「情熱の日」記念の集いへの池田先生のメッセージ 2019年10月4日
「情熱の日」記念の集いへの池田先生のメッセージ 2019年10月4日
若き価値創造のエネルギー沸き立つ「情熱の日」、誠におめでとう!
挑戦と友情の金の汗が光る競技大会や運動会も、知恵と団結で創り上げた学園祭も、誠に見事でした。
私は、皆さん一人ひとりに、青春勝利の金メダルをかける思いで、全てを見守っております。
きょうは、たくましくスポーツの精神を呼吸しながら成長しゆく皆さんに、「平和の前進へ、勇気と信頼のスクラムを!」とエールを送ります。
今、4年に一度のラグビーのワールドカップが、アジア初となる日本で開催され、東北の被災地をはじめ全国各地で熱戦が繰り広げられています。世界の青年の情熱みなぎる、この光景を、私がお見せしたかったと思う方がおります。
それは、スポーツをこよなく愛し、さらに東北の復興も強く願われていた、南アフリカの偉大な「人権の闘士」ネルソン・マンデラ元大統領であります。
マンデラ氏は、黒人も白人も差別なく、互いに手を取り合う平和な社会を目指し、27年半、1万日に及ぶ投獄にも耐え抜いて、戦い続けてきました。
黒人初の大統領に就任した翌1995年には、人種や言語など、あらゆる差異を超えて、心と心を結ぶスポーツの力に期待を込め、南アフリカでラグビーのワールドカップを開かれております。
マンデラ大統領は、「インビクタス」というラテン語を大切にされていました。これは、「負けない」「へこたれない」「屈しない」という意義で、まさしく「負けじ魂」と言いかえられるでしょう。
大統領から励ましを受けた南アフリカの代表選手たちは、この「負けじ魂」を受け継いで、思う存分、発揮するとともに、「ワンチーム、ワンカントリー(チームは一つ、祖国は一つ)」の合言葉で団結して、快進撃を続けます。そして、無敵と謳われる強豪にも逆転勝利し、初優勝を成し遂げました。
大観衆の歓呼の中で、チームのジャージーを着た大統領が、優勝トロフィーを授与する姿は、「人種融和」の新時代を告げる歴史的なシーンとなったのです。肌の色に関係なく、一体となって喜び合う感激のスクラムが国中に広がりました。
マンデラ大統領と私が日本で再会したのは、それから10日ほど後のことです。世界を魅了する“マンデラ・スマイル”は、一段と輝いて見えました。
大統領は語られています。「信頼でき、頼りになる友人の支えは、人生最大の打撃を受けたときでも、希望を捨てず試練に耐える強さを与えてくれる」(『ネルソン・マンデラ 未来を変える言葉』セロ・ハタン、サーム・フェンター編、長田雅子訳、明石書店)と。
ラグビーも、信頼し合う仲間とパスをつなぎ、スクラムを組み、支え合って、前へ前へ勇敢に進んでいきます。
チームのために声を掛け合い、一人ひとりが強くなり、自らの持てる力を出し切って、わが使命を果たし抜いていくのです。
ここに、万般にわたる勝利の方程式があります。
マンデラ大統領は、「大切なことは何が起こったかということより、それをどのように受け止めるかということです」(『ネルソン・マンデラ 私自身との対話』長田雅子訳、明石書店)とも語られていました。
青春には、楕円形のラグビーボールのように、つかみかけたチャンスが、思わぬ方向に転がってしまう試練もあるでしょう。
しかし、たとえ何度失敗しようとも、“いざ征かん!”“我は征く!”と、不屈の「負けじ魂」で再び立ち上がり、朗らかに笑顔の一歩を踏み出していく人にこそ、栄光は輝くのです。
アメリカの「人道の母」エレノア・ルーズベルトの、未来の世代へのメッセージにも、「行動することで、勇気は育まれます」「はじめは成功しなくても、もう一度、もう一度、トライ(挑戦)するのです」とある通りです。
どうか、春夏秋冬の絵巻に彩られた、この学園を舞台に、勉学で、語学で、読書で、クラブ活動で、自分の壁にチャレンジしながら、「きょうも、悔いなくベストを尽くした! 明日も、断じて勝ってみせる!」と、忍耐強く「常勝の日々」を積み重ねてください。目の前に立ちはだかる悩みや苦労も、良き学友と互いに励まし合って、一つ一つ乗り越えていってください。
我ら学園生の成長こそ、平和の前進です。
我ら学園生の勇気と信頼のスクラムこそ、地球の未来を照らす希望の太陽なのであります。
私も、毎日毎日、愛する学園生の歌声を生命に響かせながら、一人ひとりの健康と無事故、栄光勝利を祈っています。風邪などひかないように! 元気で!(大拍手)
〈座談会 創立90周年を勝ち開く!〉73 結成45周年の勝利島部 仲良く常識豊かに信頼の大樹と輝く 2019年10月3日
〈座談会 創立90周年を勝ち開く!〉73 結成45周年の勝利島部 仲良く常識豊かに信頼の大樹と輝く 2019年10月3日
〈出席者〉
原田会長
永石婦人部長
島瀬勝利島部長
志賀青年部長
大串女子部長
永石 大変うれしいことに、池田先生・奥さまが、東京・信濃町に竣工した「創価学会 世界聖教会館」を初訪問してくださいました(9月28日)。聖教拡大に全力で取り組む全国の同志にとって、これ以上の喜びはありません。
原田 今回、インド、タイを訪問いたしましたが、世界広布の勢いがさらに増していることを実感しています。こうした中での世界聖教会館の竣工です。今日まで広宣流布の地平を開いてくださった先生への感謝は尽きません。
