男子部員は、取材の10カ月後、多くの方に惜しまれながら亡くなりました。しかし、病に負けず、最期まで広布に戦い抜いた彼の姿は、多くの同志の心に刻まれています。

日蓮仏法の明確な価値観 

 超高齢社会が進む日本では今後、ますます、「いかに生きるか」という人生の哲学が求められていくことでしょう。また、「何のために」という目的観や、一人一人の幸福観がより問われてきます。
 日蓮大聖人の仏法では、明確な「幸福観」「価値観」が示されています。
 すなわち、「蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり」(同1173ページ)とあるように、人生の幸・不幸を決める決定的な要因は、健康や地位、財産、名誉などではなく、「心の財」であると大聖人は強調されています。
 また池田先生は、次のように語られています。
 「外面的に、いかに幸せそうに見えても、本当に幸せかどうかは、分からない。物質的、環境的に、どれほど恵まれたとしても、幸福とは限らない。自分自身が、人間として成長する。境涯を高める。心を磨き、心を鍛える。それが、幸福の根本である。私たちは、『本物の幸福』を最高に味わえる、偉大な仏法を持っている。その誇りと確信を忘れてはいけない」
 試練や苦難をも「信心の糧」としていけるのが、この仏法です。
 何よりも「自他共の幸福」を目指す学会員の力強い生き方こそ、日蓮仏法の偉大さを証明しているのです。