小説「新・人間革命に学ぶ」 第13巻 解説編 池田主任副会長の紙上講座 2019年11月27日

小説「新・人間革命に学ぶ」 第13巻 解説編 池田主任副会長の紙上講座 2019年11月27日

  • 連載〈世界広布の大道〉

 今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第13巻の「解説編」。池田博正主任副会長の紙上講座とともに、同巻につづられた珠玉の名言を紹介する。

紙上講座 池田主任副会長
3:58
ポイント
日中友好を万代へ
②楽土は人間の建設に
③座談会充実の要諦

 間もなく迎える12月5日は、池田先生が第2次訪中(1974年)の折、周恩来総理と会見した日です。今年は45周年の佳節です。

 第13巻「金の橋」の章では、1968年(昭和43年)9月8日、山本伸一が学生部総会の席上、「日中国交正常化提言」を発表した経緯が詳細に記されています。

 伸一の日中友好に懸ける思いは、恩師・戸田先生の誓いでもありました。「雲の井に 月こそ見んと 願いてし アジアの民に 日をぞ送らん」(11ページ)との和歌に象徴されるように、戸田先生はアジア、中でも中国に対する「ことのほか深い」(同ページ)思いがあったのです。

 また、提言発表には、日中の関係改善に心血を注いできた人たちとの出会いがありました。その一人が、実業家の高碕達之助です。

 伸一と高碕が語り合ったのは、63年(同38年)9月。高碕は中国の様子などを伝えると、伸一に「あなたには、その日中友好の力になってもらいたい」(26ページ)と率直に訴えます。それに対して、伸一は「必ず、やらせていただきます」(同ページ)と応え、日中友好の「金の橋」を架けることを決意します。

 当時の日本は、中国敵視政策をとっており、日中友好を口にすれば、激しい非難と中傷が起こることは容易に想像できました。それでも、伸一は恩師や日中友好に尽くす方々の思いを胸に、「私が、発言するしかない!」(43ページ)と提言の発表を行いました。

 伸一の提言に、代議士の松村謙三は、「百万の味方を得た思い」(81ページ)と述べ、「ぜひとも、あなたを周恩来総理に紹介したい」(82ページ)とまで語ります。

 高碕も松村も、伸一と40歳以上の年の差がありました。2人は、伸一に日中の将来を託そうとしたのです。

 同章には、「日中友好の永遠なる『金の橋』を築き上げるという大業は、決して、一代限りではできない」(44ページ)とあります。伸一が提言発表の場を、学生部総会としたのも、「学生部員のなかから、自分の提言の実現のために、生涯、走り抜いてくれる同志が必ず出るにちがいない」(同ページ)との確信があったからです。

 池田先生はこれまで、10度訪中し、青年交流、文化・教育交流を幅広く推進してこられました。両国間に築かれた平和と友誼の「金の橋」は揺るがぬものとなっています。

 池田先生には、中国の大学・学術機関から数多くの名誉学術称号が贈られています。また、これまで約40の大学などに、池田思想の研究機関が設置されてきました。さらに、創価大学は現在、60を超える中国の大学・学術機関と学術交流協定を締結しています。

 明年3月からは、日本全国30都市で、上海歌舞団が出演する舞劇「朱鷺」の民音公演が開催されます。東京富士美術館では、明秋に「大シルクロード展(仮称)」が予定されています。

 また、1985年から中華全国青年連合会(全青連)と学会青年部は交流を重ねており、中華全国婦女連合会(婦女連)と創価学会の女性交流は今年で40周年となりました。

 池田先生が架けた日中の「金の橋」を万代へ――後継の青年部・未来部の皆さんは、その大きな使命と責任を担っているのです。

北京の釣魚台国賓館の一角。池田先生はここで、中日友好協会会長を務めた孫平化氏など、多くの要人と友誼の語らいを重ねた(1992年10月、先生撮影)
北京の釣魚台国賓館の一角。池田先生はここで、中日友好協会会長を務めた孫平化氏など、多くの要人と友誼の語らいを重ねた(1992年10月、先生撮影)
首里城に思い馳せて