志賀 今、「セイキョウオンライン」は世界中からアクセスされています。私もインド訪問の折、毎日見ていました。
大串 私もです。聖教新聞を通じ、あらためて、世界同時に広布が進行していることを感じました。
原田 聖教は「人間主義の理念に基づき、生命尊厳と恒久平和を目指す新聞」であり、「人々に希望と勇気を与える新聞として日々、発展されて」いると評するのは、韓国・ソウル大学の金鍾瑞元副総長です。希望と勇気を届ける聖教新聞を、聖教職員や私たちリーダーが先頭に立って、さらに拡大していきたい。
大串 10月7日が「部の日」である勝利島部は本年、結成45周年の佳節を迎えましたね。
島瀬 結成の直後、先生は、村八分などの迫害を受けながら、苦労し抜いて、広布に励んでこられた離島の同志に対し、「全員が、まぎれもなく、日蓮大聖人の本眷属たる地涌の菩薩です。奇しき縁のもとに、それぞれの島に出現し、大聖人の命を受け、広宣流布の戦いを起こされた方々です」と抱きかかえるように、励ましを送られます。
原田 離島の同志が、どれほど尊き使命を自覚し、奮い立ったことか。さらに先生は、「島のことは、皆さんにお願いするしかありません。皆さんが動いた分だけ、語り合った分だけ、広宣流布の前進があります」と語られます。その後すぐに先生は、沖縄の石垣島や宮古島へと足を運ばれ、島の広布の基盤を築くために奔走されます。
島瀬 以来45年。勝利島部の友は「島の人びとは、すべて自分が守るのだという思いで、仲良く、常識豊かに、大きな心で進んでいってください。信頼の大樹となって、全島民を包んでいただきたいんです」との指針を胸に、池田先生直結で、広布に一人立ち、歴史を切り開いてきました。
原田 そして今、勝利島部の友は、島の“なくてはならない存在”と輝いています。本年の上半期の拡大の戦いでも、勝利島部の皆さんは、全国模範の拡大の実証を見事に示してくださいました。
永石 聖教の拡大も同様です。全ての新聞の中で、記念期間は特に、聖教新聞の購読者が一番多くなる島や、大勢の未入会の友人が“永久購読”をされている島のことも聞きます。
島瀬 勝利島部の島の6割が、1島もしくは、いくつかの島でブロックを構成しています。中には、たった一人で、“創価の旗”を掲げ、広布に走ってくださっている方もいます。本当に頭が下がります。
永石 そうした島々に、本島から励ましに通うリーダーもいます。たとえば、3日に1便しか船が出ない地域へも、足しげく島に通うリーダーの存在を伺い、感動しています。
原田 島は台風の影響を受けやすく、特に今年は大きな被害がありました。それでも、勝利島部の皆さんは、「わざはひも転じて幸となるべし、あひかまへて御信心を出し此の御本尊に祈念せしめ給へ、何事か成就せざるべき」(御書1124ページ)との御聖訓を確信し、立ち上がっておられます。勝利島部の皆さんの幸福と勝利を心から祈念しています。
島瀬 ありがとうございます。先生は小説『新・人間革命』第28巻「勝利島」の章で、「皆が奮い立つ時、新しい前進が始まる。皆が心を合わせる時、新時代が開かれる」とつづられました。それぞれの島が、“勝利の島”と輝けるよう、さらに強盛に題目の師子吼を響かせ、新たな決意で新時代を開いてまいります。
原田 間もなく「励まし週間」です。リーダーによる「訪問・激励」は、学会の基本の活動です。当然、日常的に実践していることではありますが、あえて「週間」を設けることで、より一層、意識を高くして取り組んでまいりたい。
永石 訪問した折には、じっくりと話に耳を傾け、一緒に勤行・唱題に励むなど、一人でも多くの方が信心の決意に立つことができるよう、皆で力を尽くしていきたいと思います。
志賀 そうした中、今月の5・6日には、全国の会館で「SOKAキッズフェスタ」が放映されます(会場と時間は各県・区で決定)。
大串 キッズフェスタは、未就学児から小学校低学年までの児童とその家族が一緒に会館に集い、歌や体操、読み聞かせなどを楽しむためのイベントです。
志賀 今回は、“体操のお兄さん”が登場し、親子で一緒に楽しい体操を行います。どうぞ中継の会場には、親子共々、動きやすい服装でお越しください。
原田 父親の育児参加も進む中、会館で親子一緒に楽しい思い出を刻むことは、後継者育成の観点からも重要です。
志賀 未入会のご家族も参加しやすい内容となっていますので、多くの方をお誘い合わせの上、当日、会館でお楽しみいただければと思います。
〈随筆 「人間革命」光あれ 池田大作〉 師弟凱歌の言論城 2019年10月3日
〈随筆 「人間革命」光あれ 池田大作〉 師弟凱歌の言論城 2019年10月3日
世界聖教会館と共に対話の王者と勇み立て
「平和の地球」照らす太陽の仏法
清々しい青空が広がる九月二十八日の午前、「世界聖教会館」の真新しい館内に足を運んだ。
礼拝室の言論会館で勤行・唱題を行い、深く強く誓願の祈りを捧げた。
いよいよ、この新しき師弟の言論城から、世界広宣流布の新しき波を起こすのだ!
人間主義と生命尊厳の旗を掲げて、「希望の光」「常楽の光」「平和の光」を広げゆくのだ!
そして、日本と世界の読者をはじめ、聖教につながる一切の方々が、健康で幸福であるように!
