〈世界広布の大道――小説「新・人間革命」に学ぶ〉 名場面編 第12巻 2019年10月9日

〈世界広布の大道――小説「新・人間革命」に学ぶ〉 名場面編 第12巻 2019年10月9日

 
「栄光」の章

 今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第12巻の「名場面編」。心揺さぶる小説の名場面を紹介する。次回の「御書編」は16日付、「解説編」は23日付の予定。(「基礎資料編」は2日付に掲載)

真剣の二字に勇気と知恵が

 〈1967年(昭和42年)5月3日、会長就任7周年を迎えた山本伸一は、10日後には海外指導に出発し、最初の訪問地・ハワイへ〉
 
 今回の旅で彼(山本伸一=編集部注)が決意していたこともまた、七年前と同じく、一人でも多くの人と会い、励まし、その胸中に使命の種を植えることであった。(中略)
 彼は握手をしながら、その人のための励ましの言葉を、瞬時に紡ぎ出した。ある年配者には、こう激励した。
 「いつまでも、長生きをしてください。
 人生の勝利の姿は、地位や名誉を手に入れたかどうかで決まるものではありません。最後は、どれだけ喜びをもって、はつらつとした心で、人生を生き抜いたかです。あなたの、その姿自体が、信心のすばらしさの証明になります」
 また、ある青年には、こう語った。
 「“信心の英雄”になろうよ。それには、自分に負けないで、君自身の広布の歴史をつくることだよ。私もそうしてきたし、それが最高の人生の財産になる」
 どの言葉も、最も的確に、相手の心をとらえていた。魂の琴線をかき鳴らし、歓喜の調べ、勇気の調べを奏でた。この日の夜、ホテルで打ち合わせをした折、アメリカの日系人の幹部が伸一に尋ねた。
 「先生がそれぞれのメンバーに語られる、激励の言葉を聞かせていただきまして、その内容が本人にとって、本当にぴったりのことばかりなので驚いております。どうすれば、ああいう言葉をかけることができるのでしょうか」
 「私は真剣なんです!」
 伸一から返ってきたのは、その一言であった。特別な秘訣や技巧などはない。
 真剣――この二字のなかには、すべてが含まれる。真剣であれば、勇気も出る。力も湧く。知恵も回る。また、真剣の人には、ふざけも、油断も、怠惰もない。だから、負けないのである。そして、そこには、健気さが放つ、誠実なる人格の輝きがある。
 伸一が、一人ひとりに的確な励ましを送ることができるのも、“もうこの人と会うのは最後かもしれない”という、一期一会の思いで、瞬間、瞬間、魂を燃焼し尽くして、激励にあたっているからである。
 (「新緑」の章、20~23ページ)

腹を決めれば力が湧く!

 〈長野総合本部長の赤石雪夫は、青年時代に、兼任した役職を全うしていくことに悩み、山本伸一のアパートを訪れたことがあった。伸一は彼を銭湯に誘った〉
 
 赤石は、湯につかりながら、伸一に尋ねた。
 「たくさんの役職をもち、私なんかより、はるかに多忙なのに、どうして、そんなに悠然としていられるんでしょうか」
 (中略)
 「もし、みんなの目にそう映るとしたなら、それは、私が腹を決めているからだよ。
 一瞬たりとも、気を抜くことはできないというのが、今の私の立場だ。戸田先生のご存命中に広宣流布の永遠の流れを開いていただかなくてはならない。そのためには、学会は、失敗も、負けることも、決して許されない。私は、その責任を担っている。
 もし、負けるようなことがあれば、先生の広宣流布の構想が崩れてしまうことになる。師匠の構想を破綻させるような弟子には、私は絶対になってはならないと心に決めている。そんな弟子では、結果的にみれば、師子身中の虫と変わらないじゃないか。だから、負けられないんだ。勝つことが宿命づけられているんだ。
 私は断じて勝つ――そう心を定めて、祈り抜いていけば、勇気も湧く。知恵も湧く。力も湧いてくる」
 赤石は、何度も頷きながら、伸一の話を聞いていた。
 「何事も受け身で、人に言われて動いていれば、つまらないし、勢いも出ない。その精神は奴隷のようなものだ。しかし、自ら勇んで挑戦していくならば、王者の活動だ。生命は燃え上がり、歓喜もみなぎる。
 同じ動きをしているように見えても、能動か、受動かによって、心の燃焼度、充実度は、全く異なる。それは、当然、結果となって表れてくる。
 どうせ活動するなら、君も、常に自分らしく、勇んで行動する主体者になることだよ」(中略)
 アパートに戻ってからも、伸一は、赤石を励まし続けた。
 「(中略)広宣流布のために、うんと苦労をしようよ。うんと悩もうよ。うんと汗を流そうよ。自分の苦労なんて、誰もわからなくてもいいじゃないか。御本尊様は、すべてご存じだもの」
 (「愛郷」の章、134~136ページ)