 「楽土」の章では、山本伸一が1969年(昭和44年)2月に沖縄を訪問した場面が描かれています。

 この時、沖縄は本土復帰問題などで揺れていました。同章に「真の繁栄と平和を勝ち取ることができるかどうかは、最終的には、そこに住む人びとの、一念にこそかかっている」「楽土の建設は、主体である人間自身の建設にこそかかっている」(302ページ)とつづられています。伸一は、「会員一人ひとりの胸中深く、確固不動なる信心の杭を打ち込もう」(303ページ)と誓い、沖縄を訪れました。

 この訪問の折、芸術祭が行われ、演劇「青年尚巴志」が演じられました。総勢100人の出演者による1時間半にわたる舞台でした。

 尚巴志は15世紀に琉球を統一し、首里城を拡充した名将です。沖縄の同志は、「戦時中から今まで、沖縄の民衆がなめてきた辛酸は、尚巴志が生きた戦乱の時代と酷似している」(342ページ)と思い、この劇で沖縄の平和建設への決意を表現しました。

 あの悲惨な沖縄戦で焼失した首里城は、89年(平成元年)に復元工事が始まり、3年後の92年(同4年)、正殿などが再建されました。

 94年(同6年)2月の沖縄訪問の折、池田先生は首里城を視察しています。「楽土」の章の連載は、2002年(同14年)10月からです。先生は首里城の姿を思い浮かべながら、執筆されたのではないでしょうか。

 首里城は、沖縄の歴史と文化、そして平和のシンボルです。その首里城の正殿などが先日、焼失しました。沖縄の皆さまの心中は、察するに余りあります。首里城の雄姿が再び見られることを願ってやみません。

池田先生が首里城を視察(1994年2月)。首里城跡は、日本で11番目の世界遺産に登録されている
池田先生が首里城を視察(1994年2月)。首里城跡は、日本で11番目の世界遺産に登録されている
事前の準備で決まる

 「北斗」の章に、「牧口初代会長以来、学会は座談会とともにあった」(162ページ)とある通り、座談会は学会の伝統です。同章には、「座談会革命」について記されています。

 座談会を充実させる秘訣を尋ねられた伸一は、座談会は、弘教のための仏法対話の場であり、集ってきた同志に、勇気と確信を与える真剣勝負の指導の場であることを述べた上で、「中心者の気迫と力量が勝負になる」(164ページ)と強調します。

 そのほかにも、①新来者を連れてきた人に、心からの尊敬の念をもって激励すること②座談会は当日だけでなく、結集も含め、事前の準備によって決まること③担当する幹部は、成功を真剣に御本尊に祈り、決意と確信をもって臨むこと④リーダーの社会性ある、常識豊かな振る舞いが大事であること⑤会場提供者に礼を尽くすことなどが、座談会を成功させるための要諦であると語ります。

 聖教新聞では、「世界のザダンカイ」などで、各国の座談会の模様を紹介しています。「ザダンカイ」は今、世界の共通語です。

 「創価学会といっても、それは、どこか遠くにあるのではない。わが地区の座談会のなかにこそ、学会の実像がある」(168ページ)とあるように、私たちは座談会の充実を図りながら、世界宗教としての誇りも高く、前進していこうではありませんか。

名言集
●国交の本義

 国交も、その本義は人間の交流にあり、民衆の交流にある。友情と信頼の絆で、人間同士が結ばれることだ。国家といっても、それを動かすのは人間であるからだ。(「金の橋」の章、63ページ)

●広布貢献の功徳

 わが家を活動の拠点に提供し、広宣流布に貢献してきた功徳は、無量であり、無辺である。それは、大福運、大福徳となって、子々孫々までも照らしゆくにちがいない。(「北斗」の章、119ページ)

●女性の世紀

 女性の幸福なくして、人類の平和はない。女性が輝けば、家庭も、地域も、社会も輝く。ゆえに二十一世紀は、女性が主役となる「女性の世紀」に、しなくてはならない。(「北斗」の章、160ページ)

●境涯革命の証

 皆が仲よく団結しているということは、それ自体が、各人の境涯革命、人間革命の証なんです。(「光城」の章、273ページ)

●誰にも負けない力

 人材には、力がなくてはならない。心根は、清く、美しくとも、力がないというのでは、民衆の幸福、平和を築くことはできない。だから、何か一つでよい。これだけは誰にも負けないというものをもつことが必要です。(「楽土」の章、349ページ)

【題字のイラスト】間瀬健治