なかんずく、日々、我らの聖教を配達してくださっている“無冠の友”が、どうか、絶対に無事故であるように!と真剣に題目を送った。
図書資料室では、聖教新聞の爽やかなコマーシャルも拝見した。ここでは、世界各国の機関紙・誌や日本及び海外の出版物が閲覧できる。
電子版の「セイキョウオンライン」には、実に百九十八カ国・地域からアクセスがあるという。
「日本中、世界中の人に読ませたい」と言われていた戸田先生が、どれほど喜ばれるか。
第二代会長就任を目前に、先陣切って創刊された聖教新聞は当初、新宿・百人町にあった先生の事務所で制作され、作業場は間もなく市ヶ谷のビルに移った。狭い狭い編集室で、先生を囲んで新聞を作った日々――苦しくも楽しき歩みを思い起こしながら、妻と感慨深く語り合った。
この九月二十八日は、実は一九七〇年(昭和四十五年)に、これまでの聖教新聞本社屋の落成式が行われた日でもあった。奇しくも、あれから五十年目となる。
あの当時、いわゆる「言論問題」が惹起し、学会は無理解の非難にも晒されていた。その中で完成した聖教本社屋は、烈風に向かって敢然と聳え立つ新生の城であった。
落成式の折、私は申し上げた。
「心も一新して出発しよう。日々、自分の惰性を打ち破っていくことが、良い新聞をつくる最大の要件だ。一日一日が戦いだよ……前進、前進、前進なんだ」
半世紀を経た今、再び新たな人間革命の心で、新たな前進の「希望」と新たな前進の「勇気」を送っていきたい。
世界聖教会館の一階入り口に設置された「師弟凱歌の碑」に私は記した。
「立正安国と世界広布の大言論城たる此の地から、永久に師弟共戦の師子吼が放ちゆかれることを信ずるものである」
「師子吼」といえば、法華経の勧持品では、釈尊の御前に勢揃いした弟子たちが、「師子吼を作して、誓言を発さく」(創価学会版法華経四一七ページ)と説かれる。
すなわち、仏滅後の悪世にあって、十方世界を舞台に法華経を弘通することを力強く誓願した、弟子たちの誓いの言葉を「師子吼」と表現されているのだ。
御本仏・日蓮大聖人は、この深義を御義口伝で「師とは師匠授くる所の妙法 子とは弟子受くる所の妙法・吼とは師弟共に唱うる所の音声なり」(御書七四八ページ)と教えてくださった。
「師子吼」とは、師弟不二の心で妙法を唱え、「正義」を叫び切っていくことに他ならない。
勧持品で、弟子たちが師子吼して示したことは何であったか。「三類の強敵」の迫害に屈せず、不惜身命で戦い抜いてみせる、との誓願である。
青年部の友が今回の教学試験で研鑽した通り、
三類の強敵とは――
第一に俗衆による悪口罵詈等の迫害である。
第二に傲慢で邪智の僧侶らによる迫害である。
そして第三に、世の尊敬を集める高僧を装い、権力者と結託した僭聖増上慢による迫害である。
大聖人直結の我ら創価の師弟は、僭聖増上慢をも駆り出し、異体同心で「三類の強敵」と決然と戦い続けてきた。
それは、聖教新聞を正義の宝剣として、一人ひとりが勇敢に忍耐強く貫き通す大言論戦である。
我らは、断固として勝ちに勝った。晴ればれと「破邪顕正」の勝ち鬨をあげた。百九十二カ国・地域の平和・文化・教育の連帯は、いよいよ威光勢力を増している。これこそ、歴史に永遠に輝く民衆仏法の凱歌である。
不思議にも、今この時、世界聖教会館が誕生したことは、御本仏が創価の師弟を御照覧くださり、讃嘆してくださっている、何よりの証しなりと確信するものである。
我らの言論城は、永久に師弟共戦の「師子吼の大城」だ。
「各各師子王の心を取り出して・いかに人をどすともをづる事なかれ」「彼等は野干のほう(吼)るなり日蓮が一門は師子の吼るなり」(御書一一九〇ページ)
どこまでも、この御金言通り、この世で最も強き「師子吼」を轟かせ、人生と社会のいかなる悲嘆も絶望も吹き飛ばし、共に勝ち進みゆくのだ。
世界聖教会館から、間近に輝き見える世界女性会館をカメラに収めた。
二〇〇〇年の九月に開館して以来、「女性の世紀」の宝城として、世界の宝友を迎えている。
近隣にお住まいで、ウクライナの駐日大使だったコステンコ氏と、詩人として名高いリュドミラ夫人は、この女性会館を「心美しい人、幸福な人が集う王国」と形容された。
しかも、来館者を「会館に入る時以上に、出てくる姿は、もっと美しい」と讃えてくださった。
これこそ、「蘭室の交わり」を広げる創価の城の福徳の力なのである。
折しも九月二十八日は一九七五年(昭和五十年)に、当時の女子部の「青春会」が発足して四十五年目の日であり、世界女性会館では結成記念の会合が行われた。
「一生涯、題目と広布」との誓いのままに、仲良く励まし合いながら走り抜いて、世界の華陽姉妹の道を開いてくれた模範のスクラムである。
皆の元気な近況を妻からうれしく聞きながら、「年は・わか(若)うなり福はかさなり候べし」(御書一一三五ページ)との実証を、ますます朗らかに、と題目を送った。
「諫暁八幡抄」には、仰せである。
「月は西より東に向へり月氏の仏法の東へ流るべき相なり、日は東より出づ日本の仏法の月氏へかへるべき瑞相なり」(同五八八~五八九ページ)
大聖人が願われた、「仏法西還」「一閻浮提広宣流布」を現実のものとしたのは、創価学会である。
日興上人の指南を伝える「五人所破抄」に、「本朝の聖語も広宣の日は亦仮字を訳して梵震に通ず可し」(同一六一三ページ)と説かれる如く、文字・言論が具える普遍の力で、あらゆる壁を越えて、今やこの地球上に、日蓮仏法の大光が届かない所はない。
先日は、学会代表団、青年文化訪印団が、仏教発祥のインドに赴いた。