立場などかなぐり捨てて

 〈10月、国立競技場で開催された東京文化祭では、4万2千人が出演した人文字が、花園を駆ける子鹿や、世界各地の風景を描き出し、観客を魅了した〉
 
 下絵の制作にあたった芸術部員のなかには、(中略)世間によく名の通った画家もいた。その著名な画家たちがつくった下絵も、容赦なくボツになった。(中略)皆が感嘆し、納得のいく絵でなければ、審査はパスしなかったからだ。
 だが、何度、ボツになろうが、そのことで文句を言ったり、やめると言い出す芸術部員は一人もいなかった。皆、自分の画壇での立場も権威も、かなぐり捨てていた。メンバーは、皆で力を合わせ、後世に残る最高の人文字をつくることに徹しきろうと、心を定め、集って来たのである。
 だから、絵がボツになると、自分の絵のどこに問題があったのかを真摯に思索し、挑戦の意欲をますます燃え上がらせるのであった。およそ、一般社会では考えられない、この姿を見て、若手の芸術部員が著名な画家に言った。
 「高名な先生が、ボランティアで、人文字の下絵を描かれるとは思いませんでした」
 すると、彼は笑いながら答えた。
 「私は、画家である前に学会員ですからな。一会員として、広宣流布の新時代を開く文化祭のために、何ができるかを考え、応援させていただいているんです。この文化祭は、映画にもなるそうですから、何百万という人が、文化祭を見ることになる。その人たちに、心から感動を与え、生きる勇気と希望を与えるお手伝いができるなんて、すごいことじゃないですか。さらに、この作業が、仏法のすばらしさを証明していくことにもなる。
 こうした偉業にかかわれるというのは、まさに千載一遇ですよ。
 また、いろいろな考えや画風の人が、力を合わせて、新しい芸術を創り出すことなんて、めったにあるもんじゃない。普段は自分の世界に閉じこもっているだけに、この機会は、私にとっては、新しい刺激と発想が得られるチャンスだと思っています。今回の作業を通して、狭量な自分の殻を破り、境涯を開きたいと考えているんですよ」
 (「天舞」の章、213~214ページ)

「未来に羽ばたけ君と僕」

 〈1968年(昭和43年)、創価学園が開校した。栄光寮の寮生たちは寮歌を制作。7月、テープに吹き込み、山本伸一のもとに届けた〉
 
 伸一は、それを、妻の峯子とともに聴いた。
 「いい歌だね。さわやかで、すがすがしい。そして、力強い。二十一世紀に羽ばたかんとする、学園生の心意気がみなぎっている。名曲が完成したね」
 伸一は、毎日、このテープを聴き、学園生の未来に思いをめぐらせ、成長を祈念した。
 (中略)
 伸一は、彼らの一途な開道の心意気に、なんとしても応えたいと思った。そして、寮歌の五番の歌詞をつくって、贈ろうと考えた。
 八月は夏季講習会が二十三日まで行われ、陣頭指揮をとっていた伸一は多忙を極めていたが、寮歌の五番の作詞に取りかかった。
 四番までの歌詞を何度も読み返しては思索し、五番では友情をうたおうと思った。
 ペンを手にすると、伸一の頭には、泉のように言葉が浮かんだ。
 それを吟味するかのように、推敲を重ね、歌詞を書き記していった。
  
 五、富士が見えるぞ 武蔵野の
   渓流清き 鳳雛
   平和をめざすは 何のため
   輝く友の 道拓く
   未来に羽ばたけ 君と僕
  
 「輝く友の 道拓く」の箇所には、学園生のために命がけで道を開こうと決めた、伸一自身の決意も込められていた。(中略)
 学園生は、「君と僕」の歌詞に、二つの意味を感じ取っていた。
 一つは、「君」は「友」であり、「僕」は「自分」である。そして、もう一つは、「君」が「自分」であり、「僕」は、創立者である「山本伸一」である。
 歌いながら、生徒たちは、伸一が極めて身近な存在に思えた。そして、ともに未来に向かって前進する、共戦の父子の絆を感じるのであった。
 (「栄光」の章、354~357ページ)

 ※『新・人間革命』の本文は、聖教ワイド文庫の最新刷に基づいています。

 【挿絵】内田健一郎 【題字のイラスト】間瀬健治