ニューデリーにはインド創価学会(BSG)の新「本部」が落成、首都近郊にある創価菩提樹園には「講堂」の誕生……わが地涌の同志の歓喜がはじける、誠に晴れがましい慶事が続いた。
一九七九年(昭和五十四年)二月、私がインドを訪れた折、メンバーは百人にも満たなかった。しかし私は“ガンジスの大河も一滴から”と、尊き使命の友を励ました。
ここから我が同志は、勇気ほとばしる息吹で、悠久の大地に幸福と友情と信頼という妙法の種を蒔き続け、この四十年で、二十二万人を超える偉大な地涌の人華と咲き誇っているのである。
微笑みの王国・タイの広布の大発展も目覚ましい。明年には、待望の研修センターが完成する。
毎日、インド、タイからの報告を伺い、眩いばかりの友の笑顔を聖教紙上で拝見しながら、何度も何度も万歳を叫び、喝采を送る思いであった。
「諫暁八幡抄」には、さらにこう仰せである。
「月は光あきらかならず在世は但八年なり、日は光明・月に勝れり五五百歳の長き闇を照すべき瑞相なり」(同五八九ページ)
広宣流布は、世界へという「横の広がり」とともに、世代から世代への「縦のつながり」によって織りなす大絵巻だ。
世代を重ねるごとに、いよいよ力ある「従藍而青」の人材を育成する。これが、末法万年尽未来際の「令法久住」を開く大道である。
思えば、戸田先生が「城聖」とのお名前を、初めて記されたのは、法難の獄中であった。
恩師は、殉教の師・牧口常三郎先生の分身として出獄され、民衆を守り抜く「正義の城」「人材の城」「平和の城」を、厳然と築かれたのである。
今も、先生の声が聞こえるようだ。
「私は城聖、君は大作だ。一緒に、偉大な『創価の大城』を作ろうではないか!」
聖教の「聖」の文字は、わが城聖先生の「聖」に通じ、そして「耳」と「口」の「王」と書く。恩師さながらに「対話の王者」「言論の王者」たれとの意義と、私は命に刻んできた。
世界聖教会館は、その正面を東天に向けて聳え立つ。まさに昇りゆく旭日と共に輝き光る大城であるといってよい。
この「太陽の言論城」を仰ぎつつ、いやまして勇気と励ましの語らいを、わが地域へ、世界へ明るく広げ、共々に「平和の地球」を照らしゆこうではないか!
(随時、掲載いたします)
〈世界広布の大道――小説「新・人間革命」に学ぶ〉 第12巻 基礎資料編 2019年10月2日
〈世界広布の大道――小説「新・人間革命」に学ぶ〉 第12巻 基礎資料編 2019年10月2日
今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第12巻の「基礎資料編」。各章のあらすじ等を紹介する。次回の「名場面編」は9日付、「御書編」は16日付、「解説編」は23日付の予定。
1967年(昭和42年)5月3日、山本伸一の会長就任7周年となる本部総会が、日大講堂で開催される。席上、彼は、当時の社会が抱える「人間疎外」の問題を鋭く分析し、日蓮仏法こそが、新たな精神文明を開きゆく力であると訴えた。
総会を終えた伸一は、13日、アメリカ、ヨーロッパ歴訪の旅に出発する。
最初の訪問地ハワイは、7年前、座談会に集ったのは三十数人にすぎなかった。しかし、今やメンバーは2000世帯を超え、太平洋の一大拠点に発展していた。
15日、一行はロサンゼルスへ。アメリカ広布の大発展の布陣として、アメリカを総合本部とすることを発表。17日、ニューヨークを訪れ、ダンサーなど、芸術家を志す青年たちを激励する。
20日には、フランス・パリ郊外のヌイイに誕生したパリ会館の入仏式に出席。皆が一人立ち、その一人一人の勝利が積み重なってこそ、大勝利があると指導する。
さらに、イタリア、スイス、オランダと回り、各地で「新緑」のような、希望あふれる青年たちを全力で励まし続ける。
伸一は、アメリカ、ヨーロッパ訪問から帰ると、休む間もなく大阪や滋賀県の彦根など、各地を回り、6月23日に、長野県の松代へ向かう。
松代では、2年前の1965年(昭和40年)8月から群発地震が続いていた。伸一は、その年の11月、激励に向かう派遣幹部に“松代の同志には、強い「愛郷」の心で、住民の依怙依託となって地域を守り抜いてほしい”との思いを語る。同志は、わが地域を寂光土に変えようと誓い、決然と弘教に立つ。
また、松代の幹部は、大きな地震の後には、自主的に会員の家へ、安否確認と、激励に回る。この励ましのネットワークは、やがて会員だけでなく、自然に地域の友へと広がっていった。そして、67年(同42年)6月、松代会館を訪れた伸一は、苦難に負けず、模範の国土、組織を築こうと訴える。
7月には、九州、中部、東北を回り、8月には、兵庫、福井、富山を訪問。15日は、岐阜・高山市に。伸一は、江戸時代、悪政に抗して農民が決起した、この飛騨の地に、「幸福の花園」を、「人間共和の故郷」を築いてほしいと期待を述べる。
9月1日、東京・信濃町に創価文化会館が開館する。続いて関西にも文化会館が完成。それは、仏法を基調に、平和と文化を推進する創価学会を象徴するものとなる。
伸一は、この年、全国を回りながら、四国には「楽土建設の革命児たれ」、九州には「つねに先駆の九州たれ」など、各方面にモットーを示していった。
10月15日には、東京文化祭が国立競技場で開催される。舞い行く赤鷲など、千変万化する人文字や、歓喜のダンスが繰り広げられた。
出演者の一人一人に、自己の壁に挑み、限界を打ち破る勝利のドラマがあった。天を舞うがごとき、青春乱舞の舞台であった。大成功の陰には、人文字の下絵や各演目の振り付け等に献身する人の支えがあった。文化祭終了後、伸一は真っ先に、会場の外で黙々と整理や清掃に取り組む青年たちに感謝の言葉をかける。
30日、伸一は「ヨーロッパ統合の父」クーデンホーフ・カレルギー伯爵と会見。人類の恒久平和実現を願う2人は、深く共鳴し合う。後年、この対談は、対談集『文明・西と東』として結実する。
1968年(昭和43年)「栄光の年」は、伸一の詩「栄光への門出に」とともにスタートした。
4月8日、東京・小平市の創価学園(中学校・高等学校)では、待望の第1回入学式が行われた。創立者の伸一は開校に先立って、「真理を求め、価値を創造する、英知と情熱の人たれ」など、五つの指針を贈った。創価教育を実践する学校の設立は、牧口常三郎初代会長から弟子の戸田城聖に、さらに、戸田から伸一に託された構想であった。
伸一は、入学式当日、式典後に学園を訪れ、「英知 栄光 情熱」のモットーが刻まれた碑の除幕式に臨んだ。生徒と共に「栄光橋」を渡り、また、記念のカメラにも納まった。
その後も、彼は学園に幾度も足を運ぶ。親元を離れて暮らす寮生の代表とも懇談し、皆をわが子のごとく激励する。伸一の慈愛に包まれ、生徒たちは大きく成長していく。
やがて、大学、幼稚園、小学校と、創価一貫教育が完成。また、アメリカ創価大学をはじめ、創価教育の園は、海外にも広がり、卒業生は、全世界を舞台に、社会貢献の実証を示していくのである。
〈創価学園をたびたび訪れた山本伸一は、時に寮生・下宿生を、時に成績不振に悩む生徒を温かく励ました〉
山本伸一は、生徒の幸福と栄光の未来を考え、一人ひとりを大切にする心こそが、創価教育の原点であり、精神であると考えていた。
国家のための教育でもない。企業のための教育でもない。教団のための教育でもない。本人自身の、そして社会の、自他ともの幸福と、人類の平和のための教育こそ、創価教育の目的である。(「栄光」の章、395ページ)
※『新・人間革命』の本文は、聖教ワイド文庫の最新刷に基づいています。
【挿絵】内田健一郎 【題字のイラスト】間瀬健治
〈座談会 創立90周年を勝ち開く!〉72 10月2日は「世界平和の日」 師と共に歩む誓願の弟子に 2019年10月1日
〈座談会 創立90周年を勝ち開く!〉72 10月2日は「世界平和の日」 師と共に歩む誓願の弟子に 2019年10月1日
〈出席者〉
原田会長
長谷川理事長
永石婦人部長
西方男子部長
大串女子部長
長谷川 青年部教学試験2級が無事故で終了しました。受験された皆さん、また、共に研さんしてくださった方々、運営に携わってくださった役員など、全ての方々に感謝いたします。
西方 皆が、それぞれ真剣に研さんし、成長を遂げることができました。
原田 試験ですから合否はあります。その上で、教学の研さんを重ねたこと自体が命に刻まれます。計り知れない功徳があることは間違いありません。これからも、行学の実践で信心を磨いていってください。
永石 このたび、原田会長、また、青年部の代表の皆さんと共に、仏法源流の地であるインドを訪問してまいりました。
長谷川 インドでは、新「本部」、そして、創価菩提樹園に「池田講堂」が誕生しました。目覚ましい発展ですね。
永石 二つの宝城の完成にメンバーの喜びが爆発していました。インドの全てのメンバーで唱えた題目は、この4カ月間で実に、115億遍。さらに、対話、人材育成にも全力で挑戦されていました。
大串 インドの皆さんは、不惜の闘争で世界広布の道を開き、仏法西還を現実のものとしてくださった池田先生への感謝を口々に述べていました。その思いが拡大の原動力になっていると感じました。
原田 池田先生がインドを初訪問されたのは1961年のこと。小説『新・人間革命』第3巻「月氏」の章には「私はやる。断じてやる。私が道半ばに倒れるならば、わが分身たる青年に託す。出でよ! 幾万、幾十万の山本伸一よ」と東洋広布を誓う場面がつづられています。先生の深き祈りに応じて出現した人材群こそ、今のインドのメンバーであると、強く実感しました。
西方 インド訪問中に、よく耳にしたのが「I am that one disciple(私がその一人の弟子だ)!」という言葉です。これには、小説『新・人間革命』の最終回に「一人の本物の弟子がいれば、広宣流布は断じてできる」と、つづられた場面に対する決意が込められています。
大串 インドでは『新・人間革命』の研さん運動が進んでいます。皆さんが、そこに示されている指針を“先生から自分自身へのメッセージ”と捉えて真剣に学び、広布と信心の教科書、人生の羅針盤にされている姿に感動しました。
西方 南アジアの代表も参加しての青年部総会も盛大に行われました。
大串 日本とインドの青年部が「弟子誓願宣言」を発表。「永遠に池田先生と共に、学会と同志を守りゆく誓願の人生を歩んでまいります」と、力強く誓い合いました。
原田 日蓮大聖人は、若き門下に「願くは我が弟子等・大願ををこせ」(御書1561ページ)と仰せになりました。現代において、世界の池田門下の青年たちが、国境や、文化の差異などを超えてスクラムを組み、広布を誓い合う姿に、輝かしい未来を感じずにはいられません。
長谷川 まさに広宣流布は、世界同時進行で加速度を増して進んでいます。
原田 今回、多くの識者の方々とも会見させていただきました。コヴィンド大統領は、学会とインドの間に今後も末永い友情が結ばれていくことを念願されていました。池田先生が結び、多くのメンバーが育んできた友好が大きく開花している事実を目の当たりにしました。
永石 インドに続き訪問したタイでも、現地のメンバーの広布に懸ける熱気に触れ、本当に感動しました。
原田 タイは「アジアの灯台」との誇りに燃え、この25年で地涌の陣列が10倍に発展しました。
永石 一人一人と接する中で皆さんが信心を根本に地域、社会に信頼を広げてきた結果であることがひしひしと伝わってきました。
原田 タイ広布をリードしているのが“黄金柱”の壮年部です。壮年大会には弘教拡大の歓喜の中、3600人の友が集い合いました。タイでは、明年に向けて壮年部、青年部がそれぞれ7万5000人の陣列の構築を目指しており、前進の息吹にあふれています。
永石 婦人部の集いでは、明年の勝利に向け、拡大と後継の育成を固く誓い合いました。各地で広布が躍進する陰には、婦人部の真剣な祈りと、温かな励ましが必ずあります。
原田 タイでは、池田先生が親交を深めたプーミポン前国王の次女であられるシリントーン王女を表敬。また、アナン元首相ともお会いしました。
長谷川 インド、タイ共に、先生が国家指導者から庶民まで、あらゆる人々と交流し、友情と信頼の絆を結んでこられた地です。
原田 世界中で仏法哲理を根本に、平和・文化・教育運動を展開するSGIへの信頼はいっそう深まっています。世界が創価の人間主義の哲学、社会貢献の行動に期待しているのです。
大串 来る10月2日は、「世界平和の日」です。
西方 1960年のこの日、池田先生は、世界広布への第一歩としてアメリカ・ハワイに旅立たれました。明年で60年の佳節を迎えます。
永石 先生は「大白蓮華」10月号の巻頭言で当時を述懐し、「足を運ぶ全ての大地に題目を染み込ませ、出会う一人また一人の友と、力の限り対話を重ねゆく旅であった」と、つづられました。
長谷川 先生の、この激闘から、創価学会が世界宗教へと飛翔しゆく新章の幕が開かれたのです。
原田 世界広布新時代の主人公は私たち一人一人です。目の前の友を励まし、地域に信頼の輪を広げていく。この地道な実践にこそ、創価の対話運動の目的である世界平和への一歩があります。健康第一、無事故第一で、決意も新たに前進していきましょう。
マーナブ・ラチャナ大学「名誉哲学博士号」授与式から 池田先生の謝辞(代読) 2019年9月26日
マーナブ・ラチャナ大学「名誉哲学博士号」授与式から 池田先生の謝辞(代読) 2019年9月26日
一、このたびは、目覚ましい大発展を遂げゆかれる希望の大国インドにおいて、最先端の高等教育を通し、卓越した英知の人材を陸続と輩出される貴マーナブ・ラチャナ大学より、栄えある「名誉哲学博士号」を賜り、心より感謝申し上げます。
貴大学が冠された「マーナブ・ラチャナ」との名称は、ヒンディー語で「人間(マーナブ)」と「創出(ラチャナ)」を意味し、モットーの「より良き人間を育成する」との意義が込められていると伺いました。
総長と副会長のご尊父であり、貴大学の創立者であられたO・P・バッラ博士は、一人の「人間」の尊厳と無限の可能性に光を当てた、崇高なる教育の理念と、革新的ビジョンを掲げ、インド社会の繁栄に、不滅の貢献を果たされました。
そして、博士の二人のご子息が、偉大なるご尊父の構想を受け継ぎ、共に力を合わせて実現しておられる姿に、私は心からの感銘を禁じ得ないのであります。
まことに父と子が、不二の使命の道を共に進み抜く「父子同道」には、最も尊く麗しき人生のロマンの劇があるからであります。
本日、創造性豊かな知性と人格のリーダーを育む最高学府として、インドそして世界の教育界を勇躍リードされる貴大学の誉れも高き一員とさせていただきました。
この栄誉を、わが敬愛してやまないインド創価学会の宝友たちと分かち合わせていただくことができ、これほどの喜びはございません。誠に誠にありがとうございました(大拍手)。
一、私は、「精神の大国」インドは「教育の大国」インドであると思う一人です。
いにしえより、釈尊の前世の物語である「ジャータカ物語」や、世界最古の児童向け書籍とされる古代説話集「パンチャタントラ」などが広く民衆教育のテキストとして愛されてきました。世界的に有名な大叙事詩「マハーバーラタ」や、「ラーマーヤナ」は、実に幾千年という悠久の歴史の中で、南アジアの国々にも広がり、民衆の心に優れた道徳や価値観を育み、豊かな人間教育の大地を耕してきたのであります。
人類の教師たるインドの釈尊が説いた法華経には、万物の多様性と共生を明かした「三草二木の譬え」があります。
天から普く降り注ぐ慈雨に潤されて、大地にはさまざまな種類の草木が各々に成長を遂げつつ、多彩な花を咲かせ、多様な実を結んでいきます。
それと同じように、人間も生命尊厳の哲理に浴し、慈愛の励ましを受けることで、それぞれの個性を存分に発揮しながら、人華を咲き薫らせていくことができるというのであります。
ここには、誰一人として置き去りにされることのない、平等にして、多彩に生命を慈しみ育む人間教育の真髄が示されているのではないでしょうか。
こうしたインドの天地に流れ通う、深遠なる教育の英知と慈愛を、生き生きと現代に開花させてこられたのが、まさしく貴大学なのであります。
創立者のO・P・バッラ博士の深き人間愛に象徴されるように、貴大学の理念には、生命への温かい眼差しがあり、民衆へのあふれるばかりの愛情があります。私もまた、この熱情こそが教育の出発点であり、終着点であらねばならないと考えてきました。
教育の究極の目的は、一人一人の成長と幸福であり、人間は人間によって、生命は生命によってしか磨かれません。
一、さかのぼれば、インドにおける大学の淵源には、悠遠なる歴史と伝統があります。およそ、紀元前6世紀から紀元後の5世紀にかけて栄えた古代インドのタキシラ大学や、5世紀から12世紀に発展したナーランダ大学は、まさに人類の誇る偉大な知性の遺産であります。
なかでも、タキシラ大学では、古典ヴェーダから、言語、哲学、医学、音楽、舞踊まで幅広く学ばれ、遠くバビロン、ギリシャ、シリア、中国からも求道と向学の学徒が集い、学生数は1万人を超えたといいます。
このタキシラ大学の教育の最大の特徴は、単なる知識の詰め込みではなく、人生の経験を積み、深い洞察を備えた「師匠」と「弟子」の対話による「智慧の教育」にあったとされております。これはまさに、O・P・バッラ博士が目指された、貴大学の崇高な全人教育の理念と、軌を一にするものでありましょう。
貴大学におかれては、学生たち一人一人が、偉大な思考力と行動力を併せ持つとともに、各人が誠実に、地域社会と一体になって、価値創造のリーダーシップを発揮できるよう、薫陶されていると伺い、感嘆しております。
一、私は、若き日、恩師である戸田城聖先生より、一対一の個人授業を受けました。「戸田大学」というべき、全人教育の打ち合いでした。
不屈の信念の教育者であった恩師は、第2次世界大戦中、日本の軍部政府と対峙して投獄され、2年間の獄中闘争を勝ち越えました。戦後の焼け野原に一人立って、新たな民衆の連帯を築き始めた恩師が、常に私たち青年に教えられたことがあります。
かの釈尊の出世の本懐、つまり人生の根本目的は、何であったかという一点であります。それは、「人の振舞」であると示されたのです。
そして、この究極の人間主義の生命哲理を継承し、一人の「人の振舞」に光を当て、変革しゆく「人間革命」の運動に、青年と共に挑戦したのであります。
人間革命は、まさしく民衆のエンパワーメント(内発的な力の開花)を可能にする人間教育と一体であります。
その意味において、「より良き人間の育成」を通して、社会の変革と民衆への貢献にまい進される貴大学の理念は、私ども創価教育の哲学と深く響き合うものであり、幾重にも不思議な縁を感ずるのであります。
総長は、ご尊父の遺志を継ぐに当たり、ご兄弟として大切にされている信条を、こう語られております。
「私たちは教育に“限界”はないと強く信じています。教育者として、私たちは日々学び、そして一日たりとも同じ日はないのです。それは、自分が可能だと思うことは何でも描くことができる、無地のカンバスのようなものです」
まさに、教育における知恵と工夫と努力によって、人間の未来も、世界の未来も、無限に描き出していくことができる。この大確信を、私も総長と共有しております。
マハトマ・ガンジーは叫ばれました。
「人間にとって最も高邁な努力とは、困難にも退くことなく、自らの義務を果たし続けることにある」と。
私も、本日よりは、貴大学の誉れある一員として、「マーナブ・ラチャナ(人間を創出する)」との大哲学を一段と高らかに掲げながら、尊敬する先生方と共に手を携え、愛するインド創価学会の不二の青年たちと一緒に、勇敢に進みゆくことを、ここにお誓い申し上げます。
結びに、貴大学の永遠無窮のご繁栄と、ご臨席のすべての方々の限りないご健勝を、心よりお祈り申し上げ、私の御礼の言葉とさせていただきます(大拍手)。
■
〈世界広布の大道――小説「新・人間革命」に学ぶ〉 第11巻 解説編 2019年9月25日
今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第11巻の「解説編」。池田博正主任副会長の紙上講座とともに、同巻につづられた珠玉の名言を紹介する。次回は、第12巻の「基礎資料編」を10月2日付に掲載予定。(第11巻の「基礎資料編」は9月4日付、「名場面編」は11日付、「御書編」は18日付に掲載)
小説『新・人間革命』完結から1年となる今月8日、東京・信濃町の総本部に「創価学会 世界聖教会館」が竣工しました。
同会館の入り口には「聖教新聞 師弟凱歌の碑」が設置されています。碑文は、「9・8」に寄せて、池田先生が記したものです。
碑文の冒頭に、「広宣流布とは言論戦である。仏法の真実と正義を叫ぶ、雄渾なる言葉の力なくして、創価の前進はない」とあります。
第11巻の「暁光」の章には、山本伸一がブラジルのリーダーに、言論戦について語る場面が描かれています。
「言論といっても機関紙などに原稿を書くことだけではない。むしろ、重要なのは、肉声の響きであり、一対一の対話だ。(中略)仏法と学会の正義と真実を、語り抜いていくことこそ、最も大切な言論の白兵戦です」(67ページ)
対話を通して、一人また一人と心を通わせ、学会理解を広げていくことこそ、広宣流布の実像です。
また、碑文には、「聖教の姉妹紙誌は今、五大州に智慧の光を放ち、(中略)『人間の機関紙』の論調は世界同時に行き渡る」ともあります。「開墾」の章では、ペルーで発刊されるスペイン語の機関紙の名前を、伸一が「ペルー・セイキョウ」と命名したことがつづられています。今、世界50カ国・地域で80以上の聖教の姉妹紙・誌が刊行されています。
世界聖教会館の開館を迎える今この時、私たちは聖教新聞を活用しながら、「一対一の対話」に、勇んで挑戦していきたいと思います。
「暁光」の章では、学会に対する誤解や偏見が強かった、軍事政権下のブラジルでの、同志の苦闘が描かれています。伸一は、それらを打ち破るため、積極的にマスコミなどと対話します。
また、メンバーの心に、何があっても揺るがない信心の柱を打ち立てようと、「難と戦うことこそ、自己の生命を磨き、境涯を高めゆく直道であり、人間革命のための飛躍台なんです」(38ページ)と励ましを送ります。
ブラジルの同志は、社会から信頼を勝ち得るために、真剣な祈りから出発します。その先頭に立ったのは、婦人部でした。
伸一は婦人部のリーダーに、「時代を変えていく本当の原動力は、婦人の祈りであり、生活に根ざした婦人の活動なんだ。婦人の力は、大地の力といえる。大地が動けば、すべては変わる」(67ページ)と語ります。
日本出身の彼女は、真剣勝負の唱題を重ね、ポルトガル語を書いた紙を頼りに、数十キロも離れたメンバーの家へ、毎日のように激励に通います。こうした激闘によって、ブラジル広布に立ち上がる同志が次々と誕生しました。
その精神は、「ムイト・マイス・ダイモク(もっと題目を)!」との合言葉となり、現在のブラジルSGIに脈打っています。草創の戦いが受け継がれているのです。
伸一がブラジルを初訪問した1960年(昭和35年)10月、海外初の支部が結成されました。その後、ペルー、ボリビア、パラグアイ、アルゼンチン、ドミニカ共和国の中南米各国にも支部が誕生します。「開墾」の章には、こうした歴史的には仏法と全く無縁の国々で、いかにして学会理解が広まっていったかが記されています。
いずれの国でも、「その作業は、石だらけの大地を耕し、畑を作り上げるような、苦闘の連続」(209ページ)でした。しかし、メンバーは、よき市民として社会に貢献し、信頼を広げていきました。
その根底にあったのが、伸一との「心の絆」です。派遣幹部が訪れたアルゼンチンでは、伸一の次のような伝言が紹介されます。
「日本とアルゼンチンは、地球の反対側にあり、遠く離れていますが、広宣流布に生き抜く人の心は、私と一体です。私の心のなかには、常に皆さんがいます」(166ページ)
私たちは、草創の苦闘を決して忘れてはなりません。その魂こそ、師との「心の絆」です。「師弟の精神」は、出会いの有無ではなく、心に師を抱き、師への誓いを果たそうと、懸命に行動する中に脈動するのです。
第11巻の連載期間は、2000年(平成12年)5月から同年末までの、20世紀最後の時に当たります。「躍進」の章に「二十世紀は戦争につぐ戦争の世紀」(338ページ)とありますが、そのことを象徴する出来事として、「常勝」の章に、ベトナム戦争の詳細がつづられています。
ベトナム戦争は、1966年(昭和41年)には“泥沼”の様相を呈していました。伸一は、1月の首都圏の高等部員会、11月の青年部総会、翌年8月の学生部総会で、ベトナム戦争について言及しています。これらの発言に対して、政治家などの圧力が予想されましたが、「戦争で真っ先に死んでいくのは青年であり、最大の犠牲となるのは罪もない民衆である」(282ページ)との信念から、戦争解決のための提言などを発表していきました。
伸一の提言に、大きな反応を示したのは、アメリカの青年部員たちでした。「徴兵され、あるいは職業軍人として、ベトナムに行かねばならない人も、少なくなかった」(295ページ)からです。メンバーは、仏法には戦争をなくす方途が説かれているはずだと確信し、御書や伸一の講義を懸命に研さんしていきます。
そして、「根本的な平和の道は、一人ひとりの人間の生命を変革する以外にない。つまり、人間の心のなかに、崩れざる“平和の砦”を築く、“人間革命”しかない」(302ページ)との結論に達します。ここに、仏法者としての根本的なあり方が明確に示されています。
73年(同48年)1月、伸一は米大統領宛てに停戦を訴える書簡を送ります。その書簡は、「『提言の書』であると同時に、『平和への誓願の書』であり、また、『諫言の書』」(315ページ)でした。「戦争の世紀」だった20世紀から、21世紀を「平和の世紀」にしなくてはならない、との信念に基づく、やむにやまれぬ行動でした。
それは、日蓮大聖人が「立正安国論」をもって、国主諫暁をされた精神に通じるものがあると思えてなりません。
「躍進」の章の最後に、大聖人の迫害との闘争が記述されているのは、“大聖人の精神を21世紀にも伝え、実践していこう”との池田先生の思いが込められているのではないでしょうか。
これからも、大聖人の御精神のままに、いかなる困難も恐れず、広布拡大にまい進してまいりましょう。
●信心の証
信仰の道は、決して平坦ではないでしょう。険しい上り坂もあります。嵐の夜もあるでしょう。だが、何があろうが、負けないでいただきたい。負けないということが、信心の証なのであります。(「暁光」の章、57ページ)
●祈りから始まる
思いやりも、友情も、祈りから始まる。祈りこそ、人間と人間を結びゆく力である。(「開墾」の章、143ページ)
●一人への励まし
世界広布という崇高にして壮大な作業もまた、そこに生きる一人の人間から始まる。ゆえに、その一人を力の限り、生命の限り、励まし、応援することだ。(「開墾」の章、160ページ)
●学会精神
学会精神とは――人びとの幸福のため、世界の平和のために戦い抜く、慈悲の心である。何ものをも恐れず、苦難にも敢然と一人立つ、挑戦の心である。断じて邪悪を許さぬ、正義の心である。(「常勝」の章、264ページ)
●日々発心
持続というのは、ただ、昨日と同じことをしていればよいのではありません。「日々挑戦」「日々発心」ということです。信心とは、間断なき魔との闘争であり、仏とは戦い続ける人のことです。(「躍進」の章、366ページ)
※『新・人間革命』の本文は、聖教ワイド文庫の最新刷に基づいています。
【題字のイラスト】間瀬健治